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堂下浩先生の論説に関して

2007年07月06日 17時19分57秒 | 社会全般
週刊東洋経済に寄稿論文(以下、「資料1」と呼ぶ)が掲載されていたとの情報をコメントで頂戴しました(貸金業の上限金利問題~その18)。有難うございます。
先日の筒井教授らの阪大経済研究所グループの論文(参考記事)にも協力していた堂下先生のアンケート調査に関するものでした。

私の理解の範囲で内容を大雑把に要約すると、大体次のようなことでした。

1)貸金の審査を厳格化
・新規申込者の約20%が「他社借入件数」で拒否
・主な理由は「収入が不安定」
・拒否者の約45%は借入が0~1社

2)返済困難者
・日本全体で200~410万人
・消費者金融利用者で100~160万人(利用者の11~17%)
・他債務(住宅ローン等)者では100~250万人
・北海道など景気の悪い地域に局在
・生活や金銭に関する管理意識が低い

特に、
・「セルフ・コントロール能力とソーシャル・スキル能力が低い」傾向が認められる
・零細(個人)事業主は、両方の能力が「完済者」とほぼ同じくらいであるが、借入が困難になってきている
・救済策は心理テスト等を実施し強制的に金銭カウンセリングに誘導するシステム構築

ということである(関係ないけど、”スキル能力”って、何かかぶってるような…)。


また、金融庁提出の資料(以下、「資料2」と呼ぶ)を見つけたので、そちらも見てみることにする。
消費者金融利用者に関する実態調査(結果概要)

主に、悪循環の原因は心理的要素が大きい、ということで、先日の「キリギリス」論と方向性は同じであろうと思われる。この結果から、
・残高や金利規制では「過重債務」問題の解決にはつながらない
・一定借入件数利用者に対して、債務整理者になる可能性を評価する必要あり
・何らかの救済策が必要
・債務整理予備軍を早期発見し、カウンセリングと返済条件の見直し機会を提供すべし


これら2つの論説・資料から、もの凄く縮めて言うと、主として「破産するのは、個人の能力的・心理的問題」だ、ということ。能力、性格、行動特性、社会性、そういったものが影響しているのであって、職業等の属性のようなものではない、というようなことだろう。要するに、「人間力みたいなもの」ってこと(笑)。「キリギリスはキリギリスなんだよ」、と。
でも、1)と2)で見たように、今の貸金ではリスク評価が適切に行われているとは言えない、と堂下先生は主張しているのである。


堂下先生は、かつて次のペーパー(以下、「資料3」と呼ぶ)を書いていた。

上限金利引き下げの影響に関する考察

資料2から、少なくとも、「健全な利用者でも高金利の適用を受けている」ということは言えるであろう(健全という言葉がどうなのかというのはあるのだが、笑)。用語が色々と出てくるので、とりあえず破産、債権整理とか管理債権になるような借り手を「破産者」と呼び、そうではない借り手を非破産者と呼ぶことにする。貸出金利は破産者も非破産者もあまり違いはなく、それ故「高金利帯の貸出金利が適用されたからといって破産するわけではない」という主張に結びついていたのだろうと思う。
これまで何度も書いてきたが、貸出金利を「コスト率+貸倒部分」と書くと、コスト率が一定であるなら貸倒が多ければ上乗せされるし、そうでもなければ上乗せは少なく済むはずである。
実際の市場では業者の違いによって、コスト率がそもそも大きく違う。なので、貸出金利そのものが「借り手のリスク」を正確に反映しているわけではない。それに、貸し手は借り手のリスクを正確に評価できない為に、キリギリスを見抜けずにきたのであり、資料1のようなことが起こってしまったりする。貸し手が決めるリスク評価は、あまり当てにならず審査が適正とも言えないということだ。そのような審査に基づいて決定される貸出金利は、借り手リスクを表すには不適当、ということ。ならば、資料3で示されるような「金利分布」で、借り手のリスクを表せるような錯覚を与えるのは、そもそも現実とは整合的ではなく不適切なのではありませんか、ということだ。

