Kawolleriaへようこそ

日記・物語・エッセイ・感想その他

死者と文学

2016-04-30 06:54:40 | エッセイ
 いとうせいこう著『想像ラジオ』(河出文庫、一〇一三年)は、東日本大地震の津波でさらわれて山の中腹の杉の木まで運ばれ、枝に仰向けに引っかかった遺体が、ラジオのデスクジョッキーのように語り出すという、奇想天外な設定の、ベストセラーになった小説である。その小説を書いている作者Sは、大震災の五年前に最愛の恋人を事故で失って未だに心の傷は癒えていない。何でも語り合えた愛人であった。この小説はラジオのジョッキーのおしゃべりに相当する「想像ラジオ」と亡くなった愛人との対話形式の独り言の、想像力による二つの「語り」で成り立っている。いずれも死者との対話であって、一種の鎮魂の霊的な対話と言える。
 その一方で、文学の本質を問うている。なぜなら、エクリチュールである文字もまた、私たちが想像力を駆使して、語りかけなければ死体と同じで、決して生きてこないから。杉の木の上の遺体も、私たちの想像力がそれに向けて語りかけ問わない限り、なにも語らない。愛人との対話でSが語る、こんな一節があった。
「僕は別に霊界の存在をここで否定したいわけじゃないんだけど、ただ、もし霊界があるなら人間絶滅の瞬間にそこは最も栄えるだろう。でも僕が言ってる死者の世界は逆だ。そこは生者がいなければ成立しない。生きている人類が全員いなくなれば、死者もいないんだ」(同書・河出文庫・一四六頁)
わたしがゴシックを付した部分「人類絶滅の瞬間」を読んで、ふと、アンドレイ・タルコフスキーの映画「サクリファイス」(犠牲とか生け贄の意味)を思い浮かべた。
 この映画の冒頭、言葉を失っている少年――彼は声帯の手術を受けていて話せない――が枯れかかった松の木に父親のアルクサンデルに言われるままにバケツで運んできた水をやっている。枯れ木を生き返らそうとする幼子の繰り返される行為で始まる。
 当日は父親の誕生日でもある。彼は著名な文筆家であり、妻は一世を風靡した舞台女優、二人の仲は険悪である。年頃の娘と女中一人が同居しており、ほかに通いの召使いがいて、それぞれに葛藤を抱えている。誕生日祝いに、親友の郵便配達夫と医師がやって来る。病身の少年を二階の部屋に寝かしつけて、サロンで祝いが始まろうというときに、テレビで核戦争が勃発して世界が消滅の危機にあることが告げられる。全員がパニック状態になって、無神論者のアレクサンデルでさえ神に救いを求める。ふらふらと家を出た彼は、通いの召使いマリア――家庭の内情をもっとも深く理解していると思われる――のところへやってきて救いを求める。
 翌朝、報道は間違いであったことが判明する。あの前日の混乱と動揺は何であったのか。アレクサンデルは、家に誰もいないことを確認すると、火を放って全焼させる。もちろん、それがサクリファイス(神への生贄)の意味であろう。
映画の最後は、言葉を失った少年が言葉を取り戻して、たった一人で枯れ木に水をやっているシーン。心配して自転車で駆け付けたマリアが少年の無事を見届け、声をかけずにそのまま引き返すところで映画は終わる。
 ちなみに、タルコフスキーがこの作品についてインタビューで次のように語っていることを記しておく。ライプニッツ哲学に裏打ちされた極めて深遠な思想が表明されている。
「私が、異教徒、カトリック教徒、ロシア正教徒、あるいは単にキリスト教徒の何等かの観念や偏見を持っているかどうか知ることは、それほど重要だとはおもいません。重要なのは作品それ自体です。私の考えでは、作品は全体で判断すべきであり、そのなかには必ず含まれている矛盾を探索すべきではないのです。作品の細部は、必ずしも、芸術家の内的世界の反映ではないのです。細部同士のかかわりのなかには、芸術家の内的まなざしとは矛盾した理論が存在することもあります。この映画を撮りながら、この映画は出来るかぎり多様な観客に向けられるべきだ、と私は、確信しました」(昭和六十二年四月発行の「サクリファイス」のパンフレットより)
 『想像ラジオ』の遺体が引っ掛かっている山の中腹の杉の木も、映画「サクリファイス」の海辺近くに立つ枯れた松の木も、いずれも同じ、作家の執筆のペンであり、書きつつ読み、読みつつ書く、エクリチュールの象徴なのではないか。
 もちろん、ペンで書くためには、紙が必要だ。水は紙の象徴である。いや、逆に、紙こそ水の象徴かもしれない。ついでながら、「サクリファイス」(生贄)のための火は、逆さにしたペンの形であり、上空の世界へ向けてのエクリチュールのペンの象徴でもあることを指摘しておかねばならない。「古代ユダヤ教で生け贄の動物を祭壇で焼き、神に捧げる儀式」、いわゆる燔祭(はんさい)である。
エクリチュールの犠牲に捧げられる家は、あらゆる外形的な枠組み――惰性的な習慣や怠慢やエゴイズム、あるいは物質的富を意味し象徴していよう。
 誤解がないように、強調しておきたい。ペンと紙をエクリチュールの象徴として、そこにすべてを思弁的に帰すことではなく、私たちが、芸術に接すると言うことが、ただ、創作にかかわらない傍観者として読むのではなく、ペンと紙で執筆する、無から有を作り上げる、作者自身の想像力の原点から、捉え問い直すことにほかならないこと。たとえそれが多くの犠牲者をもたらした大震災や最終戦争を扱った小説であったとしても。(了)


