日本の問題点を解決する方法として、TPP参加を用いるのは不適切である。何らかの変革を必要とするのであれば、個別の議論を重ねて、政策を考えるべきである。日本が停滞しているからといって、TPP参加がバラ色の未来を開いてくれるわけではないということだ。
これまでにも、似たようなテーマとか話はいくつか記事に書いてきましたが、かつて日本が歩んだ道を改めて書いておきたい。
あくまで個人的な感想及び妄想(笑)であり、実在のものとは全く関係ありません。御承知おき下さい。
金融危機と金融ビッグバン
日本の本格的停滞が始まったのは、拙ブログで「97年ショック」と呼んでいる、拓銀破綻や山一証券破綻などの金融危機だった。日本全国の「銀行が危ない、潰れるんじゃないか」と、国民を恐怖のどん底に陥れた危機だった。これまで日本国民が経験したことのないような、異様な不安感だった。自殺者が急増していった。
確かに、日本の金融機関は不良債権問題に喘いでいた。改革すべき規制もあったかもしれない。大蔵省と日銀の金融行政にも、色々な問題があったことも確かであろう。だが、この解決策として日本が受け入れた手法は、日本の政治システムの根幹を大きく変えるものだった。
当時の自分自身にある記憶というのは、大蔵官僚なんかが「MOF担」と呼ばれる接待などで銀行等の金融機関と癒着しており、流行語的になった「ノーパンしゃぶしゃぶ」みたいに、堕落した行政をやっていたんだ、だから「護送船団方式」と呼ばれる過剰で誤った保護が、日本の「金融危機」を招いたのだ、という言説を何の疑いもなく信じ込んでいた。
(だから、拙ブログ記事の初期の頃に、官僚の悪い見本―大蔵官僚批判の例として登場している)
そう、悪い奴らは、大蔵官僚と悪徳銀行ども、という構図だった。
だが、本当にそうだったのだろうか?
私が自問自答したきっかけは、「デフレ問題」について若干の知識を得る過程で生じた。本当に、大蔵官僚が悪かったせいだったのか?
恐らく、大蔵内部での激しい抵抗があったものと思われるのである。
外資系の侵略に対して、日本国内の金融システムを守ろうとする勢力―とりあえず「国内派」と呼ぶことにする―が大蔵官僚及び日銀内に存在していたであろう、ということだ。彼らは、日本の銀行を大々的に潰して処理することには反対で、銀行免許や業務審査規制を外資基準にすることを拒んだのだろう。
こうした抵抗側官僚たちの中には、単に既得権益に安住したい、ポストや天下り先を失いたくない、といった、後ろ向きの理由で反対していた人たちがいたかもしれない。けれども、安易な「規制緩和」の結果が、日本にどういった被害をもたらすのか、ということを案じた人たちもいたのである。そういう良識ある官僚たちは、徹底したマスコミからの攻撃に晒されることになった。日本には、当時インターネットもなかった(ちょっと注記、すまん、よく考えるとインターネットはあったな。オレも使ってた。が、現在のように一般にはあまり普及していなかった、という意図です)し、テレビや新聞の影響力が絶大だったから、多くの一般国民には事実を知る術など、殆どなかった。
見せしめとして血祭りにあげられたのが、先の「ノーパンしゃぶしゃぶ」だった。多くの大蔵官僚や日銀職員が検察権力の介入を受けることになったのである。そう、この「検察権力を用いる」「マスコミからの徹底したバッシング」という手法は、この後からも度々「よく用いられる手法」となったのである。
検察は、特定政治勢力と結びついて、政治力を増大させていったのだ。国内派は、この検察介入によって敗退し、金融規制緩和の大波が日本に上陸してきたのだった。メガバンクは、兎に角生き残りに必死となった結果、誕生した。外資からの買収を回避する為に、手を尽くすよりなかったのである。大規模なリストラが進行、銀行員の給料は大きく引き下げられた。長銀やりそなの問題というのは、恐怖を植え付けるには、都合のよい素材だった。
日本人には、このショック療法は効き目があった。
02年以降の竹中大臣のとった手法は、検査の厳格化等で厳しく銀行を管理し、強制的に不良債権処理を進める、というものだった。反抗的な銀行は、容赦なく血祭りに上げた。UFJはどうにか残ったが。外資が買収しやすいように、金融機関を弱体化させることに成功した。日本経済は死の淵まで、追い詰められてしまったのである。株式市場では、売りを浴びせられ、どん底に落ちた株を外資が易々と手に入れることを可能にした。外資の保有比率が格段に高まった。
国内派の敗退・粛清が、こうした勢力拡大を招くことになったのである。
