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「蛇と十字架」(2)・・卍、あるいは十字架の起源

2013-06-15 | 古代キリスト教



引き続き、安田喜憲氏の「蛇と十字架」という本のご紹介をさせていただきます。

安田氏は、ヨーロッパの古い姿に思いをはせておられます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

       
           *****


         (引用ここから)


紀元前7世紀ごろから、イタリア地方では都市国家エトルリアが大発展した。

ちょうどバルカン半島では、ギリシアが文明の発展期に入る頃であり、フェニキアが植民都市カルタゴを建設する頃にあたっていた。

エトルリアはイタリア半島南部に植民してきたギリシアと戦ったり、カルタゴと同盟を結んだりしながら、独自の文明を発展させた。


そのエトルリアの遺跡から出土した遺物を展示するローマの博物館で、私は不思議な壺をみつけた。


それは高さ60センチメートル前後の壺であった。

解説には「墓地から出土した紀元前9~7世紀の骨壺」と書かれていた。

骨壺は円錐形をして、家型の蓋がついているものが多かった。


わたしを引き付けたのは、その骨壺に描かれた文様であった。

はっきりと「蛇」を描いたもの、

2匹の「蛇」が交合している波状の文様をほどこしたもの、

さらにそれが幾何学的文様に発展した「卍」の連続文様、

そして、「卍」を一個描いたものなどがあった。


遺跡から出土した紀元前630年ごろの壺には、壺の口に2匹の「蛇」が交合する波状紋様が、

壺の中央には、鳥と聖なる木が、

そして壺の下部には、幾何学的な「卍」の連続紋が描かれていた。


大半の黒色の骨壺には、「卍」が描かれていた。

そしていくつもの「卍」が、星のような点で結ばれているものもあった。


この「卍」は、いったい何を意味するのであろうか?


エトルリアの人々も、また同盟関係にあったカルタゴの人々も、霊魂不滅の信仰をもっていた。

火葬された死体は灰にいたるまで集められ、骨壺に入れられた。

この時代、カルタゴでは人間の犠牲、とりわけ小児の犠牲がおこなわれていた。

おそらくこのエトルリアでも、小さな骨壺の中には犠牲に捧げられた小児の骨と灰が入れられていたものがあるのであろう。

そんな骨壺に、「蛇」が描かれている。


「蛇」を具象的に描いたものから、抽象的なものまで、すべて描かれた文様は「蛇」を連想させるものであった。

2匹の交合した「蛇」が波状の連続紋となり、そして幾何学的な「卍」の連続紋となり、そして最後に単独の「卍」となる。

少なくともエトルリアの骨壺に描かれた「卍」の文様は2匹の交合する「蛇」を抽象化したものに違いなかった。


またバチカン博物館には、「卍」と「X」が描いてある骨壺もあった。

「X」もまた、「卍」と同じく2匹の交合する「蛇」を抽象化したものに間違いないであろう。


そして「X」は、十字架の起源であるとも言われている。



十字架の起源を辿った時、古代地中海世界において、十字架は私たちが現在思い描くような「聖なるもの」ではなく、もっとドロドロした多神教的な性格が強いものであったのではないだろうか?

キリスト教もその起源においては、多神教的な世界から出発しているのである。

イエスキリストは、奴隷を処刑する時にしか使用しない十字架にかけられた。

そのことは十字架の起源が、元々はこうした多神教的な世界に出発していることと関わっているのではなかろうか?


しかしその十字架にイエスキリストがかけられ、処刑されたことで、十字架は人類を救済するシンボルとなった。

キリスト教は十字架を背負って誕生した。

それは多神教の世界を背負って誕生したことを意味するのではないだろうか?


イエス・キリストが本当に愛したのはパウロではなく、マリア崇拝をおこしたヨハネではなかったか?

そしてイエスは田園と自然を愛し、人を愛したのではないだろうか?

イエスのシンボルは、「X」印にPを付加したものであった。


マリア崇拝が、大地母神信仰の系譜を受け継いだ性格を強く持っていることは多く指摘されている。

キリスト教もまた大地母神の信仰から完全に自由ではないのである。


              (引用ここまで)


                 *****


壺に描かれた図形から、蛇と卍と十字架とキリスト教を一気に結び付けるのは、相当な気合が必要であろうと思いますが、とにかく著者は、そのインスピレーションに導かれて、一気に駆け抜けていくのでした。

