いもりんのヒルズ的生活+貧乏昔話

教師から起業家へ。無一文の外国人夫との超ビンボーな暮しから脱出、奮闘の末つかんだ、ちょこリッチな生活をおバカ調で公開。

久しぶりの更新です:震災2年

2013年03月11日 11時06分27秒 | 東日本大震災311

全然更新しないですみません・・・。
年度末(決算や確定申告)で忙しかったのと、子供の学校行事やら、何やかや、書き込む心の余裕がありませんでした。

今日3月11日で2年なんですねぇ・・・・。
昨日の強風に「なんで東北ばっかりいじめるんだ」と子供が言ってましたっけ・・・。
震災の日のように、今朝の仙台は冷え込んで、うっすら雪化粧でした。

会社に来ているスタッフさんと、当日の話をしてました。
金曜日だったねぇー、怖かったねと。

私は当日、学校でベルマークを(のんきに)やった後、マックに昼ご飯を買いに行った。
ガソリンは迷った挙句、入れなかった(T_T)
断水したので、マックのアイスティーを、大事に大事に翌日まで飲んだ(予想もしないことです)。

自宅には太陽光を付けてくれた業者さんが「調子はどうですか?」と、11日の午前中に来て下さった。夫は「つけてよかった」と満足げ。その数時間後地震で3日間停電。

子供は3人とも小学校にいたので、「学校は安全」ということで、安心してました。
防災訓練で学習していた夫は、(ほぼ一番乗りで)迎えに行っていた。ほとんど条件反射。

家に帰って、まき集め。ストーブで暖を取るためだったが、料理もできた。
この時点まで、自分が被災者だと思っていた。

夜のラジオで「若林区に300体の遺体」というニュースを聞くまで、沿岸部で起こっていることを全く知らずにいたのが、今でも思い出すと泣けてくる。

海外の報道では、細長い日本列島のこと、まるで宮城県全域が水没したかのような地図で大騒ぎだった。向こうの親族には多大なる心配をかけてしまった。

今日はそんなことを思いながら過ごします。


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