薄闇のモナド

2016-04-27 06:17:35 | 感想その他
雨が降っている 
コップの水を含ませて、一口
消灯して、
寝室に戻る 寝苦しい夜半

添い寝をするように 夜具に滑り込む
その頃、眠ったか 自分の寝息
コッツと音がした 
四時――起床の定刻

振り返ると、寝ている形

雨が降っている
書斎のスタンドを点ける
自分の姿の窓ガラス
誰もいない、いるはずない

解っても 解らなくても 
一行でも二行でも ライプニッツ
「述語は主語に内在している」
蛍光ペンのインク切れ

電卓で演算してみる
 0÷0=非数(Not a Number)
 違うのではないか、a が残る
 0÷0=1 ではないか?

1×0=0
逆算の虚無を敬して遠ざけ
内と外 夢とうつつを超えて
薄闇に
灯るモナドa




遠ざかるものを前に〈行分け〉

2016-04-26 05:52:05 | 感想その他
救急車は初めてではない
母が交通事故で病院に運ばれながら、
その傍らに同乗したのが八年前
今は、自分が拘束具に身を固められ、仰向けで運ばれた
友人と喫茶店に入ろうとして、風で飛んできた透明なアクリル板に、
両足を掬われ、後頭部を撃った
意識はしっかりしていた、体はまったく反応しない

かつて、盛岡での宿泊に困り
夜分ようやく探り当てた網張温泉の国民宿舎
翌早朝、
紺碧の魔に立ちすくみ、スポイトで吸い上げられるように
目前の秀麗な岩塊に、山の装備も考えず
スニーカーのまま登山を開始し
ごつごつした岩また岩に悪戦苦闘してたどり着いた頂上
盛岡に宮沢賢治の資料を探しにやって来た一人旅
予定外の岩手山登山となった
山頂から麓は、登り路とは裏腹に、草原のようななめらかさ
賢治の童話「土神と狐」の舞台が繰り広がる清涼な絶景
登ってきたのも無茶であった、
一見、なめらかに見えるスロープを道は考えず
鳥が滑空するように降りることを考えた
乗るか逸るか、投げやりな悪癖、宿業の因果に囚われ--
結果は無残であった
仰向けのままで動けない
薄雲がゆっくりと行き交う途方もなく遠い大空に魅入った
腰を守るために使った両腕は
痺れたまま、診断は頸椎のひどいヘルニア
騙しだまし今日までたどり着いた
長い時間のスパンで痺れと痛みはやや収まった
握力が極端に減退して、ドアのぶは回せない
ペンで細かな文字が書けない
重い荷物は持てない
「今後の転倒、即・車椅子」と医者の警告

心配げに見下ろす友人や店員の視線を意識しながら、
動けない体で、五、六分ほど、経過
救急車が呼ばれ、友人が同乗し運ばれた
当日の検査で、頭には異常ないとの診断
その夜から、両手両足の痺れと痛みに眠れない
かつての頸椎ヘルニアの悪化
**
体と意識の分離体験は、いずれも軽い脳震盪であったろう。
この繰り返された空白にすべてが、集約されている。
残り少ない人生、
垣間見た空の高さに封印された距離を
少しでも縮めるために、
一枚の紙のような空白に書き続けたい。

先行して働きかけるな、
送り出すな、
立て
自分の中に――

(詩はパウル・ツェラン、訳は、森治氏)

