昭和39年に故郷を遠く離れて入学した高校は旧海軍航空隊の跡地に建てられていた。
技術系の教室や学生寮も航空隊の建物をそのまま使用しており、寮歌や応援歌も軍歌の替え歌であったり、戦後20年が経過していても戦争中の雰囲気が色濃く残っていた。
そんな多感な頃に読み今でも記憶に残っているのが、特攻隊員の記録をまとめた「聞け、わだつみの声」だった。
純粋で優秀なこの人達がもし生きていればどんな日本になっていたのだろうかと痛切に思ったものだった。
そしてもう一つ強烈な印象が残っているのが、このたび亡くなられたむのたけじさんの「詞集たいまつ」です。
18才で初めて社会に出、いろいろと迷ったり悩んだりしている時にたまたま本屋で手に取った本です。
一人の人間が人生をかけた「言葉」は立場の異なる人にも感動を与えるものです。
人によって評価は分かれるのでしょうが、赤軍派の重信房子の短歌にも人の心を打つものがあります。
「詞集たいまつ」もむのさんの人生をかけた短い言葉が非常な重みを持って、鋭い剣のように胸に突き刺さってきたように思います。
戦争中に戦争記事を書いていた当時も「権力からの直接の介入はなかったが、マスコミ側で自主規制する雰囲気」があったと述べておられます。
「たいまつ」の中にも
「かんじんの部分を伝えない新聞記事は、伝えた部分がホントでも、ウソの記事である」
「「みざる、いわざる、きかざる」の風潮を助長する伝達媒体に対抗する有効な手段は、それを見ず、読まず、聞かず、黙して殺すことである」等々
と、これは昭和42年に発刊された本なのに現在のマスコミの状況を述べているのかと思うような言葉が延々と続く。
むのさんの訃報を聞いて、古い本箱の中から取り出してきたので、これから再読して自分や世の中を見つめなおしてみることも有益だろう。
技術系の教室や学生寮も航空隊の建物をそのまま使用しており、寮歌や応援歌も軍歌の替え歌であったり、戦後20年が経過していても戦争中の雰囲気が色濃く残っていた。
そんな多感な頃に読み今でも記憶に残っているのが、特攻隊員の記録をまとめた「聞け、わだつみの声」だった。
純粋で優秀なこの人達がもし生きていればどんな日本になっていたのだろうかと痛切に思ったものだった。
そしてもう一つ強烈な印象が残っているのが、このたび亡くなられたむのたけじさんの「詞集たいまつ」です。
18才で初めて社会に出、いろいろと迷ったり悩んだりしている時にたまたま本屋で手に取った本です。
一人の人間が人生をかけた「言葉」は立場の異なる人にも感動を与えるものです。
人によって評価は分かれるのでしょうが、赤軍派の重信房子の短歌にも人の心を打つものがあります。
「詞集たいまつ」もむのさんの人生をかけた短い言葉が非常な重みを持って、鋭い剣のように胸に突き刺さってきたように思います。
戦争中に戦争記事を書いていた当時も「権力からの直接の介入はなかったが、マスコミ側で自主規制する雰囲気」があったと述べておられます。
「たいまつ」の中にも
「かんじんの部分を伝えない新聞記事は、伝えた部分がホントでも、ウソの記事である」
「「みざる、いわざる、きかざる」の風潮を助長する伝達媒体に対抗する有効な手段は、それを見ず、読まず、聞かず、黙して殺すことである」等々
と、これは昭和42年に発刊された本なのに現在のマスコミの状況を述べているのかと思うような言葉が延々と続く。
むのさんの訃報を聞いて、古い本箱の中から取り出してきたので、これから再読して自分や世の中を見つめなおしてみることも有益だろう。