狐ツキの人がいるように、蛇ツキの人も古来、古今東西に存在したのだと思います。

蛇については、重大な問題が存在すると思いますので、今後とも考えてゆきたいと思っております。



Wikipedia「エトルリア」より


エトルリアは、紀元前8世紀から紀元前1世紀ごろにイタリア半島中部にあった都市国家群。ギリシャ語ではティレニア 。

各都市国家は宗教・言語などの面で共通点があり、統一国家を形成することはなかったものの、12都市連盟と呼ばれ、ゆるやかな連合を形成し、祭司・軍事で協力することもあった。

古代ギリシアとは異なる独自の文化を持っていた。

当時としては高い建築技術を持ち、その技術は都市国家ローマの建設にも活かされた。

王政ローマの7人の王の最後の3人はエトルリア系である。

鉄を輸出し古代ギリシアの国家と貿易を行っていた。

夫婦と思われる男女の横たわる石像が残っており、男女平等の考えを持つ稀な民族だった。

ヘロドトスによれば、エトルリア人は小アジアのリディアからこの地にやってきたと言う。

一方、ハリカルナッソスのディオニュシオスは、エトルリア人はイタリア古来の民族だと述べている。

現在の調査では正式には、エトルリア人が小アジアの出自である事を直接結び付ける証拠はない。

しかしながら、ある調査ではエーゲ海のレムノス島では紀元前6世紀までインド・ヨーロッパ語ではない民族が居住していた跡が見られ、その民族の言語がエトルリア人と似ている事が指摘されている。

また、エトルリア人は海を往来する民族でもあり、古代地中海世界の至る所からその存在が記述されている。

一説には古代エジプト第20王朝に記述のある「海の民」はエトルリア人ではなかったかとも言われている。


エトルリア人について残る最も古い記述は、ヘシオドスの著した『神統記』の中に「ティレニア海の輝けるすべての民」として、イタリアにおける非ギリシア民を含む意味合いで言及されている。

ヘシオドスは彼の著作を紀元前7世紀初め頃に記しているが、この時期(紀元前690年 - 680年)の最も古いエトルリアの碑文に、すでにアルファベットの使用が認められ、これはエトルリア商人が商業地であるクマ(現ナポリ)でギリシア人との交易から、少なくともこれより70年前に学んだものであることは確実である。

エトルリアは、紀元前10世紀頃から花開いたヴィッラノーヴァ文明に端を発する。

可能性として、すでにこの半島の各地にそれぞれ異なる文化圏の形成があったと考えられ、これがかのヴィッラノーヴァ文明にほかならない。

紀元前4世紀、ローマの勢力が強くなると、周縁の都市から順に少しずつローマに併合され、最終的には完全にローマに同化した。

紀元前87年ユーリウス法で、エトルリア人もローマ市民権を得ている。


エトルリア人は独自のエトルリア語を使っていた。

エトルリア語はアルファベットで記述されているので文字を読むことはできるが、意味はすべては解読されていない。

エトルリア人はインド・ヨーロッパ語に関連する言語は話していなかったと考えられている。

最近の研究では、エトルリア社会ではエトルリア語とフェニキア語の2言語が日常的に使われていた事がわかっているが、未だ解明からは程遠い。


ヴィッラノーヴァ時代

「ヴィッラノヴィアーノ」という名は、1850年に、考古学愛好家であるジョヴァンニ・ゴッツァディーニ伯爵が、非常に変わった特徴を持つ共同墓地を発見したボローニャ郊外の小さな町ヴィッラノーヴァ(現在のカステナーゾの一地区)に由来する。

埋葬の特徴というのは、円錐を2つ合わせた形の骨壺(死者の遺品を納める)で、椀形の蓋をもち、大きな石のプレートで囲まれた空間に置かれていた。

研究者たちは、この文化の“準備期間”にあたるものが青銅器時代末期(紀元前12 - 10世紀)のマントヴァ、ウンブリア、トスカーナ、カンパーニア、シチリア、リーパリ島に見られるとしている。

ここにはすでに、のちのヴィッラノーヴァ文化で導入されるすべての要素の前触れがある。

それらは南イタリアの国々では、早くに現れたギリシア植民都市建設(紀元前8世紀)の影響のために、それ以上発展することはなかった。

頻繁に見られる要素の1つとして、遺灰(火葬)を納めるための骨壺がある。

多くのタイプがあり、精密な装飾が施されたものも多い。

直線や分割、刻印、幾何学的模様によって芸術的効果が加えられたが、使われた粘土は粗いものだった。

兵士の埋葬の場合は、円錐を2つ合わせた形の骨壺に銅製の兜で蓋がされた。

この習慣が伝わったラツィオでは、遺灰を両円錐型の壷ではなく、羊飼いの小屋の形をした壷に納めることがあった。



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