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私の「こころ」は有限世界なのか?~その5

2006年11月28日 21時33分10秒 | 俺のそれ
ちょっと断続的になっていますが、続編です。

前回は、ネット世界の情報蓄積と、実験場的役割について書きました。この実験場に参加する人々の数は増えていってるし、今後も増加するでしょう。巨大なデータベースが構築され、個人の脳内情報の外部への移転(ネット世界への書き込み)が促進されるでしょう。


こうした情報はどのように活用されるかは、「情報と情報の繋がり」「何かの反応・反応系の誕生」というようなことに重きがあると予想しています。言うなれば、情報の「融合」と「洗練」という過程が大事なのではなかろうか、と。

まずは、「融合」ということから。別に、子どもたちが好きな「遊戯王カード」ゲームの「融合!!を発動!」とかいうのとは何の関係もありません(笑)。これは主に、何かを組み合わせたり、転換したり、そういうようなことが行われる、ということですね。あまり良い例が思い浮かびませんが(発想が貧困なもので・・・・)、例えば、「痛くない針」というのがありましたが、あれは「蚊」に刺される時に殆ど痛みを感じないのは何故か、というところからヒントを得て、商品にしたものだったと思います。これも、「蚊」「痛み」「針」というようなことから、それらの情報をうまく組み合わせた結果、商品開発に結びついていると思います。こういう「融合」が行われれば、現実のビジネスでも役立つ可能性があります。


これをある程度使える知識・知恵として用いるには、結構な確率を必要とします。情報が出会うことも必要であるし、正しい知識に基づく情報が得られなければならないでしょう。成功までの時間を短縮するには、こうした「正しい知識」というのが求められます。何処かの誰かがそういう知識を得て、公開状態(他の誰かがアクセスできる形)になっていることが望ましく、「正しい知識」の形になっていなければ自分でそれを得ることろから始めなければならないので、もっと時間がかかることになります。でも、「蚊」の研究というちょっとマイナーな分野を研究している人が少数でも存在していれば「ラッキー!」ということで、その研究成果を利用させてもらうことが可能になるのです。こういう具合に、他の誰かが調べてくれた知識と、自分の考える、或いはこれから得たい情報というのを「融合」させることで、新たな発想=新たな知識を生み出すことになると思います。


ここで、最も基本的なことは、「他人の脳みその中にあった情報」と「自分の持ってる情報」が出会うことが必要で、特に、「他人の考えた・研究した道筋・道程」というのが、とても役立つのですよね。これは、昔の豆腐の製法でも、ハムだとかチーズの製法なんかでも同じようなもので、他人の得た成果の上に、今度は新たな自分の成果を付け加えることで、新たな情報・知識を獲得するようなものなのです。これは化学反応の「カスケード」の上流から下流へと向かっていくのと似ています。これまでは、ある段階までカスケードが進んできていて、そこから新たな反応経路が獲得される、ということです。別な利用の形があるのであれば、そこで分岐して、別な反応経路が作られていく、ということですね。


これが起こる段階というのは、「産みの苦しみ」みたいな「低迷期」が直前にあることが多いように思います。よくビジネスの成功話なんかでも、研究開発段階で壁に突き当たり、行き詰まることが出てきたりしますよね。それと同じです。大抵は、ある瞬間にジャンプするようなことが起こるものです。何かの「閃き」とか、それこそ天啓(柳田先生風に言うと)のようなイメージです。これは、原子のエネルギー状態にちょっと似ていて、「励起状態」(より反応性が高い不安定な状態)になれるのは、ある一定以上のエネルギーを獲得できないとそこには到達できず、そのほんの僅かに足りない状態であっても、反応を起こせないのと近いイメージです。その歩みは、傾斜が一定の「坂道」を進んでいくのではなくて、部分的には「階段」になっているのであり、そこでガチンとぶつかるとまさしく「壁に突き当たる」ということになり、その階段をジャンプできるところまでエネルギーを溜め込んでいかないと決して乗り越えられないのです。


なので、考え抜いて、考え抜いて、「うーん」と死ぬほど唸ったりして(笑、別に唸らなくてもいいのだけれど)、エネルギーを溜め込んでいくのですね、きっと。四六時中、そのことばかり考えたりしていると、ある時、ハタと気付くというか閃くのだろうと思います。今やっている目の前の現場では、間違いの原因に直ぐに気付かないとか、いい解決方法がわからないといったこともあったりするのですが、何故か別なことをやっていたりボケっとしたてりする時に、電撃的に「あ、そっか」というような感じで判ってしまったりする、ということです。

要するに、「励起状態」に達するような、ある瞬間というのがあり、そこでパッと思いついてしまうのですね。それまでは、必ず「行き止まり」のような地点に迷い込んでしまうのです。閃く直前までは、暗闇なのに、ですね。


こういう「階段」の部分を越える為に必要な能力というのは何か、というのが重要ですよね。私にもよく判りません。が、あるいい加減な推測はあります。それは何か、と言えば、何かの専門的知識・思考を持っている、ということです。もっと平易に言うと、「職人的」ということかと思います(表現が良くなくて申し訳ないです、皆様)。研究者でも、SEでも、商品開発の人でも、将棋のプロ棋士でもいいのですが、そういう「職人的」な思考を持つ人は、きっと励起状態への「閃き」を持っていると思います。理由は判りません。経験的にそうした思考法に慣れているからなのではないか、とか、適当に思ったりしますが、これといった明確な裏づけも何もありません。でも、恐らくそうした「職人的」発想、思考そのものが、大変重要だろうな、と感じます。


