(1965/ジッロ・ポンテコルヴォ監督/脚本:フランコ・ソリナス、撮影:マルチェロ・ガッティ、美術: セルジョ・カネヴァーリ、音楽:エンニオ・モリコーネ/122分)
(↓Twitter on 十瑠 から[一部修正アリ])
図書館で借りた「アルジェの戦い」を観る。1965年のヴェネチアの金獅子賞でありますな。エイゼンシュタインを彷彿とさせるドキュメンタリータッチで、スケールも、小技も技術的には凌駕していると思うけど、好きかと聞かれればNOだな。
[ 6月25日 以下同じ]
僕は人間の葛藤を描いたドラマが好きなので、事件を描くのに終始したスタイルは好きじゃない。明らかにアルジェリア側の視点が強いんだが、両者の戦いを冷静に描いていて、かえって抵抗運動がただのテロリズムを描いたような印象もある。どっちもどっちと言いたいし、人間を描く視点としては弱いな。
「アルジェの戦い」そろそろ返却しないといけない。昨日2回目を観て、やはり違和感は残った。フランス側とアルジェリアのゲリラ的解放戦線との戦いをイタリアが中立的に描いたように見えるが、弱者であるゲリラ側への視点の傾倒は隠せない。一般のフランス系市民への爆弾テロ描写は今は見せられないな。
[ 7月 1日 以下同じ]
物語構成は、ラストシークエンスの一部を最初に見せて、その後そこに至るまでの過程を綴るというワイルダーも使っている手法で作られていて巧い。映像とナレーションとの組み合わせも臨場感があるしネ。終盤の街中に戦車が登場する一連のシーンも、少し前のミャンマーを思い出してしまったよ。
1965年の製作ですが日本公開は67年、ということで当時映画館でまだ洋画を観てなかった僕は未見のまま。後に映画雑誌で双葉さんが85点(☆☆☆☆★)を付けられていたのを知り無性に観たいと思っておりました。政治的な題材故かレンタルにも見かけることもなく、半ば諦めておりましたら我が福岡市の総合図書館のビデオライブラリーに発見し(しかもDVDだし)、数十年ぶりに念願叶ったわけです。
オープニングがこの(↑)シーン。
右端の青年アリが暫定的な主人公で、次々と逮捕されていく解放戦線の中で唯一最後まで残っていた彼とその仲間が、フランス軍に追い詰められて隠れている所です。
お話の舞台はジャン・ギャバンの「望郷」でもお馴染みのカスバ。
ヤクザ者が隠れるには絶好の場所だったカスバは植民地支配からの脱却をもくろむゲリラ軍にもアジトとしてお誂えの場所だったわけです。
一方、彼らをテロリストとして封じ込めようとやって来たフランス精鋭部隊がコチラ(↓)であります。
先頭のサングラスの強面さんが、実行部隊のマシュー隊長。
第二次世界大戦も戦い抜いた強者で、冷静に相手を分析し、投降に応じない相手にはまさに先の大戦さながらに非情に対処していきます。
マスコミ対応も冷静です(↓)。
最初は、解放戦線はフランス人警官を辻斬りのように一人、二人と殺していくやり方でしたが、フランス本国から手ぬるい対処方法しか許可をもらえなかった現地警察は犯人らがいると思われた地域に爆弾を仕掛けます。つまり爆弾テロはフランス側が先に仕掛けたように描かれていますね。
で、怒った解放戦線も意表をついて、こんな人たち(↓)に爆弾テロをさせます。
彼女らが爆弾入りのバッグを置いて行ったのは、空港のロビーとかレストランとかダンスホール。
それらのシーンもじっくり描かれていますから、昨今の無差別自爆テロまで想起して怖かったですねぇ。
爆弾を使った応酬が始まり収拾がつかなくなりそうになったので、マシューさん達がやって来るのです。
彼らは警察じゃないですからね。軍隊ですから、こんなシーンも点描されます。
映画は1954年から1960年までのアルジェリア独立戦争のアルジェでの戦いを描いていて、一旦は解放軍は制圧されたけれど、その後民衆が蜂起し、エピローグでその2年後1962年に正式に独立したとナレーションされます。
ウィキを読むと分かりますが、130年に及ぶフランスからの植民地支配を覆したわけですから、この独立戦争はもっと複雑な勢力分布と其々の思惑が複雑に絡み合って動いていったと想像できます。ゲリラのやり方も今のイスラム過激派に近かったように記述されていますね。
