ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域を徒歩で塗り潰す計画進行中。

武蔵小山 鉄板焼きの九じゅう

2024年04月27日 | 食べ物のはなし

2018年に散歩に来た時には白いフェンスで囲まれていた武蔵小山駅前。フェンスのはるか上に建設中のタワーマンションのクレーンが見えていました。
6年後に見たら、フェンスの中だったところはこんな風に完成していました。
タワーマンション、どこにでもありそうなピカピカの商業施設、人々が集う賑わいの広場、、、、いっこもおもんない。

パルム商店街は土曜の夕方で賑わっていました。頭上にはこの角度だと顔しか見えない龍の風船。

明和電機のオール新曲ライブの終演が7時過ぎ。地元っぽい所で何か食べようとしましたが、土曜の夜は若い人たちがすでに飲み始めていてなかなか空きがなく。
こちらの月島もんじゃと広島風お好み焼きのお店が8時半からの予約の前に短い時間ならといれてくれました。
芸能人のサインがたくさん。いかにも街歩き番組で取り上げられそうな雰囲気のお店。

キャベツと牛スジ焼き、牡蠣。

海鮮のお好み焼き。美味しかったです。

最初の写真に写っている武蔵小山駅前のタワーマンションは60㎡の2LDKで12,450万円でした。このリンクいつまで生きてるかな。
購入できるマンションの価格は年収の5~7倍くらいと言いますから、年収1,800~2,500万円くらいの人が買うということです。
30年間年収が増えなかった日本でほとんどの人には手が届かないはずですが、さくっと買えちゃう人もそれなりにいることはいるんですね。
外から中が見えるおしゃれなお店で、カウンターの中の人と楽しそうに話しながら飲んでいるお兄さんたちが実はそういう人種なのかな。
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明和電機 梅コース全新曲リサイタル

2024年04月26日 | 明和電機

2月に30周年記念コンサートに行ったばかりなのに、またも明和電機のライブ。

毎年恒例の事業報告ショー後のライブで、普通だったら聞きに行くとはないのですが、ポスターにもありますが今回は「全曲新曲」だというので。
明和電機は2002年に「地球のプレゼント」というアルバムを出していて22年前のこれが「最新アルバム」ということになります。
しかし、このアルバムでさえほとんどはSME在籍時の1998年までに出したアルバムのカバーですから、実際には1998年の「道」以来新曲がありません。
それでも音楽活動を続けていて、コンサートの度に20年以上聞き続けた同じ曲をまた聞きに行く客がいるわけですからある意味大したもんです。
そんな明和電機のオール新曲ライブであれば聞きに行かない訳には行きません。

グッズ売り場では社長の出身地である呉市の公式ユルキャラ、呉氏が大々的に売り出されていました。

ステージは基本的に社長一人。経理のヲノさんはじめ工員さんが並ぶいつものコンサートとは全然違います。
これが10年以上前から試み続けて来た社長一人で運んで一人で組み立てて一人で演奏して一人で片付けて帰るという地方・海外公演の「梅コース」のスタイルです。

(参考写真)2023年のコロンビア公演時の写真。
何もないステージに大きなスーツケース二つを転がして出てきて中央に置く。スーツケースを広げて中の物を取りだしてどんどん組み上げていく。
最初にリズムマシンが組み上げられ、PCからの信号でバスドラがリズムを刻む。続いてメカピアニカ。折り畳みになったパンチ君とレンダちゃん。

(参考写真)2023年のコロンビア公演時の写真。
四角い箱状に折りたたまれたパチモクも展開されて最終的にはこんな形に。

今回はこれに加えて完成したばかりの新楽器、メカチターも初披露。打楽器、リード楽器、弦打楽器、ゴムベースと充実したバンド体制ができました。
時計は見ていませんでしたが、全部が組み上がるまでに30分くらいはかかったのかな。もっと? 組み立てセッティングそのものがショーになっているのでした。

今回はいつもよりトラブルも少なく順調と言ってもいいくらい。
大きなトラブルは、今回から導入したというワイヤレスMIDIのレシーバーが充電切れを起こしてそのせいでドラムに遅延が起きたこと、
メカチターの組み立て中に楽器を倒してしまい弦が1本切れてしまったこと。その張替え作業中にまた切れてしまい、結局弦を1本交換するのに20分近く使ったのでは。
普通の人なら2度目に切れたところで諦めて、弦1本くらいなくてもいいかと先に進めそうな場面ですが、諦めない社長のメンタルがすごい。

新曲ですが最初の「箱サバオの歌」を聞いて、あーやっぱりこういうネタ的な新曲かと思ったのですが、意外にもそれ以外はかなり作り込まれた名曲ばかりでした。
以前からメロディメーカーとしての社長を評価して来ましたが、まだまだ才能は枯れてないね。さすが25年間同じ曲を聴かせるだけのことはある。
Twitterで拾ったセットリスト
・ハコサバオの歌
・ママミミモミモミ
・獏の歌
・白い乾電池
・バッチゴーYeah!
・決戦のトレイン
・お眠り時間
新曲で誰も知らないのに振付や合いの手の入れ方を指導する社長。普通にそれについていく往年のファンという心温まる2時間でした。
最後はアンコールのお眠り時間を会場中で歌いながら撤収を見守り(20分以上同じところを繰り返し歌った)コンサートは無事に終了しました。
あー楽しかった。
会場のスクエア荏原がある武蔵小山。なんと三田線新板橋から目黒線直通、乗り換えなしで行けちゃうんですね。すごい時代です。
会場には女優の水野真紀さんがいらしていたということをご本人のブログで知りました。これまたびっくり。
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瑞穂町郷土資料館と瑞穂町役場

2024年04月25日 | TOKIO散歩

瑞穂町郷土資料館 けやき館。

都下の資料館は比較的気合が入ったものが多く見られますがこちら瑞穂町の資料館も人口3万人の町にしては立派過ぎるくらいでした。

まず吹き抜けロビーの衛星写真の巨大地図。住宅一軒一軒がはっきり分かる解像度の高さで、かつて自分が歩いて来た羽村、福生まで鳥になった気分で俯瞰できます。
こちらの資料館は2014年の開館と新しいので使用した衛星データのレベルが他館の同類の地図を圧倒している感じ。

