陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

白布温泉<東屋旅館>で宿泊歓談

2008-09-19 19:16:27 | 旅行
 敬老の日の9月15日(月)、旧知のJT氏が埼玉からドライブを兼ねて遊びに来た。当地に住む親しい友人と私、合計3人の老人が白布(しらぶ)温泉の<東屋(ひがしや)旅館>に出掛けて、一泊の懇談をした。

 <東屋旅館>は、白布温泉の最古参、その源は室町時代に遡ると言う。1600年代の始め、上杉家が米沢へ入部以来、同家は白布温泉との関係を密にした。上杉家は、筆頭家老・直江山城守兼続の構想に沿って、秘密厳守で鉄砲鍛冶をこの地に置いた。それらの鍛冶職人が増え、上杉当主の湯浴みもあったから、<東屋旅館>は大きく拡充された。隣接して血筋の者が<中屋旅館>を開き、更に<西屋旅館>も生まれた。いずれも、茅葺の大屋根を持ち、部屋の造りは京間、風呂は御影石仕上げと共通の仕様である。

 白布温泉は、米沢から白布街道を通り、西吾妻スカイバレーを経て桧原湖へ至る道筋にあり、標高は820m、平地よりも5℃は低い気温。冬は天元台スキー場の宿泊基地として根強い人気がある。温泉質は、ほとんど中性の含石膏硫化水素泉(60℃)だ。そして、茅葺屋根の旅館三軒が居並ぶ姿は、何とも風情があった。

 2000年3月25日、<中屋旅館>ボイラー室から出火し、当の<中屋旅館>、そして<東屋旅館>も丸焼けになった。幸い<西屋旅館>のみ延焼を免れた。私は、火災直後に旧知の<東屋旅館>当主、宍戸康裕氏を見舞ったが、女将の夫人共々、かなり意気消沈しておられた。先祖伝来の家屋、家具、骨董を失って、申し訳ないと言う気持ちであったろう。

 宍戸氏は、気を取り直して、その年晩夏には再建を開始、新築のため茅葺屋根は許可されなかったが、昔の面影を残す立派な旅館を作り上げた。あれから8年経過し、新しかった檜造りの建物も周囲と馴染み、盛業を営んでいる。昨今は、玄関脇にゆったりとしたベランダが出来、景色を楽しみながら喫茶・喫煙が出来る。また、新たに露天風呂もしつらえ、夜はのんびりと星空を眺めながら湯浴みも可能。混浴不可(笑)。なお、<中屋旅館>は事情があって、再建されていない。

 我々3人は、JT氏の自家用車で午後3時半頃<東屋旅館>へ到着、暫く居室で歓談してから、<白布大滝>を見物に出掛けた。旅館から少し離れた場所に、谷底へ降りる道がある。木の根や大石が横たわる急峻な細道で、ハイヒールやサンダルでは無理。数年前に下った時に比べ、如何に足弱になったかを思い知らされた。

 大滝は、僅か25m程のものだが、周囲の崖や樹木と調和して見事な眺めだ。残念ながら紅葉は殆ど見られず、渓流には大石や岩がごろごろして、下流へ歩くことは出来ない。渓流の水は冷たく、手を浸すと気持ちが良い。谷底に佇むこと暫し、明るいうちに戻ろうと言うことで、再び細道を辿って旅館へ戻った。

 御影石の風呂に入り、「打たせ」などを楽しみながら、旅館が焼ける前にドイツ人や米国人教授達と何度もこの風呂へ入ったことを思い出した。ドイツ人教授は若くして亡くなったが、ここの風呂や、蔵王温泉を彼なりに楽しんでいた。勿論、<東屋旅館>へは、恩師を始め、全国各地から訪れた人達を案内し、喜んでもらったものだ。皆、この黒光りする石風呂が興味深げであった。

 夕食は、米沢牛のすき焼き、鯉の洗い、岩魚のあんかけ風、茶碗蒸し、山菜のおひたしなど、地場産の食材が中心。酒は、<東光>の熱燗。話が弾んで、あっという間に2時間半経過。満腹し、手打ち饂飩まで手が伸びず、ご飯は握り飯を頼んで部屋へ引き上げることにした。

 途中のロビーでタバコを楽しんでいると、当主の宍戸氏が現れた。彼は、来年のNHK大河ドラマ「天地人」の主人公直江山城守兼続の宣伝で、米沢市関係者と企画している苦労話を語った。昔、NHKの大河ドラマ「独眼竜政宗」で伊達政宗を取上げた時は、<上杉の城下町・米沢>が1年間だけ変節して、<伊達の故郷・米沢>になり、米沢市長は主役の渡部謙後援会会長などをやっていたことが話題になった。宍戸氏の話では、その翌年の観光客は40%減になって、観光関係者は大変悩んだそうな。だから、今回も気になると言う。

 私は、「あんな変節をするから、観光客もそれっきりになるんですよ。伊達家は仙台で定着している訳で、観光客は米沢との関係など直ぐ忘れる。今回は、直江山城が謙信に可愛がられ、徳川家康の心胆を寒からしめた痛快な逸材であることや、伊達政宗を大いにからかった度量ある人物として宣伝し、彼の行政改革を上杉鷹山がしっかり学んだことなどを強調したら観光客は忘れないと思う。まだ時間があるから、大いに工夫出来ますね」と話した。宍戸氏は、直江紹介のパンフレットを私達に配布した。

 部屋へ戻ってから、3人で暫く米国金融業界の話をした。リーマン・ブラザーズ破綻のことや、日・米・欧経済界の対応に話題が集中した。その内に、昔の懐かしい映画の話となり、かつての映画は人の心のあり方を問いかけていたが、今は少ないという結論になった。若い人達は、テンポの軽さを重視し、CGで仮想世界を楽しむから、1950-60年代の白黒映画など、まだるっこしくて見る気も起きないのだろう。

 翌日は好天、笹に包んだ納豆、湯豆腐、焼き魚、芥の漬物などで、ご飯もお変わりをして満足、JT氏は朝から2回も温泉に漬かってこれも納得の風情。食後、ベランダで周囲の緑を眺めながら、のんびりとした。

 晴れたドライブ日和なので、そのまま西吾妻スカイバレーを登って、山形県と福島県の県境にある<錦平>展望台(標高1400m)へ行くことにした。少し前までは県の有料道路であった西吾妻スカイバレーは、殆ど対向車がない。途中停車して、最上川の源流<赤滝・黒滝>を眺める。

 <錦平>に立って北側を眺めれば蔵王連山が見え、南側には桧原湖を見下ろすことが出来る。当然ながら、何十年経過しても変わらぬ景色だ。以前は若い人達と共に何度もこの道を下り降り、桧原湖の側を通り過ぎ、五色沼や猪苗代湖まで行った。そこでキャンプやバンガロー生活をした。彼らも既に不惑を過ぎ、社会人として活躍していることだろう。

 帰りは、心地良く居眠りをし、眼が覚めたら車はもう街中を走っていた。
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