山本由美子氏の「マニ教とゾロアスター教」を読んでみました。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
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(引用ここから)
おそらく紀元前1200年ころ、イラン人の大きな文化的変動期・・すなわち青銅器時代から鉄器時代への移行期に、ゾロアスターは宗教改革者および預言者として、イラン高原の東北部にその姿を現した。
ゾロアスターの思想の特徴は、極めて強い倫理観にある。
彼はイラン人固有の世界観を継承しながら、そのような宇宙の創造や世界の存続も、倫理に即しているかどうかが重要なのであると信じた。
彼は現世を、善と悪の二つの原理が互いに対立し、相争う場とみなした。
彼によれば、ありとあらゆるものは、善か悪のいずれかに属しており、創造された宇宙や人間は、善により創造されたものである。
善とは生命であり、光であり、創造主アフラ・マズダー(英知の主)であった。
他方、悪である対立霊とは、死であり、闇であり、世界を破滅に導くすべての根源であった。
ゾロアスターの説くところでは、もともと二つの対立する原理が存在したのだという。
それはあたかも“双子”のようなものだ、と彼は述べた。
両者はまったく無関係に存在していたが、たまたま遭遇して互いに相手の存在に気付いた時、対立が生じた。
一方の霊は善であったので、生命を選んだ。
他方は悪で、死を選んだ。
善には光、正義、秩序、美といった良きものがすべてこれに帰属した。
悪の側には、闇や邪悪、嘘、憤怒など破壊につながるすべてのものがこれに帰属した。
英知の主アフラ・マズダーは、先見の明によって、対立する二霊は戦わざるをえないことを知った。
その場合、戦う場と武器と主体が必要になるし、戦った後には勝敗が決まる。
したがって、戦いを始めるにあたって、究極的に自らの勝利となる「時」を期限とすることができれば、自分が勝利して終わることは間違いない。
そこでアフラ・マズダーは、自分が勝利する「時」を終着の「時」とする、という条件で戦おうと提案した。
死と破壊の霊は、結果を見通すことがないので、ただ、戦うというチャンスに飛びつき、この提案は同意された。
つまり、天に始まり、水、大地、植物、動物、人間、火へと続く伝統的な7段階の世界創造は、創造主であるアフラ・マズダーの明確な意思のもとに、目的をもって行われたというのである。
それは倫理的な要素を強く持つアフラ・マズダーの諸々の属性が、守護として、7つの創造物にそれぞれ付与されたことからも明らかであった。
つまり天には望ましい王国(統治)、水には健康(完全性)、大地には聖なる信心(献身)、植物には不死、動物にはよい心(意図)、人間には聖なる霊、火には天則(秩序、正義など)がそれぞれ付与されたのである。
この「原創造」された世界に、悪の霊が侵入して破壊をもたらした。
天には穴が開けられ、水は汚され、大地は砂漠と化し、植物は枯れ、動物や人間には死がもたらされ、火は消された。
その反撃として善の勢力は、死んだものからその種を取り出して、更に多くの生命をもたらした。
こうして世界は善と悪の力が混じりあって戦う混沌の時を迎えた。
人間は「善い心」、「善い言葉」、「善い行い」の三徳を守り、善の側に立って戦いに参加する。
つまりゾロアスターによれば、人間はこの世界で積極的に善を増やすという重要な役割を持っている。
この戦いは初めに決められたように、無限に続くのではない。
最後には救世主が現れ、悪の力は滅ぼされ、世界は溶けた金属に覆われて浄化され、新しく作り直され、その後は完全な世界が永遠に続くことになる。
(引用ここまで)
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wikipedia「アンラ・マンユ」より
アンラ・マンユ (Angra Mainyu, Aŋra Mainiuu) またはアフリマン (Ahriman, 中世ペルシア語形、アーリマン) は、ゾロアスター教に登場する悪神。
善悪二元論のゾロアスター教において、最高善とする神アフラ・マズダーに対抗し、絶対悪として表される。
創世神話によれば、世界の始まりの時、創造神スプンタ・マンユはもう一人の創造神アンラ・マンユと出会ったという。
そして、スプンタ・マンユは世界の二大原理のうち「善」を、アンラ・マンユは「悪」を選択し、それぞれの原理に基づいて万物を創造したという。
「ヴェンディダード (Vendidad)」 第1章によると、アフラ・マズダーが光の世界を創造すると、すかさずアンラ・マンユは対抗すべく冬、病気、悪などの16の災難を創造したという。
