還暦過ぎの阿乱怒論

家庭菜園や工作好きの爺父が日々感じたことを綴る独り言

栽培講習会

2014-08-30 20:16:34 | 家庭菜園
春に続いて市主催の栽培講習会が開かれたので参加してきた。
前回と同じプロ農家の方のお話をうかがって、今回はブロッコリーと白菜の苗のお土産まで頂いてラッキーでした。


プロの方の育苗された白菜の苗

ポットの地温が上がらないように工夫したつもりなのに、やはり徒長してしまった白菜の苗
これは水が多すぎるせいだそうです。
発砲スチロール箱に直にポットを乗せているので、水やりした水分がポットから抜けないため水分過多となり徒長するそうです。
またポットの底の根が水分を吸わないように、ポットを網等で浮かせてやる必要があります。
来年こそはしっかりした苗を作りたいものです。

栽培本には書かれていないコツや、栽培本ではわかりにくい事も詳しく教えて頂けるので、大変有難い講習会でした。
今回も忘れないうちに備忘録的にまとめておきます。

=ブロッコリー=
・側枝がよく出る品種と頂部主体の品種がある。
・株間は30cmぐらい、多肥栽培(元肥、定植1週間後とその20日後くらい、花芽が付き出した頃の3回の追肥)
・側枝花蕾を収穫する品種の場合、頂花蕾を収穫した時に葉を全て落として(股芽は採らないこと)追肥すると側枝が大きくなる。

=大根=
・三田では9月10日頃までに播種する。
・根が伸びる頃に土の相が変わると曲がってしまうので、耕してすぐではなく(耕した後)雨で土が湿ったあとに播種する。
・双葉が出たら双葉を支えるように土寄せをする。

=タマネギ=
・苗作りは難しい、播種後は発芽するまで防草シートやゴザ等で覆い、その上からたっぶり水やりをするとよい。
・バケツ一杯の種蒔き培土に種をよく混ぜてから畑に蒔く方法もある(覆土はいらない)

=オクラ=
・毎日朝夕に収穫が必要なくらい生長が早い。
・少しでも生長が遅くなるように、株間は10cm位にする。また収穫毎に葉を落としていく(花の咲いたところの葉も落としてよい)(但し木に元気がない時は葉を落とさない)(脇芽は残しておく、ある程度大きくなったら主枝を切る)
・直播の方がよい。
・一週間に一回追肥をする(花が咲いている間は追肥を欠かさない)

=キュウリ=
・本葉5枚の時に出てくる芽は取る。
・子ツルは1~2節で切り、孫ツルは伸ばし放題にする。
・15~18節で親ツルを切る。
・大きくなってきたら5節から下はすかして風通しを良くする。
・一本で一日1ℓの水分を吸うので、朝もしくは夕にたっぷり水やりをする(日中の地温が高い時の水やりは厳禁)
・盆頃までは播種でき10月頃まで収穫できる。
・曲がったり、先が細くなるのは水と肥料不足である。



8月後半は雨が多い異常な天気続きのためか、孫ツルに成っていたスイカ(9月上旬が収穫適期のもの)が爆発して腐ってしまっている。
楽しみにしていただけにアーアッ。


生涯学習?

2014-08-27 20:22:03 | 日記
団塊の世代全員が65才を越え、4人に一人が高齢者という世の中になり、行政は増大し続ける社会保障費を抑えようといろいろと考えているようです。
その一つが事後保全から予防保全へのシフト。
高齢者のサロン化しているような病院通いを減らす為、健康な身体作りの為のウオーキングコースの整備や各種の体操教室の開催等。
また引き籠りから認知症になるのを防ぐために、高齢者大学の運営や生涯学習の推奨、各種ボランティアの要請等。

昔から他人に影響されやすかった我身も行政の思惑どおりに・・・。

インターネット上で大学の講義が受けられるという「Gacco」で「俳句」の講座が始まりました。
諸々の事情で高卒で働き出した若い頃、都会に就職した同期生が夜間大学へ通っているのを羨ましく思ったものです。
どう生きるか決められずに何となくもやもやとしていた青春時代、高校までの覚える学習でなく、大学の考える授業というものに憧れていました。
約半世紀が過ぎて今再び、そんな気持ちが湧き起こってきた。

