いもりんのヒルズ的生活+貧乏昔話

教師から起業家へ。無一文の外国人夫との超ビンボーな暮しから脱出、奮闘の末つかんだ、ちょこリッチな生活をおバカ調で公開。

ウチの会社の震災への影響その1

2011年06月29日 11時45分24秒 | ITビジネス(独立開業と会社経営)

うちの会社は、サービス業&ある製品の納入という業種である。

3月11日から大型連休にかけての受注状況はこんな感じ

○被災地への同情発注(+)
○不要不急を避けて発注の遠慮(-)
○お客様自身が被災者(-)
○計画停電(-)

・・・という感じで、売り上げは若干落ちて、昨年度比5~10%減。
今年後半で、何とか昨年の売り上げに届きたいと思っている。

本業が落ち込んだ時には、副業が心強い。
私がはじめにやったことは、不動産の改修である。

これは、12年くらい前に、借金をして買った中古の家。
立地が不便なのと、広さが90平米だからか、お値打ちだった。

当時は第2子出産直後で、会社も立ち上げたばかりのほぼ無職。
収入も多くなかったのに、銀行もよく貸してくれたと思う。

ビジネスで使っていた時期もあったが、最近では会社の倉庫にしていた。

これを義両親に修理してもらって、市場に出したらすぐに決まった。

会社の売り上げと比べたら大した収入ではないけど、ビジネスが弱気の時には、元気が出る。
何しろ、眠っている間も賃貸収入を生んでくれるんだから。

次に、弱気の時に会社の営業をどうしたかを書きます。

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最近、車をやめて自転車で通勤しています。したらパンクしたので、自分で2時間かけて直した。が、うまくいかず。
行った先のホームセンターの自転車修理のおじさんは、その道40年。10分ほどで3つの穴をふさいでしまった。私がしきりに「速いですね~、手際がいいですね」とベラベラ誉めたからか、通常1穴800円×3穴のところ、1穴分だけでいい、とおっしゃってくれたのが嬉しかった。

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私と税理士の先生との震災後の会話

2011年06月24日 15時15分28秒 | 金持ち母ちゃん(お金持ちになるには)

義両親が帰国し、不動産の修繕のめどがついたので、お世話になっている税理士の先生に電話をした。
以下がその記録である。

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あ、電話しようと思っていたところなんですよ、どうしてました?
ご家族は無事?良かったですね。

手持ちの不動産を市場に出したの?
今、家族で住める一軒家が少ないからね。
マンションの上階に住みたくない人や、アパートが倒壊した人、修繕で賃貸マンションを出なくてはいけない人、みんな一軒家を探している。

向こう2~3年は市場に出てこないだろうね。業者も手放さない。
中古の家の価値も上がっているし。
いもりんさんは一軒家に投資してきたから、修繕とか大変だろうけど、持ち続けていたらいいよ。

近所の家が半壊扱い?たぶん地震保険目当てだろうね。最近は「地震保険太り」があるからね。お役所から「危険」の張り紙とかなければ、大丈夫でしょう。

あとね、今、社会保険料や法人税やら所得税とか、納付期限が猶予されているけど、震災で事業に支障がないのなら、払っていくべきだと思うので、早く賃金台帳出して下さい。

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そんな感じで終わりました。
電話で10分程度の会話でしたが、学んだことは大きい。
資産を形成する上で、税理士の先生(不動産業を兼業している方が理想)と良い関係を築くことは大切なんです。

とはいえ、お金のことより、小さな日常に喜びを感じています。
子どもの絵が、野外活動の冊子の表紙に選ばれたんです!

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大地震を日本ではない国で迎えたら(夫の考え)

2011年06月21日 08時42分03秒 | 東日本大震災311

私は宮城県地震を経験しているし、そもそも地震の多い国に住んでいるのだから、覚悟はあった。
だけど夫は地震のほとんどない地域から来ているから、被災して可哀そうだな、と思っていたの。

だから聞いてみた。どこの国で被災するならいいか?と。
すると下記のような答えが返ってきた。

○アメリカ・・・・・大停電するくらいで、店舗が店じまい、銃を恐れて市民が逃げ回る・・・。
とても先進国とは思えない。

○東南アジアも人が多いし暑いし・・・・。
宗教の異なる人が住む国では、救援も混乱するだろうから大変だ、と。
単一民族で宗教問題も無い(少ない)日本はいいと言うのです。

じゃあ、地震のないアフリカ大陸はどう?

