蔵書目録

明治・大正・昭和:音楽、演劇、舞踊、軍事、医学、教習、中共、文化大革命、目録:蓄音器、風琴、煙火、音譜、絵葉書

「語学蓄音器」 小林富次郎商店 (1906.11)

2014年07月13日 | 蓄音器目録 ビクター、日蓄、三光堂
  

  米国ナショナル、フォノグラフ会社製
 英語 独仏西語 語学蓄音器

     日本一手販売 東京神田柳原川岸 小林富次郎 大阪博労町二丁目 小林支店

   謹告

 弊店主人儀昨年欧米漫遊中、切に感ずるところあり、我国に於ける外国語普及の補助ともなるべき物を輸入せんと企て、広く欧米各国を調査せる末、終に此最新式語学蓄音器の右に出つるものなきを発見し、直ちに交渉を重ねて愈よ日本一手販売店たるの特約を結び、去る九月一日を以て第一回入荷の発売を試みたるに、非常なる江湖の好評を博し二週間以内に全部売切れとなるの盛況を呈せり、即ち弊店は続々電報注文を案外多数に発し茲に愈よ第二回の新荷到着するに至れり、此分に対する予約申込も案外多数にして或は悉く注文に応じ難きを恐る、希くば日本全国の公私立諸学校並びに語学に志ある紳士淑女学生諸君一日の先を争ふて続々購求の栄を賜はらんことを。

  明治三十九年十一月一日   小林富次郎商店   頓首

  語学蓄音器の特徴

 ○此器械一台を備ふれば勤勉にして柔順なる外国人の語学教師を聘雇して常に座右に侍せしむるに等し。
 ○日本の語学者の短所は発音の不完全なるに在り。殊に西洋人と会談するの機会に乏しき辺陲の地方に於て最も然り。然るに此器械を備ふる時は世界に有名なる語学専門家の発音を其儘聞習するを得るが故に、最も正確なる会話の能力を養ふを得べし。
 ○業務多忙の紳士諸君は之れによりて零碎なる寸暇を利用して何時にても語学の研究をなすを得べく、家庭内の淑女令嬢は外出通学の不便を省きて随意に独習せらるべし。
 ○反復器の装置により聞き泄したる箇所を幾度も容易に発音せしむるを得べく、此教師は決して倦まず又た怒らざるなり。
 ○此器械に附属する英和対訳のICS会話篇は最近欧米の日常生活の活画図にして会話教科書として最も適当の書なり。独、仏語研究用の教科書四冊は米国「万国通信学校」の編纂にかゝる最良のジャルマン及びフレンチ、コースにして総頁数二千頁の好著なり、其教授法は最新式のメソッドにして共に語学独案内の白眉たり。
 ○喇叭を用ゆれば優に三百名のクラスを教ふべく、聴音管を用ゆれば静かに書斎内の独習に適す。
 ○刻音機を以て自己の発音又は歌曲を自由に吹込み、直ちに之を復出発声せしむるを得るが故に、紳士の家庭内には一日も欠く可らざる高尚なる娯楽品なり。

 英語用蓄音器品目

  エヂソン氏スタンダード蓄音器。英語入金型刻音管廿五本。英和対訳会話篇一部。十四吋直径喇叭。聴音器。刻音機。音声吹込喇叭。無地蝋管二本。刷毛等

 正価 即金 百貳拾円
    同月賦五円。其月ヨリ毎月十円ツヽ十三ケ月払込

   独、仏、西語用蓄音器品目

    器械、附属品一切同上。外に総革美装の教科書四冊(会話、文典、読本、字書)
       正価 即金 金百参拾五円
       同月賦 申込金六円、其月ヨリ毎月拾貳円ツヽ十二ケ月間払込。
    附言。此蓄音器には他の音楽等の蝋管をも応用することを得べし。

 第二回新荷到着せり

 語学蓄音器図解説明

   

  第一図   

   イ エヂゾン氏スタンダード蓄音器 ロ 刻音器 レコード 廿五本 ハ 教科書 ニ 聴音管 ヒーアリング、チューブ ホ 十四吋喇叭 ホルン ヘ 刻音機 レコーダー ト 音声吹込管 トーキングチューブ チ 無地蝋管 ブランクレコード リ 刷毛