遠ざかるものを前に

2016-04-24 17:23:49 | 物語
生まれて初めて救急車に乗ったわけではない。
八年前、亡き母が交通事故で病院に運ばれながら、その傍らに同乗した。今度は、自分が拘束具に身を固められ、仰向けで運ばれた。友人と会食後、いっしょに喫茶店に入ろうとして、風で飛んできた透明なアクリル板に、両足を掬われ、後頭部を撃った。しばらく状況が呑み込めずに、仰向けに横たわっていた。意識はしっかりしていたが、体はまったく反応しない。
五十代のころ、盛岡での宿泊に困り、夜分ようやく、網張温泉の国民宿舎にたどり着いた。翌早朝、スポイトで吸い込まれるような青空に、せっつかれ、目前の秀麗な岩手山に、山の装備も考えずスニーカーのまま登山を開始し、ごつごつした岩また岩に悪戦苦闘して頂上にたどり着いた。盛岡に宮沢賢治の資料を探しにやって来た一人旅であって、岩手山登山は、予定外である。
山頂から麓は、登り路とは裏腹に、草原のようななめらかさで、賢治の童話の世界を彷彿させられる清涼な絶景である。登ってきたのも無茶であったが、今度は、一見、なめらかに見えるスロープを、まるで道など考えずに、鳥が飛ぶように降ることを考えた。一か罰か、一種の投げやりな悪癖、宿業のようなものに囚われた。
結果は無残であった。腰を守るために使った両腕は、痺れたまま、診断は頸椎のひどいヘルニア。騙しだまし今日までたどり着いた。長い時間のスパンで痺れと痛みはやや収まった。握力は極端に減退して、ドアのぶは回せず、ペンで細かな文字は書けなくなった。重い荷物は持てない。今後の転倒、即車椅子と医者から警告された。
その無謀な登山事故のとき、仰向けのままで動けずに薄雲が行き交う途方もない大空に魅入ったことがあった。
心配げに見下ろす友人や店員の視線を意識しながら、動けない体で、五、六分ほど、経過した。やがて、ごろりと転がることが出来て、近くにあった椅子席まで、誰の手も借りずに、滑り込んだ。それから救急車が呼ばれ、友人が同乗し運ばれた。当日の検査で、頭には異常ないとの診断。ところが、その夜から、両手両足の痺れと痛みに眠れない。かつての頸椎ヘルニアを悪化させたのだ。
体と意識の分離体験は、いずれも軽い脳震盪であったろう。もしかしたら、この繰り返された空白にすべてが、集約されている。残り少ない人生、垣間見た空の高さに封印された距離を少しでも縮めるために一枚の紙のような空白に書き続けたい。

先行して働きかけるな、
送り出すな、
立て
自分の中に――

(詩はパウル・ツェラン、訳は、森治氏)

検眼器をかけた虐殺者

2016-04-21 19:50:58 | エッセイ
 六十年代、私は労働争議の真っ只中にいた。安保闘争と前後して、各地の労働運動の機運が急速に高まった頃である。ベトナムの解放戦線の活動に心情的に荷担し、また、励まされた。同じ頃、インドネシアではスカルノ体制が軍部によって崩壊され、百万人にも及ぶ、それまで体制を支えてきた人たちが、共産主義者として逮捕され、情け容赦なく虐殺されたという情報がニュースの片隅にあった。背後にアメリカのCIAの暗躍が予想された。社会の根幹には、保守的なイスラム勢力と急進的な組織労働者との対立がある。
 DVD「ルック・オブ・サイレンス」(監督ジョシュア・オッペンハイマー、二〇一六年)は、虐殺された兄を持つ弟アディが、今なお地域の有力者である虐殺者に面談して、五十年も前の虐殺の模様を聴き取るという設定のドギュメンタリー形式の作品である。インドネシアでは、今もって、虐殺事件は精算されておらず、触れることはタブー視されている。こうした概略を知るだけでも、撮影は困難であったろうと推測できる。
