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高い記憶力と"言葉″の発達

 人類の先祖たちは長く続いた氷河期を生き抜くために様々な進化を遂げてきました。氷河期は、過去数百万年にわたって寒暖を繰り返し、その寒い時期である氷期には、極端に減少した植物相のために、彼らはそれまでの樹上生活から地上生活へと移行せざるを得なくなった、といわれています。そしてステップの草原地帯の中で、少しでも敵を発見しやすいように直立姿勢を獲得し、それが結果的に脳を支え、脳が大きくなるのを助けました。直立姿勢を維持した二足歩行は、動きのより高度な制御を必要とし脳のさらなる発達を即します。さらに直立姿勢が手を歩行の役目から解放したことで、彼らは様々なものに自ら能動的に行為を施す手段を獲得します。手の発達が対象物との相互作用を飛躍的に増大させ、それがさらに脳の発達を促進させていったのです。さらに色彩識別能力を獲得した眼が、周囲の環境の、より詳細で膨大な情報を脳に伝え、発達した脳がその情報を処理するようになっていったのです。
 
生き物たちの脳は動きを制御するために発達してきました。人類の先祖たちは、から得られた膨大な情報を識別し、自らの動きによる対応が必要なものを判別し、自由になった手を利用して様々な対象物に働きかけていきました。このような発達の中で、脳内における遠心性コピーによる動きの予測と修正の繰り返しがおこなわれ、様々な動きのシミュレーションが可能となり、“理解”する能力が生み出されていったのです。
 
いまから約35万年前に出現したネアンデルタール人たちは、全体的なHmmmmmなコミュニケーション形式*01をつくり出していました。そして彼らから若干遅れて(約30万年前*02)出現していた現生人類たちが、いまから31000年前には驚くべき記憶力を有していたことは、ショーヴェ洞窟の壁画が証明しています。彼らの、ある意味現代人さえ凌駕する記憶能力は、彼らが環境にある〈意味〉を〈理解〉し、それを仲間に伝えるために〈意味〉に〈かたち〉を与え、“言葉”として発していたことを示しています。
 
そこで発達していた“言葉”は現在の私たちがなじみ親しんでいるような言語体系とは異なるものでした。ネアンデルタール人たちの全体的なHmmmmmから、もの・ことの仕分けが進行し、形式的な、抽象的な“言葉”が徐々にかたちづくられていったのです。その最初期の〈かたち〉がショーヴェ洞窟の壁画だったのです。
 
この壁画を描くというプロセスは、自分がつくり出した“言葉”によって自分自身が〈理解〉するという、“言葉”の生成と〈理解〉の生成の自己再帰的構造による考える「自己」意識を人間が持つようになったプロセスと同じです。「壁画を描く」という行為は、この考える「自己」意識によってなされたものだったのです。
 
たしかにその“言葉”による伝達は、発せられた(描かれた)“言葉”を聞き取れる(見れる)範囲に限定され、しかもそれを聞いた(見た)人々の中の記憶の中にしか止まることができませんでした。しかし彼らの記憶力が先に述べたように驚異的なものだったとしたら・・・。その“言葉”は、彼らがその場を離れ、別の人々に伝えることも、また時を経て自分の子供たちに伝えることも十分可能だったでしょう。このような“言葉”の伝達は、全体的なHmmmmmを補強するものとして、“文字”が登場するまでの間続いていたのではないでしょうか。むしろそれはそのコミュニケーションが直接伝達できる範囲、時間の中にある限りにおいては、それ以上の進化を必要としなかった、ともいえるのかもしれません。


人類の進化の道筋

*01歌うネアンデルタール-音楽と言語から見るヒトの進化/スティーヴン・ミズン/熊谷淳子訳 早川書房 2006.06.20
02最古のホモ・サピエンス、30万年前の化石発見 北アフリカ CNN.co.jp

 

 

 

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