○南アフリカ共和国を見なさい。ヨハネスブルグなんて、この世の終わりのような街だ。ライオンは人を恐れるが、彼らは恐れず襲ってくると言うじゃない。
住むにしろ、鉄線を張り巡らせて、銃を持ったガードマンを何人か雇って、白人の住むエリアに暮らして・・・・とんでもない、と言う。

災害に遭うなら日本で、と彼は言っている。そういう発想がすごい・・・・。

これは片づけの終わった、ある不動産の和室。
新婚の頃、こんな感じの部屋に住んでいました。
今の家は畳がないので、ちょっと懐かしい。
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町内で防災訓練をやるんだって。
土曜日を登校日にして、子供が家庭で被災し、避難所に行く訓練。月曜日は振り替え休日。
しかし、あんだけの大災害を乗り切った地域住民には、ノウハウは不要なのでは?


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コンビニが私をブタにする

2011年06月18日 08時23分16秒 | くだらないこと、もろもろ

・・・ということが、今回判明いたしました。

3月11日からコンビニは閉店か短時間営業で、売り切れ状態が続きました。
開店しても、野菜や牛乳など生活必需品しかない。
つまり、デザート類が復活するまでかなりの時間を要したのでした。

今回の震災で私は数キロ痩せました。
食糧不足というより、「間食&外食不足」です。

ミニストップのソフトクリーム、ファミマのデザート!セブンイレブンのアイス!
マクドナルド、ラーメン屋、牛丼屋など!

・・・・これらがあるので、痩せられないんです。

義母が帰国する時、「世話になったから、私の宝石をあげる」みたいなことを言われました。
私はすぐに「いらないです」と答えました。
「豚に真珠ですから」と言いたかったが、とっさに英語が出なかった。
Do not throw pearls to swine(ブタ).って言うんだってさ。そのまんまですね。語源は聖書らしいです。

夫実妹も宝石に興味なし。従って、宝石類は夫兄妻に行くんだろうけど、嫁にはあげたくない気持ちなのかも。
義母(横綱)と義姉(大関)のケンカの様子はこちらです。
ケンカは相撲でやってね。

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デパートの化粧品売り場の、「GUERLAIN(ゲラン)でございまぁす」が「サザエでございまぁす」と同じ口調だったのが、ちょっとおかしかった。
・・・・・私は立ち直りつつある!と感じた瞬間である。

これ、ナナフシの子供。1.5センチくらいです。


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出来れば遭遇したくなかった1000年に一度の・・・ その3

2011年06月15日 08時42分29秒 | 東日本大震災311

仙台には上場企業は数えるほどで、片手に足りる位。
電力会社とイナカ銀行と経営者苗字の商社くらい、と思っていた。
・・・が、最近は増えて、足の指を使って数えるほどにまで増えたのが、嬉しい。

大企業は、東京本社の仙台支店が多いので、商工会議所に出ても、上場企業の参加者は経営者ではなく、支店長やそのほかの役職の方が来る。

しかし私の子ども時代には、こんなクラスメートがいた。

実家が丸光デバート(現さくらの)、関兵製麦(不動産ブローカー、現在は倒産)、老舗のおでん屋さん、どら焼き屋さん、エンドーチェーン(今は西友かな?)、造り酒屋などなど、地元の経営者の子供が多く、家業を聞くのも楽しかった。

でも今では、自分の子どものクラスメイトは、大手企業の転勤属の子息が多い。
それと同時進行で、地元企業が中央資本に買収されたり、めっきり力を失っていった。

私が震災で何よりも恐れているのは、東北が衰退してしまうこと・・・なんである。

サントリーの佐治会長の「東北熊襲(くまそ)発言※」(東北は熊襲の産地。文化的程度も極めて低い)はご存知でしょうか?

