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日記・物語・エッセイ・感想その他

風の吹く日

2006-03-31 05:49:17 | 物語
――錬金術師Mの消息――

 風の吹く日、若き天性の錬金術師Mを尋ねた。
ここ一年、音信不通であったが、突然、メールが入り、はじめて招かれたのだ。手土産は指定のサプリメントがいいという注文なので、リックにDAKARAなる飲料水1リットルペットボトル三本を詰め込んで出かけた。はた目には引籠もり状態に見えるが、Mにとっては修行の日々であった、とメールにはある。同じメールに、目にするだけで頭痛がする複雑な数式がびっしり書き込まれ、アゾート(賢者の石)を発見したといささか興奮口調で書き込まれていた。
 Mが天才であるのは、文壇デビュー以前の詩人ポール・ヴァレリーばりの生活と奇書「ムッシュー・テスト」の愛読者であることからして明らかである。
おそらく、百円コーナーで買ってきたボードの前で、マーカーを片手に、連日数式を書き込み、書いたり消したりを繰り返し、究極の物質の探求に取り組んでいるのであろう、と想像した。
幼少の頃、すでに、アルス・マグナ(大いなる作業)を習得した彼は、アタノール(錬金術の竈)で硫黄と水銀を哲学的結婚させる初歩の段階を終了させて、メタファー段階に到達していたので、必ずしも、実際の卑俗な竈や素材を必要としていなかったのである。つまり、理論物理学になぞって言えば、彼は理論錬金術師なのだ。錬金術は物理学より精神性が高いので、この比喩は的確ではないが。
 見た目はきわめて元気であった。
過酷な研究生活に飲み食いを忘れて憔悴しきっているMを想像していたので、いささか戸惑った。先輩である私の訪問をひかえて、掃除をしたのであろう、アパート二階の部屋はこざっぱりしていた。もっとも錬金術師の研究室が片付いていたためしはないので、ふすまを開ければゴミの山であろうが。台所と廊下の窓は大きく開け放たれ、風が東西に吹き抜けるようにできていた。立ち込める瘴気を排出させるには上出来の構造と言える。東西の窓からは穫り入れの済んだ赤土の畑がひろがり、風が吹きぬけると部屋が揺れて、静かな海の上をヨットに乗って漂っているような錯覚に捉えられた。
「この揺れ具合が絶妙でしてね。なかなか引越しする気にはなれません。今までの努力が水の泡になりかねませんから」
彼と実際に会うのは、二年ぶりかも知れない。喫茶店での初対面のとき、ダスターコートのポケットから数式を乱雑に書き込んだメモ用紙を取り出して広げたのを思い出す。紙にくるまれて出てきたのは、五ミリ程の小さな赤い錠剤が二粒であった。それを水と共に一気に飲み込み、自分が錬金術師であることを早々に告白したのを覚えている。通常、われわれ錬金術師仲間では、警戒と相互牽制とで、決して名乗らぬものなのだが。
「アゾートを発見したなどと書きましたが、半分は嘘で、半分は本当です。アゾートの成熟原理を見つけただけのことであって、アゾートそのものは修練の究極の結果ですからね。ぼくはまだまだその段階には到達していません。その原理にしても未知の部分がたくさん残っているのです」
私のリックからペットボトルを取り出すと、錬金術の事故で両腕を麻痺させている私をねぎらって、恐縮しながら言った。
「卑俗のアゾートには毒素がありましてね、実害があります。大量の水分を飲んで浄化させねばならないのです。先輩は、失礼ながら、アタノールがアゾートを精製すると信じておられない。ぼくは先輩のようには、アゾートを単なる機能概念とは思いません。」
「おれは、古代ギリシアの哲人ターレスが万物は水であると言ったという意味で、アゾートが原一性(ユニテ)のシンボルであって、現実の石であるとは、信じない。だって、唯一の現実性は、アゾートそのものではなく、アゾートの媒介によって卑金属から作り出される金ではないのかね」
「現実性!あるいは生々しさと言ってもいい、それはぼくにとってまったく意味がない。夢が日々のぼくの現実なのだから」
それから彼は急に黙り込んでしまった。ある程度、予期していたように、オートマチックな自我の活動に自動変換されたのであろう。彼の錬金術の栄光と困難は、卑俗な私の想像を遥かに超えているように思えた。
わずか、一時間ほどに過ぎなかったが、私たち二人は吹きぬける風に心地よく漂った。午後3時丁度、貴重な研究時間を私のために、割いてくれたことを謝して、彼のアパートを後にしたのだった。
帰りのバスの中で、私の脳裡にヘルメス・トリスメギストスが直接書いたと伝えられるエメラルド板の第四項の言葉が青く美しく燃えていた。
「太陽は父であり、月がその母である。風はそれを己の胎内に運び、大地が育む」
                                    (了)

Diary
毎晩、強風が吹き荒れている。錬金術には若い頃から興味があった。ユタンの『錬金術』(文庫クセジュ)は愛読した。澤井繁男の『錬金術』(講談社現代新書)は、小著ではあるが、小手先の技術書にとどまらず、哲学的な観点もある名著だ。澤井氏の本で知ったのだが、カンパネラの『太陽の都』やダンテの『神曲』は錬金術と深く係わっている。ゲーテの『ファウスト』もホムンクルス誕生のくだりは錬金術を思わせる。私はポオの『ユリイカ』も錬金術的と思っている。私の部屋には、分厚い錬金術関係の邦訳書がまだ数冊残っている。最近、アマゾンで取り寄せたアロマティコの『錬金術』(創元社)は図版が多く内容も豊富で面白かった。



