蔵書目録

明治・大正・昭和:音楽、演劇、舞踊、軍事、医学、教習、中共、文化大革命、目録:蓄音器、風琴、煙火、音譜、絵葉書

純正調オルガン 田中正平 (1931.6)

2011年09月24日 | 楽器目録 昭和 日本楽器、楽器製作者

 この写真は、昭和六年 〔一九三一年〕 六月一日発行の『月刊楽譜』 六月号 第二十号 第六号 に掲載されたもので、次の説明文がある。

  数十年埋れてゐた田中正平博士の純正調オルガン
  後方左が田中博士(本誌記事参照)

 下が、本誌記事中の田中正平博士の一文で、下はその最初の部分である。

 「新型純正調風琴略解」  
             田中正平

  在来の有鍵楽器(「オルガン」「ピアノ」)では、一「オクターブ」を十二等分する平均律に依り調律せられあるの結果、此の種の楽器に於て各協和音は皆純潔清浄ならず。特に西洋和声学の骨子と云ふべき三度及六度が濁化せられ居り、此の濁化は「ピアノ」の発する如き余音の少き打音にては著しき欠陥として感ぜられるも、「オルガン」の如き持続音を発するものは甚不快である。
  純正調「オルガン」では奏楽に使用する四度五度は勿論、三度及六度の音程は皆自然に與へられた其の儘であつて、協和絃は清らかに澄んで居て耳に好感を與へる。〔以下省略〕

  

 また、同号には、次の二つの文も掲載されている。

 ・「不協音」 純正調と平均律

  わが国に洋楽が移されて半世紀余、その歩み未だ遅々として華々しからずとは言へ、已に幾多の業績が数へられるのであるが、その中でも見のがし得ないものに田中正平博士の純正調オルガンの製作がある。之の楽器はすでに四十年前の古い時代に独乙にに於て作られたものであるが、爾来わが楽界の知る所とあらず、たまゝ最近に至つて世に紹介され今更の様に問題にされてゐるものである。その試演座談会が去月九日ヴイクター本社に於て行はれて、吾々は之の新型オルガンを親しく視、聴く事が出来たのであつた。純正調オルガンの事に就いては本号に田中博士の文〔「新型純正調風琴略解」〕が載る事であるから、それに詳しいのであるが、要するに純正調オルガンは東京の有鍵楽器(ピアノ、オルガン)に施されてゐる音階的合理化を出来るだけ除かうとして作られたものである。従って之の合理化を除き、各音間の振動数比を出来るだけ簡単にし、和音を美しいものにす帰すためには非常に多くの音源を必要とする。之の音源の多いといふ事が純正調オルガンの特徴である。田中博士は一オクターヴ六十三音源を以て充分とされてゐるが、現在あるものは三十六音源である。然し今度新しく作られる事になつてゐるものは四十五音源を持つはづである。
  純正調オルガンの長所は、各音間の振動数比を出来るだけ簡単にする装置が施されてゐるのであるから、その和音の非常に美しい事である。之は一度平均律に依つて作られた楽器と比べて見ると実に明瞭に聴取出来る事である。そこで考へられるのは、之の純正調オルガンが完成された時に於ける、平均律楽器の運命である。合理化の行はれない、自然音を出す様に作られた純正調楽器い依つて合理化に依る歪みを持つ平均律楽器は駆逐されるであらうか。美しい音を出す純正調楽器は、濁り、曇りを持つ平均律楽器を音楽の世界から、蹴落すであらうか。
  否である。平均律楽器の運命を悲観的に考へるのは失当であらう。自分は合理化に依つて制約を與へられてゐる平均律楽器はそれ自身充分音楽の表現に役立ち得ると思ふ、しかも高い地位を保ち続けると思ふ。
  〔以下省略〕 

   

   〔上の写真は、一九一〇年一月発行の『楽のかゞみ』掲載のもの〕

 ・「半世紀埋もれて世に出る名楽器」(田中老博士の発明)

