Activated Sludge ブログ ~日々読学~

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●追われゆく坑夫と脇に追いやられた原発人災

2013年02月17日 00時00分33秒 | Weblog


asahi.comの「天声人語」(http://www.asahi.com/paper/column20130211.html)。東京新聞の記事(http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2013021402000148.html)。

 倉本聰氏の劇について、再び。 

   『●「暗闇の思想」か? 「豊かな」生活のための原発の恐怖か?

 『追われゆく坑夫たち』と筑豊文庫
 「原発事故で故郷を追われた多くの人は、帰るめどが今もたたない。なのに原発への関心や、痛みの共有は薄れてきたようだ。総選挙でも主役は経済が占め、原発は脇に追いやられた」。あ~、何でもすぐに風化してしまう国・・・。

   『●『キジバトの記』読了(1/3)
   『●『追われゆく坑夫たち』読了(1/3)
   『●『追われゆく坑夫たち』読了(2/3)
   『●『追われゆく坑夫たち』読了(3/3)

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http://www.asahi.com/paper/column20130211.html

天声人語
2013年2月11日(月)付

「悲別」と書いて「かなしべつ」と読む。閉山した炭鉱の町だが、実在はしない。脚本家の倉本聰さんがつくり出した架空の地である。まだ貧しかった戦後の時代、這(は)い上がる日本を地の底から支えたのがヤマの人たちだった▼国が豊かになるのと入れ違いに炭鉱はさびれていく。倉本さんが「悲別」を舞台に、失われゆく故郷(ふるさと)と人間模様をドラマにしたのは1984年のことだ。以来29年、今度は炭鉱に原発を重ねた劇をつくり、全国ツアーが始まった▼その「明日(あした)、悲別で」を見ると、国策に翻弄(ほんろう)されて悲哀をなめ、怒りにふるえる個々の存在がつきつけられる。国の舵取(かじと)りにもまれて、使い捨てにされる人間。名もない人々の一語一語が胸に刺さる▼閉山で去る労働者らは坑内に刻む。「我ラ世ニ遅レ不要ト言ハレタリ ヨッテ此処(ここ)ヲ去ル 文明我ラヲ踏石(ふみいし)ニシ高所ニ登リテ 踏石ヲ捨テル 踏石ノ言葉既(すで)ニ聞クモノナシ」。誰にも起こりうる痛みを分かち持ってほしい、と倉本さんは言う▼現実に戻れば、原発事故で故郷を追われた多くの人は、帰るめどが今もたたない。なのに原発への関心や、痛みの共有は薄れてきたようだ。総選挙でも主役は経済が占め、原発は脇に追いやられた▼炭鉱や原発に限らず、人が軽くみられる社会で希望を探すのは難しい。足尾鉱毒を告発した田中正造をまねて言うなら「真の文明は人を棄(す)てざるべし」であろうと、舞台を見終えて考えた。もうひと月で、3・11から2年の日がめぐってくる。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2013021402000148.html

【放送芸能】
漂う核のゴミ 警鐘を鳴らす 倉本聰
2013年2月14日 朝刊

 雪がしんしんと降る北海道富良野市の郊外。トドマツの原生林に囲まれた脚本家・倉本聰のアトリエは、昼間でも静寂が支配する。夕張、芦別、上砂川…、周りの炭鉱町をモチーフに作・演出した舞台「明日、悲別(かなしべつ)で」が全国各地で巡演されている。そこに込めたのは「世の中を少しでも変えたい」という思い。厳冬の森にあって倉本は熱い思いをほとばしらせた。 (浅野宮宏)

 エネルギー政策の転換という国策で衰退した架空の炭鉱町「悲別」を舞台にしたシリーズ最新作。原発問題を織り込んだ。きっかけは東日本大震災による福島第一原発事故。「『悲別』って石炭で食っていた地方の町が崩壊し、町全体が捨てられ、古里を失う棄民の物語。でも福島は違う。町があるのに帰れない
 調べて知る。炭鉱閉鎖と原発が始まる時期が符合し、炭鉱労働者が原発労働者になっていた。しかも東京のために送電されていた福島原発。浮かび上がったのは、地方を踏み台に中央が豊かさを保つ図式。「原発で下請けに採用され、一番危険な所に放り込まれ、日本の高度成長を支えた人間が捨てられる怒り」が創作の源になった。
 経済至上主義の呪縛からか原発と決別しない国や財界、電力による豊かな生活に飼いならされた日本人。一方で、復興が進まない被災地、相変わらず増え続ける使用済み核燃料という核のごみ。「このままじゃ、ごみ屋敷。あまりに無責任すぎる」と憂える。
 「~悲別で」では旧坑道に埋められたタイムカプセルに入った希望を目指す前作の筋立てはそのままに、核のごみを炭鉱跡に埋める話を盛った。「三百メートルの地下に希望が埋まってて、千メートルに今度は絶望を埋めようっていうのか」のせりふで、今日の課題を未来に丸投げしてしまっている同時代人に警鐘を鳴らす。
 「実は、『北の国から』も同じテーマなんですよ。正直に言うと。エネルギーを自分でつくる話でしょ。その問題を露骨に出していたら絶対つぶされるんです。糖衣錠のように、核の部分を隠して、うんと甘みをつけ、テレビ局もだまさないといけない。それがテレビドラマの手法」。老成してなお気鋭。脚本家の真の顔が眼前にあった。

       ×

 富良野GROUP「明日、悲別で」の東京公演は十九~二十一日、東京・初台の新国立劇場中劇場で。六千三百円ほか。トゥモローハウス=(電)03・5456・9155。
 くらもと・そう 1935年、東京都生まれ。脚本に「前略おふくろ様」(75~77年)、「北の国から」(81~2002年)など。1977年、北海道富良野市に移住。84年、富良野塾をつくり役者、脚本家を育てる(2010年閉塾)。06年、富良野自然塾を開き、被災者支援にも取り組む。
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