アンラ・マンユはさらにアフラ・マズダーが創造した世界を破壊し、被造物を殺戮すべくアジ・ダハーカを生み出したのである。
この世が始まる前の戦いでアフラ・マズダーに敗れ、深闇に落とされるが、徐々に勢力を盛り返し、再びアフラ・マズダーと戦うとされている。
実体はないが、この世に現れるとき、ヘビやトカゲといった爬虫類の姿で出現するとされる。
配下は大魔ダエーワや悪竜アジ・ダハーカなど。
英雄スラエータオナがアジ・ダハーカを退治しようとするが、剣を刺してもそこから爬虫類などの邪悪な生き物が這い出すため、これを殺すことができなかった。
そのため最終手段としてダマーヴァンド山の地下深くに幽閉したという説話もここから来ている。
つまりアジ・ダハーカはアンラ・マンユの力の結晶として生み出されたということである。
○キリスト教への影響
黙示録の赤い竜や善悪二元論、最後の審判といったキリスト教の要素にはゾロアスター教からの影響が見てとれる。
キリスト教のサタンも旧約聖書のヨブ記を見る限りは神の僕であり、試練を与える天使という位置付けであったが、新約聖書のサタンは完全に敵対者である。
・・・
善と悪の闘いの場としての世界、、世界の終りには救世主が現れ、世界の混乱を終息させる裁きを行う。。
世界最古の預言者と言われるゾロアスターの思想が、その後の世界的な大宗教の原型として、大きな影響力をもったという説は、なるほどとうなづけます。
ただ、善と悪が双子のように相等しく生まれ、出会い、闘っている、という思想は、悪というものについてのとても面白い考えだとも感じます。
善と悪が双子だ、ということは、善も絶対的なものではないということですから、「最後の審判」により永遠の善の世界が創られるという思想とは異質な要素も含んでいるように思われます。
イランという、地理的に西と東を結ぶ中間的な地域ならではの宗教観なのかもしれない、という気もしました。
双子というのは、ホピ族の神話にも出てくるし、二つの理念のバランスという感覚は、大変興味深く思われます。
2009年に書いた記事から引用します。
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「終わりの時への展望・・インディアンの語る「浄化の日」その2 - 始まりに向かって」
http://blog.goo.ne.jp/blue77341/e/1c67036b074857f2a15d4e64a9d86e40
ミタクエオヤシン、つまり「すべてのものはみな関連している」という考えを受け入れ、平衡つまり「赤い道」に至るための儀式を実践すれば、人は宇宙の森羅万象の中に存在する「二重性」を理解するようになるだろう。
この「二重性」という事柄こそは、この地球を平衡(=バランス)の中で支えている“ホピの双子”の本然の性格なのである。
しかしながら今日、地球という惑星は人間の頭脳からくる“陰の周波”に包囲され、不均衡に満たされている。
“地球を支える双子”は、共に衰弱し切っているのである。
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関連記事
「ブログ内検索」で
双子 10件
爬虫類 6件
最後の審判 9件
終末論 15件
竜 15件
青銅器 7件
などあります。(重複しています)
少し前、ブックオフに足を運んだところたまたま雑誌コーナーにムーが軽く100冊以上並んでいるのを発見し、小一時間かけて興味ありげな特集号を物色してきました。
ゾロアスター教関連は少なく、2冊ほどしかなかったのですが、どちらも古代日本がゾロアスター教の影響を色濃く受けているといった肝心の内容でした(松本清張氏が、飛鳥の謎石群をゾロアスターの影響下にあるブツである的な説を唱えられたとかも紹介)。
また、直接は関係ないのですが「アレクサンダー大王は日本を目指した!」的な特集回にも東方遠征を通じてゾロアスター教がアジアへと波及したという内容があり、これは秦の始皇帝とその命を受けた徐福により日本へ線が引かれるという推測になっていました。
またまた、たまたま図書館で「新羅に花開いたペルシア風文化」といった、うろ覚えですがそんな感じの表題の本が目に入り、なかなか難しい内容でついていけないのですが、パラパラと読んでみたりもしました。
結論からいうとゾロアスター教はやっぱり、かなり古代日本に影響を与えたのではないか、と思うに至りました。
新羅というと秦氏が渡来してきた国でもありますし。
てるてる様
コメントと研究成果のご紹介、どうもありがとうございました。
ムーが100冊もある古本屋さんがあるんですか?!
