映画で考えたことも少し書き留めておきたい。名付けて、振り子式映画館走(走る振り子式映画館の感想ということで)。
振り子式映画館走の1本目は、「肯定と否定」という作品。公開当初から見たいと思っていて、そう思っているうちに公開期間が終わってしまって1年後に見れた映画、それが「肯定と否定」。原題は単純に「Denial」となっている。1994年に起こったホロコーストを研究するアメリカ人歴史学者のリップシュタットと否定論者のアーヴィングとの裁判を描いた作品。これが90年代の事件なのか、というのを改めて思うと、今の世界的な右傾化、右派ポピュリズムの台頭のはじまりのまさに象徴的な出来事であったのかもしれない。
「真実」というものは何か、考えさせられる。細かな事実の蓄積と、それらの細かな破片の繋ぎ合わせによって歴史は作られ、歴史家たちによってさらに精緻なものへと作り直され、作り重ねられてきている。そんな歴史家たちの緻密で誠実な作業の尊さを感じる。それがまさに専門性なのだろう。しかし、その作業は論理的でありながら、専門化され過ぎているがゆえの弱点ももっている。1つの事実でもって否定することは簡単で、その「否定」はとても大きな「印象」を残す。その「印象」と信じたい物語でもって、多くの人を圧倒するというのがアーヴィングの技であった。
昨年の秋、友人と「主戦場」を見に行ったことを思い出す。問題の構造はそっくりだ。
偉い人、権威ある人が言うんだから間違いない、と考えてしまうことも多い。でも、自分の頭で考え、観察と裏づけの積み重ねを怠らないこと。そんな態度がやはり必要なのだと思う。
否定と肯定(予告編)
映画『主戦場』予告編