  第二図

   刻音管 レコード は上図の如く常に二指を管内に入れて取扱ふべし、決して外面に触る可らず、指に近き端に文字の印刻あり、印刻なき端より押込むべし。

 蓄音器の扱ひ方

  第三図

 先づ(イ)(イ)の『差鍵 サシカギ』を左右に開きて蓋を取れば上図の如き器械の表面を示すべし。「差鍵」を元の穴に入れ置き、附属の巻捻 マキネヂ を(ロ)の穴にはめて一杯に巻き終るべし(一度一杯に巻けば三本の刻音管を聴くに耐ゆ、若し途中にて捻ぢて差支なし)
 次に(ニ)或は(ホ)を取りて(ヌ)の発音機を後方に回転し(ヘ)の円筒の全部を露出すべし、然る後ちに(ハ)の鋲を捕へて右方に引く時はバネ外づれて(オ)の「蝶つがひ腕」は充分広く開くべし。是に於て第二図の如く叮嚀に刻音管を持り来りて之れを(ヘ)の円筒に可なり堅く挿し込むべし(余りゆるき時は発音不明になるべく、余り堅き時は蝋管を破るの憂あり、適宜の挿方を要す)次に(オ)(ハ)の腕を図の如く元の位地にはめ込み、而して(ト)の動止杆を左方に動かせば器械は徐々に運動を開始すべし。然る時(ヌ)の発音機の中央の円管(第六図ヘ)に喇叭又は聴音管を嵌め込み(ニ)(ヌ)を左方の端に動かし来りて(ホ)を図の如く平らかになし既に装置せる刻音管の表面に触れしむべし。斯くして蓄音器は発音を初む。発音余り早く且つ高声なる時は(チ)の緩急螺子を右方→にまわし、余り遅そく且つ低音なる時は左方←にまわし、以て適当の速度となす(適当の速度は一分間に九十回の回転なり、之れより早きは器械に害あり、少しの熟練によりて容易に速度を適宜にするを得べし)
 発音機が漸次進行して刻音管 レコード の右端に達し発音を終りたる時、又は中途に発音を停止せんと欲する時は、(ト)の動子杆を右方に動かすべし、機械は何時にても止まるべし。
 レコードを取替ゆる時は器械を停止して(ニ)(ヌ)の発音機を後方に転置し(オ)(ハ)を開きて、静かに其の表面に触れぬやうにしてレコードを円筒より外づし、綿と油紙に叮嚀に巻きて紙凾の中に納め、而して新らしきレコードを取出して前の如く円筒に挿入るヽなり

  

  第四図

 上図は聴音管を示す(ハ)(ニ)を丁度耳の穴に当て(ロ)を頭の上に乗せ、(イ)を発音機(第六図のヘ)に嵌め込むべし。若し丁度耳の穴に当らざる時は自由に(ハ)(ニ)を捻ぢ廻して、適宜ならしむるを得べし。

  第五図

 聴音管の護謨管に図の如き継ぎ目あり、之を開けば音声温和になり、之を閉づれば強烈となる。最も心地よき程度に開閉すべし。 

 反覆器及び刻音法

  

  第六図

 語学蓄音器の妙処は此の反覆器の装置にあり、若し一二語聞き泄らしたる場合又は発音少しく不明瞭なる場合には上図の(イ)の釦を強く最下部まで押し静かに之を手放すべし、然る時は発音機は(ロ)の鉄板の上を左右に少しく戻りて再び数語を繰り返すべし、不明瞭の発音は何回にても反覆せしめよ。
 此装置によりて従前の如く一時器械を中止し又は手にて発音機を左方の適宜の所に戻すが如き煩雑を省くを得たり。
 最も興味ある自己の音声を吹込み得ること之れなり。其方法極めて簡易にして何人にも為し得ること左の如し。
 第三図の(ル)螺子をゆるめて第六図の発音機(ヘ)を取り外づし第一図の(ヘ)なる刻音機を其代りに嵌め、予備に附属しある無地の蝋管を円筒に挿し込み、音声吹込管(第一図のト)をはめて、第七図の如き姿勢を以て適宜の高声を吹き込むべし。蝋管のカンナ屑は刷子を以て叮嚀に払ひ然る後ち再び発音機に取り替へて普通の如く発音せしむ。無地蝋管は木綿の切れに石油を浸して平均に拭き去る時は刻音忽ち消へて旧の無地となる故に、一本の蝋管を何回も使用し得べし。
 婦人の如き鋭き声の人は吹込管の口に自己の口を能く当てるやうにして発声するを可とす。男子の如き胴音の人は図の如く稍や口を離すを可とす。器械の運転は矢張り一分九十回を適度とす。