  日本ではあまり知られず却つて外国で有名な日本人の発明も少なくないが、その昔カイゼルに讃嘆の声を発せしめた理学博士田中正平翁(七〇)の純正調オルガン(Reingetimmt Orgel)が、発明後およそ半世紀を経たこの頃、その真価が認められて世に出るといふ気持のいゝ話しー
  翁は音響学の泰斗で四十年の昔、ベルリン大学に留学し、有名な音響学者ヘルムホルツ研究所で勉学中、世界音楽史上に銘記さるべき八分音階からなる純正調オルガンを発明し、ドイツ楽壇はいふまでもなく、世界学界を驚嘆させたものである。カイゼルも博士を宮廷に招き、楽器の演奏とその説明を聴き、感嘆して田中式純正調パイプオルガンを、ドイツ一流の楽器製造会社ワルケル社に命じて造らせた。
  その発表演奏会がカイザーの勅許を得て一八九三年九月廿一日、ベルリン高等学校講堂で催され、宮廷少年唱歌隊長のアルバート・ベツカー教授が少年唱歌隊を指揮し、パウル・シュミット教授をはじめ一流楽人が多数出演し、ドイツ一流の楽人や批評家をはじめ、川上操六(当時中将)乃木希典(当時少将)両将軍や故近衛公その他ドイツに滞在中の日本人多数も列席して盛大に催され、ドイツ楽壇に一大センセイシヨンを捲き起こした
  田中式純正調オルガンは名ピアニスト、ハンス・フォン・ビユローにより「エンハルモニユーム」(Enharmonium)と命名され、ドイツでは田中博士の指導でパイプオルガンが三個造られベルリンに一つ、ミュンヘンの博物館に一つ、アーラウの天主教学校に一つ据えつけられ、このほか普通のオルガン五個が、田中式純正調によつて製造された。
  後年、伊藤博文公がドイツでカイゼルに謁見の際も、田中博士の安否を公に聞かれた程で、博士は十数年の留学を終へ明治三十二年帰朝し、日本ではたゞ一回東京帝国大学で純正調オルガンについて研究発表したが、幼稚であつた当時のわが楽壇からは顧みられず、日本にたゞ一個ドイツから持ち帰つた愛器を、博士自身奏してはその清澄な楽の音に親しみ、日本にも純正調によるオルガンの普及される日をひたすらに待つてゐた
  あたかも仏教音楽の樹立を研究してゐる仏教音楽協会では、去る一月中旬田中博士を迎へて麹町区千代田女学校講堂で仏教音楽講習会を開いたが、田中博士はこの時、門外不出のこのオルガンを数十年振りで講演会の会場に運び、上野音楽学校オルガン科学生の鳥居善次郎君が各種の楽曲を演奏し聴者に多大の感動を與へた。
  これが奇縁となつて、仏教音楽樹立の急先鋒である築地本願寺別院では、近く新築に着手するインド様式の本堂に、田中博士の純正調パイプオルガンをすゑつけようとの議が持ち上がつた。この由が東日誌上で報道されるや果然楽壇人は新たなる眼で、田中博士のオルガンに注目うるに至り、日本ビクター会社は仏教讃美歌吹き込みの伴奏に、田中博士の純正調オルガンを使用することになつた。
  これを機会に楽壇人の有志は、親しく田中博士から、純正調オルガンについての説明を聴くことゝなり五月九日午後三時、銀座ビクター会社でお茶の会が開らかれた。批評家からは伊庭孝、堀内敬三、増澤健美、野村光一、楽人からは橋本國彦、徳山、箕作秋吉、菅原明朗、鳥居つなその他数十名の楽壇関係者が集り田中博士と膝をつき合せて懇談した。
  田中博士は近く日本楽器製造会社で普通の型のオルガン五個を田中式純正調で造ることになつた、今までのは一オクターブ三十六音源であつたが今度四十五音源に増加された。田中博士の功績を永遠に表象する国産の純正調パイプオルガンが博士の数十年来の願通りに出来れば、これこそわが国が世界楽壇に誇るべき一大ピラミツトとなるであらう。

 

 田中正平博士と純正調オルガン

 田中博士の世界的楽器純正調オルガンは今度ビクターレコードに入いることゝなつた。

 上の写真と説明は、昭和六年 〔一九三一年〕 六月一日発行の『音楽世界』 六月号 に掲載されたものである。

 なお、東京オペラシティアートギャラリーの「五線譜に描いた夢 日本近代音楽の150年」で、実物を見ることが出来た(2013年11月9日)。



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。