●黒田の金融緩和が更に5年間? 任期途中で火だるまブン投げか
政府は16日、日銀人事案を提示した。総裁は異次元金融緩和の元祖、黒田総裁の再任で、下手をすると、もう5年、“お金ジャブジャブ政策”の継続を宣言している。お金の行く場所が、国民の懐に入ってくれば、インフレ2%が実現するファンダメンタルは出来上がるだろうが、この5年間、アベノミクスなるものが、生活者の懐に潤いを与えたという話は、ついぞ聞いた覚えがない。まぁ、実質賃金が下がる一方で、インフレ2%も洒落にはならないのだが……。
まして、今回の日銀副総裁の人事案に、日銀プロパーの雨宮氏とは別に、あの超リフレ派学者である早稲田大学の若田部昌澄教授をあてる人事案を提出した。リフレ派の経済政策が、もう使い物にならない、時代遅れになっていることは、元祖ノーベル経済学賞学者のポール・クルーグマンでさえ、軌道修正するに至っているのだから、金融至上主義の限界は見えていた。プチ元祖の浜田宏一氏も、“アベノミクスはどうもムニャムニャ”と宣言する始末だ。あの人も竹中の口車に乗ったのか、晩節を汚したものだ。
このように、リフレ経済学は、功罪の罪が増えることで、世界的に失敗だということが証明済みであるにも関わらず、安倍政権は、サディストさながらに、高橋洋一並みのリフレ派の学者を副総裁(黒田の裏切りへの看視役)に据えることで、断固、金融市場に潤沢な資金供給をするとマーケットに宣言した。黒田も個人的に、異次元金融緩和でしのげると、甘い見通しをした自分を罵っていることは、彼が人間であれば当然だ。
退任した日銀副総裁だった、積極的な金融緩和による物価目標「2%」達成を唱えてきたリフレ派の岩田規久男氏は、オオカミ少年よろしく、講演会などで、いまだにリフレ理論を強弁している(笑)。もう、グローバル金融至上主義経済は、世界において、日本において、一般的な国境を意識した政治との関わりと融合できないレベルまで、別世界にワープしてしまったのだから、人智の及ぶところではなくなった。この異次元な世界から抜け出し、人智によって、人治の及ぶ経済世界に戻らなければならない時期に入っていると云うことだろう。つまり、リフレ派有利な日銀人事を提示したにも関わらず、円安どころか、市場は、円高に大きく振れているのだから、リフレ派経済は、市場からも見限られているとみるのが穏当だ。
ここまで、底が見えてしまったアベノミクスと日銀リフレ金融政策は、“双子の悪魔”のようなもので、恥を捨てても、脱却するチャンスだったが、安倍晋三は、おのれのメンツの為に、またまた、棄民な政策の継続を強行した。安倍の気持ちがわからないわけではない。安倍にとって、世論が評価する経済政策は、八百長があるとしても、株価が、8千円台から2万円台に高騰させたことによる宣伝効果だ。詳しく、日銀の(政府の)、東証上場企業の株式占有率などを分析したら、背筋が凍るほどの惨状になっているのだが、一般国民の目には“日経225”しか見えていない。
安倍は「デフレ脱却宣言」を自らの時代に実現し、名宰相と言われたかったのかどうか別にして、充分“迷宰相”の資格はある。しかし、「デフレ脱却宣言」などしなくても、最近の国民は「株が上がった」と国民に思い込ませるだけでこと足りていたわけだから、アベノミクス+異次元の金融緩和まで、ウィングを伸ばさず、国民目線を誤魔化す戦術に終始すれば良かっただけだ。最近の市場を見る限り、日本の経済は世界経済の好況に支えられ、8期連続のプラス成長なのだ。
無論、アベノミクス+異次元の金融緩和の影響がゼロとは言わないが、今後の出口戦略は、原発廃炉や放射性廃棄物の最終処分場同様、まったく道筋だ見えていない。最後は日本経済をグチャグチャニして政権放棄、“おあとが宜しいようで”と山口に引きさがるのかどうか判らないが、死ぬほど迷惑な奴である。財政も悪化の一途でありながら、NHKなどは、借金は国民一人当り何某と、いまだに馬鹿の一つ覚えを流している。俺は、借金の証文など書いた覚えはない。ネトウヨたちに払わせろ!
