世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

中韓露印、ASEANにソッポを向かれ始めた日本 世界の孤児ならぬアジアの孤児に

2013年04月23日 | 日記
成長の限界 人類の選択
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●中韓露印、ASEANにソッポを向かれ始めた日本 世界の孤児ならぬアジアの孤児に

 安倍自民党政権の“TPPへの交渉参加表明”は、必ず批准にまで至ると云う保証はないような気がする。安倍晋三が、オバマを裏切るとか云う意味ではなく、安倍政権の付け焼刃な経済政策が頓挫するばかりではなく、経済界が悲鳴を上げる時期が刻々と迫っている事が重要なポイントだ。つまり、対米重視一辺倒になってしまった安倍自民外交が、外交らしい選択肢をすべて捨て去った結果、アジアで孤立し、二進も三進も行かない立ち往生が顕著になってきていると云う事だ。

 覇権国としての凋落が確実なアメリカに対し、何ひとつ対等にモノが言えなくなった日本の政権、霞が関官僚組織、マスメディアの機能不全は、来るべきピークに達しかけている。もう少しで下り坂に入るのなら未だ救いがあるが、どうも頂上の先には断崖絶壁が待ち受けている地形のようである。直角三角形の頂点から、真っ逆さまに落っこちる運命と云う事だろう。民主党が政権を握っていた時点から、この傾向はみえていた。鳩山が退き、菅と小沢が最期の聖戦を行った時点に、日本の岐路があったような気がする。

 この聖戦において、民主党左派勢力と民主党松下政経塾勢力が、彼らにとって不都合な敵・小沢一郎を葬り去るために、米国暗躍勢力と手を結んだ時点で、日本の将来は、当面決定された。菅、野田と二代に亘り、失政に次ぐ失政を冒したわけだ。その時点でさえも、オバマがごり押しするTPPが、余りの不平等条約と云う理由で、流石に二の足を踏んだ形跡がみられる。しかし、棚からボタモチを二つ(自民党総裁選の勝利、衆議院選の大勝)も食べてしまった安倍晋三は、宙に舞い上がる高揚感で満たされていた。

 金融政策と云う小手先マクロ経済で、構造的に疲弊した経済成長力が突如誕生するのなら、誰も苦労はしないのである。アベノミクスの三本の矢は、すべて国民生活を苦しめるための政策である。TPPにも、同種の臭いがプンプンしている。この二つの棄民政策は、驚異的に生活者としての国民生活を破壊するだろう。ジャブジャブの金融緩和政策は、経済成長期には通用する金融メカニズムだが、必然性のある潜在的に成長力が見込めない先進国の経済土壌には不適合なのである。供給が需給を上回った国家で、金が潤沢になっても、投資する先がないのだ。そのような産業を、無理矢理でも創り出すなら別だが、それでは社会主義国家そのもになる。

 国際収支のバランスも、恒常的にマイナスに転じた。その輸出入のバランスの崩壊は、円安誘導により、更なる悪化を来すのは確実な情勢だ。三本目の矢だと云う、成長戦力も酷い内容で、サラリーマンを更なる地獄につき落とす勢いの話に傾いている。おそらく、非正規社員の比率はとめどなく拡大し、7割の勤労者が非正規雇用になるのだろう。そのような政策で、誰が得をするのか?一定の経済ベースに裏打ちされた人々の中で、知識教養に努力と運とを備えた僅かな人間が勝者となる、弱肉強食国家の成立が約束されたようなものである。

 上記の問題だけでも、充分に最悪なのだが、更に最悪は重なり、日本を襲うだろう。それが、最近目立ちはじめた、中国、韓国との明確な外交上の軋轢である。なにせ、安倍晋三は、米国一辺倒外交にシフト、その他の外交はモンゴル辺りとちょめちょめしているだけで、これといった外交交渉を行うことが出来なくなっている。逆の言い方をすれば、オバマだけをジッと見つめているような視野狭窄な妾に、他の近隣国家は匙を投げてしまったのである。つまりは、アジアにとって、日本不要論のような機運を、安倍自民党自身が投げかけてしまったのである。

 たかが韓国のパク・クネ大統領にまで舐められ、パク大統領は米国、中国を訪問予定で、日本はその次に行こうかと云うスケジュールだと云う。例年4月には行われていた「日中財務対話」のスケジュールに、当然麻生副総理兼財務相が行くつもりだったが、習近平国家主席にも、李克強首相にも会えそうもなく、不貞腐れ、菅官房長官は「全く検討もしていません」としらばっくれている。

 また、麻生が靖国神社を参拝し、韓国を苛立たせ、今週末に予定していた尹炳世外相の訪日を取りやめた。北朝鮮問題で、緊密な連携が求められているにも関わらず、日韓のしこりは、新大久保などのヘイトスピーチ韓国排斥デモとも重なり、石のように固くなってしまった。前大統領李の狂気の竹島上陸では、日本に分があった日韓関係悪化も、どうもイーブンから、韓国側有利に流が変わりつつある。中国との関係改善の目処が立たない以上、せめて韓国とは雪解けムードを演出する外交が求められていたが、どうも方向は悪い向きを加速させている。

