いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

私的政治思考の変遷

2005年08月01日 17時36分03秒 | 俺のそれ
昨年からブログを書き始めて、まる9ヶ月が経ちました。昨年の防衛大綱の攻防では痛み分けに終わり(笑)、ちょっと残念でしたけれども。郵政民営化については今年の国会開始前から自分なりに考えてみましたが、その考えが大きくずれているかどうかは客観的評価は不明です。ただ、「郵政とは何か」ということについて、僅かながらではありますが自分なりに本質に近づけたと思います。ブログに書かなかったら、ここまでには到達できなかったであろうと思います。


郵政問題は、国民には理解が十分浸透しておらず、またテレビのコメンテーターや評論家連中さえも気づいてないという面が否めず、単に推進派と反対派の争いにしか映らないようです。著名人たちの多くのコメントに共通する傾向というのは、「国民不在の政争」「郵政の何が悪いのか知らない」「国民に無関係な茶番」などというものでした。これは、当人達が関心を持ち、郵政の問題とは何か、ということに理解しようと努めなければ、見えてこないんだろうと思います。確かに、民主主義なのだから多くの人達が「公社のままでいい」と言い続けるならば、その通りにするべきでしょう。しかし、実は国民から剥ぎ取るシステムが郵政に存在しているのであり、それを多くの国民が知ったらきっと民営化に賛成するだろうと確信しています。


ブログの記事、特に郵政問題についての記事を書いていくうちに、少し自分が変わっていったように思います。最初は単純な怒りが動機であり、政治への大きな失望や不信感ばかりでした。今年の初めの方の記事を読んでみますと、民主党への期待が最も大きく、政権交代以外には何も変えられないのだ、という思い込みもあったのだと思います。ですから、当然民主党支持からスタートしていて、国会へと突入していった訳ですが、民主党の争点が見つけられないとか、郵政民営化への具体案を提示せず、挙句に審議拒否しかないという、「国会運営」のテクニカルな戦術に終始する態度に、またしても大きな失望となってしまいました。こんなことでは、民主党も何も変えられない、と。


そんな中で郵政民営化について検討していくうちに、私独自の虚像が見えて参りました。これも私の勝手な空想の産物に過ぎないのですが、政治家・官僚・財界・学界を巻き込んだ「政治システムの争い」なのだ、という虚像でした。これが実際にどうなのかは、私には全く判りません。私に出来ることは、ネット上で情報を拾い、後は考えてみるだけです。自分の頭の中にある、想像力とか「勝手読み」を繰り返すだけに過ぎないのです。その過程で、郵政の運営システムに気づくことで、行政改革・政治改革の挑戦者達の姿が見えて参りました。何故かそこに行き着いたのです。


今までの自分は、ブログを始める前までは、政治にそれ程の関心を持つことも調べることもありませんでした。多くの大衆と同じで、感覚的に政治や行政を眺めたりしていただけでした。そこにあったのは、主に好悪感情に近いものであったと思います。今でも行政が十分理解出来てる訳ではありませんが、それよりもっと判らないことだらけだったのですから。そういう意味ではブログというのは、大変効果的なツールであると思います。


このツールのお陰で、私の空想は強化されました(笑)。書いていくうちに、何となく思い浮かぶのですね。また、関連のなさそうな出来事を一々つなぎ合わせて(笑)陰謀説を産み出したり、勝手な推測を連ねたり。そういうことの繰り返しによって、小泉改革の向こう側に存在するであろう意志を想定して、勝手な解釈まで推測することになったのです。自分の心を重ね合わせようとする試みというか、自分への置き換えというか、それによる憶測を書いてみようと思っただけです。多分、現実というのはもっと複雑だろうし、ドラマみたいな展開でもなく、人間のドロドロした争いが真実なのかもしれないです。本当の真実は、後年明らかにされていくかもしれません。小泉首相自身が語る時が来なければ、判らないことも多いでしょう。


郵政民営化は、「統治システム」の戦いであり行政改革が可能かどうかの試金石なのだ、と以前に書いたのですが(郵政民営化のまとめ編3)、前からお読み頂いている方々はご存知かと思います。最近それと近い発言をされた要人の方がおられたそうですが、もしも私と同じ思いでご発言されたのならば、非常に嬉しくまた心強く思います。小泉改革への厳しい批判は承知しておりますが、それでも今後の政治においては、昔の政治システムは到底許し難く、私達国民が本当に政治的成熟ができるかどうか、ということも密接に関係していると思っています。これについては未だ大きな課題が残されております。投票率にもそれが表れております。本当に変わらなければならないのは、我々であり、無関係を装う多くの国民なのだろうとも思います。


民主党も毎日新聞の社説も同じように郵政公社の規模、特に資金量について段階的縮小をすればよい、との意見が出されていて、これも以前にも書いたのですが(郵政民営化の考察4)、現実的な解決方法を提示するべきであると思います。仮に縮小プランであるとして、これを実行出来る状況というのは、「民主党が政権を獲るまで待つ」か「政府与党が縮小プランを支持、自公民で法案可決」ということになるのですから、そういう環境を生み出せるか、実現可能な政治手法も含めて考える必要もあると思いますね。実際に出来っこない方法というのは、単なる画餅に過ぎません。果たしてそれで行財政改革が実現出来ていくのでしょうか?


今日の毎日新聞の社説には、真の本丸は「郵政改革」ではなく「財政改革」なのだ、との主張が書かれていましたが、これもちょっとずれてると思いました。毎日が主張する単なる「借金減らし」という目先の「財政改革」目標よりも、国民が手に入れられる「政治手法」「統治システム」の方がはるかに重要であると私は思います。国民がそれを手に入れ、政府が国民にとって有益な真のエージェントになれるということであるならば、その後の行財政改革を実行するに当たり、大多数の国民の要望に応えて、既得権益に蔓延る勢力を容易に排除できるようになるはずだからです。そういう手法が確立されないままで先に進もうと思っても、実際に改革に取り掛かろうとすれば再び強力な抵抗勢力によって阻害され、一歩も進展が得られないという結果に終わることは目に見えております。過去の改革というのは、そうやって常に敗北してきました。実質的に余り変わることなく進んできました。しかし、今はそれが試されているのであり、その瀬戸際なのです。私にとっては、そういう認識なのです。これも虚像に過ぎないかもしれないのですが。



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
自己反省 (o_sole_mio)
2005-08-02 00:14:47
こんばんは



私も正直、郵政民営化の是非について、民営化の仕組みを理解しているわけでなく、賛成している人と反対している人の面子を見ながら決めようとしているきらいがありました。もちろんこれでよいはずはありません。遅まきながら少しずつでもよいから理解して行きたいと思います。
仕組みはどうあれ (まさくに)
2005-08-02 13:53:48
こんにちは。



賛否の意志を持つことから初めていいと思います。そこから更に情報を集めて理解しようとしたいなら、そうすればよいと思います。全員の完全理解が必須ということではないと思っています。



ただ、どちらでもなく、どっちでもいい、ということならば、残念かな、と。そういう人々が少なくなり、関心を持つ人達が少しでも増えてくれるならば、その方がいいのではないかな、と。

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