還暦過ぎの阿乱怒論

家庭菜園や工作好きの爺父が日々感じたことを綴る独り言

むのたけじさんが亡くなった

2016-08-23 22:52:17 | 日記
昭和39年に故郷を遠く離れて入学した高校は旧海軍航空隊の跡地に建てられていた。
技術系の教室や学生寮も航空隊の建物をそのまま使用しており、寮歌や応援歌も軍歌の替え歌であったり、戦後20年が経過していても戦争中の雰囲気が色濃く残っていた。

そんな多感な頃に読み今でも記憶に残っているのが、特攻隊員の記録をまとめた「聞け、わだつみの声」だった。
純粋で優秀なこの人達がもし生きていればどんな日本になっていたのだろうかと痛切に思ったものだった。

そしてもう一つ強烈な印象が残っているのが、このたび亡くなられたむのたけじさんの「詞集たいまつ」です。
18才で初めて社会に出、いろいろと迷ったり悩んだりしている時にたまたま本屋で手に取った本です。

一人の人間が人生をかけた「言葉」は立場の異なる人にも感動を与えるものです。
人によって評価は分かれるのでしょうが、赤軍派の重信房子の短歌にも人の心を打つものがあります。
「詞集たいまつ」もむのさんの人生をかけた短い言葉が非常な重みを持って、鋭い剣のように胸に突き刺さってきたように思います。

戦争中に戦争記事を書いていた当時も「権力からの直接の介入はなかったが、マスコミ側で自主規制する雰囲気」があったと述べておられます。
「たいまつ」の中にも
「かんじんの部分を伝えない新聞記事は、伝えた部分がホントでも、ウソの記事である」
「「みざる、いわざる、きかざる」の風潮を助長する伝達媒体に対抗する有効な手段は、それを見ず、読まず、聞かず、黙して殺すことである」等々
と、これは昭和42年に発刊された本なのに現在のマスコミの状況を述べているのかと思うような言葉が延々と続く。

むのさんの訃報を聞いて、古い本箱の中から取り出してきたので、これから再読して自分や世の中を見つめなおしてみることも有益だろう。

三木埼灯台(三重県)

2016-08-19 21:11:40 | 灯台巡り
みきさき灯台
2015年10月23日(0920-1115)訪問

昭和3年(1928) 11月28日  初点灯

初点プレート
平成17年(2005)12月 ソーラー電源化

三重県 尾鷲市盛松
(33.58.24N  136.16.12E)
高さ  地上~塔頂:14.0m  水面~灯火:150m
白色塔形コンクリート造

LB型灯器
灯質  単閃白光 毎12秒に1閃光
光度  240,000カンデラ
光達距離 21海里(約39km)

志摩半島の大王埼灯台と紀伊半島の潮岬灯台のほぼ中間にあり、熊野灘を行き交う船の目印となっている立派な大型の灯台です。
このあたりは大台ケ原の山塊がそのまま熊野灘に没する地形で、リアス式海岸を形成し、沖合いは波が高く海の難所と言われています。
昭和3年に初点灯した当時は、光度55,000カンデラで灯器は石油蒸発白熱灯を使用していたそうです(昭和29年に電化)。
昭和43年に無人化されるまでは灯台守が常駐して灯台を守っていました。

尾鷲市街方面からR42を南下し、途中で分岐をR311へ進み九鬼を過ぎてから三木浦トンネルに入ります。
(トンネル入り口手前から林道に入って灯台を目指すコースもありますが)私はトンネルを出たところから左折して林道に入りました。

暫く走るとT字型の分岐の突き当たりに「木名峠狼煙場→」の木の案内板がある。
その方向に1.3kmほど進んだところに突如ソーラー発電所が姿を現しました。

そこから更に500m進むと「吉野熊野国立公園三木崎園地入り口」の看板があります。
灯台へはここから歩くことになります(灯台があるとはとても思えない奥深い山中です)。
看板の反対側の少し先に、こんな山中に場違いな広い空き地がありそこに駐車できます。

入り口からいきなり階段を上ります。
きつい上りを上り切るとあとはよく整備された歩きやすい山道です。
しばらくUpDownを繰り返し、

途中で唯一の案内標識「つばき園地0.3km 三木埼灯台0.6km」を過ぎたあたりから、かなり下ると灯台の上側に出ます。
(参考までに三木崎周辺は紀伊半島でも有名なヤブツバキの群生地だそうです。余裕があればつばき園地へ行ってみるのもいいかも)

入り口から徒歩で約30分かかりました。
LED用のソーラーパネルは小型灯台と違って大きなパネルが数枚設置されていました。

塀の外側には以前の灯台入り口がありますが、現在は閉鎖されており入ることは出来ません。
こちら側から眺めた灯台は明治時代に建設された灯台のようなどっしりとした凛々しい姿です。

なお灯台からの帰り道は迷いやすく、途中で大分とまどいました。
できれば往路で何か目印を残しておくことをお勧めします。。




黒ニンニク作り

2016-08-15 20:35:03 | 日記
立秋もお盆も過ぎた頃になって、ようやく(8月に入って)初めての更新です。
高齢者のブログはしばらく更新がないと「アレッ死んじゃったのかな?」なんて思われかねません。
現に毎日楽しみに拝見していた同世代のブログの更新が途絶えて久しい方も何人かおられます。
お目にかかったことはなくても、なんとなく喪失感に近い寂しさを覚えるものです。

この暑さ厳しい中、幸い熱中症にもならずに私はまだ生きているみたいです・・・?
いつもは月3~4日間ぐらいしかないシルバー人材センタの仕事が8月に入ってからは結構忙しく、他に畑仕事や下手な写真撮影・・・と忙しい毎日です。

今日は久し振りに何も予定のない日だったので、先月に収穫し乾燥させておいたジャンボニンニクで黒ニンニク作りに挑戦してみました。
古い炊飯器に収穫した全てのニンニクを新聞紙でくるんで入れ、約2週間保温状態にしておきます。
出来上がると匂いのしない微妙な食感の美味しい黒ニンニクになります。
ただし、その分熟成中は強烈な匂いがするので、空き部屋で炊飯器を衣装ケースに密封して2週間ほど辛抱がいります。
本当は外でやればいいのですが、近所迷惑になりかねないので室内で行ったほうがいいようです。