映画を観る時に作者の視点が自分と合うと面白いと感じますよね。
中には作者の視点が何処にあるのか分からない映画もありますけど、視点を感じて、それが心地よいと何回でも観たくなったりします。
で、ポンテコルヴォのこの映画での視点はというと、言われているようにドキュメンタリー・タッチなのでクールで温かさは感じません。だけどこれでいいのかなぁって思う自分も居るんですよね。
コスタ=ガブラスの「Z」とか「ミッシング」とか、あとパットナムが作った「キリング・フィールド」とか、政治的な事変を描いた作品を幾つか観てますけど、それらの視点には人間への愛情が感じられるんですよね。どんなに惨いシーンがあったにしても、主人公として選んだ人に対しての愛情は感じるんです。
「アルジェの戦い」の視点は人々に対する愛情が薄い感じを受けるんですよねぇ。
ツイッターでの「違和感」というのはその事ですね。なので、お勧め度は世評よりは低くなっちゃいました。
1966年のヴェネチア国際映画祭で、サン・マルコ金獅子賞と国際映画評論家連盟賞を受賞。
米国アカデミー賞では1966年の外国語映画賞、1968年の監督賞と脚本賞にノミネートされるも無冠だったそうです。
※ トレーラーではフランス人はちゃんとフランス語をしゃべってましたけど、レンタルしたDVDでは彼らはイタリア語でした。イタリア製だからそうなのかなと思ってましたけど、どっちなの?
(↓Twitter on 十瑠 から[一部修正アリ])
図書館で借りた「アルジェの戦い」を観る。1965年のヴェネチアの金獅子賞でありますな。エイゼンシュタインを彷彿とさせるドキュメンタリータッチで、スケールも、小技も技術的には凌駕していると思うけど、好きかと聞かれればNOだな。
[ 6月25日 以下同じ]
僕は人間の葛藤を描いたドラマが好きなので、事件を描くのに終始したスタイルは好きじゃない。明らかにアルジェリア側の視点が強いんだが、両者の戦いを冷静に描いていて、かえって抵抗運動がただのテロリズムを描いたような印象もある。どっちもどっちと言いたいし、人間を描く視点としては弱いな。
「アルジェの戦い」そろそろ返却しないといけない。昨日2回目を観て、やはり違和感は残った。フランス側とアルジェリアのゲリラ的解放戦線との戦いをイタリアが中立的に描いたように見えるが、弱者であるゲリラ側への視点の傾倒は隠せない。一般のフランス系市民への爆弾テロ描写は今は見せられないな。
[ 7月 1日 以下同じ]
物語構成は、ラストシークエンスの一部を最初に見せて、その後そこに至るまでの過程を綴るというワイルダーも使っている手法で作られていて巧い。映像とナレーションとの組み合わせも臨場感があるしネ。終盤の街中に戦車が登場する一連のシーンも、少し前のミャンマーを思い出してしまったよ。
*
1965年の製作ですが日本公開は67年、ということで当時映画館でまだ洋画を観てなかった僕は未見のまま。後に映画雑誌で双葉さんが85点(☆☆☆☆★)を付けられていたのを知り無性に観たいと思っておりました。政治的な題材故かレンタルにも見かけることもなく、半ば諦めておりましたら我が福岡市の総合図書館のビデオライブラリーに発見し(しかもDVDだし)、数十年ぶりに念願叶ったわけです。
オープニングがこの(↑)シーン。
右端の青年アリが暫定的な主人公で、次々と逮捕されていく解放戦線の中で唯一最後まで残っていた彼とその仲間が、フランス軍に追い詰められて隠れている所です。
お話の舞台はジャン・ギャバンの「望郷」でもお馴染みのカスバ。
ヤクザ者が隠れるには絶好の場所だったカスバは植民地支配からの脱却をもくろむゲリラ軍にもアジトとしてお誂えの場所だったわけです。
一方、彼らをテロリストとして封じ込めようとやって来たフランス精鋭部隊がコチラ(↓)であります。
先頭のサングラスの強面さんが、実行部隊のマシュー隊長。
第二次世界大戦も戦い抜いた強者で、冷静に相手を分析し、投降に応じない相手にはまさに先の大戦さながらに非情に対処していきます。
マスコミ対応も冷静です(↓)。
最初は、解放戦線はフランス人警官を辻斬りのように一人、二人と殺していくやり方でしたが、フランス本国から手ぬるい対処方法しか許可をもらえなかった現地警察は犯人らがいると思われた地域に爆弾を仕掛けます。つまり爆弾テロはフランス側が先に仕掛けたように描かれていますね。
