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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
国文学が無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直している。古今和歌集の歌には多重の意味があり、その真髄は、公任のいう「心におかしきところ」である。人のエロス(生の本能・性愛)の表現で、俊成がいう通り、歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる。
歌のエロスは、中世に秘事・秘伝となって「古今伝授」となり、やがて、それらは埋もれ木の如くなってしまった。はからずも、当ブログの解釈とその方法は「古今伝授」の解明ともなるだろう。
古今和歌集 巻第四 秋歌上 (229)
題しらず 小野美材
をみなへし多かる野べに宿りせば あやなくあだの名をやたち南
おののよしき(信濃の権の介)
(女郎花、多くある野辺に宿りすれば、紛れもなく浮気な人との評判が、立つだろうよ……遊びめ圧し、多くあるひら野に、留まって居れば、道理なく、婀娜の汝おが、立つだろうか・難)。
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「女郎花…草花の言の心は女…草花の名…ものの名は戯れる、をみな圧し、をみな部し、遊びめたち、年中春のもの売る女たち」「あやなく…綾なく…条理なく…彩なく…粉飾なく」「あだ…徒…浮ついている…浮気な…婀娜…艶かしい…なよなよと色っぽい」「な…名…評判…汝…親しきものをこう呼ぶ…わがおとこ」「を…お…おとこ」「や…疑問の意を表す…詠嘆の意を表す」「立ち…(評判が)立つ…(ものが)立つ」「南…なむ…だろう…推量を表す…なん…難…難しい」。
女郎花・遊び女、多いところに、宿りすれば、まぎれもなく浮気な色好みと、評判が立つだろうなあ。――歌の清げな姿。
をみな圧し多くある、ひら野に留まっていれば、あやなく、婀娜な・なよなよと艶めかしいわが汝お、猶も・立つだろうか・難しい。――心におかしきところ。
をなへし多ければ、はかなく身を尽くしてしまう、かなしいおとこの性(さが)を、危惧する歌のようである。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)