帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第四 秋歌上 (231)あきならで逢ふことかたきをみなへし

2017-05-19 19:37:33 | 古典

            

 

                       帯とけの古今和歌集

                      ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直している。古今和歌集の歌には多重の意味があり、その真髄は、公任のいう「心におかしきところ」である。人のエロス(生の本能・性愛)の表現で、俊成がいう通り、歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる。

歌のエロスは、中世に秘事・秘伝となって「古今伝授」となり、やがて、それらは埋もれ木の如くなってしまった。はからずも、当ブログの解釈とその方法は「古今伝授」の解明ともなるだろう。

 

古今和歌集  巻第四 秋歌上 231

 

      藤原定方朝臣

あきならで逢ふことかたきをみなへし 天の河原におひぬものゆへ

(歌合の歌と思われる)              さだかた

(秋でないと、出逢うことが難しい女郎花、天の河原に生えないものだから・この世の秋だけのものだから……飽きの厭きでないと、合うことが難しい、をみな圧し、吾女のあの腹に、おとこは・おい尽きてしまうものだから)。

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「あき…秋…飽き・飽き満ち足り…厭き・嫌気さす」「あふ…逢う…出遭う…合う…和合する」「をみなへし…女郎花…をみな部し・遊女たち…をみな圧し」「あま…天…吾女」「河原…川はら…女腹」「川…言の心は女…おんな」「おひ…生い…老い…追い…ものごとが極まる…感極まる…尽き果てる」「ぬ…ない…『ず』の連体形で打消しを表す…ぬ(助動詞)…してしまう…完了の意を表す」「ものゆへ…ものゆゑ…ものだから」。

 

秋でないと、出逢うことが難しい女郎花、天の河原に生えない・この世のだけの・ものだから。――歌の清げな姿。

飽き厭きする情態でないと、和合することが難しい、をみな圧し、おとこは・吾女の川腹に極まり尽きてしまうものだから。――心におかしきところ。

 

ただ草花の女郎花の、秋に咲く性情を詠ん歌ではない。歌には多重の意味がある。おとこが究極に於いて、はかなく尽きる性情を詠んだと思われる歌。

 

「おひ」という言葉の意味候補は、「生ひ・追ひ・老ひ・負ひ」である。なぜか、国文学という学問は、この歌の「おひ」を「生ひ」と決めつけてしまう。清少納言は枕草子に「聞き耳異なるもの」、其れが我々の言葉であると述べている。この時代の人々は、言葉には字義以外の戯れの意味があることを前提にして、歌や人の言動を見聞きしていたのである。

歌合で歌が披露されるのは読人によって、感情をまじえず、やや長く延ばして、三度読み上げられる声だけである。歌合に出席している人々ならば、「生ひぬ…生えない…追ひぬ…感極まってしまう」と両様に聞く耳を持っていただろう。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)