 アディは、行商のメガネ売りの実直な男(四十四歳)である。地域の有力者、つまり当時の虐殺犯人の家を訪ねて、メガネの度数を測りながら、彼らと会話して、虐殺の現実を引き出すのである。犯人は、ほとんど後悔しておらずに、逆に国家に貢献したと自慢げに話す者もいる。兄は、共産主義者として、軍とCIAをバックにした民間の暴力集団に捉えられ、殴られた後、川淵まで引きずられ、いったんは自宅に逃げ帰ったが、翌日捕まり、何度も切り裂かれて、夜中にライトの光の中、死体を川に投げ捨てられたのだ。彼ばかりでなく、トラックで川まで運ばれた大勢の青年が同じ運命をたどった。インドネシア各地で起きていた事件の一端である。アディは兄が殺された後、二年後に生まれたのである。
 映画は、かなり手の込んだ方法を駆使して、描写しているのが分かる。後悔していない虐殺者でも、率先して語る者は少ない。中には、質問に怒り出す者もいる。人殺しの彼らさえ、犠牲者の血を飲まない者は気が狂ったと言っている。生き残ったのは血を飲んだ者ということになろう。恨まれて、アディ自身、地域での生活を脅かされかねない。そこにジョシュア監督のカメラ・スタッフが入るのだから、ドギュメンタリーとしての信憑性の問題にもなる。記録映画といえども、いやそれだからこそ、フィルムの構成――フィルムの切り貼り――は、真価の発揮しどころであろう。映画の芸術性の面から見れば、極めて高度な作品に仕上がっている。アディ一家の日常的で自然な描写は圧巻であろう。長男を虐殺された父親は、百歳を超えている。苦悩のため歯がすべて抜け落ちて、裸の肉体は、ちっぽけな骨と皮ばかりで、醜いというよりは、美醜を超えて、不思議と映画を見終わる頃に、ある種の仏の様相を呈してくる。この認知症の夫を、気丈な母親とアディが優しく面倒を見ている。この母親の悲しみも計り知れない。殺人者が今ものさばり繁栄して、頼もしいアディがそばにいるとは言え、長男を殺され、親族は寄りつかず、貧乏暮らしである。どうしても納得できようか。アディは兄の生まれ変わりだという。アディの子供が無邪気でとびきりかわいい。奥さんの表情もアディにふさわしく控えめで美しい。
 特記すべきは、やはりアディの自然で率直な人柄であろう。演技なのか、それとも完全なドギュメンタリーなのか、私たちには分からないが、なんという度量なのであろうか。聴くことはしっかりと聞き、話すことは無駄口を挟まずにしっかりと語り、犯人を追い詰める。激情を押し殺すというよりも、彼の沈黙は、相手への怒りの感情を完全に乗り越えて視線で語るのだ。虐殺者の狂気の視線を凌駕して。この沈黙と視線がなかったらこのドギュメンタリーは成り立たない。つまり「ルック・オブ・サイレンス」そのもの。彼と犯人との対決との合間に、映画は、アディが、一人でテレビに見入り、虐殺者たちが自慢げに虐殺の現場を示して、具体的な虐殺の手口を手振り身振りで語るビデオをじっと見ている様を描く。おそらく、原資料としてビデオを監督が彼に提供したものを観ているのであろう。だが、なんと言っても、設定か、現実か、理解に苦しむが、アディがメガネ売りであることの異様さであろう。このDVDのジャケットにもなっているが、眼鏡屋や目医者で使っている、度数を測るための検眼器メガネ、レンズを何度も入れ替えて調整する機械である。虐殺者は、それをあてがわれて語るという設定。巧まずして、何ものかの隠喩となっている。アディは、虐殺者のメガネに、様々なレンズを嵌めて確かめることによって、虐殺者の意識を調べ、あるいはおのれの度量を計り、記憶と感情を引き出そうとしているのではないか。彼は兄の死後生まれて、事件から五十年も経過して老齢の犯人たちに対しているのである。アディの視線によって、インドネシアの醜い現実としてよりもむしろ、どこの国にも潜んでいる、左右を問わずプロパガンダに安易に踊らされる醜い人間の残酷な本性をじっと見据える存在の確かさを示している。アディの沈黙の視線は、何年経過しようと〈復讐や諦めではなく真実を〉というエクリチュールの思想に貫かれている。なお、映画は、様々な妨害にもかかわらず、インドネシアでも上映され衝撃を与えた。
 たまたま読んでいる『パウル・ツェラン詩文集』(白水社)から詩「沈黙からの証しだて」の一節を掲げておきたい。訳は飯吉光夫氏である。