風の吹き矢

2006-03-30 06:07:11 | 物語
 ファンシウールはなぜ死んだのでしょうか?
 突然の口笛の、耳をつんざく鋭利な刃物のような、あるいは、稲妻の閃きのような音(ね)によって。
音(おと)が人を殺す、そんなことが信じられるでしょうか?
下手人は悪戯っ子を装った小生意気な小姓、ファンシウールの頓死を確信していたのか、劇場のざわめきをよそに、薄ら笑いを浮かべて、廊下へと出て、誰に見咎められるわけでなく、堂々と正面玄関から、足早に街路へ姿を消した美少年の小僧っ子一人。
 万座の観客の前で、偉大な俳優にして、抱腹絶倒の道化師ファンシウールは、まるでスロービデオを眺めているかのように、まずは一瞬、死の予感のように眼を閉ざし、やがて、途方もない巨大な怪物に遭遇した男のように、かっと眼を見開き、大きく息を吸い込み、よろよろと足もとがゆらいだかと思うと、ばったりと舞台上に昏倒し、彼の意識は二度とふたたび、この世の舞台に戻ってくることはなかったのです。
 最初、私はこの散文詩を読んだとき、自分の読んでいる物語をどうしたわけか、取り違えました。あの不埒な小姓の手には、劇場に入る以前に王から密かに手渡された凶器があったに違いない。ベンガル湾に浮かぶアンダマン群島伝来の猛毒をたっぷりと塗った風の吹き矢である――。
心臓を狙った猛毒の吹き矢などなかったのです。少年は凶器に訴えることなく、吹き矢の軌道よりももっと長く尾を引く口笛のひと吹きで、ファンシウールを葬ったのでした。
散文詩に戻ってみましよう。ボードレールの『パリの憂鬱』のうちの、阿部良雄氏の訳では原意に即して「英雄的な死」、福永武彦氏の訳ではいささか皮肉をこめて「晴れ晴れしい最期」と題されています。
ファンシウールが牢獄から引き出されて、出演を命じられたとき、彼が知り抜いている王の冷酷な性格と繊細な心情をどのように慮(おもんばか)ったでしょうか。よもや、道化師の天才的な演技に免じて助命されようなどと、ほんの一瞬でも考えたでしょうか。いや、人の自惚れというのには際限がありません。彼の芸術への自負心が知的能力を妨げたかも知れないのです。
一世一代の舞台でした。観客が熱演に固唾を呑み、王も、怒りを解いた一瞬もあったはずです。道化師の芸を堪能するのに、王ほどの適任者はいません。彼は権力者であると同時に最上の芸術観賞家であったのです。浮浪の身であったファンシウールを側近として宮廷への出入りを許し、一人前の芸術家として育て上げたのも王でした。その男が貴族の一味と意思を通じて、結託して王政転覆を企てたのです。黒い怒りが、血に餓えた陰険な王の本能にくすぶり、焔(ほむら)となるのを待ち望んでいました。謀議は発覚し、一味は一網打尽に捕らえられました。
そして今、貴賓席で、牢から引き出された罪人どもが観覧を強要されたのです。彼らの誰一人として、待ち受ける悲嘆の運命を予知しないではいなかったでしょう。ファンシウールはけたたましい口笛のひと吹きで殺されました。王の陰惨な心は、犠牲者と死刑執行人の愉悦のアマルガムであったでしょう。
私は、なによりも、ファンシウールの悲鳴のように聞こえたあの口笛の奇跡的なタイミングにこだわりたいのです。劇は最高潮に達していました。ときを移さず、小姓が呼び寄せられました。すでに合図一つの打ち合わせができていたのでしょう、王の目配らせだけで充分だったのです。
前の席に陣取る小姓の美少年。道化師の演技に固唾を呑んで、静まり返った観客席にささいな挙動がありました。
鋭い口笛のひと吹きに中断された演技。唐突の恐怖とそれを蔽うように訪れた最期の予兆でありました。ここに詩人ボードレールの、詩的錯乱を可能にする究極のフィクションと詩学の絶対的な焦点が見えてくるのです。詩人はどこかで書いています。
「ポエジーは世にも現実的なものではあるが、それが完全に真実なのは一つの別世界においてのみである」と。
ファンシウールは詩人のエクリチュール(創作としての書く行為)によって殺されるのであって、肉体の死はこのように文学的に訪れるものではありません。猛毒の風の吹き矢が必要なのです。
ところで、ファンシウールが、口笛をものともせず演技を続けていたとしたら?生き延びたでしょうか、あるいは、ほかの謀反の貴族とともに断頭台の露と消えたでしょうか。いや、自分自身、芸術家であった王は、ファンシウールの心情を誰よりも、残酷なまでに心得ていたので、口笛による死を確信していたに違いありません。物語には、何処を捜しても風の吹き矢など登場しません。
ちなみに、阿部良雄氏の訳本の注によれば、ファンシウールの意味はイタリア語のfanciullo(子供)からきているとあります。象徴的な次元では、生意気な小姓こそ、王の童心、あるいは、悪戯心のメタファーであったでしょう(了)

Diary
我が家に数冊しかないフランス語の原典のひとつ、ボードレールの『パリの憂鬱』の表紙を冒頭に掲げた。まだ、画像の取り込みに習熟していない。画像をクリックすると少し大きくなるようだ。もう一冊の秘蔵は全詩集といってもいいエリュアールの詩集である。ポオ、ボードレール、梶井基次郎、そしてポオの『ユリイカ』の翻訳者としても知られる牧野信一という流れが自分の原点だと少々強引に思っている。

 








風の根城

2006-03-29 06:37:44 | 物語
 鼓膜をつくサッシの金属音に目が覚める。部屋全体が、きしみ揺れている。どこから風が入るのか、引戸がワナワナ震えている。トイレに行こうと、部屋のドアを開けようとする、だが、外から強い力で押さえつけられ、びくともしない。廊下の窓は閉めずに寝てしまったのだ。
<坊主、こんな、風が強いとなあ、冨士の山麓に古城(ふるじろ)が建つぞい>
バアバのしわがれた声がはっきりと聞こえた。それから一睡も出来ずに目が覚めた。
風はいっこう吹きやまない。家中がみしみしひずみ、すべての蝶番や楔がばらばらに外れるのを待っている。無気味な音に、いても立ってもいられない。剥がれたトタン板が、金属の雨戸を激しく打ち、引き千切れて舞い上がって飛んでいく。