常設の展示も瑞穂町の歴史や文化、自然をバランスよく見せています。

立体地図にプロジェクトマッピングで見せる瑞穂町の歴史も面白い。先月、東大和市立郷土博物館でも同じようなものを映像で見ましたがこっちの方が分かりやすい。
「緑の孤島」多摩丘陵の成り立ちや、高崎=八王子・青梅=江戸との交差点として栄えた町が昭和にできた福生基地で分断される様が特に興味深いです。

奥の企画展示室では近代制服図鑑展が開催中。毎日朝ドラのオープニングで寅子が来ている弁護士の法廷服が入り口に飾ってありました。

「制服図鑑」と聞くと、中年以上の日本人は女子高生の制服が並んでいる絵柄を最初に思い浮かべますが、展示されているのはそういうのではありませんでした。

郷土資料館と同じ敷地内にある耕心館。江戸後期の郷農の屋敷で、平成時代にはフランス料理の名店として使われましたが現在は瑞穂町の社会教育施設になっています。

構造材は江戸時代のものがそのままですが、内部はレストランになる際にぐっと洋風に作り変えられています。2階はコンサートなどイベントで使用。

1階はきれいな庭を眺めながら食事やお茶ができます。

そんなところで食事ができるとは知らなかったので耕心館の緑を見ながら持参したお弁当を食べました。

屋敷の持ち主は明治以降は醤油醸造業、養蚕業、製茶業、煉瓦製造業が営み繁栄しました。この煙突はレンガを製造する窯の煙突でした。

資料館からお散歩続けます。こちらはさやま花多来里の郷。カタクリの群生地を保存公開しています。

3月中旬から4月にかけて毎年20万株のカタクリが斜面一面に咲くらしいですが、さすがに終わっていました。

狭山丘陵の縁を往く。八重桜が見頃でした。

この階段を登るとジュンサイ池と呼ばれるきれいなところがあるのですが、登る元気はありませんでした。

最後の目的地は瑞穂町役場。2020年安井建築設計事務所。
筐体はごく普通のL字型の建物なんですが、L字の一辺の屋根の端をもう一辺に沿わせてダラーっと垂れ下げています。
垂れ屋根の傾斜に合わせて壁面に太陽電池パネルを縦長のルーバー状に張り付けています。
仕掛けが分かるとどうということもないのですが、最初に見た時には片側の建物にもう一方が食い込んで見えるような錯覚が生まれてびっくりします。

2階の高さにある部分は庇として機能するんですが、それより向こうに行くと高すぎてほとんど雨は除けてくれません。あくまでもデザインの産物です。

箱根ヶ崎駅に向かいます。駅の東400mほどの場所の二股は右が青梅街道、左が青梅街道ができる以前の古青梅街道。瑞穂町ないでもかつての道筋で残っている唯一の場所です。

箱根ヶ崎駅。昨年秋に新青梅街道を歩くためにここからスタートした時は反対側に降りたので建物の形が逆でした。
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さいたま緑の森博物館から瑞穂町へ

2024年04月24日 | おとなの遠足

小手指駅前ロータリーのブロッコリーみたいな木。今日は新緑を見て回る日です。

バスで15分西へ。宮寺バス停で降りて徒歩10分。普通の住宅地の中に普通に茶畑があります。さすが狭山茶で知られる狭山丘陵の麓の町。

今日の目的地はこちら。さいたま緑の森博物館。1995年オープン。
武蔵野の雑木林や湿地、里山の景観や生き物など自然そのものを展示物とした野外博物館(フィールドミュージアム)です。

丸太造りの案内所で地図をもらって、回るコースを相談します相談します。

全部で85haもあるのでぐるっと回れば2~3時間かかります。今日は湿地を二つ経由して瑞穂町方面に抜けるコースで。

素敵な薪小屋。

細長い谷津に緩やかな棚田があったところ。

新緑の緑色の美しさは桜の花の色に匹敵するほどきれい。花見があるなら若葉飲みもあってしかるべし。

雑木林と言うのはナラやクヌギなど、人が薪などとして利用するための適宜伐採し下草を刈ることで人工的に作り出された落葉広葉樹の林のことを言います。
切られた後に切株から新しい芽が生えて(ひこばえ)、20年ほどで再び利用できる樹々に成長します。(その循環を萌芽更新と呼ぶ)
ここは2018年に萌芽更新のために伐採されたナラの林。新しい幹が6年でここまで大きくなりました。

棚田のあったところから小さな丘陵をひとつ越える。

ひとつ越えた先の低地には溜池と茶畑がありました。入間市郊外の人の暮らしと自然に繋がっている気持ちの良い野外博物館でした。

狭山茶という言葉から狭山市で生産していると思っていましたが、実際は6割以上はここ入間市で作られています。狭山市ではなく狭山丘陵のお茶でした。

お茶を加工する工場もたくさん。屋根の中央が光を取り込むために高くなっています。大きな「茶」の字もかっこいい。

狭山霊場二十六番山際観音堂。狭山三十三ヶ所観音霊場というのがあるんですが、この33か所の中に狭山市の霊場はありません。
狭山茶も狭山市は生産量で言うと第3位です。狭山丘陵でさえ狭山市はその範囲に含まれていません。狭山の名がつく有名なものが狭山市にないのはなぜ。
調べて見ると昭和29年に市制施行で狭山市が誕生する時に、市内で狭山茶を生産しているので狭山市としたそうです。生産量第3位なのにその名を使うなんて!

