アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

エゴの声、ハートの声 1

2024-04-05 19:25:50 | 思い
母なる地球が次元上昇するのに合わせて、今多くの人が自分の意識を変えようと試みている。そしてこのための豊富な情報がメディアやネット上で容易に入手できる状況にもある。更に宇宙からはそれを助長し支援してくれる膨大な量のエネルギーが注ぎ込まれている。時は絶好のタイミングにある。そして実際に多くの人たちが日々生まれ変わっている。
しかしながら、この作業に少なからず停滞してしまっている人も多い。その多くはいわゆる「手放し」がスムーズにできないでいるのが原因のようなのだ。手放しとは、刷り込まれたネガティブ信念(そのエネルギー/波動)を手放すこと。それによって自らにかけられた洗脳を解くことである。単に持っているものを手放すだけなので、一見簡単そうに思えることなのだが、事はそう簡単に進まないようにできている。
もともとこの地球人類のアセンションは極めて難易度の高いものである。地球で行われた洗脳支配は宇宙最強レベルだし、多くの星々では数百年かけて行うことが多い意識の次元上昇を、極めて短期間(例えば十年かそこら)で成し遂げねばならない。状況は甘くはない。が、まったく不可能でもない。そこで今回は、主に手放しを始めて間もない(概ね2~3年以内の)人を対象に、私自身の視点でエゴとハートの関係性についての解説をしたうえで、「手放し」を促進するためのポイントやヒントを述べたいと思う。

まずは「エゴ」と「ハート」について簡単に説明しておこう。エゴとハート、この二つの要素から、私たちが一般に「自己」と呼んでいる自分意識は作られる。自分を自分たらしめていて、どちらもこの三次元世界を体験するために必要な構成要素である。
「エゴ」を一言でいえば、生まれて以降に親や周囲の人々、あるいは学校や社会の中で私たちに刷り込まれてきた信念の集合体(一般に「信念体系」と呼ばれている)のうち、自意識に関わる部分をいう。自分はこういう人間だ。これが好きであれが嫌いだ。これをしてはいけないし、これはしないとならない。これはどうしても欲しいし、これは手放せない。などなど、主に欲や執着、自分像、他者や自分に対する評価、自分に対する出来事の定義づけの部分をいう。人は外界の刺激をこのエゴのフィルターを通して知覚し、それがどういうものであるかを主観的に認識し、それに対して特定の感情や思考を持つ。これがエゴの機能であり、私たちに三次元世界の体験を可能にしてくれるものである。エゴの無い状態というのは、例えば生まれたままの赤子とか、動物や植物のようなものに近い。
次に「ハート」だが、これは私たちの本体である「魂」とつながる部分(パイプ)と言っていい。魂はそれまでの転生で蓄積した性質や能力、性向や行動習性など、またそれら全体の積み重ねによって獲得した霊性のレベル、愛する力の強さなど、独自の「個性」を持っている。その魂が、さて次はこういう体験をして更に学びを深めようと画策して生まれてきたのが、この私たちである。青写真に描いた体験をするのに必要な記憶や人格、能力などは、このハートというパイプを通して送られている。またこのハートは、魂を通してさらに上位の集合体(オーバーソウル)やそこから派生した他の存在意識とも繋がる窓の役割も担っている。
エゴが現実認識のアプリだとすれば、ハートはサーバーと繋がる回路とでも言おうか。エゴの声の言う内容は言語化するのが容易なのに対して(つまり頭で理解しやすいが)、ハートの声は言葉として理解できない場合が多い。なんとな~くという感覚、直感、胸の痛み、ひらめき、ふと頭に浮かぶことなど、物事を理詰めで捉えることがいいことと教育されてきた私たちが気をつけていないとスルーしてしまいがちなものばかりだ。
つまりエゴとハート、この両輪がバランスよく回ることによって、私たちは魂レベルで描いた原案通りに三次元世界の体験をすることができるようにできている。両者が同じ大きさで並列している状態、これが本来の望ましい姿と言える。この状態にあるエゴとハートは、いわゆる対等の協力関係にある。例え両者の意見が対立したとしても、自己はその場の判断でどちらにでも自由に舵を切ることができる。つまり過度にエゴに傾くこともなく、すべてハートの言いなりに動くということもない。こうして魂は、体験の幅(可能性)を広げることができる。

しかし実際のところ、今まで地球上でこの「エゴ」と「ハート」のバランスは著しく偏るように誘導されてきた。エゴが過度に肥大化して、ハートを押し潰すまでになってしまっている。どうしてそんな状態になったかというと、子どもの頃にハート(この場合は魂の声)に反する信念をぎゅうぎゅうと詰め込まれるのである。生まれてきた子どもは悉く本来の自分(魂)と反する考えや行動をするように訓練される。したいことはさせてもらえない。これをしてはダメ、あれをしなきゃならないと、およそ真理からかけ離れた思考や行動を山ほど持つように厳しく躾けられる。そうして過剰に詰め込まれたネガティブ信念の塊(エゴ)は、やがてハートの声を圧倒してかき消すようになる。インナーチャイルドが狭くて暗い部屋に閉じ込められた状態だ。いくら叫んでも声を聴いてはもらえない。
私は自分の信念を見つける過程で、ある時子どもの頃に自分の魂とのつながりの糸がプツンと切れたような記憶を思い出したことがある。それは辛さ苦しさが積もり積もった末の深い哀しみの体験だった(あまりに辛いので、その体験の記憶は底の底の方に封印されていた)。その瞬間から私の自己は急におとなしくなった。従順になった。なにかの意欲を失った感じになった。そしてこの時、まさに親たちは勝利宣言をしたのである。やっと子どもが言うことをききだした、躾けを頑張った甲斐があったと。
エゴがハートを覆い隠した状態、これを比喩的な描写で描くなら、子どもでありながらお相撲さんの身体を持ったエゴが、その巨体を支えるために自己の持つほとんどのエネルギーを消費し、ハートとの連絡はほぼ絶たれて、行動はすべてエゴが決定する。つまり自己がエゴに乗っ取られた状態、エゴの自動運転の状態(意識のロボット化)である。こうなるとその状態から復帰するのは容易ではない。よほどのショックか天変地異的な事件が起きないと、目を覚まさない。
これが今日まで私たち人類の大部分が置かれてきた状況である。意識の変革とは、まずこの状態を解消することから始まる。これから、そのために私が実践したノウハウを幾つか述べていこう。

(つづく)
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