いつもの時間に家を出る。
職場は都心の三十七階だ。大風にもびくともしない。遥か、パノラマのかなたに、冨士の姿がすっきりと見えるが、ビルの窓から風は見えない。
<坊主、こんな、風が強いとなあ、冨士の山麓に古城が建つぞい>
話はトバ口しか知らない、ぶつぶつ呟いていたバアバも、最後まで知っていたかどうだか。後年、風か吹けば桶屋が儲かる、という噺といつしか結びついてしまい、おどけ話として、記憶の風に吹き飛ばされ、忘れてしまった。かかあ天下に空っ風の上州、疎開した頃に聞かされた。それがふっと思い出した。

稲穂が矢のように飛ばされ、柿ノ木の実が枝をつけたまま飛ばされ、地主の家の瓦がつぶてのように吹き飛ばされ、役場の門柱が看板ごと飛ばされ、神社の鳥居が根こそぎに飛ばされ、裏の納屋が飛ばされ、藁屋根が掻っ攫われ、囲炉裏が吹きざらしとなり、厠がなぎ倒され、夜具をはぐように天井が持っていかれ、神棚が横殴りに飛ばされ、畳や戸袋が飛ばされ、唐紙が飛ばされ、ついに、竃(へっつい)の灰が飛び散り、遠くの半鐘は鳴り止まず……
飛ばされた木材や家財が日本中から吹き集り、轟々と音を立てどす黒い渦巻きとなり、富士の山麓で一本の巨大な龍巻となる。
やがて、ぱったり、嘘いつわりのように収まったところに、風の古城が忽然と姿を現す。降って沸いた石垣の上に、どれも使い古した材料だが、寸分狂いなく、ぴったりと収まった幻の城。

仕事に手がつかず、風の古城のことを考える。家に電話を掛けてみる。呼び出し音が鳴っている。古城の大広間で電話がいつまでも淋しく鳴っている。
縁日の綿飴のように、出来あがると同時に、古城は網膜に幻を残したまま、家財もろとも、一瞬にして暗がりに飲まれ消え去るのだ。
ただ、いつまでも鳴り続ける呼び出し音。

風はやまない、押されるようにして、重い足を引きずり家に向かう。風の根城に――。
                                   (了)

Diary
昨晩から強風が吹き荒れている。今日から風三部作である。表紙用に青い用紙を買ってきた。昨日の童話をワードの袋とじ印刷で小冊子にして、十五部ほど作った。近く友人に配布して感想を聞くつもりだ。それに先立ち今年八十九になる老母に読んでもらった。普通の小説ならなんでも読むのだが、さっぱり分からない、分かりづらいと厳しく言われた。十五人のうちで一人でも納得してくれれば良い。孫はまだ小さいし、本当は子供に読ませたいのだが、ちょっと怖い気もする。昨日、キッチンタイマーを買おうと、大型スーパーへ、千四百円であった、ちょっと高いので三階の百円コーナーへ、なんと二百円、これで十分間に合う、たいぶ得した気になった。真間川岸の桜並木は満開に近い、デジカメで毎年同じような咲き振りを撮る、散歩コースに川と桜があるのは幸運と言わねばなるまい、少々汚れていようと、使い道のない桜の写真であろうと。




なんどでも読む そこぬけの本 -童話ー

2006-03-28 06:31:56 | 物語
 トモエちゃんは字が読めるようになりましたので、おじいちゃんが一冊の本をプレゼントしてくださいました。それはどこの本屋さんにも売っていない、トモエちゃんだけの青い美しい本でした。秋の空のように真っ青でつるつるの表紙の本でした。
「これはとてもたいせつな本だよ、」とおじいちゃんはいいました。表紙にはピンク色で大きく「なんどでも読むそこぬけの本」と題が書いてありました。
「おじいちゃん、ありがとう、わたし、ぜったいによごさないわ」とトモエちゃんはいいました。
おじいちゃんがお家に帰った後で、おかあさんがいいました。
「トモエちゃん、おじいちゃんからいただいた本を読んでみましょうよ」
 トモエちゃんはちょっと困った顔をしていいました。
「あの本はたいせつな本だから、しまっちゃったわ」
おとうさんはあきれた顔をしていいました。
「いくらたいせつな本だって、本は読むためにあるんだよ」
「わたし、だれにもわからないところにしまったの、たいせつな本なのですもの」
それから一か月たちました。おじいちゃんからトモエちゃんに電話がありました。
「トモエちゃん、あの本は読んだかね」
「いいえ、おじいちゃん、わたし、だいじにしまってあります。わたしがもっと大きくなるまでとっておくの」
おじいちゃんはちょっと残念そうに「そうかなあ、漢字もあまりないし、おかあさんにおしえてもらえば、いまでも読めるのだがなあ」といいました。
それから何年かたちました。トモエちゃんは「たいせつな本」のことはすっかりわすれてしまいました。もう小学生になったのです。
ある日、おとした鉛筆をひろおうとして、机の下の本立てに一冊の青い本が立てかけてあるのをみつけました。
大きくなったトモエちゃんは、表紙を開けて見ました。そこにはなんと書いてあったでしょうか?
それがわからなかったら、「そこぬけの本」を最初からもう一度読んでみましょう。
それでもわからなかったら、あと三回読んでみましょう。
それでもわからなかった人はつぎを読みましょう。

   *
 ある日、おとなりのヤッちゃんがトモエちゃんの家にあそびにきました。二つ上のヤッちゃんはトモエちゃんのなかよしです。
 歌のすきなヤッちゃんがくると、トモエちゃんとヤッちゃんはおかあさんのピアノにあわせて英語のいつもの歌を歌います。おかあさんもピアノをひきながら歌います。

Row, row, row your boat
Gently down the stream,
Merrily, merrily, merrily, merrily,
Life is but a dream.