一週間に10~20分の講義が9単位、それを4週間で終了。
まだ5単位が終了した段階であるが、季語を入れて5・7・5でまとめればそれが俳句だと思っていましたが、そんな単純なものではなさそうです。
歌語しか使ってはならない和歌から連歌、俳諧連歌そして俳句へとの歴史と、その背景が生んだ「奥深い意味を持つ短詩としての俳句」・・・。
これからの講義が楽しみです。

家に居ながら大学の先生の講義が受けられる、そしてわからない事は簡単にネットで調べられる。
便利な世の中になったものです。

ブロッコリー定植

2014-08-24 23:13:06 | 家庭菜園
昨年は播種時期が遅かった(8月11日)のと、地温が高すぎて徒長苗となってしまったため一つも収穫できなかった。
ブロッコリーは充分な栄養生長の後で、ある期間連続して低温にならないと花芽分化せず花蕾が出来ないそうです。

昨年の定植時(9月17日)の苗

昨年の反省から今年は6月30日に播種し、地温が高くならないように工夫した育苗箱で育苗しました。

昨年よりはマシな苗になっていますが、第一葉から下部が細く徒長しています。
地温が上がらないように工夫したつもりなんですが、他に何か理由があるのでしょうか?

仕方なく今年も第一葉付近まで土中に埋めるように定植しました。

防虫のため不織布をかぶせて定植作業完了。



最近の多雨ですっかりジャングルのようになってしまいました。
来週には草刈りをしなければ・・・。

草に隠れて知らない間にスイカが大きくなっている。
9月上旬には食べられそうで楽しみです。


旅先で出会った心うつ言葉(2)

2014-08-22 19:27:08 | 日記

西国33ヵ所の25番札所・清水寺境内にて

人にはそれぞれの人生があります。
サラリーマンにとっては現役時代がひとつの大きな山だったのでしょう。
思い描いたとおりの山に登れた人や、心ならずも別の山に登ってしまった人も、過ぎてしまえばどれもそれぞれ大切な山です。
登った頂きの低さを卑下したり、降りてきてからも登った山の高さを鼻にかけたりする人もいますが、もう引き返す訳にもいきません。
自分の歩いてきた道を肯定するしかありません。

わたくし的には、綾小路きみまろの言う
「中高年 登り切ってないのに 下り坂」
の方が近いのかも・・・?

だけど

年だからと諦めることなく、たとえ小さな事でも挑戦し続けたいものです。


観音埼灯台(神奈川県)

2014-08-21 22:55:53 | 灯台巡り
かんのんざき灯台
2014年4月24日(1150-1450)訪問

明治 2年(1869)1月 1日 初点灯 (新暦では2月11日)
大正12年(1923)3月15日  地震で壊れたため再建
大正14年(1925)6月 1日  関東大震災で被災のため再建
平成元年(1989)5月    無人化

初点プレート 

神奈川県横須賀市鴨居4-1187
(35.15.22N  139.44.43E)
高さ  地上~塔頂:19m  水面~灯火:56m
白色塔型(八角形)コンクリート造り
第4等フレネルレンズ
灯質  群閃白光 15秒間隔に2秒間2閃光
光度 77000カンデラ
光達距離 19海里(約35km)

神奈川県横須賀市、三浦半島最東端の観音崎に立つ灯台。白色八角形の中型灯台で、日本の灯台50選、近代化産業遺産に選ばれている。
東京湾、浦賀水道(幅3.5キロメートルの狭水道)を照らし、首都圏の各港に入出港する船舶がひっきりなしに行きかう航路の安全を守っている。