夜のそばに、そのそばに、
星がその上をへめぐった言葉を、海がその上におしよせた言葉を、
毒牙が
その綴り(シラブル)を貫いたとき、
血が凝固することなくいつまでも流れつづけた沈黙したまま語られずに終わった言葉を、
そのそばに。
沈黙したまま口に出さずに終わった言葉を、そのそばに。


スパイと芸術家

2016-04-10 07:47:37 | エッセイ
 数年前のことである。散歩コースに当たっている葛飾八幡の境内の神門にいつも決まって、女のホームレスがいた。寒さよけであろう、たくさんの衣類を着込んで、毛糸の頭巾をかぶり、汚れた紙袋を引いている。かなり大柄な女性で、ゴミ箱を漁っているか、狛犬のあたりに腰掛けていた。その人が見かけなくなって、どうしたのであろうと気になっていた。境内の公民館での雑談を小耳に挟んだところによると、最近、女が倒れて救急車で運ばれたとか。なかなか狷介な女性であったらしく、親切に声をかけると、けんもほろろな返事が返ってきたとか。オームレスのように見えるが、家がちゃんとあってそこからやってくるという噂話もあった。
 DVD「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」(監督ジョン・マルーフ)を見て、ふっとあの女ホームレスのことが頭をよぎった。ヴィヴィアンは、もちろんホームレスではなかった。乳母業という歴とした職業があって、裕福な家庭に雇われて子供達の相手をしたり、掃除など雑用するのである。彼女が特異なのは、六十年から七十年代にかけて高級二眼レフで大量の写真を撮ってストックしていたことだ。
 二眼レフは、六十年代には、日本でもブームであって、首から革紐で吊して腹のあたりで構えて、上から大きなファインダーを覗いてシャッターを切る。目の位置で構えないので、相手である被写体の目をあまり意識させずに、ピントを合わせてシャッターが切れる利点がある。手ぶれも少ない。弱点は、箱形なのでかさばることだ。
 映画は、二〇〇七年、ある若い男が、シカゴでのオークションで大量のネガを落札して調べたところ、その一枚一枚のスナップ写真に魅了される。街角でのちょっとした表情が生き生きと写っていて、写真の主のただならない才能に驚嘆する。そこから、無名の女流写真家ヴィヴィアン・マイヤー(一九二六~二〇〇九)の探求が始まる。彼女の知人(雇い主)・数少ない友人を捜し当て、彼女の人となり生活などをインタヴュー形式で解明していく。彼女は、誰でも認める変人である。インタヴューに応じた人たちは、ほとんどが好意的であったが、ちょっと隣人としては、敬遠したいタイプであろう。
 秘密主義で、自分の内面を決して明かさず打ち解けることはない。だいたい、自分の本名を明かそうとしない。不幸な幼児体験を忍ばせる男への極度のトラウマ、男は常に嫌悪の対象である。新聞紙など大量のゴミを持ち込み、自室では足りずに、ガレージまで山積みにする。乳母という仕事なのに、子供をいじめることもある。雇い主の子供が自動車事故で倒れているというのに、救助よりも、それを写真に撮ることに熱中している。
 彼女が撮ったスナップ写真はどうかといえば、いずれも街角の子供や労働者・商人・動物など、一瞬の人間的な微妙な表情を捉えている。いわゆるどの一枚にも情緒的な味わいがある。アマゾンの感想にもあったが、ポール・オースターの原作の映画「スモーク」を彷彿させる庶民的な雰囲気もある。それらの人間的な抒情と彼女の性格である、著しい人間嫌いが、甚だしく乖離した印象を与えずにはいない。さらに不思議なのは、彼女が、その膨大な十五万枚にのぼるネガを公に発表しようとした形跡をほとんど残していないこと。
 誰にも見せない写真を彼女は、なぜ撮り続けたのか。
 友人に「自分はスパイである」と言ったとか。いうまでもなく、文字通りの意味ではないだろう。普通では捉えられない一瞬を捉えるスパイなのであろう。スパイは、実名を明かさない。たとえ手柄があった場合でさえも。
 自室に残された途方もない新聞紙の山も、おそらく、彼女はくまなく読んで、ちょっとした三面記事にその都度その都度の感動を味わったのであろう。ネガが絶対に捨てられないように、新聞紙も処分できない。彼女にとって写真を撮る一瞬と痕跡としてのネガが必要なのであって、一般に見てもらって賞賛を期待する発表などどうでも良かったではないか。自分の名が後世に残るなど期待していなかったのではないか。
まして「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」という映画を作るために自分の素性を詮索して欲しくなかったかも知れない。
 映画の結末部分によれば、晩年は、生涯独身のひとりぽっちで、公園のベンチにかけてホームレスのような貧困の暮らしをしていて、救急車で運ばれた運命は、我が町の一人の孤独な女性とやはりどこか似ている。ヴィヴィアンも大柄な狷介な女性であったことも含めて。人に大いに評価され、晩年が安楽であったという典型的な幸運な人生も、生前は評価されなくても後世に名を残すという運命も、人間の真実にとって、潔さという点で、一瞬の美学に賭けたヴィヴィアンの生涯の方が、ずっと上等なのではあるまいか。
 私ごとになるが、自分の母も、生前、たくさんの油絵を描き、ほとんど展覧会にも出さずに、ある日、自動車事故で他界した。母の絵を見るたびに、その一筆一筆に賭けた母の思いこそ、生涯の花であったと思わずにはいられない。
 エクリチュールの最後の根拠が、その生の一瞬、自己完結的に集約されているはずだ。(了)

