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量子論とエクリチュール

2012-05-10 14:46:23 | エッセイ
 ゲシュタルト心理学についての興味は、二十代からの一貫して続いている私の夢である。視覚はかならず塊となって見える。決して、背景と事物とが混同されることはない。錯視の発見、つまり、だまし絵は、こうした視覚のからくりを白日の下にさらす。月の夜空を見上げて天球に穴が開いていると、観る者は少ない。月を観るのであって闇の空間はそっちのけであろう。意識して、闇の空間、穴の開けられた夜空をみれば、月は見えない。月をみるか、穴のあけられた闇をみるか、どちらかなのであって、同時に月とその背景は見えない。だが、ゲシュタルト理論には大きな落とし穴があった。一種の呪縛の理論――そこでは図と地、あるいは事物と背景という二要素のみという枠組み――であって、感覚的なもの、視覚的なものを固定的に捉えてにっちもさっちもいかなくなる。たとえ、動く映像である映画にしても、この欠陥から構造的に抜け出せない。ゲシュタルト理論家W・ケーラーのように、物理学に踏み込んだ探究や実験が行われたが、結局、特殊相対性理論や量子論によって、ゲシュタルト理論は完全に乗り越えられ、時代遅れのものになってしまったと言えよう。
 私も、ジャン・ジャック・ルソーの著作、とりわけ「告白」と「新エロイーズ」「人間不平等起源論」、その集大成として「孤独な散歩者の夢想」によって、「書きつつ読み、読みつつ書く」というエクリチュールの継続の思想を見出さなかったら、ゲシュタルト理論でつまずいてしまってその場にとどまってしまったであろう。(私は、多くの思想家がソシュール言語学によって現代思想を見出したと別の道を歩んだのである)。
 別の角度から見てみよう。文字を読むという行為は、平面的な反転の例など違って、次元を異にする、もっと複雑なからくりを秘めている。文字列を、図形や書字としてみれば、線の線分の塊にしか見えないが、そこから意味を見出すことが出来れば、記憶の連続イメージとなる。そのときは、図形や書字としてのイメージは完全に失われている。しかも、文字の連続を読むに連れて、記憶イメージは、修正され、変形され、動的なものとして継続していく。そもそも動きとは、固定されたイメージの否定である。先の錯視の例は、限られた要素の反転に過ぎない。
 創作やエッセイの描写という表現行為も、読書と同じで、文字として用紙に表現されたイメージを否定し、変形を継続させるところに本質がある。つまり、描き足りない、描ききれないから、間違っていたから、修正が必要だから、継続されるのだ。
 量子物理学、とりわけコペンハーゲン学派のニールス・ボーアの「相補性原理」に注目したい。周知のことであるが、量子論のようなミクロの微細な世界においては、ニュートンの古典力学は通用せず、「速度」と「位置」は同時に観測できない。平たく言えば、動きを見れば、位置が分からず、位置が分かれば動きは捉えられないというobserver effectと呼ばれるパラドックスであって、量子論の世界では、すべてが固定的なものではなく、相補関係にあって観測者の在り方によって、いかようにでも在り様が変わる、わたしたちが物質と見做すものも、人間世界の視覚的な蓋然性、約束事に過ぎないとする。見方がものを作るのであってその逆ではない。古典的な唯物論の適用範囲は限定的である。
 視覚的な現世である制度的な世界像では、ニュートン力学やゲシュタルト理論が適用できるが、ところが、感情世界では、マクロな古典力学は通用しない、むしろ、「相補性原理」principle of complementarityの世界である。
 ルソーが天才的な「人間不平等起源論」で展開した「社会状態」というのは、マクロな古典力学の世界像であり、「自然状態」はミクロな量子論の世界だと、比喩としてではなく私は確信している。
 ルソーは「社会状態」の中に生きながら自ら悩むことによって、「自然状態」の概念を発見した。彼の一生は、「社会状態」と「自然状態」の葛藤の中でエクリチュールの困難な道を歩んだのだ。最近、量子論の概説書を読んでいて、これもニールス・ボーアの学説から「対応原理」principle of correspondenceなるものを見出した。それによれば、量子論の方程式にh定数というのがあって、それは量子論世界においては大きな役割を果たすが、ニュートン力学の世界像では、同じであるもかかわらず、効力は限りなく0に近いというのである。h定数は、「社会状態」と「自然状態」との危うい架け橋、あるいはターニングポイントであろう。エクリチュール思想において、h定数とはなにか?
 おそらく、ルソーの著作の鍵であるばかりでなく、あらゆる文学作品の隠された鍵ではないか、そんな疑いを私は持っている。ボードレールの万象照応(コレスポンダンス)? 

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