日本の保険会社や金融機関や証券会社は買収されたり、外資に吸収合併されていった。GEキャピタル、シティグループやAIGなどの金融支配戦略は拡大していった。
金融改革は、監査法人と公認会計士にも及ぶことになった。代表的な中央青山監査法人のように、解体が進められて行った。銀行業界とほぼ同じような道を辿ることになったのだ。
公認会計士を増やすことで、競争激化→給料引き下げ→支配側に有利に(買い手市場ということ)、という、まさしく競争こそが正当化される、という論理を持つ者たちに有利な環境が出来上がった。生き残りに必死になった銀行、証券会社や保険会社などの金融機関と似たような構図だった。
リーマンショック後の世界を見れば、過去の失敗というものが明らかになったであろう。金融規制の緩和がどういう結果をもたらしたのか、ということである。欧米当局は、規制を強化すべきだ、ということになったわけだ。
米国の毒債券の素となったサブプライムローンの「貸出競争激化」や、「銀行等が毒債券を販売」という一連の”強欲システム”を生み出したのは、規制緩和のお陰であったと言えるだろう。
銀行を潰さない行政当局が悪だ、とされて、日本の大蔵省は解体され、同時に良識ある国内派は絶滅危機に追いやられた。リーマンショックの後の米国では、ファニー&フレディを潰すわけにはいかなかったし、ベアスターンズも潰せなかった。外資系の連中の言い分が出鱈目だったことは、明らかにされた。「潰せない」というのは、日本だけではなかった、ということだ。
大蔵や日銀の国内派たちは、「潰せない」と反対したが為に、粛清された。
当時に、良かれと思って金融改革を推進した人たちは、侵略勢力に加担したことに気付かなかった。多くの国民も、マスコミのバッシングに同調してしまい(ぼくもそうだ)、良識ある国内派の意見に耳を傾けなかった。
(新聞記者たちだって、接待漬けにされている、なんて、知らなかったもので)
多くの金融機関を生贄に捧げて、日本の金融改革は強引に行われた、ということだ。そうした中で、規制緩和のお陰で、日本振興銀行や新銀行東京のような腐った銀行さえ誕生させることに成功した。外資に売られた銀行は、例えば新生銀行やあおぞら銀行として再出発してはみたが、外人の株主や社長がやってもダメなものはダメ、赤字は赤字ということで、株価も低迷しているのは同じだった。
日本国民が金融規制緩和で得られたものとは、一体何だったのか?
国内派を排除し、「開かれた金融」を実現して、何が得られたか?
法人税を払わない、貸出残高の減少が止まらないメガバンクか。
上場益を手に入れたり、株価釣り上げで売り逃げたりと、食い散らかした挙句に、傘下に収めた保険会社やノンバンクを捨てていっただけなんじゃないのか。
ショックによって、悪弊は減ったかもしれないが、デフレが続くのは同じだっただろう?
不良債権問題を解決できないからデフレなんだ、とか、解説していた連中の言い分は正しかったか?
不良債権処理に抵抗している「既得権益」にしがみつく、護送船団方式のぬるま湯体質に慣れ切った銀行や、天下り先を守りたい監督官庁の官僚のせいで、不良債権が増えたり不況を生み出す原因となっていたのか?
答えは、違う。
「改革推進を正しい」と訴えていた人たちの主張の多くは、事実ではなかった。改革が必要なのであれば、それに適した方法なり政策なりを考えるべきで、劇薬を無闇に使うことの危険性を忘れるべきではないのだ。
外務省に関連する検察権力の介入も、やはり同じように用いられた手法だった。一部で「国策捜査」という言葉を生んだが、国内派を排除する為に使われた手法は、外務省改革という名目の下でも、同様な効果を発揮したのではなかったか。これは、その後にも「検察腐敗」を生む温床となってきたのではないのか。
金融ビッグバンという「規制改革」と「開かれた金融」が生んだのは、邪悪な手法であったり、生贄となった金融機関であったり、外資系の貪りだったのではなかったか。
TPPはこれと似たようなことが、金融や保険分野以外の、ありとあらゆる分野で行われることになるのである。それによって、増長する勢力が誕生する。国外の勢力と結びついた特定層にだけ、その恩恵が集中する。これこそが、TPP推進派の本当の狙いなのだ。
規制緩和が必要だ、この総論を否定するものではないが、個別に議論すべきであり、劇薬をもって実施すべきではない。瀕死が良い結果を生むとは限らない、ということである。
Evil is the root of all deregulation.