 ≪注意≫

 一、第六図の(ヘ)発音機の裏面中央に円形の小さき宝石を嵌めあり、是れ器械中の最も緊要なる部分なれば、之れを毀損せざるを最も肝要なり、故に発音中以外には必ず第三図の(ホ)なる安全杵を直立せしめ、宝石の他物に触れざるやうに注意すべし。若し此点に注意を怠らざれば喇叭、聴音管の嵌め外し等は必ずしも発音機腕(第三図のニ)を一々後方に転ずるに及ばず。
 二、刻音管  無地蝋管は綿にて巻かざる時は常に直立せしめ台上に置くべし。又蝋管の外面に塵芥の附着する時は発音に害あるを以て、之を払ひ去るには、刷毛又は包み綿の毛多き部分を以てすべし。前頁宝石の塵芥も又然り。蝋管を火の近く又は湿気の地に置き、又は器械に嵌めたるまま翌日まで放棄し置く勿れ。使用せざる時は常に器械の蓋をして塵芥を防ぐべし。
 三、地方に発送の時は器械の内部に詰物をなし置く故に先づ開函して之を取去り而して後ち運転すべし。
 四、油の切れたる時は、凡て鉄と鉄との密接して摩擦する部分、歯車の噛ひ合ふ処、円筒の心棒、背後の螺旋條等は一二滴の舶来メシン油の類を注ぐべし。通常の「油差し」を用ゆるを可とす。護謨帯、反覆器、円筒等には油を避くべし。
 五、器械は時々巻きて速度を均一にすべし。

                  東京神田柳原川岸二十二号
 日本一手販売店  ライオン歯磨本舗 小林富次郎商店
                    電話 浪花 四九八番 仝 九九三番 (振替貯金口座 二五二六番)
 関西大売捌所           大阪市東区博労町二丁目
                   小林富次郎支店
                    電話 東 一四九九番
                  東京本郷二丁目二十五番地
 小林蓄音器販売所 時金堂      竹内時計店
                    電話 下谷 一二九六番

 

 最も簡便で 最も 愉快な 語学独習法
 外国人の語学教師を 雇ったも同然
    

「梅蘭芳吹込 ニッポノホンワシ印レコード」 日本蓄音器商会 (1924.11)

2014年07月01日 | 中国戯曲 京劇 梅蘭芳他

 梅蘭芳吹込 ニッポノホン ワシ印レコード 株式会社 日本蓄音器商会

 曲種
  支那劇 西施       一枚
  同   紅線盗盒 御碑亭 一枚
  同   天女散花 廉錦楓 一枚
  同   貴妃酔酒     一枚
  同   六月雪      一枚  
  支那楽 太湖船(小開門接 夜深沉 一枚 梅蘭芳随伴 民国一流楽
 
   ワシ印レコード正価一枚 金壱円五拾銭

〔蔵書目録注〕

 この梅蘭芳のレコード広告は、『アサヒグラフ』 三巻二十二号 大正十三年〔一九二四年〕十一月二六日 にあるもの。

 ○ レコード

         