消費者金融市場の貸出金利は「リスクを正確に反映する」とは言えない

消費者金融市場の貸出金利は「リスクを正確に反映する」とは言えない・2

消費者金融市場での貸出金利は「リスクを正確に反映する」とは言えない・3


堂下先生が資料3を書いた当時と今は考え方が変わったのだ、ということかもしれないので、別にいいですけどね。
で、キリギリス対策と似ていて、カウンセリングを強制的に行ったらどうか、ということですので、これは昨日書いた記事で言ったことと偶然にも同じでしたね。阪大グループも、堂下先生も、結局は「キリギリスタイプの人は、性格・能力・行動特性等に問題があるのだから、矯正しないと対策にはならない」ということを肯定しているようにしか見えませんね。
これって、結局(初めの頃の話)に戻っただけのように思えますね。借り手に問題があるのだから、説教してあげなさい、ってことですかね。考えも行動も変えてあげなさい、ってことなんじゃないですか?
つまりは池田信夫氏なんかが批判的な『パターナリズム』の最たるものなのではありませんか?「借金するな」「貸さぬも親切」というのは、あながちハズレではない、ということかもしれませんよ?

資料1で貸金が審査厳格化で「収入が不安定」というのを厳しくみている、ということを述べているが、それは経済学を謳う人たちが主張していたのではありませんか?堂下先生も寄稿していた早大消費者金融サービス研究所の、坂野教授のペーパーではそう主張していたじゃないですか。「破産するのは、収入減少が原因なんだ」と、経済学信奉者たちも一緒に力説していたではありませんか。それを今更になって、減収要因を重視されても困る、みたいに言われても、貸金業者たちだって困惑するだけなんじゃありませんか?
「収入が減少するリスク」を評価して審査してるってのに、「借りてる人間に問題があるんだ、心理的要素、セルフ・コントロール能力やソーシャル・スキル能力の低いこと、それが破産の理由なんだ、キリギリスタイプに貸してはいけないんだ」とか言うのでしょうか?(笑)

破産は収入減少が主であり、それが起こるのは失業や病気なんだ、とか主張していたでしょう。経済学理論で明らかだ、とか豪語している人もいたでしょう?GRIPSの鶴田先生は貸し手の「競争を仕向ける」政策、と言っていたのに、あれは何だったのでしょうか?貸し手の競争が進んだところで、借り手の人間力(笑)がアップするわけでもあるまいに。どの対策にしても、貸金業の上限金利問題~その12に書いた範囲から出ているものはなく、目新しい話というのはないですね。


経済学の研究者とか学者たちは、どの程度信頼できうるものなのでしょうか?
どうしてこれほど異なったことを言うのでしょう?(笑)

ここまでの印象では、専門家とか名がついていたとしても、あまり「当てにならない」ということが改めて確認されたように思います。




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3 コメント

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Unknown (ファルカン)
2007-07-06 22:17:38
 結局貸金業者が築いたビジネスモデルまあ悪くいえば利権構造が、下流から高い着手金を搾取する弁護士にシフトしただけのこと。弁護士、司法書士も手っとりはやくお金を稼ぐためにサヨクや組合の連中と組んでいたようだが、弱者救済することが目的のために金利下げに反対するなら、弱者からしぼりとる高い着手金を放棄して無償で動けと。

 また弁護士の票と弱者の票がほしいから政治家が正義を振りかざして動いただけのこと。さんざんサラ金から飯のたねで恩恵を受けていたマスコミが勝ち馬にのるために手のひらをかえしたということ。

 もともと貸金業を悪の権化のようにいっていた知識人やその尻馬にのってほえている人たちが、まあそんなにいうなら君が下流を救うためにお金を融通しなさいといっていて批判しているようだが、前々からいわれた通り貸金業を解体してその後どうなるのかという問題を今頃持ち出してマスコミが騒いでいるんだが、そもそもお金を貸して回収するということがどれだけ体をはった作業なのかわかっていない。そんな修羅場を経験していない素人ともでは無理な話。