中村文則の小説

2016-04-10 07:43:57 | エッセイ
 近代文学は、創作者が、おのれを語ることによって成り立っている。古典もまた、それとの関連において評価されてきた。こうした自己言及性が、作家の人生体験から離れて能動的な書く行為自体への言及に変化しているように思える。小説ばかりでなく映画についても監督自身が制作者として登場すると言う事。いくらでも例を挙げられるように思えるが、ここでは、若手の小説家中村文則の作品『最後の命』を読んでみたい。
 物語は小学二年生(八歳)の頃、親友の冴木と目撃した、深夜の衝撃的な事件のトラウマが核となって展開される。酔っ払ったホームレスたちが、仲間である知的障害者のヤッチリと呼ばれる女性を集団強姦する現場を覗き見して、ホームレスに捕まりそうになって危うく逃れたのである。ヤッチリの死体が河から上がり、暴行に参加したホームレスたちが警察に一斉検挙される。語り手の「私」は、彼女を救えなかった呵責と、獣のように泣き叫び苦痛にゆがむヤッチリの幻影に囚われ続ける。中二になった頃、二人は犯行現場の跡地にやって来る。かつて事件を目撃したのは、その近くに幼い二人が秘密基地を作って、大人や仲間から離れて、遊んでいたためであった。秘密基地の穴倉は跡形もなかったが、思いがけなく、ブルーシートがあって、逮捕されたはずのホームレスの老人一人が生活していた。卑猥なテープを大音響でかけて自慰に耽っていた。嫌悪に耐えかねて、そこへ踏み込んだとき、なんと瀕死の状態であった。老人は、「私」の足にしがみついて助けを求めたが、その時、「私」は、用心のため鉄の棒を手にしていた。
「自分は今、この重く固い鉄の棒を、この醜い姿に、振り下ろしてもいい、いや、振り下ろすべきではないだろうかと思った」「そこには、何も躊躇する理由はないのだと思った。私は、自分が何かの正当性を有しているように思った。私の腕は、励まされるように力が入り、足から伝わる違和感と嫌悪が、そのまま、腕へと伝わっていくように思えた。棒を握っている自分の腕が、まるで違う人間のもののように思えた。自分が、自分でないような、しつこい力の固まりに、突き動かされているような、足から腕へと、嫌悪を伝達する管になったような、そんな感覚に捉えられ、私は動いた。男の汚れた衣服が、やけに鮮明に感じられた。」
 しかし、「私」は鉄の棒を男に振り下ろすことなく、足で老人の腕を振り払って、冴木と連れ立って、その場を去ったのである。この心理的な文章は、その時――中二――ではなく、成人した現在の「私」が推測して書いていることを、私たちは一時も忘れてはならないだろう。物語の経過に戻れば、冴木にせかされて「私」は瀕死のホームレスをそのままにして立ち去り、これもトラウマとして「私」につきまとう。一方、冴木のその後は、どうかと言えば、「私」がこの文章を書きはじめた現在、連続強姦魔として警察に指名手配される身となっていた。心理的に追い詰められた冴木は、自殺を前にして長文のメールを「私」に送信して来て、最初の共通のトラウマとなったヤッチリ事件について次のように告白している。
「俺はあの時、いいかい? 正直に言うけど、勃起してたんだ。そして、それが、はじめて勃起した瞬間だった。でも怖かったんだ。どうしようもなく怖くて、身体が固まって、ガタガタと震えて動けなかった。足から首まで、何かに捕まったみたいで、あまりに動揺して、あの時、俺は隠れているのに、声が出そうになった。けれど、その瞬間、すっと力が抜けたんだ。今でも、はっきり覚えているよ。力が抜けて、どうしたんだろうと思った時、俺は勃起していた。何だか、守るみたいにね」
 二つの引用は年代と場面を異にしている。それでも「私」と冴木との反応の違いが、対照的に浮き出ている。前者は、殺害の凶器である鉄の棒を表現のためのペンに持ち替えている記述者の視線であり、後者の冴木は、表現者としてではなく、ペニスの暴力的な行為者としての正体を鮮明にさせている。注意したいのは、執筆のペンと凶器そしてペニスという三者の単純な類似と相違ではなく、言うまでもなく、道徳的な善悪でもなく、生命史的とでも呼べそうな決定的な分岐点である。作者である「私」が小説の最終部分で呟く次の部分を読んで欲しい。「でも、どんな状態であれ、命ってのは厄介なんだ。ずっとね、付きまとうんだよ。強姦犯のホームレスの命でさえ、俺は割り切ろうとしてるんだけど、どうしても、付きまとう。だから、ずっと覚えていなければならないんだよ。人間の命が、厄介だっていうことを」この呟きは、自殺した冴木に熱い友情を込めて語りかけているのだ、〈冴木、お前を決して忘れないぞ、何故なら、お前はもう一人の俺なのだ〉と暗に語っているに違いない。実際、この小説のもう一つの側面は、宿命の物語でさえなく、現代では稀有な、二人の友情の物語でもある。同時に、作者である中村文則は、読者へ〈分かって欲しい〉と熱烈に語っている。もちろん、冴木のように雄弁な強姦殺人犯は少ないであろうが。私は、この短文の冒頭で自己言及性について書いたが、この小説は、作者個人の体験を超えて、人が表現者としてエクリチュールのペンをどのようにして獲得するか、という普遍的な問いを真摯に語っている。もともと、性器によって人を殺害することは出来ない、そのことを片時も忘れてはならないだろう。(了)

