弥勒の下生について、学研「ム―」ならこう解く、、という話です。
「ム―謎シリーズ・大予言・・人類は2050年を超えられるか?」から引用します。
いままで紹介してきた「未来に出現する弥勒」「弥勒下生経」「法滅尽」といった言葉を使って、学研「ム―」らしい解釈がなされています。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
*****
(引用ここから)
「釈迦の仏典予言」
末法の世は、世界の終わりである。
これまでは一般にそう信じられてきた。
しかし実はそうではない。
釈迦は末法の次に、本当のおわり「法滅尽」の時代が来ると予言している。
法が滅する時代、つまり最後の最後まで残っていた釈迦の教え(法)までもが消えてしまう時代のことだ。
釈迦はこの法が滅していく恐ろしい時代の様子を弟子たちに説いた。
それが究極の大予言「法滅尽経」である。
末法は1万年続くという。
釈迦の入滅時から計算すると、末法の始まりは10世紀なので、釈迦のいう「法滅尽」は遠い未来のことになる。
しかし「法滅尽経」の中には、現代の世界の有様と驚くほど奇妙に符合する予言がいくつも語られている。
はたして末法1万年とは文字通り1万年なのか?
仏教はしばしば大きな数を表現するために万や億が象徴的に用いられてきた。
つまり予言の内容を見定めるほうが重要である。
内容を見れば、「法滅尽の世」はすでに到来している可能性が高い。
・・・・・
法が滅しようとするとき、五逆の罪を犯す者が多く現れ、世が濁り、魔道が起こり、盛んになるだろう。
仏法が滅びようとする時、天の神は嘆き悲しむ。
大洪水、大干ばつなどの異常気象が起こり、五穀は実をつけなくなる。
伝染病が蔓延して、多くの人々がもだえ苦しみながら死んでいくだろう。
世の終わりには、太陽と月の現れる時間が短くなり、大洪水がにわかに起こって長期にわたる。
世間の人達は、今の世がいつまでも続くものと思って、私の言葉を信じないだろうが、その時には貴賎貧富を問わず、多くの人達が洪水のためにおぼれ死に、水に漂っては魚の餌食になるだろう。
・・・・・
このように釈迦は「月蔵経」「法滅尽経」として、恐るべき終末の世界を描写した。
しかし同時に人類に救いの道も残している。
釈迦によれば、「末法の世」を過ぎると「滅法の世」に入るが、やがて救世主が現れて仏教を再興し、正法の世に戻すというのだ。
その救世主が弥勒菩薩(マイトレーヤ=ブッダ)であるという。
・・・・・
後になり、乱れた世の中に沈まず、すべての人々に憐れみの心をもつ者が出るだろう。
そのような者は皆、菩薩である。
乱れた世の中にあるとはいえ、彼ら「真人」はところどころで人々を導くだろう。
「決罪福経」より
・・・・・
釈迦の予言によれば、ミロクが降臨して世界は救われる。
だがその救済はいつごろおこなわれるのか?
それが問題だ。
古来ミロクの降臨は56億7千万年後と言われてきた。
しかしこれも遠い未来という象徴的な数字だと思える。
というのも、「ミロク下生成仏経」に記されている“弥勒降臨の時代の様子”がどうも変なのだ。
それによれば、ミロクが降臨する世界は
“鏡を磨いたように平坦で、汚物は自動的に処理され、常に清潔さが保たれている”という。
また“人々は食べ物に困らず、物質的に恵まれており、病気は駆逐されて心身ともに健康で幸福に暮らしている”、とも述べられている。
ここで描かれている社会を、われわれはどこかで目にしたことはないだろうか?
そう、これは現代の先進国だ。
道路は舗装され、高層ビルが立ち並び、衛生管理の行き届いた空間で快適に暮らしている。
また「弥勒来時経」にはこんな予言も残されている。
・・・・・
ただし、人々には3つの病いがある。
一つは激しい物欲、二つ目は飢餓、三つめは老いである。
・・・・・
先の予言にこの予言を重ね合わせると、まさに地球の現状をあぶりだしているとは言えないだろうか?
先進国がとめどない消費を謳歌している陰で、環境は悪化し、途上国では飢えが広がる。
高齢化社会は人類共通の課題となりつつあるし、欲に駆られた争いは留まるところを知らない。
ミロクが降臨するのはそんな時代だというのだ。
ならば、それはまさに今ではないか?
そう、弥勒は遠からず降誕するだろう。
しかしその平和の時代も永久には続かない。
弥勒の残した教えもいつかは滅び、また遠い未来、「法滅尽」の時代を迎える。
歴史はそのように輪廻する。
キリスト教の預言と違い、世界は何度も再生と破壊を繰り返す。
それが仏教の歴史観であり、釈迦の予言が意図するところなのだ。
(引用ここまで)
*****
「ム―」の筆者は、「弥勒下生経」に描かれている
「弥勒降臨の時代の様子がどうも変なのだ」と言っています。
「弥勒下生経」にある“弥勒がこの世に生まれる時”の“この世”の描写は、実は現代世界の都市文明を指しているのではないか、と言うのです。
だから、弥勒がやってくるのは、他でもない「今」なのだ、と結論しています。
仏教の解説書では出会うことのない、ひとつの感性であろうと思います。
この「ム―謎シリーズ・大予言・・人類は2050年を超えられるか?」には、「ホピの予言」も載っています。
ホピの語る“世界の終わり”と、ミロクの語る“世界の終わり”が、並んで、共に示しているのは、現代社会の不自然さ、不気味さであり、それを超克してなお展開しようとする宇宙の力強いエネルギーを直感している人類の姿ではないかと思います。
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マイトレーヤ 4件
環境 15件
など、あります。(重複しています。検索結果は15件がマックスのようです。)
写真の「学研ム―」誌の表紙はこの特集号ではありません。
「ム―謎シリーズ・大予言・・人類は2050年を超えられるか?」から引用します。
いままで紹介してきた「未来に出現する弥勒」「弥勒下生経」「法滅尽」といった言葉を使って、学研「ム―」らしい解釈がなされています。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
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(引用ここから)
「釈迦の仏典予言」
末法の世は、世界の終わりである。
これまでは一般にそう信じられてきた。
しかし実はそうではない。
釈迦は末法の次に、本当のおわり「法滅尽」の時代が来ると予言している。
法が滅する時代、つまり最後の最後まで残っていた釈迦の教え(法)までもが消えてしまう時代のことだ。
釈迦はこの法が滅していく恐ろしい時代の様子を弟子たちに説いた。
それが究極の大予言「法滅尽経」である。
末法は1万年続くという。
釈迦の入滅時から計算すると、末法の始まりは10世紀なので、釈迦のいう「法滅尽」は遠い未来のことになる。
しかし「法滅尽経」の中には、現代の世界の有様と驚くほど奇妙に符合する予言がいくつも語られている。
はたして末法1万年とは文字通り1万年なのか?