あんな風に言われたのが悔しくって、寒いのを我慢してみんなで頑張ってきた・・・という気持ちがある。
なのに大震災で、フリダシに戻りはしないか?と怖いのである。

※私の父は大激怒し、神奈川出身の癖に以降、サントリーの製品を買わないでいる。

地震の後、オフィスや倉庫やらを整理したら、いろいろとお宝が出てきた。
62円切手とか(珍しい?よね)、デパートの商品券とか。


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出来れば遭遇したくなかった1000年に一度の・・・その2

2011年06月12日 13時14分28秒 | 東日本大震災311

そう。全国からの転勤属がどっと増えた。これが都会の証しなんだ、と感じ始める。
それまでは、県北・県南から、進学や就職で「仙台さ行ぐ」のが多かったが、全国区になったのだ。

そのうちに、ハワイやグアムに行った際にしか買えなかった海外ブランドが、商店街で買えるようになった。
シャネル、フェラガモ、ヴィトン、プラダやフェンディ(現在は二つとも撤退)などが来た時には、仙台も都会になったんだ~と興奮した。

今までは、東京まで出ないと(!)買えない物が多かったけど、洋服やお菓子などほとんど仙台で買えるようになった。

私は仙台に生まれたことを幸運に感じ始めていた。

観光産業についても考え始める。
日本三景の一つ、松島があるので、遠方の客が来た時には便利。
しかしもっと観光客をよべないものかな~と思っていた。

例えばオーストラリアのケアンズに行った際には、こんなことを考えた。
ケアンズの人口は13万人。
それなのに、大型高級ホテルがハワイのワイキキビーチ並みにずらりと立ち並ぶ。
ハイシーズンは、世界中からの観光客でごった返す。

同じく港町の宮城県石巻市の人口は16万人。
町のサイズや人口はケアンズと同レベルなのに、あちらには「グレート・バリア・リーフ」という世界遺産があるので、その差は歴然。
何か世界遺産になるものは?と思索したり、ね。

こんな風に、地元のことを常に考えて生きてきた、と言っても過言ではないのです。

続くのさ。

テラスを開け放してみる。東北の梅雨入りは遅い。

鳩が羽伸ばしているし。

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今日は宮城県沖地震から33年だそうです。30~40年周期でやってくるこの地震、小学生だった私は「次回は結婚して子供もいるかな?」程度に思っていましたが、こんな大災害になるとは。

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出来れば遭遇したくなかった1000年に一度の・・・

2011年06月09日 08時49分34秒 | 東日本大震災311

最近の研究には、貞観(じょうがん)津波869年との比較をするのが多い。
ああ、平安時代の人もこんな津波を経験したんだなあと、古代に想いをはせている。

しかし1000年に一度、惑星が直列するとか、美しい彗星か集まってやって来るとか、そういう宇宙のロマンを感じさせるような巡り合わせなら、是非とも経験したい。
でもこんなひどい災害、どうして私たちが生きている時代に起こったんだろう・・・・という気持ちでいっぱいなのである。

私はこの震災以来、強いストレスに悩まされて来た。
家族や友人たちが無事で、住む家もあって、仕事も継続できている・・・大した被害がないのに、なぜこんなに落ち込むんだろう?
それは、自分の地元が滅茶苦茶になってしまったのが、とにかく悲しいのである。

私の子供時代、仙台市は人口60万人規模。
東北の、少し大きな田舎まちという感じであった(今もそうだけどさぁ)。

それが、ワイロでとっ捕まった※昔の仙台市長が政令指定都市にした辺りから、様子が変わってきた。

まず、東北以外の方が転勤してくるようになった。(仙台は支店経済都市に)
しかも「田舎に左遷」という悲壮感に満ちた感じも無くて、「福岡、札幌、仙台と転勤できてラッキー!」みたいに、嬉々としてやってくるんである。

私は「へぇ~、仙台って人気都市になっていたんだ」と嬉しくなったのである。

続きますねぇ。

義母が作ったミートローフと、マッシュポテトはさすがに上手!美味しかったです。
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津波被害のあった沿岸部は、仮設住宅を建てられる平地が少ないらしい。
夫は、内陸の過疎地に移住して、人手不足の農業をやってもらったら?と言う。