 貸金業を解体してその後どうなるのか、まあそこまでシュミレーションしているやつらはほとんどいないだろう。だからペーパーテストで勝ち残った霞が関の生ぬるい発想ではせいぜい、なんとか機構とか創ってそこに天下るくらいの発想しかない。
Unknown (ダ~タ)
2007-07-08 11:07:50
債務者キリギリス論
双曲割引というか、我慢が足りない先食い議論、昨年春先あたりから、わいて出たと思いきや、よくみてみたら、2001年に議論されていた。早稲田の昼間文彦という数量経済学者が、消費者金融サービス研究学会年報で主観的時間的選好率として、将来価値=効用を現在価値に引き戻すさいの各消費者の暗黙の想定割引率と論じ、異時点間の選択行動を特徴付ける極めて重要なパラメターと定義し、アンケートデータにもとづく統計分析していた。同様に、昼間「消費者破産はなぜ起きるか-消費者の時間不整合的行動モデル」クレジット研究15巻1996年、時間選好率のアノマリーと消費者信用への合意」クレジット研究26巻
Unknown (まさくに)
2007-07-08 13:38:49
>ファルカンさん

貸すのも回収するのも「修羅場」であって、労力は尋常ではない、ということであるなら、そういう大変な事業からは撤退するのが望ましいのではないかと思えます。敢えて「過酷な環境なのに、金貸しを続けろ」と無理なお願いをしようとは思っておりません。

>ダ~タマイナさん

いつも情報を有難うございます。
晝間文彦早大教授は上限金利問題に取り掛かるようになったので、存じ上げておりました。

http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/f394e4d906cf446d5c75bbfbc2d91fa6
この中で挙げた参考文献の著者です。

更に、先日書いた
http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/e1f6374d11bdac0832aff252c95efa54
の研究グループにも、入っておられます。

行動経済学的なアプローチというものが有効ではない、とは思っておりません。むしろ、対策を考える上では役立つことが多いと思います。経済学理論を政策に反映しようとするのであれば、たとえ煩雑で多額の費用がかかろうとも、「強制的な専門的カウンセリング機構」とか「個人(の性格、能力、性向、等資質部分まで含む)への介入システム」といったものをやるべきだ、と初めから主張するとか論点提示を行うのが望ましい、ということです。それが経済学的知見に沿うものなのではありませんか、ということです。それなら、これにかかる費用の大きさとか、上限を引下げた場合のコストと比較することだってできるかもしれません。阪大グループの結果というのは、概ね経験的に判ることと一致していることが多いように思えます。

本格的に金利水準を比較して正しく選択するということになれば、恐らく金利水準はもっと低下するであろうと思います(上限がなくても)。

ところが、経済学信奉者たちの言い分は全く違うものでした。豪語している連中というのは、「借りたい人がいるのだから、貸せばよい」と言っていた。金利は需給で決まる、とか。破産するのは減収が主要因だ、だから金利規制は無用である、とか。共通するのは、大雑把に言えば、介入するのは余計なお世話なんだ、市場に任せておけばいいんだ、という市場崇拝的な言い分でした。

要するに、彼らは「一知半解」の経済学の理屈を利用して、トンデモな主張を繰り広げていただけで、デマをばら撒いていたのと何ら違いがないようにしか思えませんでした。無知な大衆を散々バカにしていたが、自分たちだって判ってないのは同じじゃないか、と思いました。

むしろ「学術的な権威付け」を行ってトンデモをばら撒いている方が、見分けがつかない分だけ感情論より害悪が多いだろう、と何度も指摘したのですよ。しかし、それを省みる人々などそう多くはないことを知りました。彼らの自信を支えているのは、偏に「自分は経済学理論を知っているor信じている」という妄信的傾向があるのではないのかな、と。「経済学信奉者」ゆえのことなのかもしれませんが。

これを変えさせることなど、誰にもできないのです。彼らのやっていることは、ニセ科学をばら撒いているのと同じ効果を持つが、それを私のような下種野郎がいくら何かを言っても、トンデモが拡散するのを阻止することはできない、ということです。

現実に、貸金の審査厳格化は、彼らがさかんに主張していた「減収リスク」によって貸出が絞られていることが窺われるようです。たとえそうであっても、彼らは「上限引下げのせいだ」と言い張るでしょう。それらは産経やNHKのトンデモ報道を生む原動力になっているでしょう。自分たちがばら撒いたトンデモ理論のせいなのに、いつでも「悪いのは自分じゃない、他の誰かのせいだ」というお決まりの主張を続けるのです。

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