わたしも行ってみたいです~。
ゾロアスター教が日本に来ていたかどうかは、とても興味深いテーマですよね。
徐福も、秦氏も、すごく興味深いですね。
ご紹介くださった松本清張さんの古代史の研究ですが、、
ゾロアスター教を扱った「火の路」という小説を書かれているらしいので、読んでみようと思っていました。
ウィキペディアの「火の路」によりますと、、
「ペルシア人・ゾロアスター教徒の飛鳥時代伝来説を描き話題を呼んだ、著者の古代史ミステリーの代表的長編。
革命前、パフラヴィー朝末期のイランが重要な舞台となっている。」
ということです。
同じ項目に、「火の路」に影響を受けたと思われる作品として、手塚治虫の「三つ目が通る」が紹介されていました。
こちらも面白そうだと思いました。
ウィキペディアの「三つ目が通る」を見たら、こんなマンガのようです。
「古代の人類「三つ目族」の末裔で自称「悪魔のプリンス」写楽保介(しゃらく ほうすけ)が、親友の和登千代子(わと ちよこ)と共に、様々な事件に遭遇し、解決していく伝奇SF漫画。
超古代文明など1970年代のオカルトブームが反映されている。
またストーリーの魅力として、古代遺跡に手塚独自の解釈があてられていることが挙げられ、例えば酒船石は古代人が奴隷を服従させるための薬の精製器具であるとしている(「酒船石奇談」)。」
いろいろと、興味がつきませんね。
古本屋は京都の京阪三条駅ビルにあるブックオフの2階です。大げさでなく100冊近くはあったと思います。マニアが一挙に売り払ったのか、ほとんど105円で出てました。
>「火の路」
松本清張氏の作品はTVのドラマでたまに見たりするのですが、実際本は読んだことなかったので「火の路」は興味もそそられますし、是非読んでみたいと思います。
「三つ目がとおる」は手塚治虫全集みたいなシリーズで4巻まで家にあり、確か読んだはずなのですが、残念ながら内容をまったく覚えてないです・・・。確か「火の鳥」とか「ブッダ」にハマって一連の手塚作品を読みまくってた頃だと思うんですが、何となく子供向けっぽかったので読み流してたのかも。
改めて読みなおしてみたいです。
個人的に、日本の古代秘史を扱った漫画ですと、星野之宣先生の「宗像教授」シリーズがものすごく面白かったです。邪馬台国をテーマとした「ヤマタイカ」など、興味深い作品をいっぱい描かれておられます。とにかく発想がスペクタクルで、それでいて構成が緻密でなおかつ絵がもの凄く巧いとあり、もう完璧に近い漫画家さんだと思ってます。
最近読みだしてハマっています。
ちなみに、これらの本もムーを買ったのと同じブックオフで発見しました(^^
てるてる様
コメントと情報、ありがとうございました。
宗像教授シリーズ、、どこかで聞いたような。。
今度探して読んでみたいです。
ゾロアスターはなかなか大物で、調べるのが楽しいです。
日本人にとっては、東大寺の大仏みたいな、大きくて美しくて頼もしい存在なのではないでしょうか?
太陽も、火も、人類にとっては根源的な要素ですから、「いつも心に太陽を♪」ではありませんが、人類は本能的に、自分たちにとって大切なものを選び取っていたのではないでしょうか?
古代日本人の感性が、それを感受していたことは、充分予測できる気がしますね。
火と太陽と人についての考察は、蒼古への追憶とともにさまざまな情景が浮かび興味が尽きないです。
ゾロアスター教は、ネットで調べてもほとんど輪郭さえ掴めなかったくらいなので、大変さも多いと思われますが、本当に貴重な情報をありがたく感謝しています<(_ _)>
こんばんは。
コメントどうもありがとうございました。
ゾロアスター教の東進については、わたしも非常に興味を持っていますので、
ブログカテゴリー「弥勒」や、またブログ内検索で「ミトラ」「ミトラス」「牛頭」(ごず)、などで相当する記事を、いろいろと書いておりますので、よかったらお読みいただければ幸いです。
なお、ゾロアスター関連の記事は、しばらく続けて投稿する予定です。
リンゴ、ごちそうさまです。
しかし 私がいただくのも 妙です、(笑)
わたしから 箱入りのリンゴを、(お送りしました、元気になってください。気持ちを受け取ってください・ね。)
マニ・ゾロアスター こちらのカテゴリーに 挑戦してみようかと 思います。と ご報告ですので 返信は心配なさらないでください。
この記事でご報告したのは、
ベラさんの言葉 「ホピの神話にも出てくるし・・・」
から、最後の部分
〝地球を支える双子〟は 共に衰弱し切っているのである。
興味を持ちましたので、挑戦してみようと、決めました。一年かけて・・くらいのペースだと思います。
(前回のこめんとの返信も 一年かけて・・でよろしいかと思います。笑)
かぜは 万病の元と 言われておりますから、
しっかりと 治癒され、体力をつけてください。
では また。
おひさしぶりです。
コメントのお返事を書くのが、すっかり遅くなってしまい、申しわけありません。
忘れていたわけではなくて、いつも覚えていたのですが、失礼いたしました。
ゾロアスター教って、とてもまじめで、わたしは好きです。
今の世の中のように、複雑で、いろいろな人がいろいろなことを言ったりしたりしていると、善という大きなものが見えなくなりがちになるように思えます。
シンプルに考えれば当たり前のことも、世の中がやたら複雑で、人類全体の勘が悪くなってるのかな、などとも思います。
禅宗で、座禅の心得で、「起きて半畳、寝て一畳」と聞いたように思います。
一生をかけて、どんなにたくさんの財宝を集めたとしても、死ぬときはなにも持っていけないのですから、欲張りにならず、身の程にあった暮らしに感謝してすごすのが一番、と思うこのごろです。
つわぶき様も、どうぞお元気でおすごしくださいませ。
新しい方のコメントにも、お返事させていただきますね。