今回もGoogleマップの「経路」を利用して瑞穂駅に向かって歩いています。この用水路?のフタの上も地図上では普通に道として表示されています。

入間の範囲を出て東京都西多摩郡瑞穂町に入っています。同じ狭山丘陵ですがこの近くから都立公園の入り口に変わります。
都立六道山公園は4年前の狭山湖一周の時に経路として通過していました。

さいたま緑の森博物館から40分歩いて瑞穂町郷土資料館 けやき館に到着しました。(つづく)
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リュウジのジェネリック明太スパゲティ

2024年04月23日 | 食べ物のはなし
辛子明太子を使わず、普通の鶏の玉子で明太子スパゲティもどきを作るというリュウジのレシピ。
SNSで見た時はほとんど信じていませんでしたが、実際にやってみたら想像以上の再現率で驚きました。
レシピはこちら

フライパンに油少々。玉子割入れて豆板醤小さじ1。味の素3振り。塩一つまみ(個人的にここで塩ははなくてもよい)

混ぜながら炒める。黄色い卵がオレンジに変わっていく。水分が飛びきるくらいカラッカラに炒めるのが良い。ターナーでフライパンに押し付けたりしてしっかり火を通す。

粗熱がとれたらぶんぶんチョッパーで細かくする。これが明太子の一粒一粒になるのでよくぶんぶんする。この段階で味見したらすでに明太子に似ていて驚く。

さきほどのフライパンをさっと洗い、水320ccを沸かす。パスタ100g、ナンプラー小さじ2、ほんだし小さじ1/3、砂糖ひとつまみも入れる。
元のレシピでは1.4mmのパスタを5分間茹でて茹で上がりと同時に水分がなくなるようにすると書かれているが、うちのパスタは1.6mmなので7分で茹で上げる。

パスタを茹でている間に海苔を千切って小ねぎを解凍しておく。バター10gも切っておく。

水分がなくなって泡が出てくる。ワンパンパスタは茹で上がり時間と水を蒸発させる時間を揃えるために茹でている時間、火の前につきっきりになるので嫌い。
火加減を調整しつつ、早めに水分がなくなるようなら適宜水を追加して、茹で上がり時間に合わせる。

茹で上がったら細かくしたなんちゃって明太子とバターを入れてよく合わせる。

混ぜ合わせ中。バターが溶けきったらお皿に移す。

トングでねじって高さを出すとおしゃれだけどどうせ誰も見ていないひとりご飯なので素っ気なく盛り付ける。

海苔と小葱を乗せて完成。

味は85%明太子。格付けチェックで目隠しして食べたら半分くらいは間違えるレベル。
リュウジが「1個20円のたまごが高級明太子に化けます」とタイトルにしていますが高級明太子ではない。スーパーの普通の明太子クラスです。
それでも明太子パスタとして美味いかどうかと言えば間違いなく美味い。一気に食べ切りました。
難を言えばちょっとしょっぱかった。豆板醤、ナンプラー、ほんだしで充分塩が含まれているので、最初の塩はなくてもよいかと。
明太子はここ数年でものすごく値段が上がっていて買いにくくなった食材の代表格です。普通の玉子でできるのは本当にありがたい。
また作ると思います。
そうそう。私このために初めてナンプラー買いました。
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豊洲の春の夜

2024年04月22日 | TOKIO散歩
オカリナの師匠たちのコンサートを聞きに豊洲へ。

日暮れ時に港を出て行く屋形船。屋形船一度経験したいと思いつつ、金額並みの満足が得られるかどうか疑問でなかなか踏み切れず。

カンチレバークレーンには電飾がつけられていて7色に色が変わります。超かっこいい。

こんな所に跳ね橋があることを初めて知りました。

駅の周辺とほ10分の範囲内だけで20本以上のタワーマンションが立つ豊洲。
ダイエーもライフもららぽーともビバホームもきれいな広い公園もあるからこの小さな島の中だけで生活に支障はなさそうです。
とは言え、こんな海に囲まれた人工島の中で電力の供給が途絶えた時のことを想像すると住む勇気はありません。

ららぽーとでは平日の夜でもイベントが行われていて、テントの中のステージでやっているものまねショーが良く聞こえて面白かった。

豊洲シビックセンター。駅の真ん前にって区役所の出張所や図書館、音楽ホールなどが入った複合型公共施設です。2015年日建設計。
4階と5階が300席の音楽ホール。外から階段状の客席の床面の傾斜が見えます。ここまで中がスケスケで見える音楽ホールは初めてです。

素晴らしかったコンサートの終演時の写真。アンコールがOver the rainbowでしたが、その後ろにレインボーブリッジが見えていました。
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マカフィーの阿漕

2024年04月21日 | 日記B
【阿漕】[名・形動]しつこく、ずうずうしいこと。義理人情に欠けあくどいこと。
特に、無慈悲に金品をむさぼること。また、そのさま。「―な商売」「―なまねをする」

1年前、ウィルス対策ソフトのマカフィーの更新料が知らない間にすごく高額になっていて、自動更新設定になっているとそのまま引き落とされてしまうという話を書きました。
その時の話をもう一度まとめると、

2018年5月 3年で9,980円で開始。(1年あたり3,326円)
2021年4月 2年で9,146円で更新。(1年あたり4,573円)
2023年4月 1年で12,980円で更新。(1年あたり12,980円)この時にムカッときて「ウィルスよりこわいアンチウィルスソフト」というブログを書きました。

そして今年2024年。数か月前からメールで契約が切れるから更新して、というメールが来るようになりました。金額は昨年と同じくらいです。
もうマカフィーは更新しない、別のに乗り換えると昨年決めていたので、契約が切れる5月まで放っておこうと思って何もしませんでした。

そしたら4月になってこんなメールが来ました。タイトルは「ラストチャンス!」

一か月前に1年で12,980円で更新してと言っていたところが、更新が切れる一か月前になって2年で7,490円に変わりました。1/3以下です。
たぶん、ここまで更新しないということは、更新されないで他社に乗り換えられるということが予想できるんでしょうね。
それならば、たとえ金額を70%減にしても更新してもらった方がいいという考え方なんでしょうか。
こちらとしても余計な手間なく更新できるなら別に文句はないぜ、ということで更新してあげることにしたのです。そして「今すぐ契約を更新」ボタンを押しました。
そしたら!