 三回くりかえして歌がおわり、たのしみのティータイムです。
 おかあさんがお湯を入れたティーポットと二人のティーカップをもってきてテーブルの上にならべました。今日はちいさなチョコもひとつずつついてきています。トモエちゃんもヤッちゃんもあとで、歯をみがかなければならないなあ、とおもいました。
本もすきなヤッちゃんは、トモエちゃんの机の上に本があるのをみつけました。
「トモエちゃん、あそこにある青い本、見てもいい」
「どうぞ、読んでもいいわよ。でも声を出して読んでね」
 ヤッちゃんは大きな声で読みはじめました。
 お部屋には紅茶のいいかおりがただよっています。

「そこぬけの本」

 トモエちゃんは字が読めるようになりましたので、おじいちゃんが一冊の本をプレゼントしてくださいました。それはどこの本屋さんにも売っていない、トモエちゃんだけの青い美しい本でした。秋の空のように真っ青でつるつるの表紙の本でした。
「これはとてもたいせつな本だよ、」とおじいちゃんはいいました。表紙にはピンク色で大きく「なんどでも読むそこぬけの本」と題が書いてありました。
「おじいちゃん、ありがとう、わたし、ぜったいによごさないわ」とトモエちゃんはいいました。
おじいちゃんがお家に帰った後で、おかあさんがいいました。
「トモエちゃん、おじいちゃんからいただいた本を読んでみましょうよ」
 トモエちゃんはちょっと困った顔をしていいました。
「あの本はたいせつな本だから、しまっちゃったわ」
おとうさんはあきれた顔をしていいました。
「いくらたいせつな本だって、本は読むためにあるんだよ」
「わたし、だれにもわからないところにしまったの、たいせつな本なのですもの」
そのとき、お母さんがお部屋にはいってきました。

   *
「あらあら、そこぬけの本を読んでいるの」
ヤッちゃんはトモエちゃんのおかあさんにききました。
「おばさん、そこぬけってなあに」
おかあさんはテーブルのポットをもちあげていいました。
「ここがそこよ」
おかあさんはポットのそこをとんとんとたたきました。こんどはティーカップのそこをたたいていいました。
「ここもそこ、このそこがないのがそこぬけ、そこがなければみんなながれおちてしまうわね」
「でもへんだなあ、本にそこなんてないのになあ」とヤッちゃんはふしぎそうな顔をしました。
「どうしてでしょうね」とおかあさんもわからない顔でいいました。
トモエちゃんが小さい声でいいました。
「そうかなあ」
そこにある、あそこにあるのそこではないのかなあ、そこにない、だからからっぽの本、そんなことを、トモエちゃんは窓から見える雲ひとつない真っ青な空を見ながらぼんやり思っていました。
となりではヤッちゃんが大きな声で「そこぬけの本」のつづきを読んでいます。
ベランダではトモエちゃんが生まれたときおじいちゃんがくださったオリーブの木が二本、大きくそだって風になびいています。(おわり)
                 
                                


噴水の少女

2006-03-27 06:54:34 | 物語
何度歩いても覚えられない道がある、何度見ても覚えられない顔があるように、歩いていてふと巡り合うブロンズ像、今も道をたどってあの少女の像に必ず会えるという自信はない、手元に引き伸ばした数年前の写真がある、噴水の前、写真には写っていないが、たしか噴水があった、すっきりと弧を描く池の石囲いの向こう、一人の裸の少女がちょっと腰をひねり気味にして、両手をあげる右手から鳩を放たんとしている、後にまわると、とてもかわいいお尻、胸のふくらみはまだ少女の初々しさ、ぼくがこの少女に惹かれるのは、なんといっても顔だろう、円盤のようにやや扁平な丸い顔、後ろ手に束ねた髪、まっすぐな視線、まったく人を意識しない表情、無表情とさえいえる、そう、どこか目だけ刳り抜かれた埴輪の少女を思わせる、それともアルカイック・ギリシアの面立ち、長い頸、左右対称に肘を軽く曲げて、鳩を大空にそっと放そうという掌の表情、もしかしたら、顔と両手と飛び立つ鳩の微妙な関係、それをなんと呼んだらいいのだろう、もしかしたら自由、(おお、わがエクリチュールの密やかな女神!)、日が差している、頭髪と両肩の辺りがうっすらと照り輝いている、早朝なのであろうか、高いコンクリートの石垣の上、まばらな雑木林が煙ったように明るんでいる、像の足もと、池の水面には木の葉一つなく青銅の鏡のよう、常緑の植え込みに囲まれた調整池全体が石垣の陰なので黒ずんで、そのとき噴水の水は止まっていたのかも知れない、逆さになった少女の足もとがほのかに赤く、きっと緋鯉の影であろう、目を澄ますとコンクリートの石垣も見える、植え込みの梢も映っている、何度歩いても覚えられない道がある、何度見ても覚えられない顔があるように、ふと巡り合う散歩道の銅像、今も道をたどってあの少女の像に必ず会えるという自信はない、――。

Diary
一昨日、崖の上にある老詩人の宅を訪ねた。近年、奥様を亡くされて一人暮らしである。お子さんもおられないので、ひっそりとしたたたずまい。最近上梓されたエッセイ集の話などして帰宅。私の友人の奥さんがその装丁を手がけた。気に入ってくださったようで一安心。上り道の竹やぶと詩人を組み合わせてフォト・コラージュを作る。われながら雰囲気のある作品に仕上がったと思う。昨日、友人に見せたら、甘い感想は聞かれず、合成方法について苦言ばかり聞かされた。冒頭に掲げた写真は、合成写真ではない。画像が案外簡単にダウンロードできるのに驚いている。明日のブログは童話を予定している。いつもより長めなのでDiaryは掲載しないつもりである。





