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ベルクソン19 【逆さ円錐はペンである】

2009-12-15 05:44:44 | エッセイ
 尾篭な文章だが我慢して読んで欲しい。
 「じっと我慢しながら彼は静かに一段目を読み、そして、出しながらしかも抑えながら、二段目を読み始めた。半分まで来て、もう抑えることをやめ、しずかに内臓が開いてゆくに任せながら読み、さらに辛抱づよく読みつづけるうちに、昨日の軽い便秘はどうやら解消した。頼むぜ、あまり大きいと痔になってしまう。いや、ちょうどいい。そう。ああ! 便秘薬。カステラ・サグラダを一錠。人生がすっかり明るく。感動も情緒もかきたてない話だけど、歯切れがよくて気がきいてる。今は何でも活字になる。ねた涸れ時だ。彼は自分自身から立ちのぼる臭気のなかにじっと坐ったまま読みつづけた」(集英社文庫『ユリシーズⅠ』171~172頁)
 ジェイムズ・ジョイスの名高い『ユリシーズ』の第四挿話からの引用である。本編の主人公ブルームが、便器にまたがり、朝の排便をしながら新聞を読む場面の綿密な描写。発表当時、上品な文体のヴァージニア・ウルフから顰蹙をかったときいているが、まことに臭気漂う文章である。
 たとえば、ブルームが読んでいるのが、三流新聞の記事でなく、ダンテの『神曲』《地獄篇》における地獄の釜の底、悪魔の股くぐりの場面であったらどうであろうか。いや、ベルクソンの『物質と記憶』の第四図の《逆さ円錐図》のくだりであったらどうか。いやいや、引用にひとまず戻ろう。(冒頭の図を参照のこと)
 読んでいる記事が、脳内で消化されて、興味深く進行するさまが、消化して排便される快楽の自然なアナロジーとなっており、肛門は、その集約点である。糞詰まりの便秘であれば、当然、快楽の連鎖は中断される。便は廃物であるから、血肉化されて栄養となるものと快楽がすべてである。ある意味で、肛門そのものは、血肉化と快楽の象徴である。ベルクソンの逆さ円錐になぞらえれば、円錐の先端Sが《感覚-運動機能》を担っているところから、肛門であって、ABを底辺とする円錐は、便器にまたがって新聞を読んでいるブルームの体であり、脳そのものとも呼べるだろう。ベルクソンは、脳そのものの機能の特権を認めず神経系統の一部分としか看做さないから、体=脳なのである。
 


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