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医療制度改革7

2005年03月04日 20時43分04秒 | 社会保障問題
昨日の医道審議会の決定を受けて、「時間がかかり過ぎる」「監督官庁である厚生省の対応が遅い」などの批判が出ています。処分を受けた医師達への批判は当然として、制度の問題もありそうです。25年後の行政処分では遅きに失したと言えましょう。

以前医療過誤について記事に書きましたが、医療過誤を防ぐには教育が一番大切です。ミスとはどのようにして起こってしまうか、どのようなことに気を付けなければならないか、起こしてしまったらどのように対処すべきか、最終処理はどうするのか、といったことを、事例を通じて知ることが先決です。どのような職種でも、概ね共通する部分と、各専門分野ごとに知っておかねばならないこと、などの違いはあるかもしれませんが、「ミス」や「事故」というものの性質や成り立ちを理解するだけでも十分意味があると思います。


話はちょっとずれますが、料理の世界は医療の世界に少し似ているように思います。聞いた話でしかないので、正確とは言えないかもしれませんが。でも、個人的にはそういう印象を受けました。

料理人でも、きちんとした教育を受けた者と、そうでない者がいます。通常は、独自に頑張ってみてもなかなか難しく、やはり一流所で修行して技術を磨かなければ、客を呼べる料理人にはなれません。中には人の何倍も努力して、独自の技術や料理法などを作り上げている人もいるかもしれません(ラーメン屋さんとかにはそういう未経験者でも成功されている人もテレビなどで紹介されたりしますが)。ですが、そういう人は、センスもよく、勉強熱心で、相当の努力家でしょうし、滅多にいないでしょう。普通は、どこかのお店に勤めて修行していくのではないでしょうか。ある種の徒弟制度のようなものですね。

皿洗いから始まり、次に下ごしらえをさせてもらい、段階を踏んで仕事を覚えていくのでしょう。実際に料理を作ったりできるようになるまでには、相当の年数を経なければならないとも聞きます。しかしながら、それ程の年数を修行しなくとも、割と早くに作らせてもらえる場合もあります。一流の店では無理ですが、それよりも格式が落ちて、求められているものが違えば、十分やっていけるからでしょう。一流の店の出身者達は、基本から厳しく叩き込まれるため、ベースがしっかりと作られています。そのベースが通常よりもはるかに高いレベルにあれば、その後独立したり別な店で働いても大きな失敗は少ないように思います。ところが、ベースがしっかりと出来ていなければ、見かけ上同じように料理を作っているように見えますが、出来上がったものが全然違うということになります。経験年数が20年であっても、きちんとした料理が作れない料理人というのがたくさんいるのです。少し昔、貧乏な潰れかけの店の建て直しをする番組がありましたが、そこに出てきた料理人に共通していたのは、基本が全く出来ていない料理人で考え方の根本から間違えているような人が殆どでした。基本がダメな人は、経験年数が何年になろうが無関係にダメなのです。


医療もこれと似ていると思います。若い時に、相当厳しく基本から叩き込まれている人は、その後どのような技術を身につけようとも間違いが少ない。ところが、ベース部分がきちんと作られていなくて、でも先へ進む(例えば手術の執刀医になるとか)ことができてしまったりすると、その後に「試行錯誤」を実際の患者で行ってしまったり、「ちょっとうまくいかなかった」り、「いい加減な結果」であったりするのです。これは、若い時代の厳しい修行以外成功の道はないようです。


医療過誤についても、これと似た現象が見られます。昨年の腹腔鏡手術後の死亡例もそうですね。「やったことがない」という手術は、必ずどのような医師でもあるでしょう。しかし、それを行うにはそれが可能な体制や準備が不可欠です。そういうことに思い至らないというのは、医学を学んでいるかどうかではなくて、基本的な考え方が備わっているかどうかでしかありません。事前に考えれば、素人でも判断がつくようなレベルなのですね。ですから、経験年数が10年あろうが20年あろうが、きちんとしたベースを作り上げる教育を受けていなければ、いつまでたってもダメなのです。不幸にも、若かりしころの過し方に問題があったとしか思えませんね。


このような医師に本当に必要なことは、刑事罰ではなく、教育です。更生プログラムのようなものに基づいて再教育を受けることが大切ではないかと思うのです。ミスをした医師に診てもらいたくないという方もいるでしょう。私もそうです。しかし、医療の本質的な部分は、「失敗を意図しなくとも」不幸な結果となることも有り得るのです。フジテレビの『白い巨塔』が面白くて、ずっと観ていましたが、そこに登場する「財前教授」や「里見先生」のような場合にも(観てない方は分らないかも)、少なからず「ミス」が存在しているということです。ドラマですから、事実とは一致しないかもしれませんが、どれ程腕が立つとか患者想いであるとか優れた医師としての素養を持っていても、判断が完璧ということは有り得ないのです。生体への判断が難しいとか、予見できないことが存在する、ということであろうと思います。自分の判断の適否について治療結果を考えると悩み苦しむ医師がきっと存在するでしょう。ですから、ミスが出にくいような体制、ミスをしないような教育、ミスの報告と再教育が望ましいと思うのです。行政処分は、当然厳しいものも必要でしょうが、必ず刑事罰を与えるというのも、過酷な気がします。それほど医療にだけ絶対を求めるのは難しい面があるのではないか、と思うのです。


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