 15474-A 支那劇 西施 (梅本)(上)梅蘭芳  
 15474-B 支那劇 西施 (梅本)(下)梅蘭芳    
    
      二黄慢板  水殿風来秋気緊。月照宮門第幾層。十二欄干倶凴盡。  
      続     独歩虚廊夜沈沈。紅顔空有亡国恨。何年再会眼中人。

 15475-A 支那劇 紅線盗盒 (梅本) 梅蘭芳  
 15475-B 支那劇 御碑亭  (古本) 梅蘭芳

 15476-A 支那劇 天女散花(梅本) 梅蘭芳   
 15476-B 支那劇 廉錦楓 (梅本) 梅蘭芳    

    ・天女散花(梅本) 一五四七六 A
         天女  梅蘭芳

      西皮慢板   祥雲、冉冉、婆羅天。離却了、衆香國、遍歴大千。諸世界、好一似、青雲過眼。一霎時、又来到、畢鉢巌前。

    ・廉錦楓(梅本)  一五四七六 B 
         廉錦風  梅蘭芳

      西皮原板   遭不幸、老巌親、窮辺喪命。高堂上、只剰下、年萬娘親、嘆老親。又得了、陰虚之症。用海參、療此症。貨賣無人。無奈何、纔学得、暗通水性。長日裏、取海參、帰奉萱庭。

   

      支那楽 太湖船(小開門接 夜深沉 一枚 梅蘭芳随伴 民国一流楽

 15479-A 支那楽 太湖船 (蕩湖船) 徐蘭元 何斌奎 孫惠亭 霍文元 李善卿 羅文田 唐錫光
 15479-B 支那楽 小開門接 夜深沉
 
〔蔵書目録注〕

 これらのレコードの吹き込みは、次の二つの文などで紹介されており、十三年の十月下旬におこなわれたとのことのである。

 1.「或る日の梅蘭芳 日本女流音楽家連対面のこと YH生」 :『劇と映画』 第二巻第十二号 〔大正十三年十二月号〕 

 或る日の梅蘭芳 
  日本女流音楽家連対面のこと
      YH生

 一

  それは薄ら寒い十月下旬の或る日の午後であつた。その頃まだ梅蘭芳は彼の嬋娟たる容姿を毎日、初開場の帝劇にあらはして観衆を陶然たらしめてゐたのであつた。
  その東洋第一の人気俳優と云ふても恐らくは過言であるまいと思はる名女形が、赤阪は霊南坂上の日蓄に来るといふ電話があつたので、余は彼の素顔と音吐を親しく見もし聞きもしたいと思つて、早速自働車を傭つて駆け附けて行つた訳である。
  「梅さんは恐ろしい朝寝坊ださうですね?」
  日蓄の応接間の一室で、やがて先触れにやつて来た通弁兼マネーヂヤーを捕へて斯う訊ねると、彼は頭から黙首いて見せた。
  「寝坊々々!午前の日を見たことのない寝坊!」
  通弁子の語調も可笑しかつたが、支那の俳優も日本の俳優も、由来午前十二時までの時間はないことになつてゐるのも妙な芸術家生活の一致であり、日支親善であると思ふと自然に微笑を浮めずにはゐられなかつた。

 二

  問題の梅蘭芳がまだ姿をあらはしさうな気勢もない時、応接室にはテーブルに美しく熟した果物と洋菓子などが運ばれ、ストーブにはめらゝと火が貼ぜられた。余は晩秋のうす寒きに軽い慄きを覚えながら暖爐の傍(かたわら)に縮こまつてゐた。そこへ驚くほど身丈のスラリとした若い耳隠しの美人があらはれた。それこそは若手の女流声楽家として急出しかけて早川美奈子さんである。つゞいて曾我部静子さんがあらはれる。
  「梅さんは?」
  「まだのやうですわ。」
  今度こそは と思つてゐるところへ、これも驚くほど背の高いジェームス・ダンさんが瀟洒な背広でやつて来た。
  「あら、ダンさん、妾あなたにお目にかゝりたいと思つてたのよ」
  と、斯う云ひながら室に入つて来た愛嬌溢れるやうな美形は、これも声楽家として有名な松平里子さんである。ダンさんと近づいて頻りに伴奏などの注文やら稽固の日取の約束やら、その道の打合せをやつてゐた。
  「時にお客様は?」
  「まだです。大変遅いですね。」
  と 会話はそれからそれへと写声の話などに移る。

   

  ◇日蓄の庭園に於ける梅蘭芳
  ◇松竹座の舞台に於ける河合武雄と梅蘭芳  

  夕日は斜めに窓を漏れて力弱くなつた頃、ドヤゝと練り込んで来たのは黒ビロードの支那服を着けた優男の梅蘭芳を眞先に、赤い花の一輪を髪に芳した梅夫人、あとは胡弓だの銅羅(どら)だの太鼓だのと銘々に携へた楽師の面々。室に入り来るや否や、チイチイパアゝ、さすがに梅は悠揚と落着きもあり、気品もあつて奥床しい。

