くるちゃん

温泉旅行
時事漫歩
趣味悠々

人生激情851(消えちゃった)

2008-11-30 08:01:52 | Weblog
 美容院のことは知らないが、理容院の世界は過当競争が激しいらしい。
 正規の散髪料金だと3500円が相場だったが、今、1500円の店が出てきた。
理容組合に加入してないから、年中無休、安くて早くて、出来はまあまあ。
普通は一人の職人が一人の客のすべてを賄うのだが、ここでは流れ作業なのだ。
整髪する人、顔を剃る人、頭洗う人、ドライヤーでセットする人など別れている。
 ひと月に一度は行っていた床屋さんが先月の末で店をたたんで居なくなっていた。
 最近では客が減って手持ち無沙汰にしていたのが目立っていたが、だめだったか。
 どこへ行ってしまったのか、黙って消えたので消息はわからない。

 知り合いに印刷屋がいるが、最近は仕事が減ったといってボヤいている。
 パソコン時代になってからだ。今頃から始まる年賀葉書の需要がガタ落ちだ。
以前だと、印刷屋が年賀葉書を買いだめしておいたものだが、今ではそんなことは
できない。客の注文の見当も付かないからだ。
 これから開催するグループ展の案内葉書にしたって自分たちで作った。
 ポスターも仲間の一人が自作のものだ。
 以前だと印刷会社の手にかけるものが、ほとんど自分達でできる。
 印刷会社の廃業が多いと聞く。仕事がないからやっていけないのだ。
 写真だってそうだ。デジカメの時代になって現像の仕事が減った。
 近所の写真屋さんで安くて便利だったのにここも店をたたんで、携帯電話機の
店に変わってしまった。店番の可愛いおねえちゃんはどこへ行っただろうか。

人生激情850(宇宙の瞬き)

2008-11-28 06:42:17 | Weblog
「漣」グループの七人展開催まであと10日となった。
 すべて完成していつでも運び出せる人もいる。
 展示会前日まで作品の完成が厳しい人もいる。
 でも、全員が12月8日当日には揃うはずだ。
 準備は着々と整ってきた。

 みんなが、本当に好きなものを見つけたいのだ。
 自分にとって、本当に好きなものを見つけたいのだ。
 見つかったら、その大切なもののために努力してみるだけだ。
 みんなとならできることがわかっているのだ。

 かって、故松下幸之助が、
「もし、今の僕に若さを売ってくれたら、ポンと10億円出しますよ」
 と言っていたとか。
 人は富と権力を得たその先には、若さを欲するものなのだ。
しかし、老いても今の自分の立場に満足しているのであれば、若さなど買う
必要はないではないか。いみじくも、サムエル・ウルマンは言っている。
「青春とは人生のある期間をいうのではなく、心の様相をいう。
 何かに挑戦する気持ちさえあれば、それが青春なのだ」
 今、頑張れる環境や気持ちさえあればこれが青春なのではないか。
 今、7人の作品を持ち寄ることで力を得て、目標を目指してる事が
若さなのだと思う。考えてみるに、この悠久の宇宙からみると、60年、
70年などあっという間の、瞬きほどのことではないか。今日のこの一日を
有意義に楽しめれば、みんなに感謝し肯定して過ごすのも、捨てたものではない。
味わえば、味わうほど深いことを知ったのである。

人生激情849(温泉恋し)

2008-11-27 06:30:03 | Weblog
 毎日寒いですね。
 札幌はここ数日、日中でも氷点下の冷蔵庫の中にいる気分です。
 住宅街は圧雪状態でツルンコ、ツルンコ足元が滑るのです。
 気を付けても滑って、怪我人続出です。
「整形外科病院は、大入り満員だよ」
 病院帰りの友人が目の淵を黒くして言っておりました。
「気をつけても滑るけど、それでも気をつけようよ」
 その友人の手首の白い包帯が生々しく目に入ってきてました。

