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ツァラトゥストラ④

2010-11-22 06:54:54 | エッセイ
ニーチェは神々の世界への信仰を現代に復活させることを試みたのではない。すでにソクラテスやペリクレスの古典ギリシア期では、古代ギリシア世界を可能にした信仰と歴史の奇跡的なダイナミズムが失われており、ニーチェはその文化の凋落を見抜いていた。一方、ニーチェの時代のドイツでは、市民社会の成立によって、俗物根性の知識階級と目先の利益に右往左往する大衆が幅を利かせていた。
 そこから、彼の「超人」と「永劫回帰」の思想が生まれたといえよう。

「人間は克服されなければならない或る物である」(同文庫上巻・第一部78頁)というニーチェの箴言は、友人へのメッセージである前に、すでに彼自身の思想的な克服の記念碑である。
 考えてみれば、不思議な言葉である。なにを克服するのか明示されていないから。おそらく、その前に立ちふさがる困難であろう。人間を現状に満足させ、あきらめさせる「重力の魔」の克服であろう。
 しかし、それだけであったら、ニーチェを待つまでもなく、人間の精神文化において勇気は一度も信用を失ったことはない。その勇気によって自立した人間を自ら作り上げていくという、その誇りと努力の道筋が「人間」であるとニーチェは言っている。


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