元句:「オーバーの胸雪まみれ逢ひに行く」茨木和生 句集『木の國』
「ごあいさつしに行っていいですか?」というメールを送るときに何度も読み返した。
送信ボタンを押す前に5回は「ほんとにいいの?」と自問自答した。
お土産を買って、メッセージカードを書くときの手がふるえてた。
どこの恋する乙女だっ!
それでも会いに行った。
仕事関係者に、有給とって、だけど職場の名前使って。
そこまでして会わなきゃならない理由は自分でもわからなかった。
でも会わなきゃならないと思ってた。
今やっとわかった。
「内部の人を巻き込めないなら外部の人を巻き込めばいいじゃない。」
まあそういうことだ。
やっぱり一人はしんどいし。
言葉が通じて、同じ方向を見ている人が、外部にしかいないなら、その人巻き込むしかないよね。
人を巻き込むことに罪悪感を覚えなくなったのは、周りが大人になったからなのか、自分がふてぶてしくなったからなのか。
もう単純に、巻き込む宣言しに行っただけだったんだなぁ。
チョコ8個で巻き込んでいいのかなぁ。
だめでも巻き込むけど。
「むちゃくちゃ愚痴入ったメールとか送りますよ」
「だいじょうぶですよ」
ほんとに送るとは、思わなかっただろうなぁ。
言葉を尽くして説明しなくても話が通じるって、ほんと素敵。
会いに行って、
ほんとに愚痴入ったメール送るようになって、
自分の認識の甘さを指摘されてがーんときたのもあったけど、
それ差し引いてもかなり楽になった。
今までは
「法解釈上の正解は教えてもらえるけど、それを組織内でどう使うか考えるのは私と職場内の人
(でも職場内の人はまず理解ができてないから考えるのは私だけ)」
と思ってたけど、
「職場内でどうすればいいか」も、とりあえず話は聞いてもらえるようになった、というのは大きい。
かといって、外部の人に何ができるわけでもなく、ではあるんだけど。
できそうなことがあれば言ってはくれる。
「『相談したらかなりまずい状況と言われた』とかなんとか言って
うちをうまくダシに使ってくれていいし、上の人とも話すことはできますよ。」
とか。
18歳前後につくった腕の傷痕だけを相棒に
胸の中を血まみれにして
ひとりで進むのはもう疲れたので
会いに行ったんだな、私は。
「ごあいさつしに行っていいですか?」というメールを送るときに何度も読み返した。
送信ボタンを押す前に5回は「ほんとにいいの?」と自問自答した。
お土産を買って、メッセージカードを書くときの手がふるえてた。
どこの恋する乙女だっ!
それでも会いに行った。
仕事関係者に、有給とって、だけど職場の名前使って。
そこまでして会わなきゃならない理由は自分でもわからなかった。
でも会わなきゃならないと思ってた。
今やっとわかった。
「内部の人を巻き込めないなら外部の人を巻き込めばいいじゃない。」
まあそういうことだ。
やっぱり一人はしんどいし。
言葉が通じて、同じ方向を見ている人が、外部にしかいないなら、その人巻き込むしかないよね。
人を巻き込むことに罪悪感を覚えなくなったのは、周りが大人になったからなのか、自分がふてぶてしくなったからなのか。
もう単純に、巻き込む宣言しに行っただけだったんだなぁ。
チョコ8個で巻き込んでいいのかなぁ。
だめでも巻き込むけど。
「むちゃくちゃ愚痴入ったメールとか送りますよ」
「だいじょうぶですよ」
ほんとに送るとは、思わなかっただろうなぁ。
言葉を尽くして説明しなくても話が通じるって、ほんと素敵。
会いに行って、
ほんとに愚痴入ったメール送るようになって、
自分の認識の甘さを指摘されてがーんときたのもあったけど、
それ差し引いてもかなり楽になった。
今までは
「法解釈上の正解は教えてもらえるけど、それを組織内でどう使うか考えるのは私と職場内の人
(でも職場内の人はまず理解ができてないから考えるのは私だけ)」
と思ってたけど、
「職場内でどうすればいいか」も、とりあえず話は聞いてもらえるようになった、というのは大きい。
かといって、外部の人に何ができるわけでもなく、ではあるんだけど。
できそうなことがあれば言ってはくれる。
「『相談したらかなりまずい状況と言われた』とかなんとか言って
うちをうまくダシに使ってくれていいし、上の人とも話すことはできますよ。」
とか。
18歳前後につくった腕の傷痕だけを相棒に
胸の中を血まみれにして
ひとりで進むのはもう疲れたので
会いに行ったんだな、私は。