出てきた画面がこちら。さっき7,490円と言っていた2年契約の金額が8,980円と表示されている。なんなん? 寅子なら間違いなく「はて?」と言うよ。
最初は消費税の表示違いかと思ったけどそういう金額でもない。
なんか腑に落ちないので一度画面を閉じて、そしてもう改めて「今すぐ契約を更新」ボタンを押しました。
そしたら!

ほんの10秒前に8,980円と表示されていたところが、今度は7,490円に変わっている。

どゆこと?

おそらくですが。世の中には最初に8,980円と表示されたところで気づかずに、もしくは疑問を持ちながらもそのまま「契約を更新」ボタンを押す人がいるんでしょう。
そしてマカフィーはそういう人からたとえ1,490円という僅かな金額でも余計にもらえるならもうらおうと考えているんでしょう。
だから同じリンク先でも1度目の表示と、疑問を感じて2回表示させる人との金額を変えているんではないかと思っています。
商売のやり方としてあまりにも卑怯。阿漕であると言わざるを得ません。
海外の会社に日本の商道徳や美意識を言っても通じる訳もない。こういうやり方を考えた人はアメリカでは知恵者として称えられるのかも知れません。

ちなみに本当に契約が切れるのはゴールデンウィーク明けです。
このまま放っておいたら、さらに格安な案内が来たりして。
もう少し様子を見よう。(私もけっこう阿漕)
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金・土・日 3日連続ライブ観戦

2024年04月20日 | ライブ・コンサート

たまたまが重なって金土日の三日連続でなにがしかのショーを見ることになりました。
最初は劇団四季のライオンキング。
2月放送の新美の巨人たちで、このミュージカルで使用されている衣装、舞台装置をひとつのアート作品として取り上げているのを見ました。
劇団四季と言いうとはるか昔にキャッツとオペラ座の怪人を見て以来うん十年間縁がなかったのですが、装置がすごいのは見ておいた方がいいかもと思いました。

人間が動物を演じために様々なやパペット(操り人形)を使用しているのですが、操作する人と操作されるパペットが時に一体化し、時に分離して一つの意識を表現する。
人間としての演技力と、人形遣いとしての技術の両方を求められつつ歌って踊る演者たち。25年も前からやっているのを今さらですが、なかなか大した見ものでした。

その翌日が大塚駅近くのライブハウスでかつてのセッション友だちの出演するライブ。
ジャンルとしては主にアコースティックな楽器を中心としたプログレ曲。3人編成のバンドが3つとギター弾き語りが一名。
原曲を再現するにはあまりにも制限の多い編成で、全部の音はとても再現できないけど足りない所は聞く人の脳内で補ってねと言うゆるい雰囲気がとても好きでした。
2021年2月を最後に、コロナとRさんの体調不良とで公の場には行かなくなって3年。久しぶりに懐かしい顔ぶれとの再会もあって楽しい午後でした。

半年ぶりくらいの大塚はいろいろ変化がありましたが、一番驚いたのが荒川線の踏切横のホープ軒がなくなって違う店になっていたこと。
あの黄色い看板とのれんは大塚のランドマークでした。黒いテントに変わったこの風景はどうも落ち着きません。
ラーメンは美味しそうなので一度食べに行こうと思います。

3日連続コンサートの3日目が錦糸町すみだトリフォニーでの都民交響楽団の定期演奏会。友人がヴァイオリンで出場。
以前所属していた区民オーケストラの時には積極的に誘ってこななかった友人が今度のオケでは「ぜひおいでください」と言うので。
どんなものかと思って行ったらホントにちょっと驚くほどいい演奏でした。これは聞かせたいよなーと思いました。
最初の高速こうもりで一気に実力を見せつけて、リヒャルトの軽妙洒脱も余裕たっぷり、最後のブル7は圧巻でした。3曲ムラなく良い演奏と言うのはアマオケでは珍しい。

錦糸町は水道橋で乗り換えれば30分。意外と上野に行くより気楽です。水道橋駅の古レールで連なるY字はいつ見ても美しい。
三日間全部ジャンルの違う音楽で楽しく過ごしました。ちょっとくたびれたけど。あと土曜の朝に軽くぎっくり腰を発症したのが辛かった。
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鎌倉春散歩② 鎌倉山から大船観音

2024年04月19日 | おとなの遠足

ちんや食堂を出て常盤口から鎌倉山に。木々の隙間から山腹のあちこちに満開の桜が見えます。
鎌倉山という具体的な山があるわけではありませんが万葉集の時代から鎌倉辺りの山の総称として鎌倉山という言葉は長く使われてきました。
昭和の初めに別荘地開発が行われた際にここを「鎌倉山」として売り出して地域が限定されるようになり、1985年に正式に鎌倉山一~四丁目という住所になりました。

鎌倉山空手道場の門。なんとさきほどチャーハンを食べたちんや食堂の先代がやっている空手道場だそうです。
ちんやの店内にある謎の置物の雰囲気が同じですし、ちんやの入り口横や店内にいくつもあった謎の象形文字と同じものが道場の門の真ん中にも描かれています。

斜面に建つ住宅を眺めながら歩くのが楽しい。この窓から見える駿河湾も良さそうです。

4年前にRさんと行った蕎麦屋の擂亭を通り過ぎて。ここまでは知っている場所でその先が初めて歩く部分です。
こちらがル・ミリュウ鎌倉山。素敵な眺めを見ながらケーキセットやアフタヌーンティやホットパイなどを食べるお店。大人気で駐車場待ちの車が並んでいました。

その少し先を入り込んだ奥にかつて「一週間で最も長時間、テレビの生番組に出演する司会者」としてギネスにも認定されていた有名司会者の本宅。
2013年の朝の番組で女子アナのお尻を触ろうとしたところが映ったのをきっかけに全ての仕事を失いました。寛容でない時代の始まりだったかな。

鎌倉山ロータリー。昭和初期の別荘地開発はこの地から始まって徐々に山を切り開いて行きました。
中央の植栽の中に立っている石柱は関東大震災で倒壊した鶴岡八幡宮の鳥居の柱を流用した物。

