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ベルクソン49

2010-01-14 06:15:39 | エッセイ
 錬金術の竈における、神聖婚とは、硫黄と水銀の結合によって、いったん死んで黒色(ニグレド)の状態を呈し、やがて、白色して最終的には赤色となり賢者の石となるのである。賢者の石は、卑金属を黄金に変えるばかりでなく、万能薬であり不老長寿の薬、空を飛んだり、姿を消したり、天使と交流したり、およそ善きことのすべてが獲得できるとされている。
 ただし、その過程と平行して、あるいは渾然一体となって、錬金術師の、必ずしも道徳的な意味ではなく人格の練磨・変成を含意しており、物質と精神のいずれかの単独で達成されることはない技術なのである。周知のとおり近代化学は、その精神面を完全に排除分離したことによって成立した。
 ベルクソンの逆円錐との関連で言えば、錬金術の竈を象徴する子宮は、古来、その器官的な形態から逆正三角形で表現される。漏斗は子宮なのである。したがって、ベルクソンの逆さ円錐の先端は、ペン先であるばかりではなく、ジョイス的には肛門であるが、錬金術的な観点からは、子宮の出産口、つまり膣である。逆さ円錐の先端を、感覚-運動機能とベルクソンは定義しているが、その内部では、外界での運動によって活力を得て、習慣的反射的に喚起される《知覚的記憶》と底辺である《純粋記憶》である夢の領域の間でダイナミックな作用が営まれている。

 「ある想起が、意識に対して再び現れるためには、その想起は、純粋な記憶の高みから、行動が成し遂げられるまさにその点まで降りてこなければならない。言葉を換えれば、想起を応答するところの呼びかけが出てくるのは現在からであり、生命を与える熱気、それを想起が借りるのは現在の行動の感覚-運動的諸要素からなのである」(ちくま学芸文庫『物質と記憶』219頁)


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