8期連続のプラス成長で景気回復といってはみたものの、政府も外需による稼ぎだと云う認識程度はあるようだ。外需主導経済の脆さは為替による影響が濃いわけで、どこかの段階で内需主導の景気の底堅さを、と思っていたのだろうが、少子高齢化における内需の市場は、兜町のように浮かれることはないので、騙すのは容易ではない。常に内需経済は、成長するなりの必然要因がないと動かない。社会保障制度は、支給は少なく、負担は多くと云うサイクルがあるわけだから、国民の吝嗇は更に度を増す。
内需も外需も駄目となると、望むは“戦争経済”という禁句に行きつく。“戦争経済”はたしかに、糞詰まりな国家経済のカンフル剤として効果はある。ただ、当然のことだが犠牲がつきものだ。戦争においては、老いたものが先にゆき、若いものが生き残ると云う自然界の法則が成り立たない。戦争経済においては、自然の法則に逆らうように、若い者ほど死ぬ確率が増えるのだから、尚更最悪だ。しかし、安倍自民の流れには、その傾向が読み取れ、若者ほど、それを支持している傾向まであるのだから、怖いもの知らずにつける薬はなさそうだ。最後に、ドスの効いた浜矩子先生のコラムでお口直しを……。
≪浜矩子「グローバルな規模ですさまじいカネ余り状態が広がっている」
連載「eyes 浜矩子」
経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセー「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。
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世界で株価が急落した。これは終わりの始まりか。
この株価騒動を巡って、「適温経済」という言葉が新聞の見出しを飾った。ここしばらく、それなりにはやっていた言葉だ。特にアメリカについて何かにつけて使われてきた。だが、総じてグローバル経済の状況に関しても適温談議が広がっていた。適温経済は、その字面が示す通り。万事がほどよい感じで、緩やかな巡航速度で推移していく。
リーマン・ショック前夜に、これに似た言葉がはやった。「ゴルディロックス(Goldilocks)経済」である。ゴルディロックスはおさげが似合う金髪少女だ。彼女が熊さん親子、3人家族のおうちに迷い込む。そして、ほど良く温かいスープを飲んで、ピッタリサイズのベッドで心地よくお昼寝をする。
その後の顛末についてはいろいろなバージョンがある。食い殺されるという怖いのもある。熊さんファミリーと仲良く盛り上がるという無難なエンディングの版もある。いずれにせよ、「ゴルディロックス経済」という言い方のポイントは「ほど良さ」にある。まさに適温のスープ。完璧ピッタリサイズのベッド。
ゴルディロックス経済は、そのほど良さを人々が謳歌しているそのうちに、悲惨な結末にいたった。まさに、食い殺されるバージョンのエンディングに、グローバル経済が全体として突入することになったのであった。
あの時、ゴルディロックスの3匹の熊さん物語に、残酷バージョンの終わり方があることを、どれくらいの人々が認識していただろうか。言い換えれば、ゴルディロックスと聞いたとたん、なぜ、多くの人々が、適温の後に来る熱さ冷たさの厳しさに、すぐさま思いが及ばなかったのかと、つくづく思う。
今の状況についても同じだ。そもそも、これまでのどこが適温だったのだろう。
グローバルな規模ですさまじいカネ余り状態が広がっている。適温どころか、カネのお風呂はぬるすぎてどうしようもない。だから、少しでも高温を求めて危険な湯にばかり入りたがる。そこに、突如として冷水が襲いかかってきた。エンディングはやっぱり怖いほうが正解なのである。
≫(AERAdot.:―AERA 2018年2月19日号)