湘南モノレールは1960年代の計画時には鎌倉山を経由する予定でしたが、古くからの住民が騒音や人が集まることで閑静な住宅地が損なわれると反対運動を起こしました。
その結果、モノレールは鎌倉山をトンネルで通過。他の駅間が1kmに満たないのに鎌倉山の前後だけは2kmを越える駅間となっています。
現在そこに住む住人からすると、モノレールの駅があればどれほど便利だったか、残念な思いに満ちているようです。

ロータリーから1km歩いて西鎌倉駅。そこからモノレールで大船へ。大船は乗り換えで何度か使っていますが駅の外に出るのは初めてです。

大船観音への上り口。

最後の階段は観音様と相対しながら。

昭和4年に工事開始、昭和9年、世界恐慌による資金不足で工事中断。23年間放置。昭和32年に新たな有志の出資の下で工事再開。昭和35年4月落慶。
協力者の名前には坂倉準三や吉田五十八の名前も見られます。

裏側から胎内に入ることができます。一階部分だけで上に上がれるわけではありません。右上に登る階段は裏手の納骨堂への通路。

大船駅の東側に展開する大船仲通り商店街へ。こちらの激安店をいくつか案内してもらいました。

1階が鈴木水産という魚屋さんで2階が経営する回転寿司の豊魚。

本当にびっくりするくらい良い海産物が安かった。どれも近所のスーパーで見るより遥かに立派なのがほとんど半額以下でした。2尾820円のホウボウが半額で420円。
ブリもアジもサバもイカも安い。

野菜関係も2軒見ましたがこちらも半端なく安い。そして品種が豊富。生ものは東京まで持ち帰るのを断念しましたが野菜は買いました。
スナップエンドウ80円。菜花80円(上の写真の)、ラディッシュ68円、みつば28円。4品合計で276円。マルエツだったら菜花1個で248円ですよ。
この近所に住んだら食生活が全然違うものになりそうです。

最後に大船駅からペデストリアンデッキで繋がれたGRAND SHIPという新しい商業施設へ。この中の鎌倉山ル・ミリュウ大船でケーキセットを食べました。
鎌倉山ル・ミリュウってこの記事の4枚目の写真の小じゃれたカフェの出店です。

本日のコース。ガイドブックには載らないタイプの良いコースができたと思います。

この数年で鎌倉を歩くのも7回目。主な道もだいぶ埋まって来ました。次は由比ガ浜から逗子方面の海岸かな。あまり面白くなさそうだけど。

4品276円の夕食。スナップエンドウ茹でただけ、菜花は白和え、ラディッシュは甘酢。三つ葉は翌日の親子丼にどっさり乗せて食べました。
鰹のお刺身は地元で買ったもの。さっき大船で買えば同じ値段で倍の量だったのに悔しい。でも地元も応援せねばな。
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鎌倉春散歩① 由比ガ浜大通りと極楽寺とちんや食堂

2024年04月18日 | おとなの遠足

昨年11月の鎌倉散歩のブログで「次に鎌倉に来るのはこの桜が咲いたころにしたい」と書きましたが、珍しく計画通りになりました。
9日の嵐で東京の桜は散ってしまいましたが、東京より一週間遅い鎌倉の桜は元気に持ちこたえていました。段蔓も満開です。
なんかこの写真の人物、マンションのチラシのCGみたいに現実味がなくて面白い。

若宮大路を南に進んでJRを越えた「下馬」交差点(「しもうま」ではなくて「げば」)から長谷に向かう道が由比ガ浜大通り。
明治22年に横須賀線が開通し、由比ガ浜一帯に多くの別荘が建ちました。明治35年には江ノ電も開通し一般の人も多くこの地を訪れるようになり町は発展します。
明治の後期から大正、昭和にかけてこの界隈が栄えていた頃の近代建築が通り沿いには数多く残されています。
こちらは由比ガ浜大通りのランドマークとも言える寸松堂。鎌倉彫の彫師佐藤宗岳氏の店舗併用住宅として昭和11年に建てられました。
大きな入母屋に三層の層塔がはめ込まれたような複雑なデザイン。塔頂には相輪があって寺のようですが、窓は武者窓です。昭和の変態和風建築。

旧鎌倉銀行由比ガ浜出張所だったRC造の洋館。現在は「THE BANK」というおしゃれバーに改装されています。

戦前の建物が大量に見られる一方で、現代のデザインで建てられた新しいお店もあって近代現代どちらも楽しめる由比ガ浜大通り。

長谷の少し手前の甘縄神明宮。

急な階段を登って参拝します。この階段は海街diary 8巻の表紙になりました。

長谷寺の前は平日の9時台でも観光客が多い。山腹の桜も見事に咲いているようですが門の写真だけ撮って戻ります。

由比ガ浜海岸。きらきら。

前回も歩いた極楽寺切り通し。星の井の上の桜。

成就院参道から見る由比ガ浜。アジサイ寺として知られていたこの場所ですが、2016年に大半のアジサイを宮城県南三陸町に寄贈したため現在はほとんど残っていません。
その代わりに宮城県の県花である萩の苗が植えられてその成長が待たれています。

極楽寺駅の桜。

極楽寺参道。ここの花は前日の嵐でかなり散ってしまいました。でもピンクの参道はきれい。

同じ枝に一重と八重の桜が咲く「桐ケ谷」という品種。七分咲くらいでとてもきれいでしたが、八重の花は見つかりませんでした。

極楽寺から北側は山です。その谷筋に沿ってわずかに住宅が並ぶ細い道がいくつかあります。
海街diaryの香田家は極楽寺駅から歩いていく住宅地のどこかの架空の場所ですが、マンガに登場する実在する場所を見ると稲村ケ崎方面ではなく山側だと考えられます。
8巻p.25でチカが寝ていた地蔵堂もそのひとつ。駅から500mも山の方向に入ったこの場所はそちら方向に自宅があるという以外で来る理由がありません。