対岸の房総半島・富津市にある東京観音が見える(300ミリ望遠にて)。

必ず「日本で最初の」と言う枕詞がつく観音埼灯台ですが、大正時代に地震で2度も壊れ現在の灯台は3代目になります。
幕末に英仏蘭米と結んだ江戸条約により建設を義務付けられた8灯台の一つで、日本最初の洋式灯台として、フランス人技師ヴェルニーの設計により明治元年9月17日(新暦1868年11月1日)に起工し、翌年1月1日(新暦1869年2月11日)に点灯した。

敷地内に設置されている初点記念碑(上の日本語の方は太陰暦,下のフランス語では太陽暦で記載されている)

ちなみにこの起工した11月1日が灯台記念日になっていて、この日には各地で灯台の一般公開が行われたりしている。

初代の灯台は地上から灯火までが12.12mの高さで、フランス製の第3等フレネル式レンズを使用し、3重心灯器で1,750カンデラ、光達距離14海里(約26km)だったそうです。

灯台資料展示室が併設されていて、初代の灯台を造ったフランス人F.L ヴェルニーの胸像や灯台レンズなどの貴重な資料が展示されているが撮影禁止になっていた。

参観灯台になっていて上まで登ることが出来ます。

登ると巨大なレンズや回転装置をすぐ間近に見ることが出来て感動しました。

レンズの隙間から現用ランプと予備ランプが見えます。

免震・回転装置
縦横のレール上に灯器を乗せ、全方向に約40cmの幅で自由にスライドできる仕組みになっていて、地震などの揺れに対応して灯器部分がスライドし、揺れを緩和する。
レンズ部分は重いため、少ない力で回転運動させることができるように、レンズ部分を水銀の上に浮かせてモーターで回転させている。
最近の灯台はLED灯器や固定式の灯器が多いので、このような本格的な灯器類を見ると何だかホッとして嬉しくなります。

上から見た観音崎海岸
灯台上部の外側は雨水を流す為に外向きに傾斜していて結構恐いので、妻は怖がって出る事が出来なかった。


灯台付近の一帯は観音崎公園としてよく整備されていて観光客も多く、迷う事なく到達できます。

公園入口には大きな駐車場があります。有料ですが平日は無料開放されているようです。
駐車場から海岸沿いの遊歩道を600m位歩き、案内標識のある所から少し上ると灯台へ着きます。

遊歩道を歩いていると目立つ塔が立っています。
これは「東京湾海上交通センター」と言って、東京湾の船舶航行の安全を図るため、海上交通情報の提供と航行管制の業務を行っている

話はちょっとそれますが、昔船舶と交信する海岸無線局で仕事をした事があります、その時に時折お世話になった所です。
船舶無線局は入港すると無線局は閉鎖されて電波を発射することが出来ません。
通常、船舶は航行海域が変わる度に通信可能な海岸局に対して入出圏通知(TR)を行いながら航行します。
(現在であれば携帯電話で所有者が移動する都度、自動的に電波を発射して在圏する基地局に通知を行っているようなものです。)
しかし不慣れな外国船等はTR通知を出さずに黙って入港してしまうことも多々ありました。
そんな時に該当船舶宛の電報を持っている海岸局はどうする事も出来ず、大事な電報が不達になってしまいます。
それではお互いに困るので、この海上交通センターに問い合わせて近くの海岸局から呼び出して貰ったりしていました。



野菜の花

2014-08-20 22:15:36 | 家庭菜園

一昨年に友人に貰った種から育てた四角豆(ウリズン豆)の花
今年初めて開花を見ましたが、小さいなりに紫の可愛いい花です。

琉球島オクラの花
観賞用として栽培してもよいほどきれいな花です。
オクラの実は生長が早くて週一農業では収穫時期が難しく、固くて食用に適さなくなる事が多かったのですが、今年は同僚から種を貰った「琉球島オクラ」を育てています。
一般的にオクラは開花から一週間後が収穫適期だそうですが、このオクラは少々採り遅れて大きくなってしまっても柔らかいので無精者には有難い品種です。


旅先で出会った心うつ言葉(1)

