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ゴードン・ピムの最期

2016-08-10 16:48:22 | エッセイ
 エドガー・ポオに「アーサー・ゴードン・ピムの物語」という冒険小説がある。当時流行していた海洋冒険小説の一つで、ポオの唯一の長編小説である点でも特異であろう。周知のとおり、彼は探偵小説の鼻祖であるばかりか、ゴシック・ロマンや怪奇小説、そしてSF小説の草分け的な存在である。エッセイや詩論も手掛け、天才的な詩人・小説家として後世に大きな影響を与えた。わずか四十年の短い生涯において、この長編の「物語」は、比較的初期に書かれたものである。これまで、私は何度か、読んでみようと試みたが、DVDのスペクタクルと同様に、退屈して、投げ出した経験がある。一般的にいえば、つまらないストーリーでは決してない。
 それが、マラルメの詩を読み始めてから、ポオ作品への興味がふたたび甦って、そして、再度挑戦してようやく読了した。蛍光ペンの痕跡から、以前にも読んだのに、失念していたのだ。最後のクライマックスのシーンに圧倒された。この場面を描きたかったために、ポオはペンを執ったのであろうと思われた。作品の 三分の二にも及ぶ、退屈な冒険部分を省略して、簡単にストーリーを辿ってみよう。
数々の危機一髪を逃れて、ゴードン・ピムは、南極に近い海域で、小型のスクーナー船に救助される。船は、連なる島々の島民との交易を求めて、ツァラル島という地図にない島にやって来る。ところが、島民の奸計に引っ掛かり、船長以下全員が殺され、船も爆発して海の藻屑と消えた。危うく難を逃れたゴードン・ピムは仲間の野人ピーターズと島民のカヌーで島を脱出する。その際、ヌヌという島民を人質に連れてきたので、カヌーは、三人を乗せて、潮の流れのままに、南へ南へとひとりでに進んでいく。やがて、海流は、不気味に暖かくなり、極地へと近づく。最後の大団円の文章を引用する。
「三月二十二日。――暗さは目に見えて増してきたが、ただ行く手に見える、あの白い水蒸気の幕から反射してくる、深海の煌煌たる眩ゆい光だけは、その暗さを柔らげていた。巨大な青白い鳥が、その幕の向こうから、絶えまなく飛んできた。そしてわれわれの視界から消えるときには、あの相も変らぬ、テケリ・リ! という叫びをあげだ。それを聞くとヌヌは船底で身じろぎをした。が、触わってみると、もう死んでいた。そしていまわれわれは、あの瀑布のふところ目がけて突進していた。その瀑布には、われわれを向かい入れる割れ目が開いていた。だがわれわれの行く手には、凡そその形が比較にならぬほど人間よりも大きい、屍衣(しい)を着た人間さながらのものが立ち塞がっていた。そしてその人間の姿をしたものの皮膚の色は、雪のように真っ白であった」(創元社推理文庫『ポオ小説全集Ⅱ』二六六頁)
 理解できた範囲で解説すれば、「テケリ・リ!」という叫びは、島民の恐怖を表しているが、具体的にはっきりしない。ただ、白い幻像と関係があるようだ。読めば理解できるように、この場のイメージは、流れをさえぎる形で巨大な滝が幕をなして落下しているのだから、その裂け目は、一種の奈落へと通じているのであろう。巨大な滝は鏡への連想を誘いはしないか。そこに、滝に架かる虹のような形で、「屍衣を着た人間」が立ち塞がっている。「雪のように真っ白」とあるだけで水しぶきのために表情は解らないのであろう。復活したキリストの幻をも想像させるが、ポオの読者なら、後の名作「メイルシュトレイム渦に呑まれて」を思い浮かべるのは難しくない。ダンテの『地獄篇』の最後の恐ろしい場面も。
 物語は、引用の文章でぷっつりと終わり、その後に、編集者のものと思われる「ノート」が付されていて、ゴードン・ピムが自殺したことを記している。さらに、ツァラル島の岩の割れ目にピムとピーターズが閉じ込められたとき、見出した象形文字らしきものの解説が続き、編集者は、次のように謎めかしく書き記して「物語」を完了させている。
「ツァラル島では、白いものは何一つ見当たらず、それ以後の、ツァラル島から先の領域へ向かうカヌーの船旅では、今度は白いもの以外は何一つ見当たらなかったのである。あの岩の割れ目のある島の名称である「ツァラル」ということばは、これを綿密に言語学的に詮索してみれば、あるいはあの割れ目そのものと何らかの結びつきがあるとか、あるいは、あの曲がりくねった割れ目の奥に不可解にも書かれているエチオピア文字と何らかの関係があるとか、そういう点が、はからずも明らかにならないともかぎらないのである。「余は刻みこめり、そは丘のなかに、さらに、遺骸への余の復讐は岩のなかに」」(同書二七〇頁・アンダーラインは引用者)
 アーサー・ゴードン・ピムは、どのような経路をたどってアメリカに帰還したのか、「ノート」も記していないので不明だが、以上のような驚くべき冒険物語を発表した後に、自殺を遂げたとしている。「物語の完結させる予定の残りの数章」を校訂中に亡くなったと。もう一人の生き残りであるピーターズは、イリノイに生存しているとのこと。いずれにしても、興味深い未完の結末である。何度も熟読したい。ポオ文学の生涯変わらぬ崇拝者であったマラルメの世界との関連を予感がして。

「が、一切が終わりに達した時、もはや何ものも我れを恐怖させることはできない。鳥の形のもとに先行していたわが恐怖は遥かへとび去っている。恐怖は我がありしところのものの幽霊に取替わられたのではなかろうか? わが夢をこの衣裳から釈き放つため、こんどはわがありしところのものを反射することを我れは好む。」(秋山澄夫訳・新装『イジチュールまたはエルベノンの狂気』四二頁・思潮社)

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