「山幸彦と海幸彦」の話、知らないのかな・・・・漁師が狩人に、狩人が漁師になるのは難しい。
職業の転換は、そんなに簡単には行かないと思うのですが。

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※収賄で捕まった市長は、さながら田沼 意次(たぬま おきつぐ)なんでしょうねぇ・・・政治手腕は良かったので、嫌いじゃないです。彼のお陰で仙台は発展したのかも。
出直し選挙で選ばれた新・市長(故人)は清廉潔白なんだけど、政治力は???でした。松平定信なんでしょうねぇ・・・・。
歴史は繰り返すって、ホントですねぇ・・・・。


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Fukushimaを理解するために義両親に見せた映画はコレ

2011年06月06日 08時41分08秒 | 東日本大震災311

義両親に日本を理解してもらうのに、邦画が一役買っている。
私が映画好きということもあるけど、エジプトの大学の日本講座で「寅さんシリーズ」を教材に使っている、というのを聞いたことがきっかけで、見せるようになった。

「おくりびと」も東北が舞台だしいいかな、と思ったのだけど、いかんせん英語字幕がない。
そしたら、いいのがあったじゃないの。
福島のいわきが舞台なやつが!

「フラガール」
私はもう何度も見ているけど、今回は全く違った風に見ました。
原発事故と重なる点が多いのである!

炭鉱閉鎖で経営者が住民たちに詫びるシーンは、東電経営者の土下座を連想させる。
住民は失業したり、引っ越しを余儀なくされる。

落盤事故で、犠牲者が出る。
炭鉱のお陰で生活していることを住民は理解しているが、気持ちはやりきれなく、悔しい。

設置の経緯も類似している。
ハワイアンがオープンしたのが1966年(昭和41年)。
福島第1原発の着工が、1967年から70年代にかけて。
産業が乏しく、雇用が必要だったから、という理由が共通していると思う。

この映画は、なぜ福島に東京の電力会社が来たのか、理解の助けになると思う。

フラガール メモリアルBOX [DVD]
クリエーター情報なし
ハピネット・ピクチャーズ

福島県は、石炭→石油へ、原子力発電→自然エネルギーへ・・・という感じで、エネルギー改革に翻弄されてしまっている地域なんですねぇ。

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宮城県も雇用を拡大するために、一生懸命、企業の誘致をやっています。
東京エレクトロンとか、セントラル自動車とか。
これに関しては後で書きます。


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愚痴っても、いいすかぁ?(食べざかりの義両親)

2011年06月03日 08時39分10秒 | 糟糠の夫:season2(愚痴など)

私は・・・・・・家事苦手です。
んで、何が苦しいかと言うと、7人分の食事作りです・・・・すごい量です。
何だか、運動部の高校生二人を食べさせているようなカンジ・・・は言い過ぎですが、
食べざかりの義両親です。

朝食は、卵は2個、トースト2~3枚、ヨーグルト、100%ジュース、コーヒーという感じ。
昼食は、マック、ケンタッキー、サイゼリア等安上がりに済ませます。
夕食はだいたい洋食で、鶏や牛肉、魚(塩釜港で揚がった魚を食べた時は嬉しかったね!)
に、サラダとスープ、フルーツ。

私の親も同世代の70歳前後ですが、そんなに食べられません・・・。
体が大きく、基礎代謝が高い(1800KCalくらい?)からなんでしょうねぇー。

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ま、この記事は冗談半分で書いてます。
本当のところ、彼らの働きに感謝しています。

地震で壊れた不動産の全面的な修理(壁塗りや塀など)を、専門的な所はハウスメーカーにやってもらいましたが、かなりのお手伝いをしてもらいました。

そして、タダ働きしてもらうことに罪悪感を感じた私たちは、お礼を上げることにしました。
(日光猿軍団みたいに、食べ物だけで働かせるのも・・・・)

今はすごい円高。小切手で買って渡しました。何枚プレゼントしたかは内緒。

4月末に来てから早一ヶ月。そろそろ帰国です。

今日の一言:外国人の義両親は住みつかないから好都合。もし3カ月過ぎたら「不法滞在」で入管に通報できるのがイイですね。(タダで帰国?)

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みんなで食べ放題のイタリアンに行ってきました。
「(男子高校生なみに食べますが)シルバー料金でいいですか?」と私は恐る恐る聞いた。
店員さんは、体の大きな外人さんたちをチラッと見たが、「いいですよ」と快諾。
・・・・赤字だろうと思う。

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