桜狩

2006-03-26 07:09:59 | 物語

 近くの公園にホームレスの男が空色のビニールシートで小屋を作って住み着いてから、かれこれ一年にもなろうか。それが一日にして、男も小屋も跡形もなくなった。桜の季節を前に、県の職員が来て取り払ったという。

どぶ川の 橋の上 どぶ川の 橋のもと
餓鬼ども たむろして 餓鬼ども たわむれて

 前には、よく息抜きの散歩に出かけたのだが、男がなれなれしくするようになってから、できるだけ公園に近づかないようにしていた。駅へ行くにも、公園を迂回して行くのだが、ばったり道で会うこともあって、バツが悪かった。やつがヒゲ面の口元で薄ら笑うのである。

馬鹿笑いに 花咲かせ ぼんぼり 馬鹿笑いに 花散らせ ぼんぼり
雌ども 淫靡にけしかけ 雌ども 淫靡にすけこまし
 
昨年、秋の夕暮れのこと、公園のベンチに腰掛けていると、水場の水道で青い小壜を丁寧に洗っていた。鮮やかな群青色が美しく、男が小壜に執着する気持ちが分かる気がした。そのとき、視線が合い、なぜかニヤッと二人して笑ってしまった。それから、数日して、同じベンチに掛けていると寄ってきて「だんな、いい薬がありますぜ」と言った。

丑三つの 花むしろ 丑三つの 花の宴
馬鹿笑いに浮かれ ぼんぼり 淫靡にたなびき ぼんぼり

「いらないよ」ととっさに答えてしまった。
 それだけの付き合いである。男はそれ以上なにも言わずに立ち去った。いまでは後悔している、なぜ男が所持している薬を私に「いい薬」と思ったのか、聞き出すために「なににきく薬」なのか聞くべきだったのだ。

花いかだ とろとろ 流れ 馬鹿笑いに 淫靡になびく
にっぽん よいとこ 一度はおいで 一度と 言わずに 二度おいで

 男の住居跡には、おびただしい大小色とりどりの空き瓶が残されていた。洋酒の瓶、ワイン、ブランディ、リキュール、焼酎、化粧水、香水、どれも見ようによっては美しかった。ありふれたビール瓶など一本もない。そのままごっそり持ち帰りたい衝動に駆られた。敷地や部屋が広かったら躊躇しなかったろう。翌日、放置された瓶は、清掃の職員が来て片付けたのか、一本もなく、きれいに整地されていた。

季節外れの 盆踊り 季節外れの 胴揚げの気勢
通りがかりの老いぼれ 一人 投げ込まれて 泥まみれのバイクさながら

 今でも、街で男を見かけることがある。ばったり出くわしても、まったく反応を示さない。話しかけてきたことなどなかったみたいに、そっぽをむいて通り過ぎる。いまさら、「あの薬、いまでもあるかい」などと聞く雰囲気ではない。

川底深く ずずっと 沈む ぼんぼり 川底深く すずっと 沈む ぼんぼり
どぶ川に 花いかだ どぶ川に 花いかに

あのとき、小屋がけ跡に乱立する瓶に混じって、ふっと目に留まった小壜があった。男が洗っていた青いクリスタルの壜である。幼いころ、病院の薬局や歯医者のターン・テーブルに置いてあったチンキ壜と同じ色形で、蓋はガラス栓になっている。ラベルはなく半分ほどなにか液体が入っていた。

流れの身こそ悲しけれ 流れの身こそ悲しけれ
行方も知らで濡れ衣 行方も知らで濡れ衣

いま、陽射しにかざして、その小壜をゆすっている。輝く瑠璃色の中で、紫紺の正体不明の液体は油性のようでねっとりと踊っている。まだ栓を開けていない。公園の満開の桜が春風に煽られ、部屋の軒下まで花びらがちらちら飛んでくる。
これを男に返したらどう思うだろうかなどと考えている。      (了)

Diary
そもそもグーグルを知ったのは『ウェブ進化論』(ちくま新書)を通読してなのだが、著者自身が認めているように、この進化論は楽観的だと思う。グーグルやウィキペディアのような発想が花咲くのは、個人の主張やアイデアが尊重される環境においてだ。日本的な馴れ合いの社会では、多くの少数派が多数派へ無意識に擦り寄る傾向があるため、常に、良識派が多数派を語る強引な感情的な潮流に抹殺される。一部の週刊誌の見出しを拾い読みすればすぐ分かる。良貨が悪貨を駆逐するなど幻想だろう。
 

