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信用乗数低下と貨幣供給のこと

2009年03月03日 10時36分55秒 | 経済関連
またまた素人考えで申し訳ないんですけど、ちょっと考えたことがあったので。

まず、こちらの資料を御覧下さい。

第1-8-9図 信用乗数とハイパワードマネー

第1-2-15図 貨幣乗数の推移

第1-2-14図 マネタリーベースの要因分解


①信用乗数は92年頃に12.4、以後低下が継続、99年に10を切り、03年以降には6倍台まで低下。
②現金預金比率は85~90年には約8%程度だったが、バブル崩壊後に上昇、02年には10%超。
③量的緩和で日銀当座預金残高の増加でマネタリーベース増はあったものの、信用乗数は戻らず。


信用乗数が約半分にまで落ちてしまっていたので、信用創造機能は大きく落ちたということです。この理由として考えられるのは、
 ・企業が有利子負債圧縮の為にひたすら返済
 ・人々はあまり銀行に預けない(=現金選好)
ということがあるかもしれませんが、そもそもデフレだから、というのが一番でしょう。
何故なら、0.1%の定期預金なんかよりも、借入金利3%の住宅ローン返済に回す方が断然お得だからです。以前3%で借りたローンがあっても、5%の投資があればそちらに回すのが合理的です。けれども、そんな投資先がない、という状態になってしまったのです。現金比率が高まったのは、銀行への不信感というのもあるかもしれませんが、手数料をあれこれ取られてまで銀行に置く意味がない、と多くの人々が考えたのではないかと思います。普通の人にとっては、ATM手数料というのが「負の金利」と同じ意味を持っていたのではないかな、と。その上、デフレですから、キャッシュのままで置いておくだけで価値が増加しているんですから。銀行に置く必要性が乏しくなったのは、経済学的には合理的では。

<例>
100万円が1年後にどうなっているか。

ア)金利0.01%預金の場合:利息100円、うち20%源泉され手元には80円、ATM手数料に525円、『合計 -445円』
イ)タンス預金の場合:ゼロ、何にもナシ。『合計0円』

結果的に、デフレで実質金利がついているわけだから、イ)の方が断然お得だと思う人が多くいたのでは。おまけに、銀行閉鎖とかでATMの機械はどっか行ってしまったり台数削減などで不便さが増したりとか。酷いのは、機械に行列で、毎回並ぶのが腹立たしい、みたいなことがあったりとか。つまり、銀行に預けると、これらのコストが加わり、「マイナスの利息」が大幅にアップしてしまったのではないか、と。それで現金主義が好まれたのでは。

銀行は金を貸出たくても、多くの企業が負債圧縮で「返済、返済、また返済」ということで借りない。貸出先が乏しくなっていった、というわけですよ。それで銀行や金融機関はこぞって「国債購入」を行ったんです。その結果が、指標金利の0.5%なんていう事態だったわけです。安全地帯への退避・避難という意味合いもあったかもしれませんが、銀行等が国債の持ち高を増加させたのは事実です。

こうした「既発国債」に銀行資金が回ると、恐らく信用乗数を低下させるのではないかと思います。だって、国債は次の誰かに預金を増やしたり、貸出したりはしませんからね。
政府はどうかと言えば、今世紀以降には政府支出の大幅削減を掲げて緊縮財政を目指し、政府信用さえも削ったわけですから。公共事業の持続的削減などが、そうです。結果的には、民間信用はマイナス、政府信用もマイナス、ということになって行けば、必然的に資金の貸出先がない、ということになっていくわけです。他には、所謂「竹中ショック」というような事態ですかね。どこの金融機関も、いつ「金融庁に撃たれるか判らない」というような、極度の恐怖に陥ったものと思います。それで、リスク回避が極端化してしまい、貸出には回さず安全な国債を買う、という選好を招いた側面があるのでは。


各コンパートメントのようなイメージで書くとこんな感じ。

日銀 ― 市中銀行(金融機関) 
     ↓↑  ↓↑
     家計 ― 企業

(銀行、家計、企業のトライアングルの中央には、金融機関のサブとして、ローン会社、カード会社や消費者金融等がある、というイメージかな。)