2014-08-14 21:58:48 | 日記

震災のあった年の春、信州のある寺の門前に書かれていた言葉です。
この少女の身の上に何があったのかはわかりませんが、いつも小言ばかりの母、滅多に顔を会わす事の無かった父、喧嘩ばかりしていた姉妹。
そんな何気ない日常がどんなに幸せなことであったのかという事が痛いほど伝わってきました。

震災直後に医療スタッフとして現地で活動された看護師さんのブログ(http://blog.goo.ne.jp/flower-wing)を読んで涙したことがありました。
その中にも家も家族も失ってしまった少女のことが書かれていましたが、そのような数知れない少年少女達がいることでしょう。

幸いにも自分にはそのような絶望の底に沈むような経験はありませんが、小さな事でも失ってしまってからその大切さに気付くと言う事は多いものです。

普段は無信心で仏教のことを意識することもなく暮らしていますが、今日は墓参にあたりちょっと仏教の事を考えていました。
仏教で言う仏心とは「足ることを知る心」のことだそうです。

貧しいことが善でもありません
豊かなことが悪でもありません
貧富にかかわらず
貪欲の心がおこるとき
人は美しい心を失います
仏心とは足ることを知る心のことです。

国会議員以外は集団的自衛権について話すな!(自民党土屋正忠)

2014-08-11 22:35:26 | 日記
9日の長崎での平和祈念式典において長崎市長が「いまわが国では、集団的自衛権の議論を機に、『平和国家』としての安全保障のあり方についてさまざまな意見が交わされています。
長崎は『ノーモア・ナガサキ』とともに、『ノーモア・ウォー』と叫び続けてきました。
日本国憲法に込められた『戦争をしない』という誓いは、被爆国日本の原点であるとともに、被爆地長崎の原点でもあります。
被爆者たちが自らの体験を語ることで伝え続けてきた、その平和の原点が揺らいでいるのではないか、という不安と懸念が、急ぐ議論の中で生まれています。
政府にはこの不安と懸念の声に、真摯(しんし)に向き合い、耳を傾けることを強く求めます」と述べた。

また被爆者代表の女性は「被爆国である日本は、世界のリーダーとなって、先頭に立つ義務があります。しかし、現在の日本政府は、その役割を果たしているのでしょうか。
今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじる暴挙です。
日本が戦争できるようになり、武力で守ろうと言うのですか。
武器製造、武器輸出は戦争への道です。いったん戦争が始まると、戦争は戦争を呼びます。歴史が証明しているではないですか。
日本の未来を担う若者や子どもたちを脅かさないでください。被爆者の苦しみを忘れ、なかったことにしないでください。」と痛烈に批判した。

大多数の国民も同じ思いだろうと思うのだが、国民の声には一切耳を傾けず強引に突き進む自民党にはどうも気に食わないようだ。

自民党の土屋正忠衆議院議員はブログで
「集団的自衛権も現実政治の選択肢の一つなのだ。
長崎市長は歴史的体験を踏まえた核廃絶について語るから権威があるのだ。集団的自衛権云々という具体的政治課題に言及すれば権威が下がる。
核廃絶の祈りではなく、平和を維持するための政治的選択について語りたいなら長崎市長を辞職して国政に出ることだ。」と批判した。

憲法を無視して強引に出した結論を「現実政治の選択肢の一つ」と広言する感覚にも驚くが、まるで一般人は政治課題に口をはさむなと言わんばかり。
被爆者代表の「集団的自衛権行使容認反対」の声に「見解の相違です」の一言で片付ける安倍首相と言い、国会で絶対多数を握っているおごりからか、強引で危険な体質を隠そうともしない自民党。
それでもまだ50%近くの内閣支持率があることが悔しい。

社民党ポスター

2014-08-07 21:15:47 | 日記
かつて55年体制の一翼を担っていた社民党(当時は社会党)だが選挙の都度、議席を減らし現在はたった5人の国会議員しかいない。
議席欲しさに主義主張を横に置いてでも政党を渡り歩く議員もいる中で、不器用なほど愚直に「非武装中立」「護憲」を主張し続ける社民党。
そんな社民党が久し振りに話題になっている。
支持率も低空飛行を続け、金もないので党員が自主制作をしたという「集団的自衛権反対」のポスターである。