 寒い時は温泉が恋しくなります。あったかな湯と香が恋しくなります。
 温泉は和みます。温泉では人は穏やかになるのです。
 お風呂で人を怨んだり、憎んだりはしません。
 お風呂で強盗や殺人の計画を立てる人などいないのです。
 野猿も温泉では争いごとがないそうです。
 今度、7人の仲間で展覧会の打ち上げで温泉へ行くことで意見が決まりました。
それも混浴風呂がいいということになりました。湯気の中で、今までの思い出を
語り合い、これからの行く末を語り合おうというのです。これは、女性達が企画
をしていることです。男たちは意見を挟まず、素直に従うことにしているのです。
 

人生激情848(一病息災)

2008-11-26 05:54:08 | Weblog
 50代後半に一ヶ月に渡る入院生活を余儀なくされた。
それは健康に関しては絶対の自信を持っていた僕にとって不測の事態だった。
苦痛以外の何ものでもなかった。牢内生活はさもありなんと思わせるものであった。
自由とは表向きで、食事も起床も就寝もすべてが規則に縛られたものであった。
もう二度とこんな所へは来たくないと思ったものだった。

 健康は人間にとって、幸せな生活の源である。
 すべての幸福はここから出る。
健康でさえあれば、他の何はなくとも幸せに暮らせるものである。
 このことは、病気になったものなら誰でも納得できる真実である。
 だが、健康のためなら呑みたい酒も控えるのか。
 食いたいものも抑えるのか。吸いたい煙草もやめるのか。
 永遠の課題である。まさに、自己責任の事柄なのである。

 岸元首相の言に「健康の三原則」というのがある。
1、転ばぬように。ーーーー打ち所が悪ければ大事に至る。
2、風邪を引かぬこと。ーー万病の元である。
3、義理を欠くこと。ーーー勇気のいることである。ある義理は果たし、
  ある義理は欠くなら、人間性を疑われる。人は離れて行くだろう。
  さすがに、岸元首相はこの3の事柄だけは自ら度外視したということだった。

 年齢を重ねると持病の一つや二つは誰でも持っている。
 それこそは神の気遣いだと言う。だから、体をいたわり、無茶をしないからだ。
 それを一病息災という。持病の一つやふたつあったほうが長寿だということだ。
我が身に巣食った病と喧嘩するなということだ。病と仲良く付き合えということだ。
 大病を患っても明るく振舞ってる人を知ってるが、素晴らしく輝いて見えるのだ。

人生激情847(日本帰還)

2008-11-25 06:26:21 | Weblog
 昨夜は、広島市での歌謡チャリテイーショーがNHKテレビで放送された。
 歌の合間に若い特攻隊員の父母への別れの遺書が読み上げられ涙して、
太平洋戦争末期の騒乱と悲劇を思い出させられた。満州国は切迫を極めていた。
 昭和20年8月15日、天皇陛下の玉音放送が流れた。おばさんたちは
声を出して泣き、おじさん達はこぶしを握り締め嗚咽していた。5歳の僕は後ろ
に正座させられて、何か分らないが大変な事が起きてることを感じていた。
 あとで分ったことだが日本は戦争に負けて無条件降伏したのだった。
 昭和21年6月、満州から日本に夜逃げ同然に貨物船で引き揚げることとなる。

「ニッポンだ!」
 下関港に着いた途端、誰かが叫んだ。
 この時、命だけは助かったという喜びで船上の皆が歓喜した。
 上陸を前にして、港にはコレラが流行ってるので全員消毒するという。
 50人ぐらいが大きなボロ倉庫に入れられた。
 ボロ倉庫に入った全員が四つん這いにさせられて、大人も子供も男も女も、
みんな全裸になって、アメリカ軍から支給されたDDTで殺菌することになった。
 僕のすぐ前には美しい看護婦さんのお尻があった。真っ白なお尻がこっちを
向いたとたん、DDTのかたまりが天井から落ちてきた。看護婦さんの大理石のよう
なお尻がもうもうたる煙の中で、一瞬眩しく光ってすぐ見えなくなってしまった。
あの看護婦さんが生存してるなら80歳は越えてるだろう。この歌謡ショーをもし
日本のどこかで見ているなら、当時を思い出し涙ぐんでいるだろうと思っていた。