 超党派の日中友好議員連盟(会長・高村正彦自民党副総裁)も5月1~3日に予定していた訪中を中止すると発表した。希望していた習近平国家主席、李克強首相、李源潮国家副主席との会談の見込みが立たず、すごすごと断念を表明した。日本側には、超党派議連の訪中を関係改善の糸口にしたいと思惑があり、高村は安倍の特使として訪中する腹のようだった。そんな糞ったれな子供騙しが通用する環境ではなくなった現実をあまりにも知らないノウタリンである。このようなことで、日中も、日韓も、シコリから塊りになりつつあると云うのに、安倍は、恐れ知らずと云うのか22日の予算委員会で「村山談話を継承する気はない」、「戦後70年を迎えた段階で、安倍政権として未来志向のアジアに向けた談話を出したいと考えている」と語り、2015年に自らの新談話を発表すると発言した。

 えっ!2015年?今年は2013年のはずだが、ほう!2015年まで首相でいると思っているようだ(笑)。麻生が慌てているのではないだろうか。石破も慌てているだろう。こりゃ堪らなく滑稽な予算委員会における発言だ。2年先の予定まで口にする、どこまで能天気な男なのだろう。それを、そのまま突っ込みも入れずに垂れ流す、マスメディアもマスメディアだが・・・。まだ話は続きがある。5月の日中首脳会談は、当然のように流れているが、経団連の馬鹿爺モンサント米倉が、こともあろうか「5月半ばに訪中するから、習近平国家主席、李克強首相達と会いたな~」と申し出たそうである。当然だが色よい返事が返ってくる筈もなく、「ほんじゃ、7月ならどうじゃろ?」と益々お馬鹿な質問をしているようである。安倍晋三も経団連も外交が可能なのは、米国の息のかかった、モンゴルやサウジ辺りに限定されそうである。ロシアへの訪問は大丈夫なのだろうか?

 まぁそんなこんなで、安倍自民党は、民主の菅・野田政権以上に、隣国との関係悪化を助長している。太平洋を跨いだ米国とどれほど蜜月であっても、ひと跨ぎの韓国、中国との関係悪化では、まともな外交戦略など立てようがなく、何もかもを米国に委ねる3等国に成り下がるのは確実なようである。歪んだ右翼であれば、それは真に悦ばしい事だと諸手を挙げるだろうが、まっとうな神経の持ち主であれば、この異様さに気づかなければならない。

 TPPへの交渉参加表明は、同情的にみれば、対中、対北朝鮮との安全保障の観点からの判断であり、憲法改正で、ゆくゆくは軍隊を持つ独立国を確立するまでの仮の姿と云う解釈も成り立たないものでもない。しかし、何も今さら軍隊と銘打ち、肩肘を張ったとしても、その効果で外交が有利に展開すると考えるのは、浅はか過ぎるだろう。好戦的な、米国や中国、ロシア、北朝鮮に対抗できるだけの軍事力を維持すると云う事は、核保有一つとっても、事実上不可能な幻想である。また、軍事増強に予算を割かれ、福祉切り捨てに甘んじる国民でもあるまい。もう少し、自衛力を高める程度の認識がギリギリの線だろう。

 そんなことよりも、TPPと並走するかたちで、日中韓FTAとかRCEPを先行する状況をつくりあげ、米国を牽制する程度の外交力を発揮して貰いたいものである。RCEPが中国主導になりかねない不安が日本にはあるだろうが、交渉不可で損の上に損を重ねるTPPよりは、相当の範囲で交渉力を維持できる。ところが上述のように、中国、韓国との関係が、小さな冷戦構造のような形状を益々明確にしているのだから、手の施しようがない。このまま、内容不明の極めて乗り越える壁の高いTPPに邁進してしまえば、国家主権も民族の文化もズタズタにされかねないのである。安倍自民は憲法改正により、集団的自衛権を行使できる元気な国を取り戻すと言っているが、米国に脅かされて、元気な国もへったくれもあったものではない。安倍の民族主義が如何に低俗なものか、これだけでも説明がつく。

 当初、筆者は今夏の参議院選は前回の衆議院選よりは自民党に不利に働くだろうが、大きな情勢に変化を与えるのは厳しい、と評していたが、幾分表現を変えることにする。ここは、どうしてもTPP批准を容易にさせない勢力の結集が必要だと考えるに至っている。反TPPと反原発を何とかして選挙の争点化する運動が必要なのだろう。他国の文化にまで土足で踏み込むような協定を結ぶことが、自由貿易だとするならば、自由貿易とは個性の喪失であり、他者の価値観を認めない、ファシズムに与することになる。軍国的ファシズムより、文化的ファシズムの方が、余程怖いし悪質だ。なぜ日本が、病んだ巨人の文化を受け入れなければならないのか、とんと解せない。

 200年そこそこの歴史しか持たない文化に、2000年、3000年の文化が易々と牛耳られる必然性はない。また、そんな戯言につき合い、コウモリのような態度に終始していると、アジアの目は、中国に向いてゆく。或いは米国に向いてゆく。気がつけば、親日国家が不在のアジアで孤立し、太平洋を跨いで深情けのような愛情を注いで旦那様には、「オマエは食べ尽くしたから、もう食わなくて良い」と言われ、“そして誰もいなくなった”になるのである。名誉白人で歓ぶような“さもしさ”は捨てよ。金の亡者になっても、必ずしも金が増えるわけではない。否、むしろ失う方が多いだろう。


おどろきの中国 (講談社現代新書)
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