くるちゃん

温泉旅行
時事漫歩
趣味悠々

人生激情2468(ああ・上野駅)

2017-02-13 08:11:02 | Weblog

 昨日書いたお札のはなしだが、
手元を離れた同じ番号の1万円円札が自分の手元に
戻るなんてことはあり得ないことだとを書いた。
例えば本屋さんで雑誌を買って、1万円払う。
その1万円は集金され他のお金と一緒に銀行に預金され、
また何処かの企業に貸し出され全国どこへゆくか判らない。
あるいは、今、外人客の観光ブームだから、どこかアジアの
国々に散らばって、また日本に戻ってくるのだろう。
そんなことを考えると、ときどき、手元の1万千札の番号を
記憶にとどめ、惜別の情をこめて手放すこともある。

 昭和の30年ごろ中学卒の子供たちが「金のたまご」と
もてはやされて、北海道の田舎から東京近辺の大企業に
就職していったことがあった。農家の子供たちは長男が
親の後を継ぎ、その下の子たちは仕方なくおだてられて
親元を離れ遠い、当時はとっても遠い感覚の東京や大阪
へいつ故郷に帰れるかわからない哀しい別れを経験していた。
僕の親しかった同級生の一人も泣きながら駅のホームで別れた
記憶をときどき思いだすことがある。あいつは、どんな人生を
送ったのだろうかなんて思う事がある。幸せにしてるなら
いいんだけどと思ったり、落伍してやしないかと思ったり。
井沢八郎の「ああ・上野駅」こそまさにそんな集団就職が
産んだ歌謡曲だった。あいつも、手元を離れていった、1万札
のようなもんだと思ったりして、感慨深くなるんだ。
 上の駅で降りた奴、どこでどうしているのやら。