地蔵堂からさらに奥へ入った場所(極楽寺4丁目)はこんな感じ。
マンガの香田家の前の道はもっと細くて石が敷かれていますので全然似ていません。場所設定はこの辺りですが、家周りの風景は別の場所を使っているようです。

山の方に歩いて来たもうひとつの目的。極楽寺駅から大仏切り通しへ山を越えて行けるように書かれた地図と、道が途中で途切れている地図があって確認したかった。
打越トンネルという小さな隧道で無事に越えられました。

打越トンネルの先は住所が笛田に変わります。

バス通りまで出てから大仏切り通しへ。前回の鎌倉散歩で大仏ハイキングコースを歩いたのですが、最後の分岐で肝心の切り通しに出ないでバス道に降りてしまいました。
それがなんとなく気にかかっていたのでちょっとだけ山中に入ったのですが、前日の大雨で途中がぬかるんでいて大変でした。でもまあ目的は達成。

常盤口の信号のちょっとさきにあるちんや食堂。

以前通りかかった時にインパクトのあり過ぎる外観が気になってずっと行きたいと思っていた中華料理店です。ここで近くに住む友人と待ち合わせ。

内部も外観に負けないすごいお店でした。徒歩圏内に40年近く住んでいる友人も一度も入ったことがないそうです。

ネットで評判の炒飯と餃子、サンマーメンを食べました。すごく美味しい。満足しました。
お腹も膨れたところで先に進みます。今日の散歩は6時間半コースですごく長かったのです。後編につづく。
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4月7日の桜

2024年04月17日 | 日記B
4月4日から6日は滋賀に行っていて、曇りがちではありましたがまあまあ青空の下でも良き花見ができました。
でもその三日間は東京はずっと雨でお花見どころではなかったようです。
タイミング的にはいい日にいい場所に行っていてラッキーでした。
滋賀から帰った翌日7日は東京も満開で好天の日曜日。今年の週末のお花見日和の日ってわずかこの一日だけだったようです。
ということで滋賀のブログが長すぎたせいで10日も前の写真ですが4月7日の写真を記録として残しておきます。

金沢橋前の公園から。ライフでお弁当と缶酎ハイを買って行ってRさんとお花見しました。タコハイっていうのけっこう美味しい。

例年だとこの辺りにはたくさんのブルーシートが敷かれて宴会が行われているはずなんですが、今年は少ない。
日程を決めるときにまさか4月7日をえらぶはずもなく、たいして咲いてもいない先週の30日とか31日に済ませちゃったんだろうな。

定点写真。4月7日の金沢橋。

音無くぬぎ緑地付近。

絶対に見えないのですがこの時枝の先端から3つ目の花の辺りにカワセミが止まっていて、カメラおじさんたちが盛んにシャッターを切っていました。

金剛寺の前の桜。

スズメは嘴が短いので桜の蜜を吸うためには花ごと千切るしかないんだそうです。

王子音無橋の下。いろいろ問題はあるけど総合的には平和な国で暮らせてよかったよ。
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琵琶湖西南2024春⑧近江ヴォーリズ巡りと豊郷小学校

2024年04月16日 | 建築&土木見物
この旅行に行くまで建築家としてのヴォーリズのことはほとんど知りませんでした。
このブログで登場したのは明治学院大学の礼拝堂、早稲田奉仕園スコットホール、東芝高輪倶楽部の3件だけです。
なので出発する前にヴォーリズの生涯と、建築作品に関する書籍を図書館で借りて最低限の予習をして臨みました。

ヴォーリズは学生時代に建築家を学んでいる途中でキリスト教の伝道師として生きる決意を持ち生涯の目標を転換します。
明治38年、25歳の時に英語教師として近江に赴任しますが生徒への伝道活動をがんばりすぎて周囲から反発を受けて2年で失職。
数年間の無職生活の後、日本で伝道を続けるための生活の糧としてかつて学んでいた建築設計の仕事を始めます。
たくさんの建築に関わりますがやはり生活の中心は伝道ですし、何度か病に倒れて母国で療養しているうちにメンソレータムの製造販売も始めます。
情熱とマルチな才能を併せ持っていた人のようですが、こと建築に関しては片手間のうえ、建築科として完全なプロではありません。
一言で「ヴォーリズ建築」と言っても大正時代の作品以外は「ヴォーリズ建築事務所」の作品であってもどこまでヴォーリズ本人が関わったかは定かではありません。
昭和32年にクモ膜下出血で実業家ら遠ざかった後も、現在に至るまで60年以上もヴォーリズ建築事務所は多くのすぐれた仕事を継続しています。
なので「ヴォーリズが設計した建物」と「ヴォーリズ建築事務所が設計した建物」の判別がなかなか困難で近づきにくかったです。

ヴォーリズは明治に赴任し、昭和16年に日本国籍を取得後も昭和39年に亡くなるまで近江八幡で暮らしました。本当に好きだったんですね。
近江八幡にはたくさんのヴォーリズ作品が残されており小一時間の散歩でずいぶんたくさんの建物を見ることができます。
今回は名前の紹介のみに留めます。まずはヴォーリズ自邸(現:ヴォーリズ記念館)。この2階で83年の生涯を閉じました。

村岡邸・旧岩瀬医院

旧八幡郵便局 昭和期に失われていた玄関部分は2004年にヴォーリズ建築保存再生運動を目指すNPO「一粒の会」によって再生されました。

アンドリュー図記念館 ヴォーリズが設計した最初の建物です。

旧近江兄弟社 地塩寮 こうなると普通の日本のアパートです。ときわ荘を連想してしまいました。

日本基督教団 近江八幡教会

池田町洋館街①ダブルハウス

大正3年から10年にかけて池田町に4棟建てられた住居のうち3棟がそのまま残されているというのは本当に驚きです。
ヴォーリズ作品が、かなり早い段階から地元で文化財として認識されてきた証です。この中央が膨らんだレンガ面白い。