ゾイエン・ブロージュ美術館を訪ねて

2006-03-25 06:41:05 | 物語
 ゾイエン・ブロージュが、スイスの山荘での恋人同伴のパーティーで、階段から転げ落ちて即死したという痛ましいニュースを知り合いの画商から、聞かされた。私は二十年ほど前に彼の美術館を訪れたのを思い出し、その話をした。
ところが、ブロージュに詳しいはずの画商は、話を信じないばかりか、私の作り話だと云って、苦笑して変な目で私を見た。
 足を運んだにもかかわらず、今では自分の体験を信じられないでいる。仮に夢であったとしても、あの灰色の澄んだ瞳をどうして忘れられよう。どんな美術館案内を見てもゾイエン・ブロージュ美術館の名を見出すことはないのも事実なのだ。後はあの時と同じように訪ねて確かめる以外にない。
ごく少数の愛好家を熱狂させるだけのマイナーな画家の名を冠した美術館が房総のはずれにあると聞いたとき、私はほとんど信じられなかった。首都から地図上では近いといいながら、JRの駅から海岸線に向かってバスで三十分はかかった。
大人の丈を越す葦が一面にくり広がり、北も南も見当が付かなかった。地図を頼りにする限り、いったん海岸に出て、川の河口に至り、そこを遡るのがわかり易そうだ。思いがけなく、鉄道の錆付いたレールに阻まれた。今は地図にも記されていないが、戦前、海岸の漁港とT市を貨物列車の路線が走っていたと聞いた記憶があった。すでに昼時は過ぎていたが、じりじりと照りつける真夏を思わせる日差しは、手加減を緩めなかった。私は当てずっぽうに廃線の赤茶けた二本のレールを伝って、東に向かった。浅葱色の高い空をギンヤンマが飛び交っているのを見たのは終戦直後下町の焼け跡以来であった。約十五分もすると、行く手の葦の葉陰に二階建てのベージュ色のモダンな建物を見つけた。
 間違いなく、目指すゾイエン・ブロージュの美術館であった。茫漠とした葦の草原の中に、敷地だけ刈り取られたという風情で、百坪ほどのエスカルゴ型のビルが建てられていた。ぐるりと一回りしたが、辺りは深閑として人の気配はない。入り口の垣根は丁寧に手入れが施されていた。車庫にシトロエンの2CV、草色の小型乗用車が二台、――そっと肩にふれるものがあった。ふり返ると、鳥打をかぶった一人の老紳士が微笑んでいた。
「わざわざ、この美術館へ」
 紳士の瞳は灰色に渦巻き、じっと視線をそらさない。
「いやぁ、一日に一人も来場者がないこともあるんですよ。地元の観光の目玉になると思ったのですがね。どうぞ中にお入りください、暑かったでしょう」
 残念ながら、この美術館のオーナーと思しき人物との会話はこれだけで、老人は、ドア口に私を案内すると、シトロエンに乗り込み去って行った。いくら金持ちであったとしても、紳士の神経を疑った。ブロージュの名を知っている人が日本にどれだけいるであろうか、ごく少数の画廊関係者の間で話題になる程度の非具象の画家である。
 館内は、入った途端に汗が冷たく感じるほどの完全冷房であった。
ブロージュの絵は、素人が見れば、巷で見かけるビル解体の現場からコンクリートの壁を引き剥がして来たものを額縁に入れただけと思うかも知れない。実際、この前衛画家の製作過程は、コンクリートの下地に光沢のある油絵具を幾重にもニスのようにぬったくったものだと言う。引き込まれるような焦げ茶を基調としていて、あるかなきかの黄や赤や青の原色で点や切れ込みを入れてアクセントをつけているだけという、色彩的にも地味な作品であった。
 この館には、ブロージュの絵のほかに、もう一つ見事な展示物があった。それは飛びきり美人の受付嬢で、老紳士の身内のものであろうか、館内で見かけたたった一人の人間。色白であるが、正真正銘の東洋系の端正な顔立ちである。足もとがなにかに触れて、見ると、体をすり寄せるようにして、まといついてきた灰色の猫、灰色に渦を巻くビー玉のような目でじっと見上げている。手を伸ばして抱き上げると、そっぽをむいて、するりと身をかわし女性の影に隠れた。
 「必要がありましたら説明いたします」という親切な申し出を断って、中央の吹き抜けの螺旋階段を二階にあがる。光彩、温度の管理は申し分ない。二階にはブロージュのデッサンと小品がうるさくなく上品に飾られていた。疲れたので、小椅子にかけて何気なく窓の外を見ると、海岸線の砂浜が美しい曲線を描いていた。距離にして1キロくらい先であろうか、おだやかな波のうねりにサーファーらしき姿がちらほら確認できた。時折、鈴の音がころころとじゃれるように響く、猫がついてきているのである。
 香ばしい匂いにひきつけられて、一階に戻ると、小卓にコーヒーが用意されていた。
「この猫、男性の方が大好きなんですよ」美しい女性は降りてきた猫を抱きかかえて言った。私が海岸までの路を訪ねると、地図を出して丁寧に説明してくれたあと、
「館長がおりましたら、浜辺まで自動車でお送りして、差し上げられましたのに」とやさしげに言った瞳は猫の目とそっくり。
 炎天下三十分歩いて、サーファー相手の〈海の家〉にたどり着く。私は青みがかった灰色の瞳のやさしい心遣いを思い、哀愁を帯びた水平線のかなたに思いをはせ、サザエのつぼ焼きでビールを一本空けた。そして、帰りの最終バスに乗り込んだのであった。

 もし、廃館になったとして、あの豪華な建物と大量のブロージュの絵はどうなったのか。百歩譲って、この思い出が信用できないとしても、私の書斎に飾られた、汚れた壁にも見える深みのある広がりを持つ小さな絵は間違いなく私のものである。ゾイエン・ブロージュの絵で、美術館訪問の直後に東銀座の画廊で購入したのだ。
 ブロージュの享年は六十六歳、私の歳と同じである。階段とアルコールそして美女の組み合わせには気をつけたい。 (了)

Diary
たしかアラン・ポオであったか、詩は短いものであり長い詩は二律背反だと書いていたと記憶している。この言葉は深い。古代ギリシア人もホメロスの叙事詩と抒情詩を混同するようなことはなかった。叙事詩は現在で言う詩とは異質のものだろう。ここで言いたいのは、短編が限りなく詩と近いということ。ファッション的な思いつきに過ぎない星新一風のショートシュートは論外として。必ずしも星新一氏の作品を否定するものではないが。


 
 
 

メフィストの古時計(別稿)

2006-03-24 06:25:34 | 物語
 過ぎ去ったのと、何もないのと、全く同じじゃないか。いったい永遠の創造なんて意味があるのか。   (『ファウスト』における悪魔メフィストの台詞)

