赤い傘と一杯の珈琲とちょっと一息

なんとなく考えたことを書き留めていきます。

豚の角煮

2016-10-31 | 食べること飲むこと
少し前の話。海外に2年間留学する友人の壮行会に豚の角煮を作った。友人の留学先はイスラム圏であり、豚肉を食べる機会がきっと減るだろうからということからのチョイスである。豚の角煮というと、うちの母が都会の大学に行っていた兄が帰省する度に作っていた、兄と母親の関係を象徴するもののような気がしている。そんなこんなで、自分で豚の角煮を作るのは初めてだった。先行研究をいくつか斜め読みして、大根を入れたい、油っぽくないやつがいいというイメージを作ったうえで、臨む。
肉は5センチくらいずつの塊に切り分ける。そして、片栗粉をまんべんなくまぶし、サラダ油をひいたフライパンで表面に焼き色をつける。焼き色がついたら、小鍋に水を入れ肉がひたひたに浸かる状態にして火にかける。沸騰したら弱火にし、1時間。その間に、砂糖、醤油、酒、水でタレを作っておく。1時間たったら、肉だけをこのタレの中に入れて、落し蓋をして火をつける。沸騰したら弱火にして40分。この時に、下ゆでした大根を入れた。
最初の肉を似た湯は捨てるのだけれど、その湯を使って野菜鍋のスープを作った。それも美味しかった。
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- 続 - 山下清展 〜素直さに触れる

2016-10-10 | 言葉にする
今回の展覧会で特に面白かったのは、作品の脇に山下清の言葉が添えられていたことである。ドイツを旅した時の教会の絵の傍らには、「ステンドグラスが綺麗でずっと上を向いていたら、首が疲れてしまって途中から綺麗でなくなりました」というようなことが書かれていた。こういう素直さが好きだ。2016年のテーマを「素直」にしている私にとってはとにかく刺激的だった。そんな素直な感性で書かれた絵だから親しみやすいのかもしれない。
先週の授業から、本格的な講義に入った。子どもの権利について、子どもの権利を保障することと、大人が子どもを保護するという間には明確な線引きができなくて難しいということを伝えたかった。そこで、こんな素直な感性に出会う。
「子どもは大人のいうことを聞きかなくてはいけないわけではないけれど、体も未熟だし、知識もないし、責任があるわけではないから、そんな子ども相手に平等にしようとしている大人は大変だなあと思いました」
こういう素直さに触れたとき、私は幸せを感じる。
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山下清展に行く

2016-10-03 | 日記
週末、山下清展に行ってきた。前に一度映画かドラマで見たことのあるおにぎりを食べていたシーンが印象的な「裸の大将」である。ポスターは有名な作品の一つである「長岡の花火」だった。その画風の懐かしさに惹かれた。
裸の大将と言えば、全国を旅して絵をかいている。白い下着のような服にハーフパンツ姿で、言葉がおぼつかない。そんなイメージだ。
しかし、実際には、映画「裸の大将」の脚色によりできたイメージとは全く異なっていた。旅の途中では絵は描いていないし、着物姿だったようだ。確かに彼は、「精神薄弱児」と呼ばれ、そういう子どもが多く集まる施設で子ども時代を過ごす。その施設で絵を描くようになり、最初は昆虫、そして静物、そして自分を含めた学校での生活、と描く対象が広がっていく。まるで、彼の社会の認識の広がりのように。そして、いつの日かそこを抜け出し、放浪に出る。彼が見た社会はなんだったのだろう。食べ物がなくて物乞いをしたり、犬に追いかけ回されたり…。放浪の時のリュックサックには「護身用」の石ころ(対犬)が数個入っていたそうだ。風景を記憶する能力に長け、数ヶ月または数年の放浪から帰った後に集中的に作品を書き続けたという。「裸の大将」とは全く違う人間・山下清だった。ー続くー
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