今宵のエリクソンも、Insight and responsibility p.129から。タイトルは、『本物の課題を見抜く眼と、本物の課題に応え続ける態度』という程の意味で、『…と責任』という感じじゃない。
フロイトが気付いたのは、人として大人になること(genitality ジェニタリティー)だけが、知的にクリアであること、身体も許し合って満足な関係、自分と人を思いやる気持ちを併せ持つことを確かにする、ということでしたね。これを併せ持つことは、身に着けるのも難しければ、そうあり続けるのも難しいものですよね。しかし、この3つを併せ持つことこそ、相手の様々な本物の課題に応えつづけるやり取りをする上で要石なんですね。
ここで、genitality ジェニタリティーを、「性的」とはしませんでした。それでは、日本語の「性的」とい言葉から連想する狭さが、もともとの意味を矮小化、チッポケにしてしまう嫌いがあるからです。「人として大人であること」とする方が、フロイトの気付きに遥かに近い。だって、そうでしょ、「性的に大人」だけの人が、果たして、知的にクリア、って言えます? いいえ、言えません。むしろ、知的にはバカでしょ。
「人として大人であること」だからこそ、知的にクリアであること、身体も許し合って満足な関係、自分と人を思いやる気持ちを併せ持つことができるわけでしょ。
そうだからこそ、相手の言葉にならない本物の課題を、パッと気付きて、それに応え続けることができるわけです。
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