もうちょっと日銀と銀行のところを書けば、

◇◇◇国債◇◇◇
 ↓↑    ↓↑
 日銀 ― 市中銀行

というトライアングル形成、かな。法人や家計も国債を持つけれど、銀行が持ってるのとほぼ変わらないし、直接取引での調節機能というのはないから、今は考える必要性がない。国債というプールは、日本においてはかなり巨大なものだという印象。


銀行の資金比率が(自己資本比率は別に自己資本で基準が達成されており、一定であるとして)、

ウ)貸出50、国債50
エ)貸出90、国債10

という場合であると、それぞれ信用乗数というのが大きく変わってくるのではないか、というのが、問題意識だ。ウ)の状態が酷くなってきたのは、言わずと知れた98年以降の金融危機からで、年々国債保有比率が高まっていった。特に最悪だったのが02~03年で、不良債権問題がどうのとか金融システムがどうのということではなくて、デフレが最悪だったこと、極端な清算主義的手法が取られたこと(金融機関への荒療治)、などがあったが故ではないだろうか。

日銀が当座預金残高を維持して量的緩和だと言っていたものは、単に銀行に国債買い付け資金を供給しただけ、というものだったのでは。銀行は日銀から潤沢にいくらでも資金は引き出せるわけで、そこから企業や家計には流さず、国債というプールにバイパス形成を行ってしまったんじゃないか、ということです。まさに「スティール現象」なんですよ。日銀がマネタリーベースを増やした、と言っても、それは準備金が増えたというだけで、そこから先には「資金を送る方法」を何ら考えなかった、ということです。だからこそ、国債買いの資金としてジャンジャン流れてしまった、ということでは。その為に、信用乗数は低いまま、国債金利は低下、ということになった、と。


対抗措置としては、銀行というコンパートメントに資金が滞留してしまうので、そこから先に流し込まなければならない、となれば、それなりの「デリバリーシステム」というものを考えるのは当然でして、薬だって同じですよ。銀行にバラマキをやったけれども効果がなかった、というのは、当たり前。銀行が資金需要を作るわけではないから。ならば、そこから先に作る方法を考えるべき。通常は公共事業のような、政府支出が多いかもしれないが。所得税減税ならば家計へ配分だし、企業減税、投資促進補助金、優先的貸付、信用保証補助などは企業への配分ということになる。

日銀がやるべきは、マネタリーベース残高をある程度維持し供給を増加すること。当座預金残高を減らすというのなら、銀行券残高を増やすとか政府信用を増やすなどで対応するべきなのでは。そこから信用創造に金を回してゆくということになるわけで、銀行(金融機関)が国債を選好してしまうのであれば、競合して買ってしまう必要があるのだ、ということ。金利が低下(=国債価格は上昇)を続けると、どこかの時点で「国債を優先して買いたいとは思わない」国債価格というのが出てくるわけですよ。そういう状況下になると、国債を買おうかな、と思う人は大幅に減って、もっと別なところに資金を向けようと考えるようになるんです。国債買入というのは、そういう役割があるんじゃないんですかね。ただでさえ、一般家計では現金を手持ちにして「動かないお金」を大量に生み出しているというのに、信用乗数が低下している中にあっては、現金供給をもっと増やすべきなのでは。海外との相対的な比較では、特にドルのマネタリーベース増加率より下回ると、円高を招きやすくなるでしょうね。

以前に書いた物々交換で、バナナ10本とかぼちゃ1個という比率だったものが、バナナの供給が増大すればバナナ15本とかぼちゃ1個という比率になってしまい、そうすると、見かけ上「バナナは価値減少」、「かぼちゃは価値増大」ということになるんですよ。これは需給関係で決まるわけです。為替では、こうした「貨幣供給」の相対的関係が現れるはずでしょう(参考:「お金LOVE」を打ち砕け!)。


いずれにせよ、日銀はマネタリーベースを増やす、という方策について、もっと真剣に考えるべき。マネーサプライの増加率が低いのには、それなりのワケがあるだろう、ということ。





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