これまでにも、似たようなテーマとか話はいくつか記事に書いてきましたが、かつて日本が歩んだ道を改めて書いておきたい。
あくまで個人的な感想及び妄想(笑)であり、実在のものとは全く関係ありません。御承知おき下さい。
金融危機と金融ビッグバン
日本の本格的停滞が始まったのは、拙ブログで「97年ショック」と呼んでいる、拓銀破綻や山一証券破綻などの金融危機だった。日本全国の「銀行が危ない、潰れるんじゃないか」と、国民を恐怖のどん底に陥れた危機だった。これまで日本国民が経験したことのないような、異様な不安感だった。自殺者が急増していった。
確かに、日本の金融機関は不良債権問題に喘いでいた。改革すべき規制もあったかもしれない。大蔵省と日銀の金融行政にも、色々な問題があったことも確かであろう。だが、この解決策として日本が受け入れた手法は、日本の政治システムの根幹を大きく変えるものだった。
当時の自分自身にある記憶というのは、大蔵官僚なんかが「MOF担」と呼ばれる接待などで銀行等の金融機関と癒着しており、流行語的になった「ノーパンしゃぶしゃぶ」みたいに、堕落した行政をやっていたんだ、だから「護送船団方式」と呼ばれる過剰で誤った保護が、日本の「金融危機」を招いたのだ、という言説を何の疑いもなく信じ込んでいた。
(だから、拙ブログ記事の初期の頃に、官僚の悪い見本―大蔵官僚批判の例として登場している)
そう、悪い奴らは、大蔵官僚と悪徳銀行ども、という構図だった。
だが、本当にそうだったのだろうか?
私が自問自答したきっかけは、「デフレ問題」について若干の知識を得る過程で生じた。本当に、大蔵官僚が悪かったせいだったのか?
恐らく、大蔵内部での激しい抵抗があったものと思われるのである。
外資系の侵略に対して、日本国内の金融システムを守ろうとする勢力―とりあえず「国内派」と呼ぶことにする―が大蔵官僚及び日銀内に存在していたであろう、ということだ。彼らは、日本の銀行を大々的に潰して処理することには反対で、銀行免許や業務審査規制を外資基準にすることを拒んだのだろう。
こうした抵抗側官僚たちの中には、単に既得権益に安住したい、ポストや天下り先を失いたくない、といった、後ろ向きの理由で反対していた人たちがいたかもしれない。けれども、安易な「規制緩和」の結果が、日本にどういった被害をもたらすのか、ということを案じた人たちもいたのである。そういう良識ある官僚たちは、徹底したマスコミからの攻撃に晒されることになった。日本には、当時インターネットもなかった(ちょっと注記、すまん、よく考えるとインターネットはあったな。オレも使ってた。が、現在のように一般にはあまり普及していなかった、という意図です)し、テレビや新聞の影響力が絶大だったから、多くの一般国民には事実を知る術など、殆どなかった。
見せしめとして血祭りにあげられたのが、先の「ノーパンしゃぶしゃぶ」だった。多くの大蔵官僚や日銀職員が検察権力の介入を受けることになったのである。そう、この「検察権力を用いる」「マスコミからの徹底したバッシング」という手法は、この後からも度々「よく用いられる手法」となったのである。
検察は、特定政治勢力と結びついて、政治力を増大させていったのだ。国内派は、この検察介入によって敗退し、金融規制緩和の大波が日本に上陸してきたのだった。メガバンクは、兎に角生き残りに必死となった結果、誕生した。外資からの買収を回避する為に、手を尽くすよりなかったのである。大規模なリストラが進行、銀行員の給料は大きく引き下げられた。長銀やりそなの問題というのは、恐怖を植え付けるには、都合のよい素材だった。
日本人には、このショック療法は効き目があった。
02年以降の竹中大臣のとった手法は、検査の厳格化等で厳しく銀行を管理し、強制的に不良債権処理を進める、というものだった。反抗的な銀行は、容赦なく血祭りに上げた。UFJはどうにか残ったが。外資が買収しやすいように、金融機関を弱体化させることに成功した。日本経済は死の淵まで、追い詰められてしまったのである。株式市場では、売りを浴びせられ、どん底に落ちた株を外資が易々と手に入れることを可能にした。外資の保有比率が格段に高まった。
国内派の敗退・粛清が、こうした勢力拡大を招くことになったのである。
日本の保険会社や金融機関や証券会社は買収されたり、外資に吸収合併されていった。GEキャピタル、シティグループやAIGなどの金融支配戦略は拡大していった。