で、怒った解放戦線も意表をついて、こんな人たち(↓)に爆弾テロをさせます。
彼女らが爆弾入りのバッグを置いて行ったのは、空港のロビーとかレストランとかダンスホール。
それらのシーンもじっくり描かれていますから、昨今の無差別自爆テロまで想起して怖かったですねぇ。
爆弾を使った応酬が始まり収拾がつかなくなりそうになったので、マシューさん達がやって来るのです。
彼らは警察じゃないですからね。軍隊ですから、こんなシーンも点描されます。
映画は1954年から1960年までのアルジェリア独立戦争のアルジェでの戦いを描いていて、一旦は解放軍は制圧されたけれど、その後民衆が蜂起し、エピローグでその2年後1962年に正式に独立したとナレーションされます。
ウィキを読むと分かりますが、130年に及ぶフランスからの植民地支配を覆したわけですから、この独立戦争はもっと複雑な勢力分布と其々の思惑が複雑に絡み合って動いていったと想像できます。ゲリラのやり方も今のイスラム過激派に近かったように記述されていますね。
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映画を観る時に作者の視点が自分と合うと面白いと感じますよね。
中には作者の視点が何処にあるのか分からない映画もありますけど、視点を感じて、それが心地よいと何回でも観たくなったりします。
で、ポンテコルヴォのこの映画での視点はというと、言われているようにドキュメンタリー・タッチなのでクールで温かさは感じません。だけどこれでいいのかなぁって思う自分も居るんですよね。
コスタ=ガブラスの「Z」とか「ミッシング」とか、あとパットナムが作った「キリング・フィールド」とか、政治的な事変を描いた作品を幾つか観てますけど、それらの視点には人間への愛情が感じられるんですよね。どんなに惨いシーンがあったにしても、主人公として選んだ人に対しての愛情は感じるんです。
「アルジェの戦い」の視点は人々に対する愛情が薄い感じを受けるんですよねぇ。
ツイッターでの「違和感」というのはその事ですね。なので、お勧め度は世評よりは低くなっちゃいました。
1966年のヴェネチア国際映画祭で、サン・マルコ金獅子賞と国際映画評論家連盟賞を受賞。
米国アカデミー賞では1966年の外国語映画賞、1968年の監督賞と脚本賞にノミネートされるも無冠だったそうです。
※ トレーラーではフランス人はちゃんとフランス語をしゃべってましたけど、レンタルしたDVDでは彼らはイタリア語でした。イタリア製だからそうなのかなと思ってましたけど、どっちなの?
・お薦め度【★★★=一見の価値あり】
>弱者であるゲリラ側への視点の傾倒は隠せない
そうですね。極めて観照的です。
フランス軍の拷問場面がある反面、フランスの警官が、アラブ人の子供を暴力的な市民から助ける場面などもありました。
その一方で、仰る通り、アルジェ側の立場にたっていますよね。
僕は、帝国主義を悪、時代が要請した必要悪と思っていますので、フランスを一方的に悪とはできないまでも、民族の尊厳を奪われたアルジェリア人の気持ちがよく解ります。従って、明らかにアルジェの人々に偏って観ましたから、「独立」という言葉に感動しましたよ。
>勢力分布
人間には権力欲があるわけで、独立を巡ってもそれほど綺麗ごとではないものですよね。コスタ=ガブラスが本作を撮れば、もっと人間の悪い面にフォーカスを当てたでしょう。
>フランス語
IMDbによれば、フランス語ですが、僕が観たNHK-BSバージョンもイタリア語でした。
フランス将校はフランスの俳優ですから、本当はフランス語だったのかもしれません。
アラン・ドロンの映画は一時、フランス語版と英語版の二つがあったそうです。吹き替えではなく、同じ場面を二回撮ったようです。
悪しからず。
しかし人生60年以上を過ごしますと、無駄な暴力を見過ぎました。
ガンジーまでとは言いませんが、同じように暴力に加担しないで独立運動を行った人々もいると思うんですよね。そんな人の視点で作られていたらもっと好きになったかもしれません。