他国の為に自衛隊員に犠牲が出る可能性については口をつぐんで、強引に押し通した自民党。
その自民党の軍人上がりの参院議員を中心にポスターに対する批判が湧きあがっている。
自民党が一番突かれたくない本質を的確に表現しているポスターだからだろうか。

集団的自衛権容認に反対する他の政党も、このような訴求力のあるポスターを使って世論を喚起してほしいものだ。


スイカ収穫

2014-08-02 16:09:52 | 家庭菜園

巻きひげが枯れてきたので本日スイカを収穫した。
長径約30cm大のものが2個、あと1つは来週に収穫できそう。

同じ頃に受粉させたのに一向に大きくならない、よく見ると付け根が萎れたようになっている。
玉に敷物を敷く時にねじり過ぎたのかも知れません。
残念ながら今年は3個のみの収穫になりそうです。
あとは孫ツルに実が付き出しているので上手くいけば9月頃に収穫できるかもわかりません。

一番果は空洞果(棚落ち)になりやすいと言われていますが、その割には中身もびっしり詰まっていて上出来です。
さっそく食べてみましたが、さすがは糖分の高い品種「紅まくら」です。
中心付近はまるで砂糖をまぶしたような甘さで大満足。


一昨年に友人から種を頂いた四角豆に花が付き出した。
昨年はゴーヤや冬瓜のツルの陰に隠れて見逃してしまったため食に供せませんでしたが、今年は適期の収穫を心がけます。


人参も今日でほぼ収穫完了。
ズボラな性格のため、いつも間引きが適当で中々上手く育たなかったが今年は何とか人並みの人参になったようです。

スイカも人参も正直なものです、ちゃんと管理してやればそれなりの物ができると言う事がわかりました。


伊豆大瀬埼灯台(静岡県)

2014-08-01 11:51:05 | 灯台巡り
いずおおせざき灯台
2014年4月23日(1650-1740)訪問

昭和32年(1957)年11月 初点灯

初点プレート 読めません

静岡県沼津市西浦江梨大瀬
(35.01.38N  138.47.29E)
高さ  地上~塔頂:13m  水面~灯火:16m
白色塔型(円形)コンクリート造り
灯質  群閃白光 毎13秒に3閃光
光度 8500カンデラ
光達距離 12海里(約22km)

伊豆半島西北端に突き出した砂嘴が発達して出来た大瀬崎半島の先端にある灯台です。
伊豆半島西北部には親指を曲げたような形の砂嘴が約6㎞の間隔で南北に並んでいます(戸田の御浜岬とこの大瀬崎)。

戸田灯台から県道17号を北上し、途中で道路標識に従って大瀬崎方面へ左折します。
海水浴場やダイビングスポットとして人気があるようで突当りには大きな有料駐車場があります(戸田灯台から車で14㎞約30分)。

私はその少し手前にある空き地(シーズンにはここも有料駐車場になるのかも?)に駐車しました。
左側の道を下りるとすぐ海岸に出ます。

そこからダイブハウスの並ぶ海岸通りを先端まで歩きます(約15分)

大瀬神社の鳥居をくぐると国の天然記念物に指定されているというビャクシン樹林(日本最北端の自然群生地)があり、

周囲7m、樹齢約1500年の大樹が御神木として大切に保護されている。

見落としそうですが地面に置かれている「灯台、御神木」の案内に従って進めばすぐに灯台に到着できます。

伊豆の灯台ではここが富士山に一番近い筈なのですが、今日はここからも富士山を拝むことは出来ませんでした。
雄大な富士山をバックに灯台の写真を撮りたかったのですが、今回は全滅で残念でした。
伊豆の灯台訪問は秋から冬にしたほうが良いようです。

大瀬崎の先端には三方を約50~60mの距離で海に囲まれながら淡水の池があり、「神池」として崇められていて禁を犯す者には神罰が下るという伝説によって保護されている。その為、この池の深さ等はまだ誰も調査した事がなく、神秘性をより高めている。