いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

決戦の朝に

2007年07月29日 13時13分35秒 | 政治って?
ついに当日となってしまいましたね。
皆様(って誰?)お疲れのことでしょう。
運動会とか競技とかで「綱引き」を見たことがありますが、拮抗している時には勝敗が決するとしても「ジワジワ」って感じですよね。でも、力量差が大きい場合なんかや、あるキッカケ?というか崩壊ポイントみたいなのを過ぎると、まるで雪崩のように「ドドドッ」という感じで一気に引き負けるんですよね(笑)。本日の綱引きは、いずれとなりますのやら。


これにちょっと絡んだ話題が出ていたので、なるほどなー、と思って拝見致しました。

H-Yamaguchinet 暴論:官僚システムを選べないことが問題なのではないか

雑種路線でいこう - 政策立案機能を行政府から立法府へ


今まであまり考えたことがなかったのですが、「政治家は選べるが、官僚は選べない」というのは納得できました。政治家に付随しているスタッフをもっと拡張して、入れ替え対象とするというのは、何といいますかアメリカ的な感じです。あまりよく知りませんけれども、映画なんかでは、大統領が変わるとホワイトハウス関連の政治スタッフ(秘書とかの末端職員まで含むのでしょうけれど)の総取替えみたいなことが起こります。「民族大移動」とまで揶揄されたりしますね。まさにそんな感じの政治スタッフを増やしていきましょう、ということも選択肢の一つとして考えてみていいのかもしれません。

実現可能性というものについてはよく判らないので、それはとりあえず措いておくとして、議員内閣制とか法律の性質とか、そこら辺が英米との制度的違いを生んでいるようなことはないのかな、とかちょっと考えたりするのです。生き物でもそうなのですが、システムの違いというものがあっても、それはそれなりに適応していたりすることもあるかな、と思うのです。サメは頭悪いし魚類だから進化していない下等な生物と考えられることが多いのではないかと思いますが、それでも今なお生存しているのですよね。海の王者?のように思われていたりするし、それなりに強力な生き物として君臨しているのです。イルカは哺乳類だし賢いし可愛いし芸を覚えてショーまでできるから、サメなんかより高等であるはずなのですが、イルカはサメを全滅させることはできないし、駆逐する術を持っていません。サメはサメなりに、生き延びる為にサメの持っているシステムが環境に適応してきたのだ、それ自体は合理的なことで競争に勝ってきた結果なのだ、と考えられなくもないのです。

なので、イルカが持っているシステムをサメと同じように変えようと思っても、それには不都合が結構あったりするかもしれないから、予めよく考えてみた方がいいのかな、と思ったりもします。法律の主な分け方でよく聞くのは、英米法と大陸法という大まかな区分がありますよね。日本はドイツをお手本にしてきたらしいので、大陸法的な法制度になっているのでしょう、きっと。となると、官僚制もそうした大陸的な制度設計になっていたりするかもしれませんし、同じ「大陸」とはいうものの欧州的というだけでなく中国大陸的な要素も含まれているかもしれないので、日本にはそれなりの独自のシステムが組まれてきたのだろうと思います。それには弱点・欠点もあると思いますが、既に適応してそれなりに効果的に機能している部分もあるかもしれません。


以前にも経済ネタでちょっと書いたのですが、イルカはサメを羨んでサメと同じシステムを持つ必要はないのかもしれない、ということです。多くの国民が「みんなサメになろう」と思って、そちらに変えていくのであれば、それはそれでいいと思いますが、結構一大決心を必要とするのではないかな、と。法制度面でもより英米的な方向性に変えていくとか、社会全体のシステムを変革していくのはかなり大きなエネルギーを必要とするかもしれません。

現状の公務員制度でいいとも思えないし、何らかの手当てや改善を目指すのは必要だと前から考えていましたので、これからも制度をよく見直すことは必要であると思います。ただ、そこには歴史的背景とか社会的な要素とか法学的相違とか、様々な観点から考えて見た方がいいのではないかと思うし、やってみたらうまく機能しなくなった、というようなことが起こりえることを前提として、事前によく検討しておくべきだろうと思うのです。

株主総会でも「取締役」は株主が選任する権利を有していますが、ヒラの部長や課長の任免権は持っていません。それは、「頭」を変えれば統制がある程度効いている、ということを前提としているのであり、組織のコントロール方法としては、例えば「管理職の総取替え」ということが効率的・効果的ということが考えられてこなかったから、ということなのかもしれません。この理由が何なのかは知らないですし、研究してみると管理職を総取替えした方が会社運営は良くなるということがあるかもしれないので、何とも言えませんが。国や自治体といった、企業規模に比べて大きい組織であると、現在よりも広い範囲で取替え・選択に含める方がいいのかもしれません。これもよく判らないので、すぐには結論が思いつかないんですが。


私個人の印象としては、政治スタッフを拡充しましょう、国会機能を強化しましょう、という方向性とか、政治任用の範囲を広げましょう、というのは賛成できるものです。人事権の問題にしても、社長(や取締役?とか)にその権限があるのは普通だろうと思います。ただ、それ以前の問題として、そもそも政治家=議員さんたちの問題というのがまだ解決されていないとしか思えず、ケンちゃんの「バカ殿」じゃありませんが(志村ケンを責めたい訳ではありません、興味ないですし)、「バカ殿」にいくら優秀な家来を付けてあげても意味なさそうな気がするのですよね。しかも、殿と共倒れ、ということになってしまうのも、もったいないように思えたりします。政治家という花形役者が必要なことは確かであるし、そこに優秀な黒子とか邦楽部隊を付けるのも判るのですが、そもそも役を演ずる為の最低線というか水準に達していないような「ダメな役者」が多いのが現状なのではなかろうか、と思ったりするのですよね。

もしそうであるなら、まず「頭」の部分に該当する政治家にそれなりの水準に達している「役者」がくるのであれば、今ある組織・システムでも結構使えるといいますか、もうちょっときちんと機能するのかもしれないかも、と考えたりするのです。管理職を取り替える前に、まず「取締役」をきちんと選任するというところができない限り、いいものを持たせてあげてもうまく機能しないというのは解消されないかもしれません。


そうした意味でも、まずバカ殿みたいな政治家を選ばないような、そういう取締役を排除していくような、そういう国民の意識と選挙制度が求められるのかもしれません。




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