赤い傘と一杯の珈琲とちょっと一息

なんとなく考えたことを書き留めていきます。

陣中見舞

2015-12-19 | 食べること飲むこと
 帰省まであと1週間となった。それにしてもこの2週間くらいは本当に本当に忙しかった。疲れがたまりにたまったという感じだ。そして、そのうえ年末のイベントのお誘いがあちこちから。大概、時間的に無理なのでお断りするのだが、そういった連絡を返すことすら気だるい。
 そんな中で届いた「陣中見舞」
 なんと、A5ランクの飛騨牛。この肉をどうしてやろうか、同居人と協議した結果、すき焼きに決定。割り下を作り、舞茸、白菜、しらたき、豆腐、長ネギ。春菊は品切れだったのが悔しい。まず、長ネギと舞茸の表面を焼きつけてから。とにかく美味しかった。残った出汁の出たスープは、翌日ご飯と卵を入れた雑炊に。最後まで美味しく頂かせてもらった。
 何よりも「陣中見舞」という気持ちが有り難かった。帰省するまであと1週間。気持ちを入れ直そう。

スペースと焦燥

2015-12-03 | 言葉にする
日本研究として有名なアメリカ人研究者ジョン・ダワーが、2011年4月29日の朝日新聞の評論で興味深いことを言っている。

「個人の人生でもそうですが、国や社会の歴史においても、突然の事故や災害で、何が重要なことなのか気づく瞬間があります。すべてを新しい方法で、創造的な方法で考え直すことができるスペースが生まれるのです。関東大震災、敗戦といった歴史的瞬間は、こうしたスペースを広げました。そしていま、それが再び起きています。しかし、もたもたしているうちに、スペースはやがて閉じてしまうのです。既得権益を守るために、スペースをコントロールしようとする勢力もあるでしょう。結果がどうなるかは分かりませんが、歴史の節目だということをしっかり考えてほしいと思います。」

 こういったスペースの存在を、私は2011年のあの時、身をもって感じた。このスペース、他には「白紙状態」とも捉えられ、その「白紙状態」を絶好の機会として一挙にグローバル資本の進出したとする分析もある。すなわち、良くも悪くもスペースなのであって、その空いた領域に何がどういう順番で入って落ち着くかはわからない。
 そして、このスペースはやがて閉じてしまうということなのだ。私の最近の焦りは、そこにあるのかもしれない。「遅すぎることはない」とか「もう少し成熟してみないとわからない」とよく言うが、本当にそれだけなのか。震災によって共有された不信感、矛盾、不安、怒り…。そんなものにも、とうに慣れてしまった人もいるかもしれない。とうに感覚が麻痺してしまった人もいるだろう。あるいは、自分を守るために麻痺せざるを得ない人も。私は焦っている。この少なくとも私の中のスペースが閉じてしまう前に、私に何ができるのか。