ひょっとすると初乗車の可能性もあるJR横浜線で相模原駅下車。南口はペデストリアンデッキ完備。多くの商業施設で賑わっていました。
反対側の駅の北側は南北1km東西2kmに亘って在日米軍の相模総合補給廠があるため、街としては一切発展できませんでした。
平成の終わり頃から徐々に日本に返還され始めてその一部がスポーツ公園に変わりました。
中学生の頃好きだった泉谷しげるの「ねどこのせれなあで」という歌の一番ラストが「明日相模原まで出刃包丁を買いに行こう」という物騒な歌詞でした。
なので私にとって相模原と聞くと出刃包丁という言葉が浮かんでしまいます。目黒の高級住宅地育ちの泉谷がなぜ相模原という言葉を使ったのかずっと不思議でしたが、
現地で広大な基地の横を歩いていて分かりました。相模原が1970年代初頭のベトナム反戦運動の象徴的な場所だったんですね。
米軍キャンプを抜けて境川を越えると本日のお目当ての町田街道。ベースとなるのは八王子と町田を繋ぐ戦国時代からの古道です。
明治時代には八王子に集まった絹を集荷して輸出のために横浜港へ運ぶ道として沿道が反映しました。それを記念して現在でも「絹の道」と呼ばれています。
相模原からしばらくは自転車通行帯も完備したなかなかよき道でした。
ちょっとだけ脇にそれて南多摩尾根幹線道路を往くのゴールにした多摩境駅と繋いでおく。この時は逆方向に崖の上から崖下を見下ろしていました。
国道16号八王子バイパスを越える。
八王子バイパス脇の横断歩道前にあったトリックアートが描かれた不動産屋さん。動物が覗いている飛び出したような窓が実は全部トリックアートです。
旧町田街道の分岐の先は狭い片道一車線道路になります。少し先にある横浜線相原駅の踏切渋滞もあって車道を行くのも歩道を行くのも走りにくい道でした。
書き忘れましたが今日も相模原駅で自転車をレンタルしています。
東京都指定史跡青木家屋敷。この奥に巨大な藁葺き屋根の母屋と納屋があります。文化財でありながら中で病院も営業しているという変わり種。それにしても大胆な貼り紙。
町田街道はほとんど境川と平行に走っています。都市部では見られないようなものすごい蛇行がそのまま残されていて趣深いものがあります。
私が日々親しんでいる石神井川でも戦前の航空写真を見れば練馬から王子までほぼこのようなうねった川でした。
「八木重吉記念館」という看板が見えたのでちょっと寄って見ると柵の奥にヤギがいました。八木重吉だからヤギ?
八木重吉というのは明治31年生まれの著名な(といっても私は存じ上げませんでしたが)詩人でした。ヤギは人懐っこくてかわいかった。
大戸地区に入って町田街道をいったん離れてどんどん登って都立大戸緑地。訪問70番目の都立公園です。
先日訪ねた中藤公園と同じようにこちらも計画面積は広いのですが公園として開放されているのはそのごく一部分です。とりあえず駐車場とトイレはきちんとしていました。
標識に沿って「雨乞いの碑」という場所に向かってみます。短い距離ですが一気に50mほど登らされてきつかった。
日照りが続くと「この山の上に集まり火を焚き祝詞をあげ大鐘をたたき焚火の周りを回りながら雨乞いの歌をうたい降雨の祈りをささげた」と石碑に記されています。
雨乞いなんて江戸時代の話かと思ったら、最後は昭和22年頃まで行われていたんだそうです。
山頂からは横浜方面が見渡せます。
反時計回りにぐるっと回って下りて来たところ。緩やかな傾斜地に作られた段畑の後なのか、連続した低い石垣があります。奥には早い桜。
石垣もかなり古そうでもしかして城跡の曲輪かとも思いましたがそういう事実はありませんでした。
たくさん植えられている中で2本だけ咲く桜。
例年になく開花の遅い今年ですが思いがけず今年最初のお花見ができました。半月前に凍らせておいた炊き込みご飯のおにぎり美味し。
桜の上を軍用機らしきものが行きかいます。相模原の基地関係でしょうか。
駐車場の脇に草地広場。公園施設としてはこれでほぼ全てです。練馬城址公園、中藤公園、大戸緑地。この3つがとりあえず開園はしたけど、、、という公園。
谷を挟んだ反対側の山腹に法政大学の多摩キャンパスが広がっています。今日は立ち寄らないで町田街道をどんどん進みます。
高尾駅の1km南に北野街道の起点があります。119-A標識コレクション1点追加。
高尾駅に到着。ちょうど京王線が入って来ました。写真でも傘をさしている人が見えますがこの時低気圧が関東地方を横断中で各地で大荒れとなりました。
駅に入る直前でほんの一瞬濡れましたが、途中でふらふら寄り道していたら大変な目に遭う所でした。あぶね。
本日のコース。最近多摩地域でよく遭遇する川をざっくり水色の線で書き入れてみました。
大栗川、浅川は多摩川に合流しますが、境川は最後まで独立した川として江ノ島まで続きます。大したもんだ。
そういえば自転車に乗り始めた頃、栗原先輩のガイドで南町田から江ノ島までサイクリングしたのがまさにこの境川沿いだったんですね。
あれから間もなく20年。