始まりに向かって

ホピ・インディアンの思想を中心に、宗教・心理・超心理・民俗・精神世界あれこれ探索しています。ご訪問ありがとうございます。

なぜホピは壮麗な集落を捨てて旅を続けたのだろうか?

2008-12-24 | ホピ族

30人の長老たちが語った「ホピ・宇宙からの聖書」によると、4番目の世界にやってきた人々は、神様の指示の下、幾何学模様を描きつつ、アメリカ大陸の大移動を始めました。
以下に抜粋を載せてみます。


     *****


かくして、人々は高い山を登って移民を開始した。(略)

星は北へ北へと彼らを導き、ついに雪と氷に閉ざされた土地に辿り着いた。
夜間、彼らは雪の中に穴を掘って住居とし、熱の力を呼び起こして体を温めた。

水用にはいつも持ち歩いていた水瓶を使った。
これを埋めると、かつて砂漠を歩いたときと同じようにやはり泉は噴き出た。

また、小さな土の器もあった。
この中にトウモロコシとメロンの種をまき、そこに歌いかけると、みるみる種は草に育ち、トウモロコシとメロンを実らせた。

この新しい第四の世界の上で、まだ彼らは原始の純粋さを保っていたため、このような力が出せたのである。
(略)
西に向かった人々は、東と西の境となっている山脈を横切った。
これは大陸の軸であり、地軸の端にいる双児神はこれに沿って振動を送り出す。

人々は今やカトヤの守護の下に入り、西の海辺に出る。
そこからまた東にターンし、山脈を横切った。

ある乾燥した高原の上空で導きの星が大きな円を描き始めると、彼らは移動のペースを落とし始め、ニューメキシコ北西部のチャコ・キャニオンで停止した。


     *****


彼らは小さな部族ごとに分かれて、それぞれが東西南北の卍を描く移動を実行しました。

ある部族が立ち止まったというこの場所は、メキシコ北部の古代文明の中で最も優れた遺物を残しているといわれる所です。

何百という遺跡が残され、五階建ての800以上もの部屋があり1200人ほど収容できるマンションのような建物も残されているということです。

しかしこういった幾多の住みかをあとにして、彼らは北また南と何百年もアメリカ大陸上を移動し続けたのでした。

著者は問いかけています。


     *****


「ホピ族は12世紀初めに今の故郷に辿り着き、のちに周辺のプエブロを捨てた部族が次々と入植してきたと考えられる。

マヤ・トルテカ・アステカの壮麗なるピラミッド神殿複合体、カサ・グランデやチャコ・キャニオンの大建造物など、幾世紀もの感動を呼び起こす前例があった。

ホピが最終的に永住の地に辿りついたとき、どうしてかつてのような大都市を築かなかったのだろう?
それどころか彼らは、当初からこれら離れ離れのメサの上に小村落の集まりしか作らなかったのだ。

なぜホピ族は、かつてのような一大宗教・文化センターを築かなかったのだろうか?」


    *****


著者は次のように考えます。


    *****


「仮に気候がもっと恵まれていたとしても、彼らは諸部族とかつての文化のパターンを再統一することはなかっただろう。

彼らはきわめて宗教色の強い、平和を確信している民族であり、どのような世俗的支配にも反感を起こしたからである。(略)

ある部族の地位とその所有地の相対的な価値は、四方向への移動をどの程度成功させたか、またどのような儀式を所有しているかといった宗教的な基盤にかかっている。

ホピが理想としている前提は、宇宙の中心である永遠の故郷で結束し、創造の普遍的な形を固めることにある。

ホピは世俗的な生き方が、宗教的なそれ~創造の普遍的計画~の上に構築されなければならないという信仰に決してつまづくことはなかった。」

    *****



つまり、マヤ・アステカ族と血を分けるホピの人々は、神殿やピラミッドや大きな住宅といったものを作ろうと思えばできたのですが、作ることを放棄したのです。

文明社会から見れば、逆行しているように見えるこの動きこそが、ホピをホピたらしめているもののように思います。




Wiki「メサ・ヴェルデ」より

概要
1世紀ごろから、この地に農耕民であるアナサジ族が住み始めたと推測されている。
アナサジ族は、8世紀ころまでバスケット・メーカー文化と呼ばれる独特なかご作りで知られる文化を築いていたが、9世紀ころからキヴァという儀式を行う施設を伴う日干し煉瓦の壁によって区画された集落遺跡を築くようになる。

これをプエブロ文化と呼び、 12世紀頃になると、外敵の襲来に備えた、本格的な「岩窟住居」を作り、そこに住み始めたと考えられている。
同時期の遺跡としては、ニュー・メキシコ州北西部の半円形の壮大なプエブロ・ボニート遺跡を中心とするチャコ・キャニオンの遺跡群が知られている。

その他にも、ユタ、コロラド、アリゾナ、ニュー・メキシコ4州の州境が1点に集まるフォー・コーナーズ周辺にはコロラド州のメサ・ヴェルデをはじめとして、アリゾナ州のキャニオン・デ・シェイ、ユタ州のホヴンウィープなど数多くの遺跡群が見られる。
ユタ州側にあるホヴンウィープ国定公園の遺跡群は極浅い谷あるいは涸れ沢の縁の平地に散在する形をとる。
メサ・ヴェルデの住居遺跡がメサ上に少ないのは保安のための他に農耕に適したメサ(台地)上を農耕に優先したとのこともある。

アナサジ族のこのような日干し煉瓦による壮大な建物が建てられた時期はプエブロIII期と呼ばれる。
14世紀になると、とつぜん放棄されたと推測されており、謎となっている。

なお、アナサジとは、アナサジ族が消滅もしくは移住した後に同地域に流入し、現在も居住する先住民であるナバホ族の言葉で「古(いにしえ)の敵」あるいは「古の人々」を意味するが、現在は「先プエブロ[3]」を意味する英語の "the Ancestral Puebloan" という表現を使う方向にある。

クリフ・パレスといわれる「岩窟住居」による集落が公園内最大の遺跡である。
200室ほどあり、一番高いところの高さは、4階建て相当にもなる。さながら高級マンションのようでもある。クリフ・パレス、ロング・ハウスなど主要な遺跡コンプレックスへの立入りは公園レンジャーの引率によるツアー(有料)のみで許されている。
シーズン中は混雑するので朝一番にビジター・センターで申し込む必要がある。
ニューメキシコ州とコロラド州に住むプエブロ族は、現在もこのような巨大集団住居からなる大集落を有している。
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