還暦過ぎの阿乱怒論

家庭菜園や工作好きの爺父が日々感じたことを綴る独り言

干し柿作り

2016-10-25 18:47:13 | グルメ
今年は柿の成り年のようであちこちでたわわに実っています。
わが畑の富有柿もスーパーの買い物カゴ5杯ぐらい収穫できました。
近所におすそ分けしても食べきれずにゆるくなってしまったものも多数。

甘柿も美味しいのですが、柿を最も美味しく感じるのは渋抜きをした渋柿です。
昔は袋に入れた渋柿を風呂の残り湯に一晩つけて渋抜きをしていました。
今では焼酎で渋抜きをすることが多いようです。

今回収穫できた渋柿で干し柿作りに挑戦です。
今までは包丁で皮むきをしていたのですが、今年はためしに皮むき器を使ってみました。
まず柿の頭を少し包丁で切り落とし、そこからヘタの方向に皮むき器で皮をむいていきます。
包丁で剥くよりも均一に向けて、作業も随分楽になりました。

バーベキュー用の竹串にさして雨のあたらないところで干します。
カビの発生を防ぐために焼酎を霧吹きでかけておきます。

表面が乾いて手で触って柔らかくなった頃が一番美味しい時期です。
正月のお供えにつき物の干し柿ですが、その頃になると中身まで硬くなってしまい味は落ちます。


大根無残

2016-10-15 19:52:54 | 家庭菜園
今年は畑の近所の人のアドバイスに従って9月5日に大根の種を蒔きました。
この日に播種したものがもっとも太くなると聞いたからですが、他の人より早かったせいか蝶々の格好の餌食になってしまった。

無残にもこんな姿に
葉っぱがほとんどありません。

蝶やトンボ(害虫ではないですが)は同じ葉に止まる傾向があるので、もっとも早く芽を出したものが繰り返し被害にあうようだ。
そういえば数年前にも同じような経験をし、他の人より少し遅めに蒔こうと思ったことを思い出したが、時すでに遅し。

にっくき害虫たち

♪チョウチョ チョウチョ 菜の葉に止まれ・・・♪ なんてのんきに唄った詩人はきっと百姓なんかしたことがない人に違いない。

可憐な蝶も家庭菜園愛好家にとっては天敵で、
大の大人が虫取り網を持って追い回している姿は詩人から見ればどんな風に映るんだろうか?

お口直しに畑の可憐なコスモスの花でも愛でて秋の深まりを感じて下さい。





2016-10-11 19:42:13 | 日記

秋空晴れて
ついこの間までの暑さが遠い過去のごとく感じられるような冷え込みがやってきました。
いよいよ本格的な秋到来。
スポーツの秋、読書の秋、味覚の秋等々何をやるにも最適の季節。
スポーツ、読書とは寄る年波とともに縁が薄くなりましたが、味覚については反比例するように興味が深くなるようです。
お隣の篠山市が丹波栗、黒豆等を目当ての観光客で一年でもっとも賑わう季節です。

今月はシルバー人材センタの仕事を休んで黒豆農家の手伝いに夫婦二人で(二人で一人前?)篠山まで行っています。
1町歩の畑から順次収穫してきた黒豆の整枝(豆のついていない枝を全て切り落とす作業=枝付き豆用)と脱穀が主な作業。
畑から抜いてきた一株の黒豆の枝葉を手作業で一本一本切り落とす作業は中々大変です。
おまけに美味しいうちに味わってもらうためには極めて短期間でこなす必要があり、連日数名での作業です。
どんな事でも裏側の苦労は経験してみないとわからないということを実感。
この時期、篠山近辺の道端ではいたる所で1kg800円前後で売られていて結構いい値だなと思っていたが、裏側を知ればこの値段も納得です。

黙々と作業に励みながら、他のメンバーは秋の澄んだ空気の中で写真撮影をしてるのだろうか?といささか焦り気味の昨日、
帰宅後カメラを抱えてわがホームグランドの公園へ
冒頭の写真はその折の一枚です。
秋らしさを感じて頂ければ・・・


突然の訃報

2016-10-07 20:03:56 | 日記
個人的にそんなに親しく付き合ったわけではないのに、振り返ってみると妙に印象に残っているという人が、誰にも一人か二人はいるものだ。
T君も私にとってはそんな一人だ。
年は10ほど若いが、関西から遠く離れた銚子で同じ無線を扱う仕事に従事し、関西へ帰ってからも同様。
無線からIPの世界へ飛び込んだのも同じ、同じメーカーのログハウスを建てたり、キャンピングカーもどきの旅を楽しんだり・・・と何かと縁が深かったものだ。

退職して3年が経過し、元の職場のメンバーとも疎遠になりつつある今日。
突然の訃報にまったく現実感がなく、未だに信じられない思いがする。
遺影を見ても飄々とした姿が視界に残っていてまだ死という現実が信じられない。
聞けば10年ほど前から患っていたとのこと、そう言えば随分前に久し振りに無線の仲間で飲んだ時に随分スマートになったなと思ったことがあった。
本人はダイエットで脂っこい食事を控えていると言っていたが、家族以外は誰にも病のことは内緒にしていたようだ。

病を隠して普通に付き合ってくれていた彼の心中を思うと何とも言えない思いがする。
「心からご冥福をお祈りします」というありきたりの言葉がまったく空虚なものに聞こえ、言葉がない。