人生激情846(旨いチャーハン)

2008-11-24 06:21:48 | Weblog
「ありがとう」ってどんなことにでも言える孫が
宝物ののように思えてしまう。

「寒くなったから風邪には気をつけて」って言ってくれるのは
いくつになってもおふくろだけだろう。

 袋入れの菓子って衛生的なんだろうが、新鮮な感じはしないもんだ。

 猫はエサを呉れる人を知り、犬は家の中の力関係を分っている。

 旨いチャーハンを手早く出来る主婦って、何でも旨いと思えちゃう。

 リタイヤしたから、もう締めることもあるまいと思う古いネクタイを、
なぜか捨てられないで仕舞ってある。

「3連休をいかがお過ごしですか?」って言ってるテレビのアナウンサーは、
365連休の人のことなど考えに及んでいないんだ。

 ブログだと何でも書けると思っていたが、「口にするのは恥ずかしい、
文字にするのは難しい」ことって結構あることが分ったよ。

 一緒にいても、離れていても、もう二度と逢えなくても、それでもどこかで
ちゃんとつながっている。そんなヤツだから40年経った今年も年賀状を書く。

 死んだら「無」になるっていう考え方が正しいと思う。
「千の風」になって、その辺に漂っているなんて気色悪いよ。

 

  

 

人生激情845(ザンネン川柳)

2008-11-23 06:29:11 | Weblog
 頻繁、踏襲、未曾有などの漢字を読めなかった麻生総理には驚きだったが、
総理の専権事項である解散権もままならず、もともと低かった人気が低迷気味の
麻生総理を皮肉った川柳を北海道新聞の「どうしん川柳」に投稿した。
 政局も漢字も総理読み違い

 数日経って、「どうしん川柳」の選者から一報が届いた。
「前略、いつも<どうしん川柳>をご愛顧いただきましてありがとうございます。
 さて、ご投句の<政局も…>の句は2日遅れで江別の方の投句と同一句でして、
 今回は江別の方のを入選とした後でしたのでご承知おき戴きたく
 ご一報申し挙げます。今後ともよろしくお願い申し上げます。草々」
 昨日朝刊の川柳の欄のトップにその句が載っていた。
 こんな珍しい事があるものなのだ。我が目をこすった。一字一句と違わない。
 止む終えない。それでは、とリベンジのつもりで昨日三句投稿しておいた。
 さて、その結果や?一週間後のお楽しみ。
   今年また喪中はがきの数が増し
   出版が間近い総理の失言集
   オバマ癖 Yes We Can(やれる) 真似てみる



 

人生激情844(ロボレジ)

2008-11-22 06:47:46 | Weblog
 だからおじさんはスーパーで買い物をするのはイヤなのだ。
 豆腐一丁を抱えてレジに行くと、無表情な娘が待っていた。
「いらっしゃいませ。毎度ありがとうございます」
「……」
 返事の仕様がないから無言でいる。
 毎度なんか来ていない。たまたま立ち寄っただけなのだ。
「お買いあげはこれでございますか?」
「うん……」
 それに決まっている。見れば分りそうなものだ。
「158円でございます。カードは?」
「ない……」
「失礼致しました。42円のお釣りとレシートでございます」
「レシートはいらない。釣りだけでいい」
「はい、毎度ありがとうございました]
 豆腐一丁で何度も礼を言われる筋合いはない。
このカセットテープの巻き戻しのようなしゃべりがイヤなのだ。
もっと、血の通った人間らしいレジ係りはいないものか。