そういうわけで、私の推奨としては、何の分野でも構わないので、「まず職人になれ」ということですね。音楽家でも、絵描きでも、囲碁棋士でも、寿司屋でも、農家でも、何でもいいのですが、「職人」になることを真剣にやってみた方がいいのではないかと思えます。カッコよく言えば、「スペシャリスト」ということですか。作業とか仕事のやっつけ方から始まって、適度に「経験的」思考法もあったり、無駄のない「合理的」思考法もあったり、そういうのを体験し身に付ける訓練になると思います。「何故この手順なのか」「何故これをやっておくのか」・・・・色々と判ることがあるものです。プロ意識も養われるかもしれません。で、同時にやっておくのが望ましいのは、全く異なる分野の知識習得です。これは、ある種のリスク軽減措置?でもあるし、後々重要になってくることかもしれませんので。


アメリカの大学でのスポーツ奨学金を得る学生は、学業成績が悪くなることは許されませんよね。プロスポーツビジネスが日本よりも発達しているのだろうと思いますが、それ故「リタイア組」が相当数に登るのだろうと思います。競争の参加者たちは「一発当てよう」と(本心で思っているか判りませんが、成功チャンスはあるし、成功した時のドリームはデカイので)しのぎを削るわけで、途中で振り落とされる人々(日本では所謂「負け組」などと言われるかも)がその後の人生で大きな挫折となってしまっても困るのです。ということは、挫折した場合にも、生きていけるようにそれなりの教育とか、技術習得とか、社会生活参加の準備なんかは行われているんじゃないのかな、と思います。大学教育というのも、スポーツだけではなく、普通の一般学生たちと同じように「学業」での成果を求められるのであろうと思います。このことが、競争に敗れた後のリスクを補うセイフティ・ネットの役割を果たしているのではなかろうか、と。


なので、ある特定領域に自分の精力の大半を傾けるのは勿論なのですが、今すぐ必要とも言えないかもしれないが、関係なさそうな領域についても学んでおくということは重要だと思うのです。このことが、別な意味で「閃き」のポイントにもなり得るのではないかと思っています。


ある程度仕事をやって、最低でもその分野の標準的な「職人」のレベルには到達する必要があるのですが、そういう中から新たな発想へと繋がる部分が芽生えてくるのではないのかな、と。大工が見習いから始めて、一通り仕事を覚え、現場に出してもらえて、ある程度1人でも仕事をこなせるようになったとしましょう。ある現場を担当している時、お客から意外な注文とか、「こういうのはできないもんなんでしょうか」とか要望があったり、そういうことがあるかもしれません。普通の大工であれば、それは無理だな、とか、そういうやり方はできそうにないな、とか、思ったりすることかもしれません。ですが、案外別な領域でのやり方を知っていれば、その知識を応用したりして、解決可能になることも有り得るかもしれません。そういう「別な力」を持つ、ということが柔軟な発想や、気付きそうで気付けない知恵に結びつくのではないのかな、と。職人的思考は単に「勉強」ばかりやっていてもあまり身に付かないようにも思えます。できるだけ何かの仕事や作業をやって、そのうち染み込んでいく・・・・というか、滲み出てくるということなのかもしれませんが、そういう印象です。


<ちょっと寄り道:
職人というので思い出しましたが、以前事故やミスを防ぐのにも職人の経験とか勘というのは案外と大事だ、みたいなことを書きました(金融政策とtarget)。数値を過信しない、ということもそうです。一見、「数字」というのは正しそうに見えることもありますが、実は「落とし穴」であることもあるのです。これは、実際にそういうことを自分自身が体験したことがないと、多分受け入れ難いのではないかと思います。でも、偽札だって、「手触り」で発覚して犯人が捕まったりすることはあるのですよ(笑)。ニセドル札にしても、人間の判定能力の方が機械よりも上回っているのが現状なのです。「職人」とはそういうものではないかな、と。調律も人間の方が優れているんですよね?確か。
なので、「ん?ちょっと待てよ」という「野生の勘」?を常に持っていた方がよいのではないかと思います。>


自分の専門とは別な領域のこと、つまりは異質性の高いことが、逆に新たな情報を生み出せることもあるのではないのかな、と思います。これは梅田氏の指摘していた5つの能力のうちの一つです(私の「こころ」は有限世界なのか?~その3)。


一つの容器の中に、似たような物質ばかりである時、反応形式や生成物というのは、同じようなものが出来やすくなってしまうかもしれません。そういう中に、全く異なる物質が投入される方が、反応形式のバリエーションは増えそうな気がします。前にも書きましたが、タンパク質のスープの中に、金属イオンがごく微量存在することで触媒として作用し、今まで起こらなかった反応が惹起されることもあり、そうした「触媒作用」は先の「励起状態」にジャンプする高さを大幅に下げてくれたりするのです。こうした「異質性」があることは、新たな創造の要因になると思います。



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2 コメント

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Web2.0 (hironagano)
2006-11-29 10:41:55
何冊かお勧めのWeb2.0本があります。
人の知恵を借用するビジネスモデルの造り方をマッシュアップと言うようです。
ロングテール、マイクロペイメント、マッシュアップで結構語りつくされてるのかも知れません。
そんなこと昔やったよ、言ったよ、と言う前に堂々と人のビジネスモデルにアイデアを付加して、あるいは方向転換して、他の分野に向かって、ネットビジネスが変革してゆく。Googleの創始者たちは、これをWeb2.0と定義してます。
蛇足ながら。
Web進化論、梅田望男、筑摩書房など
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図書 (まさくに)
2006-12-01 15:36:53
参考になります。有難うございます。

梅田氏の本はネット上でも有名になりましたので、読んでみようかな、と思います。
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