サロメについて

2016-04-10 07:40:23 | エッセイ
 リヒヤルト・シュトラウスの楽劇「サロメ」のDVDを友人に借りて観た。オスカー・ワイルドの同名の戯曲を原作としている。マラルメの詩「エロディアード」を読むのに、観ておきたいと思ったのだ。サロメが獄中のヨカナーン(新約聖書のバプテスマのヨハネのこと)を見初めて一方的に恋をして、拒絶されるや、可愛さ余って憎さ百倍、義父に当たるヘロデ王にヨカナーンの首を要求する。楽劇の最後は、血まみれの預言者の首にサロメが接吻するところがクライマックスであろう。王は、サロメの狂態に恐怖して家来に彼女の殺害を指示して終える。ヘロデは、自分の誕生日祝いの宴に踊ったサロメに悩殺されて、たとえ自分の領土の半分でも与えると約束していたので、サロメの要求を拒むわけにいかなかった。サロメの物語の原典は、新約聖書のマタイ伝とマルコ伝にあるのだが、そこにはサロメの名前はない。優美な踊りに王が褒美を与える段において、母なる王妃ヘロディアスに、踊り手である娘が、何にするか問うたとき、王妃がかねてから憎んでいたヨカナーンの首をと教唆した。つまり、ヨカナーンの首は、娘の欲望ではなく、母親の欲望である。ヘロディアスは、前夫を捨てて、ヘロデ王に嫁いで王妃となった。それを不倫として預言者ヨカナーンに厳しく非難されていた。
 ワイルドの戯曲に先駆けて、フロベール晩年の傑作『三つの物語』がある。その最後の物語は、ヘロディアスを題材としている。フロベールの物語は、新約聖書ばかりか、『ユダヤ古代誌』(ちくま学芸文庫)に基づいて描かれていて、資料に忠実といえよう。題名も「ヘロディアス」だが、そこには次のような一節がある。
「乙女(サロメのこと)は台座の上に立つと、ヴェールをとった。若き日のヘロディアスである。やがて、乙女は踊りはじめた。」(山田九朗訳・岩波文庫『三つの物語』一八四頁)  フロベールは、サロメよりもむしろ母親の王妃に眼を注いでいると思われる。
サロメの物語は、多くの画家の制作意欲を刺激したようで、古くはティツアーノ、マラルメの同時代では、ギュスターヴ・モローなどいくらでも名前を挙げられる。ワイルド戯曲の挿絵のビアズリーは言うまでもない。すべて艶めかしいサロメとヨカナーンの首が描かれていて、母親の影は薄い。
 私の読書範囲は狭いが、一連のサロメ像の変遷は、絵画や舞台はサロメを、文学はヘロディアスに興味を示しているように思われる。じつは、私の注目の発端となったマラルメの「エロディアード」は、言うまでもなく王妃ヘロディアスのフランス語読みで、サロメの物語にもかかわらず、王妃と娘はほとんど一体化している。マラルメは当初戯曲として書き始めたのに、様々な事情があったろうが、結論的には、戯曲の上演をあきらめて、詩として描いたと思われる。
 それでは、ワイルド流にサロメを主人公とする利点はどこにあるだろうか。まず、恋を契機とする、サロメの母親からの自立があげられる。そして、彼女が処女であることを前提とすると、ヨカナーンの軽蔑と拒否は、極めて単純な愛から殺意に転化される。彼女が、血みどろの首の唇に接吻するのは、彼女の出口なしの殺意から当然の帰結だろう。
 一方、王妃ヘロディアス=エロディアードを主題化すれば、彼女がそそのかしたサロメをも自分のものとして取り込み、サロメと一体化したヨカナーンをも、世俗的な意味でおのれに取り込むことが出来る。真意は別としても、当面、彼を殺害するという目的を達する。憎しみばかりでなく自分の体面を保つことでもある。彼女は、サロメにそうした犠牲を強いるために、娘盛りまで育てたと言えよう。義父であるヘロデの欲望を娘から逸らすという役割も果たしたと。私がなぜこの問題にこだわるかと言えば、難解を持って知られるマラルメの「エロディアード」を曖昧で抽象的な語彙解釈から解放して、物語化出来るのではないかと思っているからである。愛読しているマラルメの『詩と散文』(松室三郎訳・筑摩叢書)から「エロディアード(断章)」を掲げておく。
                  おお 鏡よ!
倦怠のためお前の縁の中で凍ってしまった冷たい水よ、
あまたたび、また幾時間も、様々の夢想に心を悩まし、
それにお前の氷の下の底知れぬ深い穴に沈み散り敷く
木の葉にも似たわが種々(くさぐさ)の想い出を探し求めて、
私は遙かな一つの影のように お前の中に姿を見せた。
だが、何という恐ろしさ! 夕べにはお前の容赦ない泉の中に
私は散乱するわれとわが夢の裸形を知ってしまった!

「倦怠」は老化による衰えである。「深い穴に沈み敷く」のはサロメの犠牲、「お前の中」は、鏡であると同時に「穴」である若いサロメの無謀なふるまい、後半は鏡とサロメが二重写しとなる。鏡面にヘロディアスの運命的な裸像が刻まれる。さらに、サロメは執筆のペン先を、凍った鏡は、執筆の白紙を暗示していまいか。詩には描かれていないが、預言者の血まみれの首は、屍と再生を果たす文字の不滅のメタファーである。ただし、マラルメもジャック・ラカンと同様に一義的には語らないことを銘記しておきたい。(了)