 晩年のワグナー博士は、寝室は使わず、ひがな書斎で一日を過ごした。恩師ファウスト博士が、女好きで、街の散歩を好んだのに引き比べると、おそろしく陰気でストイックな生活ぶりであった。女中のミンナも、グレートヒェン並みの美人であったが、色目を使うことなく彼女の自尊心を傷つけても意に介さなかった。
事件は、教会への日曜礼拝にワグナーが外出したときに起こった。厳しく禁じられていた書斎への入室を敢行する口実は、いつもドアの外に出されていた朝食の皿に木べらのスプーンが見当たらなかったのと、ドアの鍵がかけられずに半開きになっていたことである。
ランタンの明かりを掲げたミンナはほとんど声を上げるばかりに驚いた。大きながっしりとしたマホガニーの机と所見台、重ね上げられた分厚い書籍、肘掛を巡らした椅子を除いて、灰色の大雪か、シートに、覆われたように物の見境がつかないほど、大量の綿埃と塵に埋もれていた。窓はどこかにあるはずなのだが、見当がつかないほど本だが実験器具だか、標本、望遠鏡だかに部屋のぐるりが塞がれている。仮寝のための寝台には、ネズミ捕り用に飼っている大きな黒猫が横たわり、女中の気配におもむろに首をもたげて目をチカチカ光らせた。ドイツ的潔癖症な上、お節介なほど親切であった彼女は、いっときの躊躇もしなかった。主人が、礼拝の後、お仲間の学者先生と公園で、雑談して帰宅するまでには三時間はゆうにあった。彼女はワグナーが入室を禁じた言いつけを勝手に解釈して、物を持ち出したり、道具の位置を変えてはならない、そのために掃除のための入室を許さなかったのだと。
 結果から言えば、哀れなワグナーは、ミンナが部屋中に叩きをかけて、綿埃を舞い上がらせ、モップと雑巾で家具や床をぴかぴかに磨き上げた清潔な書斎に入室し、「時間よ、とまれ」と賛嘆だか、絶望の叫びを発することはなかった。
律儀なワグナーは、いつものとおり、立ち寄った公園のベンチで友人の天文博士と古代ギリシアの無神論について議論をしていた。その最中に、天文博士が突然話を打ち切り、ワグナーに注意を促した。
「あっ、すごい煙だ、ワグナー博士、見たまえ君の家の方向だよ」
公園は街を一望に見下ろす場所にあって、まさに彼の屋敷の一角からもうもうと煙が舞い上がっているのを見た。公園の階段を駆け下り、辻馬車を拾い、駄賃を弾んで一路自邸へと急いだ。角を曲がれば、もう一歩のところで、出会いがしらに、別の方向からやってきた辻馬車と猛烈な勢いでぶつかり、身軽な御者は体をかわして、かすり傷一つ負わなかっが、当然のことながらシートベルトをしていなかったワグナーは馬車の中で首の骨をへし折って即死した。たちまち人だかりが出来、ようやく、町内に住むやもめの変人、元大学教授ワグナー先生と判明したころ、ミンナは書斎の掃除をし終わり、意気揚々と台所に引き上げ、今や遅しと主人の帰宅を待ち、夕食のご馳走に肉じゃが料理と精を出していた。
老学者ワグナー博士の埋葬の墓地にたたずみ、ミンナは、ちょっとした過失に深く心を痛めていた。彼女が掃除したあの日、勢い余って、暖炉の上に載ってあった銅の時計をうっかり落としてしまい、まるでハンマーで激しく叩いたように、ばらばらに壊してしまった。処分に困った彼女は、恋人のヨーゼフと相談の上で、通りかかった鋳掛屋にその残骸を只同然で売り払った。
 それはメフィストフレスがファウスト博士の死の直前に与え、老博士から弟子のワグナーに書斎ともども残された大切な形見の古時計で、すでに時を刻まなくなって、四半世紀を経過していたのを善良なミンナは知るよしもなかった。つまり、時計は壊れたが無粋な時間は止まらなかった。
ついでながら、壊れた古時計はスイスに持ち込まれ、修復されて、スイス時計産業の発展の礎となって、後世に引き継がれたとのこと。 (了)

付記
ブログ開設の冒頭に同名の作品を掲げたが、自分の意図と違うようなので書き直す。いくらか良くなったのではないかと思っている。

Diary
58年製作のチェコ映画『悪魔の発明』(ヴェルヌ原作、カレル・ゼマン監督)をDVDで観る。アニメと映像を巧みに合成させたエッチングタッチの映像はクラシックで秀逸、フォト・コラージュに使えそう。かなりデジカメに収める、うまく映っているかだ。現在のアニメと別の道があったのではないか、感じさせる。


松の実

2006-03-23 06:44:16 | 物語


 数日続いた雨もあがり、窓を開け放った公民館の二階から眺める松の梢は、若草色につんつんと萌えたち、ここまで新鮮な松の吐息が漂ってくるようだった。黒松は市のシンボルだそうで、街には、たしかに松林が多い。この神社の境内も遡れば、もっと海の近くあって、松林の面影のように、十メートルはゆうに超える大木も幾本かある。
松とても、名こそ老い木の若緑――。
「おはようございます」
 来日五年ほどだというのに、陳芳先生は、目だったアクセントもなく、日本語を話すことができる。目を輝かせて、青い実をみんなに見せて、それを床の間の片隅にちょこんと置いた。松の実である。昨夜の風に煽られて落ちた実を拾ってきたのだろう。
 会員は七、八人の太極拳のクラブである。
退職後、謡曲だとか、書道、パソコン、写真などいろいろ手を出したが、長続きせず、今では太極拳だけが残った。週に一回、体のためと言い聞かせながら、実は先生を目当てに通うのだから、一向に進歩しない。狭い家では、練習もしたことがない。
 四十歳とのことだが、どうみても二十台後半にしか見えない。丸顔に大きな目、均整の取れた中肉中背、紅を差さなくてもバラの唇、輝くような色の白さで、化粧けなしの素顔を眺めているだけで飽きない。悠久の大河を思わせる、ゆったりとした優美な動き。いつもにこやかで、やさしい。日本人のアシスタントの話では、来月には子育てのために帰国することになっている。
 その日は一段と美しく、半そでの臙脂の刺繍入りシャツからむき出しの腕は千手観音の腕のように艶かしい。ゆったりとした体操着も、伸び上がればくっきりと胸の形があらわになる。下着は着ていないらしく、かがむと白磁のような乳房の先まで覗けそうで危うい、太極拳そのものよりも準備体操が愉しい。
 一時間ほどで、車座に座り、お茶の時間になる。アシスタントが中心だが、陳芳先生も、会員も気軽に話す。先生は拾ってきた松の実が気に入ったようで、それをみんなにまわしてよこした。それは、小さなアルマジロか、穿山甲のようで、うろこ状に覆われ、重みがあって、緑色がなまなましい。
 最後に手に取った私が、握ってみたり、鼻にもっていったり、畳に置いて眺めたりしていたので、先生はよほど気に入ったと思ったのであろう。
「それあなたにあげます」と言った。