仏教はしばしば大きな数を表現するために万や億が象徴的に用いられてきた。
つまり予言の内容を見定めるほうが重要である。
内容を見れば、「法滅尽の世」はすでに到来している可能性が高い。
・・・・・
法が滅しようとするとき、五逆の罪を犯す者が多く現れ、世が濁り、魔道が起こり、盛んになるだろう。
仏法が滅びようとする時、天の神は嘆き悲しむ。
大洪水、大干ばつなどの異常気象が起こり、五穀は実をつけなくなる。
伝染病が蔓延して、多くの人々がもだえ苦しみながら死んでいくだろう。
世の終わりには、太陽と月の現れる時間が短くなり、大洪水がにわかに起こって長期にわたる。
世間の人達は、今の世がいつまでも続くものと思って、私の言葉を信じないだろうが、その時には貴賎貧富を問わず、多くの人達が洪水のためにおぼれ死に、水に漂っては魚の餌食になるだろう。
・・・・・
このように釈迦は「月蔵経」「法滅尽経」として、恐るべき終末の世界を描写した。
しかし同時に人類に救いの道も残している。
釈迦によれば、「末法の世」を過ぎると「滅法の世」に入るが、やがて救世主が現れて仏教を再興し、正法の世に戻すというのだ。
その救世主が弥勒菩薩(マイトレーヤ=ブッダ)であるという。
・・・・・
後になり、乱れた世の中に沈まず、すべての人々に憐れみの心をもつ者が出るだろう。
そのような者は皆、菩薩である。
乱れた世の中にあるとはいえ、彼ら「真人」はところどころで人々を導くだろう。
「決罪福経」より
・・・・・
釈迦の予言によれば、ミロクが降臨して世界は救われる。
だがその救済はいつごろおこなわれるのか?
それが問題だ。
古来ミロクの降臨は56億7千万年後と言われてきた。
しかしこれも遠い未来という象徴的な数字だと思える。
というのも、「ミロク下生成仏経」に記されている“弥勒降臨の時代の様子”がどうも変なのだ。
それによれば、ミロクが降臨する世界は
“鏡を磨いたように平坦で、汚物は自動的に処理され、常に清潔さが保たれている”という。
また“人々は食べ物に困らず、物質的に恵まれており、病気は駆逐されて心身ともに健康で幸福に暮らしている”、とも述べられている。
ここで描かれている社会を、われわれはどこかで目にしたことはないだろうか?
そう、これは現代の先進国だ。
道路は舗装され、高層ビルが立ち並び、衛生管理の行き届いた空間で快適に暮らしている。
また「弥勒来時経」にはこんな予言も残されている。
・・・・・
ただし、人々には3つの病いがある。
一つは激しい物欲、二つ目は飢餓、三つめは老いである。
・・・・・
先の予言にこの予言を重ね合わせると、まさに地球の現状をあぶりだしているとは言えないだろうか?
先進国がとめどない消費を謳歌している陰で、環境は悪化し、途上国では飢えが広がる。
高齢化社会は人類共通の課題となりつつあるし、欲に駆られた争いは留まるところを知らない。
ミロクが降臨するのはそんな時代だというのだ。
ならば、それはまさに今ではないか?
そう、弥勒は遠からず降誕するだろう。
しかしその平和の時代も永久には続かない。
弥勒の残した教えもいつかは滅び、また遠い未来、「法滅尽」の時代を迎える。
歴史はそのように輪廻する。
キリスト教の預言と違い、世界は何度も再生と破壊を繰り返す。
それが仏教の歴史観であり、釈迦の予言が意図するところなのだ。
(引用ここまで)
*****
「ム―」の筆者は、「弥勒下生経」に描かれている
「弥勒降臨の時代の様子がどうも変なのだ」と言っています。
「弥勒下生経」にある“弥勒がこの世に生まれる時”の“この世”の描写は、実は現代世界の都市文明を指しているのではないか、と言うのです。
だから、弥勒がやってくるのは、他でもない「今」なのだ、と結論しています。
仏教の解説書では出会うことのない、ひとつの感性であろうと思います。
この「ム―謎シリーズ・大予言・・人類は2050年を超えられるか?」には、「ホピの予言」も載っています。
ホピの語る“世界の終わり”と、ミロクの語る“世界の終わり”が、並んで、共に示しているのは、現代社会の不自然さ、不気味さであり、それを超克してなお展開しようとする宇宙の力強いエネルギーを直感している人類の姿ではないかと思います。
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