パプーシャの孤独

2016-04-10 06:56:10 | エッセイ
笑いぐさの話が一つある。八十年代、パリ旅行の折、セーヌ川の橋の上で、向かいからやってきた少年にショルダーバッグを奪われそうになった。連れの女房が大声を上げて盗難を免れた。そのときの私の慌てぶりを女房は、後日、面白おかしく演じて興じるのだ。それが私のジプシー体験のお粗末である。
 一九七一年、寒々とした監獄から一人の女が引き出されるところから映画は始まる。彼女は鶏を盗んだ罪で囚われていた。ジプシーの女性詩人パプーシャである。インドに発したとされるジプシーの歴史はほとんど知られていない。定住せず、土地となじまず、定職に就かず、独自の言葉を持つが文字を知らない。よそ者の呪物として文字は忌み嫌われている。ジプシーは生まれながらの流浪の民なのだ。「ジプシーに記憶があれば、つらくて死んでしまう」と言われるほど悲惨な歴史が推測される。幌馬車を連ねて、旅を続ける。その出発は定かでない。彼らには国境もなく、ある意味で歴史もない。あるのは轍の跡だけである。何で生計を立てるのか。ジプシー音楽、怪しげなカード占い、こそ泥で物をくすねる、いかがわしい仕事にも手を出す。一般民衆から常に嫌悪の目で見られ、誇り高いジプシーも、負けずによそ者を呪い、嫌悪している。
そんなジプシーの移動に一人の女の子が生まれる。彼女は幼い頃から、よそ者が使う文字に興味を持ち、仲間のジプシーに不審な目で見られながら、ほとんど独力でポーランド語を覚える。頃は、ナチスドイツがソビエト・ロシアに向けて進撃を開始して、瞬く間にポーランドを支配下に納める。アウシュビッツなど収容所で抹殺された人命は、ユダヤ人ばかりではない。好ましからぬ集団としてジプシーも真っ先に犠牲となる。虐殺されたジプシーは五十万を数えたと言う。映画は、その前段であろう、一人のポーランド人の若い詩人が、秘密警察に追われて、ジプシーに迷い込む。パプーシャが密かに見事な詩を書いているのを若者は知る。パプーシャは人に見せたり、発表するために書いているのではない。男は、ジプシーたちと行動を共にして、パプーシャを通して、ジプシーが迫害される悲惨な生活を学ぶ。
 やがてワルシャワは、ナチスの支配を脱して、ポーランドに社会主義政権が樹立され、彼らもまた、ジプシーが好まない定住化政策を推進する。男は故郷のワルシャワに帰っていく。彼は結婚して子供を持つ。放送局につとめるかたわら、密かにジプシーの研究を続けて、パプーシャと交流して彼女の詩を公表する機会を待っている。おそらく、パプーシャの囚われの身のような人生と貧窮の生活から救うためであったろう。彼女の詩とジプシーの歴史について出版を決意する。噂は新聞などを通じて広がり、ジプシー社会で大問題となる。彼女がジプシーの掟を破り秘密を漏らしたとして、彼女ばかりでなく彼女の夫も、ジプシー社会から村八分される。家にレンガを投げ込まれる、育てていた子供――パプーシャには実子がいない――にも背かれ、占いの縄張りから追い出される。新聞社からの稿料が届いたときは喜んで飲み歩いていた夫も、今では仲間からの迫害にたまらずパプーシャを呪う始末である。彼女は精神病院に入れられるほど心を病む。
 冒頭の監獄のシーンは、病身の夫に飲ませようとチキンスープを作るために鶏を盗んで囚われたのである。ジプシーは、貨幣経済とは無縁で物々交換と盗みで生計を営む。詩で得た金で買ってくると夫が嫌がったから。その夫が他界して、ジプシーの立ち会わない、さみしい葬儀が営まれる。男がワルシャワに来るように勧めると、友達がいないからとパプーシャは断る。後悔するかのように訪ねてきた男に語る、「私は詩など一度も書いたことはない、一度も」と。アパートに残ってもジプシーに相手にされないのは分かっている。
 映画の最後は、象徴的に、雪の曠野をジプシーの幌馬車の哀れな隊列がどこまで歩み続けている。パプーシャの書いたと思われる詩の字幕が重なる。
「いつだって飢えて、いつだって貧しくて、旅する道は厳しく、悲しみに満ちている、尖った石ころが裸足の足を刺す、弾が飛び交い、耳元を銃声がかすめる、すべてのジプシーよ、私の元へおいで、走っておいで、大きな焚き火が輝く森へ、すべてのものに、陽の光が降り注ぐ森へ、そして私の歌を歌おう、あらゆる場所からジプシーが集まってくる、私の言葉を聴き、私の言葉に応えるために――。」(字幕を書き写したので一部誤っているかもしれない)
 まるでポール・エリュアールの詩のように美しく力強い。
この映画はエクリチュール論に限りない示唆を与えずにはいない。文字を持たないジプシーの歴史は、忘れられ密かに隠されながら伝えられることに意味を持つ。言語化されれば、呪縛は解かれ崩壊してしまうのだ。その悲劇的な旅路は、彼らの文字のない文化の本質であろう。定住して同化したジプシーは、もはや民族としてのジプシーではなくなるのだ。詩を書いて、自立する道は閉ざされている。やがて消え去る雪の中の轍こそが沈黙のエクリチュール=歴史なのだ。「ジプシーに記憶があれば、つらくて死んでしまう」。
 書くこと、盗まないこと、秘密を持たないこと、それが唯一の文化なのだろうか。文明の掟も、おそらく建前に過ぎないのではないか。文字とは、ジプシーが言うように、伝達の手段ではなく呪物であるかも知れない。
 文字に取り憑かれた少女パプーシャの孤独は、詩人の誰しもが持つ、あるいは持たねばならぬ本質的な孤独を意味しているのかもしれない。名もない一人の庶民の生き様とも重なるのだが――。パプーシャは書いた詩稿に火を点けてすべて燃やしてしまったのだが。(了)