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オール人力狙撃システム試作機

デフレは生存を脅かす

2008年03月03日 04時04分23秒 | 経済関連
以前にもちょっと似たようなことを書きました。
数字の大きさ

これについて再び書いてみたいと思います。また低俗な例(笑)から。

ある男がいるとしよう。男は労働の報酬として米粒を1日100粒貰えるものとしよう。労働は何でもいいのであるが、とりあえず畑作か何かでもいいだろう。地主がいて、男に米粒を払う、と。

最初の20日間は貰える米粒が毎日10粒ずつ増えていくとしよう。すると、基準となる最初の日(0日目)は100粒、翌日110粒、2日目120粒…、という具合だ。最初の日をT0、1日目をT1、次の日をT2…とすると、T10=200粒、T20=300粒となる。
この男にとっては、段々と貰える米粒が増加していくので、豊かになっていくことが感じ取れるであろう。始めのうちはひもじい思いをしているが、日にちが経つにつれ食べられる量が増加していく、ということになる。全部食べてしまってもいいし、困った時の為に一部はキープしておいてもいい。もしも米びつがあって、毎日貰った米粒を入れていき、最初に食べていた100粒だけ食べていくことにするなら(余剰分は我慢して食べないで取っておく、ということ)、米びつには貯まった米が増えていくだろう。

この米びつを見た時に、男はどのように感じるであろうか、ということだ。
多分、安心感が増し、嬉しい気持ちが湧いてくるのではないかと思う。それは男の生存可能性が増していくということが実感できるからだろうと思う。人間はそういう風に感じるように出来ているのではなかろうか、と思う。食物が保存されていくということは、自分の生き延びられる確率が上がっていくということであり、そうした感覚は生物としての生存戦略としては大事だからだ。米びつの中に貯まる米が着実に増えていくということが重要なのだ。

ここで、世間全体ということを考えてみよう。仮に、お医者にかかる時の薬代を米粒で払うものと考えてみよう。
T0の日には、お医者にかかる対価は、米粒50粒だったとしよう。T10の時には、80粒だった。すると、かつては、貰った米粒100粒の半分を払わねばならなかったのが、10日後には20粒の余剰を生むことになる。つまり、この男はその分だけ豊かになったということなのだ。このお医者にかかる対価が世間の物価上昇率ということなら、男の賃金(得られる米粒)は相対的に増加しているということになるだろう。このことが重要なのである。もし100粒必要であるなら、貰った米粒の増加率とお医者に払う米粒の増加率は同じとなる。こういう時には実質的な収入が増加したとも言えない、というのが経済的な考え方である。

では、条件を変えてみよう。
男は毎日100粒だけ貰い、一定であるとしよう。一方、お医者に払うべき米粒は毎日1粒減少していくとするとどうだろうか。T0で50粒だったが、T10ではお医者に払うべき米粒が40粒に減少していることになるだろう。男の米びつには増加していく米粒がないにも関わらず、世の中全体の物価が下がっているので男が貰う100粒というのは、「実質的に増加している」ということになる。こういう状態がデフレなのである。ここで、男の感じ方を想像してみれば、米びつの米が増えていくわけではないにも関わらず、「お前の貰う米粒の個数は増加しているのと同じだ」とか言われても、普通はそれを感じ取ることができないのではないか。お医者にかかる米粒が40粒に減少していたとしても、それで男が「豊かになったな」という実感みたいなものは湧いてこないであろう、ということ。これがデフレの恐怖なのではないか。


普通の人間には、こうした「実質的に増加しているのだ」という感覚が理解できないことが多いのではなかろうか。むしろ、毎日米粒が増加し、お医者に払うべき米粒も同じ割合だけ増加していて実質的な負担に変化がないとしても、米びつに米が貯まっていくのを感じ取るので、「得した感」が生まれるのではないだろうか。それが多くの人間の感じ方である、ということだ。

しかし、日本の低迷期間においては貰える米粒が最初100粒だったのが99粒、98粒…という具合に減少していった(つまりは賃金低下)が、そうした下落を上回るマイナスの物価上昇率だった(=デフレ)ので、お医者に払うべき米粒というものが98粒、96粒…と下落していった、ということなのだ。この状態であると、男の米びつには米が全然増えていかない。毎日100粒も決まって食べることができなくなってしまうのである。それにも関わらず、君の米は相対的に増加している、とか言われても感じ取ることができない、ということなのだ。だからこそデフレは危険なのだと思う。

結局、見かけ上であろうが米びつの米粒が増加(=名目値が増加するということ)していくことが必要なのであり、それは名目成長率が
増加しなければならない、ということを意味するのである。米びつの米しか直に見ることができず、主にそこから感じ取る一般大衆にとって、デフレという状態は不安を増強し「米びつに米を残しておこう」という心理状態を惹起しやすいと思うのである。

恐らく「金利を高くして、利息収入を増加させ景気回復せよ」みたいな言い分というのは、こうした発想に原因があるのではないかと思われるのである。景気が良くないのに利上げせよというのは、教科書的(笑)にも明らかに間違っているにも関わらず、そうした意見が政治家やメディアの住人たちから出されるというのは、現実的実感に基づく基本的誤りに起因するものなのではなかろうか、とも思うのである。


米びつの米を増やすには、まず名目値を増加させる手段を選択しない限り不可能なのだ、ということが理解されないのである。金利を上げれば、見かけ上米びつの米が増えると錯覚するというのが、政治家なんかの陥りやすい罠なのだ。彼らは自分とかごく周辺の人間の米びつしか想像できないからであり、知らないのだ。世の中全部の米びつを想定してみて考えるということは、大変難しいのである。

こうしてデフレは終わりなき状況に陥っているのである。




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