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世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

橋下徹という男を考える 好き嫌いはさておき、彼の政治的価値を考える

2012年04月17日 | 日記

 

「仮面の騎士」橋下徹 独裁支配の野望と罠
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講談社



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橋下徹という男を考える 好き嫌いはさておき、彼の政治的価値を考える


 筆者は、最近の永田町の政治状況を観察した上で、≪ 現実味増す「小沢・橋下政党」「小異を残して大同につく」、周恩来 ≫、≪ “小沢の選択” 永田町通の情報・消費増税で野田が自民案丸呑みで 大連立 ≫ と云うコラムなどを通して、小沢一郎と橋下徹の政治的連携について言及している。ブログに寄せられるコメント等を読んでいると、橋下への抵抗感を表したコメントの多さに、少々驚いている。概ね“橋下のような男が国政で権力を握ったら、ファシズム政権が必ず誕生する”と云う趣旨なのだが、橋下がどのような時系列で独裁的ファシストになるのか、言及している人はいない。

 左寄りの人々にとって彼が天敵のように見える気持は簡単に理解できる。リベラル、乃至はニュートラルな人々の中にも、得体の知れない抵抗感があるようだ。最も不思議な現象は、ネトウヨ系の人々の中に、反橋下がことの他多い事である。“アイツは反日だ!”と云う理由のようである。右からも左からも、真中からまで嫌われる橋下、益々興味の湧く政治家に思えてくる。筆者の情緒だけで、面白い政治家だと決めつけるだけでも自由なのだが、なぜ?そんなにも過激に橋下を嫌う人々が存在するか、筆者なりに考えた。

 右系の人々は総じて橋下に好感を持っている。その辺は、誰でも理解できる。ただ、彼らが困惑しているのが、橋下の原発再稼働への対応だ。橋下ヨイショであるにも関わらず、原発問題で目が泳ぐと云う現象をみせている。リベラル系は橋下の言っている事には理解を示したり、正論だと評価しながら、政治手法が乱暴で暴力的だと非難乃至は支持を留保している。あきらかに保守本流と云うか既存の枠組み温存系の新潮:新潮45が反橋下論調を展開している。右も左も真ん中も、彗星の如く出てきてしまった橋下と云う男の扱いに戸惑っている。

 この現象自体が非常に面白い。まるで宇宙から落っこちてきた存在の男に右往左往している。筆者の橋下分析は至ってシンプルだ。彼は、極めて有能な現実主義者であり、思想的背景を持たない人間である。故に、橋下の発言や“取りあえずビジョン”の類に対して、口角泡を飛ばして論評しても意味はない。ビジョンの一部が世間から受け入れられないと感じたら、平気で引っ込める図々しさも兼ね備えている。市場原理主義者がブレーンでついている事を持って、彼を新自由主義者だとする説もあるが、それ程市場原理に拘っているとも思えない。世間で競争する事が無理と思われる層に対する配慮はそれなりで、弱者を虐める橋下と云う評も当たっていない。

 よく小泉純一郎と似ていると云う事で比較されるが、小泉は痩せても枯れても自民党総裁として、市場原理を導入したかに見えるが、ただ郵政民営化をしただけで、行政に自由主義を導入していないし、ブッシュ米国の命令に従順だっただけだ。小泉には家系的政治背景があったし、自民党議員であったし、家庭を裕福だったし、米国の後ろ盾もあった。人気はあったが、郵政民営化とゴールドマンを儲けさせただけの政治家である。

 それに比して、橋下は出自においても、成長過程においても、決して恵まれた環境とは言い難い。その泥沼から抜け出し、いま政治家として台頭してきたと云う事だ。彼が普通の人間に厳しいのは、その境遇から這い上がってきた人間として持つ、当然の感情なのだ。普通の人間が弱者ぶるのが許せないのである。戦わずして負けを宣言する人間には冷徹な目を持っているのだろう。甘えの構造を許さない、ただそう云う心情を激しい言葉で公言するので、他人を苛立たせるところが出てくるのだろう。ただそれだけの事で、特に彼が危険な思想の持ち主と云う論評は的ハズレである。

 筆者は、橋下に厳しい論調の人々から感じるのは“嫉妬心”だ。テレビでは、橋下を取り上げる回数が多いので、マスメディア全体が支持している政治家なのだから怪しいと感じる人もいる。しかし、このような事を言う人々の多くが、新聞雑誌と云う文字媒体を読まない人々から発せられているのも特長的だ。文字媒体全体は必ずしも橋下に好意的だとは言えない。筆者は必ずしも橋下を支持はしていない。船中八策など読んでみたら、コイツは馬鹿か、アジテーターと評する部分も多々ある。しかし、今どき、臭いものは臭い、汚いもの汚いと事実を有りのままに観、感じた事をダイレクトに語り、本音で議論する希有な政治家だと言える。これが日本の政治になかった部分だと思う。此処が今までの政治家と異なるところだ。

 つまり、日本の政治の作法が良く判らない。では、政治の作法を駆使する政治家が、正しい政治をするかと云うと、そうではない事を我々は嫌と云う程知らされている。美辞麗句を口にすれば、政治が旨く行くと思っているのは、野田佳彦と行政官僚だけで沢山だ。国民から一定の支持を、海のものとも山のものとも判らない橋下に魅力を感じるのは、糊塗して物事を見つめない、語らない、表面だけ取り繕う欺瞞の民主主義への抵抗故ではないのだろうか。あまり、いま橋下が語る多くの言葉に右往左往する必要はない。彼の頭脳はフレキシブルそのもので、リアリティに富んでおり、アジャスト上手と表現しておこう。 日々変節する人という見方もできるが、財務教に狂うより、余程マシである。

 故に、国政においては、リアルな判断と選択を自動的にする。妥協すべき処は、平気でビジョンを捨ててでも妥協する。ただ、本来あるべきは然々だと言う事は忘れないタイプだと云うに過ぎない。このようなヤンチャなパワフルな成り上がり政治家を御して、力を発揮させられる実力政治家は、日本には一人、二人しか居ないだろう。この未知の魅力を持つ政治家を制御出来る度量のある政治家がいれば、日本の真の改革への原動力として存分に使いこなす事を考えるだろう。小沢一郎が一時でも、この橋下と云う政治家を使う気になるかどうか、筆者の興味は尽きない。



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