池田町洋館街②旧ウォーターハウス邸 植物に覆われたwikipediaの写真とずいぶん違うと思ったら2023年にリフォームされて宿泊できる施設になっていました。

池田町洋館街③吉田悦蔵邸 14歳で英語教師だったヴォーリズに出会い感化されてキリスト教信者となり生涯をパートナーとして過ごした吉田悦蔵の自邸。

いくつかの建物は有料で内部見学もできたりカフェだったりするのですが、なんせ見ていたのが朝7時過ぎでしたのですべて外観見学のみでした。
まあ、それで私には充分でしたが。そこから安土城に登って、さらに西北に車を走らせて彦根のお隣、豊郷町に行きました。

最後に見たかったのがこちら。ヴォーリズ建築事務所の設計、竹中工務店の施工で1937(昭和12)年に建てられた豊郷小学校校舎。
近江商人の一人で当時の丸紅の専務であった古川鉄治郎の全額寄付に拠るもので、当時の小学校として鉄筋コンクリートは珍しい物でした。
水洗トイレや暖房設備、内線電話などの最先端の設備を備えていたことから「東洋一の小学校」「白亜の教育殿堂」などと称されていたそうです。

校舎向かって左手に旧豊郷小学校酬徳記念図書館。

吹き抜け二層の館内。奥には鉄製三層の本棚が組み込まれています。

豊郷小学校校舎は私には「カムカムエブリバディ」の岡山駅ですが、広く一般にはアニメ「けいおん」の高校設定として知られています。
人気アニメの聖地としての活用が最も集客も見込めるので、校舎内も全面的に「けいおん」の世界が展開されていました。
アニメの登場人物が使用していたと同タイプの楽器がたくさん。奥に見える螺旋階段の上の部屋にはさらに20本以上置いてありました。
校舎本体の音楽室にもさらに数本。これらの楽器はどういう経緯でここに置かれたんでしょう。

校舎中央の階段室。緩やかに湾曲した壁、小学生の身体に合わせた階段。

階段の手すりには「うさぎとかめ」をモチーフにしたブロンズ像が設置されています。これは建築当初からあるらしい。



20年ほど前には校舎取り壊しを進める町長と反対派の間で裁判や傷害事件も起きる大もめの事態になっていたそうです。 
2009年に改修して一般公開を開始。2013年に有形登録文化財に登録されました。残しておく力があるなら残せてよかったです。

こちらは右翼側にある行動。この日は地元の人たちが踊りのお稽古で使用中で中には入れませんでした。

豊郷小学校見学を終えて、草津に車を返しに行く途中で東近江市五個荘金堂伝統的建造物群保存地区も見学。
これで2024春の滋賀旅行の全行程を終了しました。行こうと思っていたところの9割くらいは完遂できたかな。
滋賀県いいところです。やはり京都のお隣というのはなかなかすごいことだと知りました。
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琵琶湖西南2024春⑦安土城跡

2024年04月15日 | たびたび旅

最初にして最も豪華絢爛だったという安土城とその天主(一般には天守ですが安土城のみ天主と表記されます)。
歴史に疎い私でも時代劇で何度となく見ていますがいまひとつスケール的なイメージが掴めなかった城に行ってきました。
入場料700円を支払い、まずは一直線に山頂に向かう大手道の階段。画面中央で両手を樋ロケているのが私。撮影は地上で待機のRさん。

現在では石の角も崩れて踏面はコンクリートで固められていますが、完成当初の隅々までピシーっとしてた姿はどれほどの威容だったことか。
最初の直線部分が長さ80m。京都駅の大階段より長い。

3分登って振り返るともうこんな眺め。今、田んぼになっているところも城下町があって楽市が開かれていたのかな。
今回はほとんど調べないで描いているので疑問形で終わる文章が多い。

石仏が材料として使われているところには案内板があってすぐに分かるようになっています。

大手道の途中に秀吉の屋敷もあったんですね。他に家康邸、前田利家の屋敷が同じ程度の面積であります。
眺めも良く立地の良い場所のようですが、本丸までは20分くらい登らないといけないのでけっこう通勤は大変だったかも。

直線80mの後はジグザグしたり折れ曲がったりしながら110mの高低差を登ります。

二の丸への入り口、黒金門跡。

石垣の石もぐんと大きくなります。ここまでが家臣の屋敷、この先が信長の居城。

黒金門跡の先は防御態勢が高まりいくつもの桝形を通って開けた本丸に入ります。

天主への階段。

四方を1.5mほどの石垣で囲まれた天主跡。礎石の並ぶこの部分は天守穴倉。地下室です。

意外にコンパクトに見えますが、周囲の石垣は現在残っている数倍の幅があり、見えている穴倉部分の二倍半の広さがあった、と説明板に書かれていました。

左側が崩れてなくなってしまった天主石垣の外側部分。

石垣の上からの眺め。

一通り見てから無事に下って来ました。帰りは摠見寺を通って下りるのが正式のルートですが遠回りになるので上りと同じ大手道で下りてきました。
ここも桜がきれいで良かった。

駐車場の桜の下で、二日間お世話になった日産のレンタカーと記念写真。
シフトレバーが電子制御だったり、バックミラーが液晶モニターだったり、いろいろと令和を感じさせる車でした。
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琵琶湖西南2024春⑥近江八幡

2024年04月14日 | たびたび旅

ラコリーナから近江八幡の伝統的建造物群保存地区までは車で5分の距離でした。

八幡堀に面して建つ黒造りの建物が本日の宿。古い商家を一棟貸しのゲストハウスに改装しました。ゲストハウス澪。赤い暖簾に「澪」の字が目印。
目の前に堀と桜が見えて立地は最高。

石が敷かれた玄関。

路に面した部屋はソファやTVが置かれた快適な居間です。格子のすぐ横を観光客が歩いて行きますが気にしない。

奥の部屋に布団が敷かれています。清潔なキッチンにバスルームも完備。食料品も売っているドラッグストアまで徒歩5分。充分暮らせます。
荷物を置いてから夕食まで八幡堀を散歩します。