 陳芳先生は上海に帰った。クラブには別の先生がやってきた。体格のいい日本人の中年男性である。
 先生からもらった松の実は、しばらく、書棚に置いておいたが、そのまま忘れていた。今日、何気なく書棚のガラス戸を開けると、見たこともない大きな松かさが目に入った。これが、あの青々とした松の実とはとても信じられない、誰かがこっそり置き換えたかのように。朽ち葉色に変色して、台所の瓶ブラシのように広がった無残な姿、わずか二週間ほどしか経っていない。
 それを手に取り陰惨な喜びに浸っている。
なんと軽く、生き物らしいところはどこにもない、からからの変てこな物体。                      (了)

Dairy
一昨日、王ジャパンの優勝の瞬間をスパゲティー屋の二階で観た。自然なナショナリズムに浸れる最後かも知れないと思う。このブログで今後政治論議はしたくない、政治は結果なのだから、いまさらなにをかいわんや、だが、小泉政治になってからのアメリカ一辺倒、そして真の労働組合運動の壊滅状態には強く不安を感じる。そして、安部とか石原など右翼へのメディアの加担。一人ひとりが民主化していない国に二大政党制なんてナンセンスだ。いったい、膨大な残業のただ働きを許す国民が民主国家のどこにあるだろうか。

          
 
 

残月記

2006-03-22 06:38:50 | 物語


    夜もすがらひとりみ山のま木の葉に曇るも澄める有明の月――鴨長明

 板張りに寄りかかり、不覚にも居眠りをしたものであろうか。
 気づくと、床には草鞋(わらじ)に汚れた足跡が残り、書棚が荒らされ冊子や巻紙が机のあたりに乱雑に散らかっている。このような草庵に盗みに入っても、何一つ盗るものなどないのにと、ぼんやりと長明は思った。
 少しでも、高価な品といったら立てかけてある手慣れの古琵琶とさる高貴な方から賜った金箔の経本くらいだが、いずれも手はつけられていないようである。
 物音にふと立ちあがり、庇(ひさし)を掲げると、明け方の空には、ようよう光輝を失った残月が高くかかっている。
一晩、月光を浴びた芒の野原が銀色の夢のようにくり広がり、そこを一筋、獣が駆け抜けるように、人間業と思えぬ早さで、ざわざわと山を下っていく。長明は芒の揺らぎが治
まっても、なおしばらく隠れた辿道(そまみち)の彼方を見つめていた。
 庇を下ろして、燠火を起こし蚊遣りの粗朶(そだ)をくべ入れて、寺から貰ってきた燃えさしの蝋燭に火を移す。
 机の前に腰を下ろして筆を執ったとき、胸騒ぎがして脇に置いてあった『発心集』の第一巻を取り上げる。
 すでに最後の第八巻を書き終えて、今宵は後書きを書こうとしていた。求道の僧の物語の数々は「序」に「人信ぜよとにもあらねば、必ずしも、たしかなる跡を尋ねず。道のほとりのあだことの中に、我が一念の発心を楽しむばかりにや」とあるように、人に見せて褒めてもらうのではなく、自分一人のために書いたつもりである。
 ひもといた一巻を見て、一瞬、長明はたじろぐ。最初の物語「玄敏僧都、遁世逐電の事」のすべてが墨で塗り潰されていた。
「さては玄敏、月に浮かれて参ったな」
長明、少しも周章てずに、真新しい巻紙を広げて筆を下ろす
「昔、玄敏僧都と云ふ人有りけり。山階寺(やましなでら)のやむごとなき智者なりけれど、世を厭ふ心深くして、更に寺の交わりを好まず。三輪河のほとりに、僅かなる草の庵を結びてなむ思いつつ住みけり。云々」
 すべて諳んじていたのである。
 僧正僧都とあがめられ、朝廷にまで名をとどろかせた玄敏は、名利を厭い、逐電して一介の渡し守となり、弟子に発見されるや、いずこともなく姿を消して消息を絶った聖(ひじり)。
 その玄敏が己の跡を長明に書かれると知り、あの世から彷徨い出でたに違いない。
 うっすらと微笑みを浮かべた長明の顔(かんばせ)、外には残月。(了)

付記 鴨長明は鎌倉前期の歌人。著書に『方丈記』『発心集』『無名抄』がある。玄敏は玄賓が正式、奈良時代の高僧で大僧正に任ぜられながら出奔、奇行で数々の逸話を残す。
             
Diary
退職後、少しでも女房や母の負担を少なくするため昼食は作ることにしている。インスタントや出来合いは使わない。パスタ類と焼き飯、おじや、ピザ、ナンが手軽で定番となつた。スパゲッティのペペロンチーノは何度試みても難しい。今日、M君と「オリーブの樹」で食べて、やはり塩加減が肝心なことが分かった。私の料理の虎の巻『がんばれ自炊くん!』(角川文庫)にも、書いてあったが、こんなにもと思うくらい、パスタを茹でるとき塩を入れなければならない。フォトコラージュが十枚できたのでラミネートをした。スキャナーとデジカメを三層か四層で合成するのだが、絵はどれでも合うわけでなく、ポスターとか、マグリットなどのシュールの画家、コラージュ系の画家の作品が合う。レイヤーの使い方も慣れてきた。奥行きにストーリーを感じさせるのが望ましい。知人にいまどきフォトコラージュなど古いと言われたが、M君に褒められて気を良くした。