金融改革は、監査法人と公認会計士にも及ぶことになった。代表的な中央青山監査法人のように、解体が進められて行った。銀行業界とほぼ同じような道を辿ることになったのだ。
公認会計士を増やすことで、競争激化→給料引き下げ→支配側に有利に(買い手市場ということ)、という、まさしく競争こそが正当化される、という論理を持つ者たちに有利な環境が出来上がった。生き残りに必死になった銀行、証券会社や保険会社などの金融機関と似たような構図だった。
リーマンショック後の世界を見れば、過去の失敗というものが明らかになったであろう。金融規制の緩和がどういう結果をもたらしたのか、ということである。欧米当局は、規制を強化すべきだ、ということになったわけだ。
米国の毒債券の素となったサブプライムローンの「貸出競争激化」や、「銀行等が毒債券を販売」という一連の”強欲システム”を生み出したのは、規制緩和のお陰であったと言えるだろう。
銀行を潰さない行政当局が悪だ、とされて、日本の大蔵省は解体され、同時に良識ある国内派は絶滅危機に追いやられた。リーマンショックの後の米国では、ファニー&フレディを潰すわけにはいかなかったし、ベアスターンズも潰せなかった。外資系の連中の言い分が出鱈目だったことは、明らかにされた。「潰せない」というのは、日本だけではなかった、ということだ。
大蔵や日銀の国内派たちは、「潰せない」と反対したが為に、粛清された。
当時に、良かれと思って金融改革を推進した人たちは、侵略勢力に加担したことに気付かなかった。多くの国民も、マスコミのバッシングに同調してしまい(ぼくもそうだ)、良識ある国内派の意見に耳を傾けなかった。
(新聞記者たちだって、接待漬けにされている、なんて、知らなかったもので)
多くの金融機関を生贄に捧げて、日本の金融改革は強引に行われた、ということだ。そうした中で、規制緩和のお陰で、日本振興銀行や新銀行東京のような腐った銀行さえ誕生させることに成功した。外資に売られた銀行は、例えば新生銀行やあおぞら銀行として再出発してはみたが、外人の株主や社長がやってもダメなものはダメ、赤字は赤字ということで、株価も低迷しているのは同じだった。
日本国民が金融規制緩和で得られたものとは、一体何だったのか?
国内派を排除し、「開かれた金融」を実現して、何が得られたか?
法人税を払わない、貸出残高の減少が止まらないメガバンクか。
上場益を手に入れたり、株価釣り上げで売り逃げたりと、食い散らかした挙句に、傘下に収めた保険会社やノンバンクを捨てていっただけなんじゃないのか。
ショックによって、悪弊は減ったかもしれないが、デフレが続くのは同じだっただろう?
不良債権問題を解決できないからデフレなんだ、とか、解説していた連中の言い分は正しかったか?
不良債権処理に抵抗している「既得権益」にしがみつく、護送船団方式のぬるま湯体質に慣れ切った銀行や、天下り先を守りたい監督官庁の官僚のせいで、不良債権が増えたり不況を生み出す原因となっていたのか?
答えは、違う。
「改革推進を正しい」と訴えていた人たちの主張の多くは、事実ではなかった。改革が必要なのであれば、それに適した方法なり政策なりを考えるべきで、劇薬を無闇に使うことの危険性を忘れるべきではないのだ。
外務省に関連する検察権力の介入も、やはり同じように用いられた手法だった。一部で「国策捜査」という言葉を生んだが、国内派を排除する為に使われた手法は、外務省改革という名目の下でも、同様な効果を発揮したのではなかったか。これは、その後にも「検察腐敗」を生む温床となってきたのではないのか。
金融ビッグバンという「規制改革」と「開かれた金融」が生んだのは、邪悪な手法であったり、生贄となった金融機関であったり、外資系の貪りだったのではなかったか。
TPPはこれと似たようなことが、金融や保険分野以外の、ありとあらゆる分野で行われることになるのである。それによって、増長する勢力が誕生する。国外の勢力と結びついた特定層にだけ、その恩恵が集中する。これこそが、TPP推進派の本当の狙いなのだ。
規制緩和が必要だ、この総論を否定するものではないが、個別に議論すべきであり、劇薬をもって実施すべきではない。瀕死が良い結果を生むとは限らない、ということである。
Evil is the root of all deregulation.