黒板塀の商家が並ぶ道筋から江戸から明治にかけて大量の商品を積んだ船が行き来した八幡堀の辺りは本当に佇まいが素晴らしい。
濠が大きくカーブするところに作られた船着き場は時代劇やドラマでしばしばロケ地として使われています。

堀巡りの手漕ぎ舟を出している店で、今日の最後の船のお客がキャンセルしたので5分後に出る船に乗れるということでしたので乗って来ました。
6人乗りの船を2人で貸し切りです。

さきほどまで歩きながら船の写真を撮っていましたが、今度は自分たちが被写体になってしまいました。水面から見上げる桜も佳き。

近江発祥の起業は色々あります。伊藤忠商事とか。この蔵の家は布団の西川の創業者、西川甚五郎邸。
きれいに見える八幡堀ですが、高度成長期から1980年代初頭まではゴミとヘドロだらけの荒れ果てた風景だったそうです。
昭和の終盤に「八幡掘を守る会」が発足し、有志、企業、行政が力を合わせて現在の美しい風景を再生しました。

40分の短い堀巡りを終えて、さっき船でくぐった橋から改めて川と桜を眺める。夕食まで徒歩で見どころを回ります。

明治10年に八幡東学校として建築された白雲館は擬洋風建造物。現在は観光案内所やギャラリーに使われています。

瓦工場跡地に作られたかわらミュージアム。閉館の30分前に行ったのですがもう中には入れてもらえませんでした。

日牟禮八幡宮。近江八幡という地名の由来になった八幡様。こちらも境内の中心は神楽殿でした。

1740年に建て替えられた三間社流造りの本殿に明治時代に入母屋の幣殿を増築した物。4月14-15日(今夜だ!)に行われる火祭りは国の無形民俗文化財。

京町屋風の建物を改装した地元の食堂で夕食に。私は近江牛のハンバーグ、Rさんは素晴らしく美味しい鍋焼きうどんを食べました。
建物を見まわしていたら食後に店主から町家の中をご覧になりますかとありがたいお声がけ。箪笥階段から虫籠窓の嵌った厨子二階を見せてもらいました。

一番驚かされたのがこちら。入り口の扉は通常奥への開き戸なんですが、必要な場合には扉の枠ごと蔀戸(しとみど)としてがばっと上に跳ね上がります。
写真上が通常のドアとしての開閉、中と下の写真がドアと枠ごと上に跳ね上がっていく様子。
跳ね上がった状態では外と室内の間に敷居もなくなるため、大きな荷物を積んだ大八車がそのまま奥に入って行くことができます。これは珍しい。
他にも、狭い間口を有効に使うためにシャッターのように上から下ろす雨戸も実演してくれたり、大サービスの店主でした。

夜になって雰囲気も良くなるゲストハウス。部屋の奥まで丸見えね。1階の右側は地元で評判のケーキ屋さんです。

夜は窓に向かった2階のソファで夜桜を見ながらサントリーのタコハイを飲んでいました。ゲストハウスのサイトはこちら。お勧めです。

近江八幡と言えばヴォーリズ。事前にヴォーリズの生涯や建築の本も読んで予習してきました。
宿から徒歩圏内の範囲でもたくさん見たのですが、長くなるので最終日に車で見に行った豊郷小学校旧校舎群のの話とまとめて後で紹介します。

翌朝。6時にスギドラッグで買っておいたパンとコーンスープ、宿のエスプレッソマシンで淹れたコーヒーで朝食を食べてから最後の散歩。
全体的に薄曇りのお天気でしたが、一週間前までは雨マークだったんですよね。充分です。
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琵琶湖西南2024春⑤ラ コリーナ近江八幡

2024年04月13日 | 建築&土木見物
MIHO MUSEUMから琵琶湖に向かって1時間15分ほどでラ コリーナ近江八幡へ。

藤森照信設計の「草屋根(2016)」。
ずっとこの建物がラコリーナ近江八幡なんだと思っていましたが、これはラコリーナ近江八幡を構成する建物一つである「草屋根」が正式な名前でした。

青い空に映えるグリーンの屋根が見たかったけど、4月の頭ではまだほとんど枯草色でした。

手塗りの土壁、自然のままの形を残した木材が多用されて建物に入る前から藤森的メルヘンな世界が広がります。

屋根の上から全体に流している井戸水が軒先から滴り落ちています。自然景観を壊さないように作られた草の屋根ですがその維持管理は非常に手間がかかります。

中央部分は天井のない吹き抜け空間。室内反響を軽減させる目的で漆喰の上に安土で焼かれた炭が張り付けられています。

ラ コリーナ近江八幡という施設が近江八幡に明治初頭に開業した「たねや」という菓子製造業社の本社兼アンテナショップであることを行きの新幹線の中で知りました。
建物のことはできた当初から知っていましたが、それまでは図書館や市民センターなどの公共施設くらいに思っていました。
10年以上前からデパ地下でいつも行列になっているバームクーヘン屋さんがあることはなんとなく認識していましたが、それとラコリーナが結びつかなくて。

草屋根を抜けると直径100mを越える円形の原っぱ。それをぐるり取り囲む草回廊。
原っぱは時期が来れば水田になって毎年お米を収穫します。

子供たちが遊ぶ場所もたくさん。ラコリーナは滋賀県内で最も多くの観光客を集める施設なんだそうです。我が家的にはディズニーランド並みに縁遠い世界ですが。

私たちが行った日の二日前にリニューアルオープンした「バームファクトリー」。バームクーヘンの製造現場をガラス越しに見られます。
こちらも大半はバームクーヘンのショップ。会社のお土産を買おうとしていたRさんがたくさん買うには高すぎると断念していました。

バームファクトリーの2階はバームクーヘンカフェ。

お隣のたねやの本社「銅屋根」。ジブリに出てくる飛行船かロボットの頭に見えます。あの窓の内側はどんな部屋なんだろう。一般の人は入れません。

最後にもう一度草屋根を見上げて帰りました。大量のお客さんに圧倒されて少々くたびれました。
観光スポットとしても、建築物としても超人気の物件ですが個人的には藤森建築って建築というより「立体化した童話」という印象です。
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