 いっそうのこと、ロボコップがいるなら、ロボレジだってできていい。
ロボレジ「いらっしやいませ」
俺「ああ……」
ロボレジ「あれ、お客様はいつぞやいらっしゃいましたね」
俺「そうかもしれないが、覚えてない」
ロボレジ「私のほうでは覚えております。今日は餃子三個お買い上げですね」
俺「三個だと文句あるの?」
ロボレジ「いいえ、とんでもありません。189円のお買い上げでございます」
俺「ああ、そう。ところで計算は間違っていないの?」
ロボレジ「なんともいえませんが、またおいで下さい」
俺「約束は出来ん」
ロボレジ「そう言わずに、また、お会いしたいのです」
俺「もの好きなロボットだ」

人生激情843(7分の1)

2008-11-21 06:41:38 | Weblog
 歌手の藤山一郎と画家の岡本太郎とは幼稚園時代から生涯に亘る親友だった
そうで、その二人の間のこんな会話を雑誌で見て、強く記憶に残っています。
岡本「お前の歌は面白くない」
藤山「お前の絵もわけが分らん」
岡本「お前に分ってたまるか」
藤山「俺の歌も分らなくていい」
 二人とも自分に自信があって言えることなのだと感じて、面白く思ったものです。

 歌でも絵画でも、あるいは陶芸でも見たり聞いたりするとき、人によって感じ方
が違います。良し悪し、好き嫌い、見る角度も違います。それは、人それぞれの
知識や、生活環境によって変わってきます。誰もが、その自分の感受性を信じて、
作品に接するはずです。見方、聞き方は自ずと違っているはずです。それでも、
他の人々の声に耳を傾ける余裕は当然必要となってきます。自分の見方と、他人の
意見と、両者とのきわどいバランス感覚が必要となってくるのです。でも、他人の
作品を理解できないことと、その作品の良し悪しは何ら関連性はないと思うのです。
 たとえば世界的に有名な「モナリザの微笑み」のどこがいいのかと、僕なんか
思っちゃいます。それよりも、山下清の繊細な貼り絵に感動するのです。
 要は自分の創作品のよき批評家は自分だと信じることだと思うのです。
それが、恥を忍んで臆面もなくグループ展に参加した理由かもしれません。
12月8日から始まる「漣」グループ展は、7人が寄り合ってこその一個の
創作物なのかもしれません。実はそれがみんなの願いだったのかもしれません。

人生激情842(哀愁)

2008-11-20 06:38:23 | Weblog
 多分「哀愁」という言葉に切ない思いを感じる人は古い世代なのでしょう。
それは、もうとっくに忘れ去られた言葉になってしまったのですから。
「哀愁列車」や「哀愁波止場」という歌が人びとの心をとらえたのは、もう何十年
も昔のことなのです。アメリカ映画の「哀愁」でビビアン・リーの美しい悲恋に
酔い焦がれたのも遠い遠いはるかな昔のことでした。当時の人達は悲しいときに
泣き、涙を流すことに素直でした。現代は喜びを表現することは上手ですが、
悲しみを隠そうとします。悲しむことを忘れた人間に、本当の喜びはないと思う
のです。深い悲しみに出逢った人、暗い谷間を覗いた人間こそが明るい希望と
出会えるのだと思うのです。ふと、こんなことを思ったのにはわけがありました。
 四十年来の千葉の友人から印刷された喪中葉書にボールペンで「俺は悲しいよ」
と書き添えてありました。大事なお母さんとの永遠の別れがあったのでした。
彼とは仕事で単身赴任時代、寝起きを共にして、以来気があっての仲でした。
母親思いの男で、よく電話をしてるのを見かけたり、自家製の漬物を送られて
喜んでいたのを思い出します。当然でしょうが、今悲しみの中にいるのでしょう。
「俺は悲しいよ」便りの中で素直に言ってくれた彼が微笑ましくさえ覚えました。
この悲しみに耐えて、乗り越えた時、笑顔で思い出話をできる日が来るのでしょう。
 彼と連絡を取るのはもう少し時間を置いてからと思ったのでした。

 きみこさま、昨日はやさしいコメントをありがとう。嬉しく読みました。