 三

  やゝ暫くテーブルを圍んで日本の女流声楽家達と談笑の末、別項写真〔文中最初の写真〕にあらはれてゐる如く幽遂な庭園で記念撮影をして、さて梅氏一行は日常の吹込室へと姿を消した。
  名優梅蘭芳が舞台の呼吸とはまた違ふと見えて、どうしても吹込みのラツパに眞向きの姿勢にならないと行つて一同が心配する。通弁先生は「由来支那の芸術や音楽は一種独特だから、先生のいふ通りにさせて見なさい。」と気焔をあげる。
  日蓄吹込技師のギリンガム氏が 「技術を命ずるのではないが方法は駄目だ。」と焦立つ。従つて竹中技師も「それでは入らぬ。斯うして呉れ。」と頼むやうにいふ。会社の関係者は皆々大心配。
  「いや、支那の音楽は独特だ。」
  またしても夫一点張りで押通さうとする通弁先生、それに続いて楽師連中、只に雀の囀(さえ)づる如くチイゝパアゝ此の処暫く混線の有様であつた。
  梅はさすがに微笑を含みつゝ、供のさゝげる筒茶碗の白湯をすゝりながら、時々手真似で一同に命令を下す。立派な指揮者である此の間遥か後ろで悠々と椅子に凭つて時々舞台監督の如き調子で口を挟むのは梅夫人であつた。
  斯くて日の暮れる迄の間に支那劇の名曲「西施」や「天女散華」や「貴妃酔酒」や梅が特意として世界に誇る名曲が次から次へと写声されて、やがては、それが全国の家庭に聞かれるであらうし、支那の家庭に聞かれるであらうし、支那の名優が日本を去つても、永久に彼の豊かに潤ひに満ちた肉声は記念に残されて、いつまでも聴く者の魂ひに響くのである。余は此日、梅の音楽に接すべく熊々(わざわざ)出て行つたことを幸福だつたと思はずには居られない。 

   2.「梅蘭芳の吹込みを見る (霊南坂日蓄会社にて T.T生)」:『音楽と蓄音機』 十二巻一号 〔大正十四年一月〕 〔下は、その抜粋〕

    黒ビロードの支那服を着けた、美男の梅蘭芳を真先に、赤い花の一輪を髪に挿した梅夫人、それに続いて胡弓だの銅鑼だの太鼓だのを銘々に携へた楽師の一行が、此一屋に雪崩れ込んで来た。

    日の暮れるまでに先づ支那の名曲「西施」が吹き込まれた。美しい梅蘭芳の唱と原始的な而も繊細な味のある音楽と共に得意の「天女散花」や「貴妃酔酒」や「紅線伝」や其他数種が次から次へと写声されていつた。やがて是れ等の世界に誇る名曲が全国の家庭にて聞かれる事と思ふと、支那の此名優が日本を去つても、永久に彼の豊かな霑ひに満ちた肉声はいつでも聴かれる喜びを私は知つて会社を出て坂を下つた。

〔蔵書目録注〕

 これらレコードの発売について、『ニッポノホン』 十二月々報 株式会社 日本蓄音器商会 の見返しには、支那服の梅蘭芳の写真があり、その下に「梅蘭芳氏がワシ印に吹込みましたレコードは近日発売いたします」とあり、掲載の「ワシ印レコード十二月新譜」でも一五四七三までなので、大正十四年〔一九二五年〕一月と推測される。
 また、宮沢賢治も支那劇の『天女散花・廉錦楓』(15476)など4枚を所蔵〔『宮沢賢治の音楽』(佐藤泰平・筑摩書房)掲載の宮沢賢治の「レコード交換用紙」参照〕。
 なお、現在、支那楽を除く、上のレコードは、すべてCDでも聞くことができる。少し古いが、例えば、『梅蘭芳 老唱片全集』 梅蘭芳一百一十周年誕辰記念 中国唱片上海公司出版発行 、その解説書には、演者・演奏時間・歌詞なども記載されてる。