ニイハオ! 我的朋友!

中国留学生活を綴ったのがこのブログのはじまり
今は日々のこと旅のことなど徒然に・・
そして加わった乳がんカテ

今にいきているあの時の想い

2020-04-20 | ひきだし

12年前に書いたことが見つかった。。 「生きてれば」

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知り合いが三月いっぱいで仕事をやめることになった。
病気が、思うように良くならなかったらしい。
こころの病は、厄介だ。 
ゆっくり たっぷり 時間が必要。
良くなったみたいだからと、中途半端にまた無理すればぶり返しがくる。

エネルギーが切れたのなら、エネルギーがたまるまでゆっくり休めばいいよ。
自分を大事に。
充電できたら、また新しい生活だって、やりたいことだって、できるんだもの。
わたし自身、自分も通ってきた道だから これはちょっと自信を持って言えること。


ある日ふと聴こえてきた 槇原敬之の 「どんなときも。」
    どんなときもどんなときも 僕が僕らしくあるために
    「好きなものは好き!」 と言えるきもち 抱きしめてたい
    どんなときもどんなときも 迷い探し続ける日々が
    答えになること 僕は知ってるから

「好きなものは好き!」 と言えるきもち・・・     大事なんだね。


今から六年程前までのわたしは、少し人生を前のめり気味に生きていた。
あの時、病気(うつ病)にならなかったら、
そのまま つっぱしり人生を走り続けていたかもしれない。
いや、どこかでやっぱり 破綻しただろう。

病気は、、無理しすぎず 自分の気持(心からの声)に正直に 肩の力を抜いて、
もっと楽に生きられる生き方をアドバイスしてくれた。

伸ばしても 縮む余裕があることの大切さ。
引っ張りすぎれば 縮まなくなる。
それをそのまま引っ張り続けたら 終いには切れるだけのゴム紐のよう。

病気はまたわたしに 休息と今までの自分を深く振り返る機会をくれた。
こう思えるのも、あの凄くしんどかった時期が もうすっかり過去のものになったからだろう。


辛い日々を じっと縮こまってやり過ごしていた頃に読んだ本の中の 一冊に
(『不完全でいいじゃないか!』 伊波真理雄・石村博子共著 講談社)。
その中のこんな言葉が心をとらえた。   わたしもそうじゃないかって。

 「 わたしが成長過程で学ばなければいけないのは、次の三つのことだけです。
    (自分が) 好きなもの、嫌いなもの   
    (自分にとって) 意味があるもの、ないもの    
    (自分に) できること、できないこと                  」

“できない” と 認めたり 割り切ったりすることが わたしには結構難しいことだった。
“やればできるかも” と思ったり、やら “ねばならぬ” と 自分を追い込んだり・・
そんな状況でやってみたら、できることも結構あるものだった。
しかしできたと言っても、そうするためには100%以上の力を絶え間なく
注いでいないといけなかった気がする。

通院した時、ドクターにいわれた最初の言葉。 
「あなたの病気は、がんばり病です。 もうがんばらなくていいんですよ。」 
すごくほっとして、すごく楽になれた気がした。
また、「休む事は、サボる事ではないんですよ。
サボると言うと、何か後ろめたい気持ちが出てきて、また辛くなるでしょう。」 って。

そしてわたしも言われた。 
「あなたは今、エネルギーが切れた状態なのだから、エネルギーがたまるまで、
ゆっくり休めばいいんです。 自分を大事にしてくださいね。」 と。

自分を大事にする?    改めて考えた。  
そして、「随分がんばってきたよね、わたし!」 と、こころの傷にも手を当てながら
自分を純粋に誉めた。

病気がマイナスかプラスかと言えば、マイナスなのかもしれない。 
でも、考えようによっては とても大事な気付きをプレゼントしてくれることがある。
どんな病気もそうじゃないだろうか。
病気になると “何気ない普通の生活” がどれ程最高に幸せかということも見えてくる。

 たとえば、、朝起きれること・・
 たとえば、、夜布団に入ったらそのままゆっくり眠れること・・
 食べれることも そう。
こんなことが当たり前にできるということが、本当は すごく幸せ なんだってこと。

    自分の人生 大事にね。
    新しいスタートは、いつからだって始められるよ。 

ひとつの決断をした彼女に、こんな言葉をおくりたいと思っている。

 


古い話だけれど 

2019-03-27 | ひきだし

中三の担任、40代の女性教師だった。

あるクラスメートがなにかの件で怒られた時のこと。

先生はエキサイトしていた。

そして、突然

「家に父親のいないもの 立ちなさい!」と言った。

なんだろ?、、と思いながら、わたしも立った。

当時、父は居たりいなかったりで丁度居ない時だったから。

 

わたしの他にも何人か立った。

怒られていた子も立った。

 

そしたらその先生、「ほら見てごらん! ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○ 」

要は父親のいないやつにろくなものはいない・・ というようなことを言ってきた。


自分なりに突っ張って、頑張っていたわたしは凄く悔しかったし、腹立たしかった。

一緒に立った級友を見て、その先生に益々腹が立った。

父親がいないことで、寂しいとか辛いとか、そんな事を抱えながらも

この人たち頑張っているんじゃない! って。


表だった反発はしなかった。

その代わり、目の前のその人を、人として軽蔑した。

中学生のわたしは、心底、とことん軽蔑した。 

わたしたちと同じ年の息子がいる人だった。


それから10年後に開かれた同窓会。 25歳

挨拶することもなかった。


さて今 なら・・・  

わたしもおとなになったから、言葉はかけるかな。

でも、どうかな。

付き合わなくていいと思う人とは、付き合うのやめている。

無理してまで付き合う必要性を感じないからだ。

嫌いな人は、やっぱり嫌い。 ・・・ これがはっきりしてきたと思う。




YNさんからのメール

2019-03-27 | ひきだし

うつ病と診断されて一年後に届いた、救われたメール         

                         (2003年 3月2日)

・・・・・・  それはあなたのやってきた事がいかにすごいかの裏返しなのです。

それを維持する小さいが継続した訪問とか声かけがなくなれば、

それが、本当にあっけなくなくなっていく。

       

あなたのしてきた結果は、わたしは本当にすごいと思います。

ただ、自分の事も考えていればとも思いますが。

自分を本当に大切にしながら、生活なり活動なりを考えていいとおもいます。