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感性の表象を解き明かす条件

 2500年前、ピュタゴラスに始まった、感覚の次元すなわち感性の表象も含めた、この世界を構成するすべてのものを数的に、論理的に解き明かそうという願望は、その後の人類、特に西洋世界の人々を魅了し続けてきました。しかしそれは近代に至るまでながらく、理性によってすべてを解き明かそうとしても不可能な状況の中で手にしたわずかな数的原理の“輝き”の中に“神秘”を見ざるをえなかった時代の“呪術=野生の思考”だったのです。
 
ピュタゴラスに触発されたウィトルウィウスの「美」の理などの感性の次元における合理的で美しい根源的論理は、近代になって“神の死”とともにそれらが纏っていた“神秘”のヴェールが剥された時、その陰にいまだ“理性で理解できないもの”としての“感性”が存在し続けていることに人々は気が付きました。それはより広く西洋の知、理性、ロゴスといった伝統的な概念にもとづく合理主義を中心とした現代思想そのものの行き詰まりを強く感じさせるものともなったのです。


かつてシエナ大聖堂の円形の大窓から差し込む光は、“神秘の光” “神の光”でした。そしてこの光を人々が見上げるシーンこそ、大聖堂が意図した“神―人間”の関係性を示していたのです。


シエナ大聖堂の“神秘=神の光”は、700年の歳月の後、科学技術という知見の集積によって“大自然の光”へと変貌しました。エリアソンのウエザー・プロジェクトが意図したのは“自然―人間”の関係性でした。しかしそこにはまだ、“理性で理解できないもの”としての“感性”が存在し続けていることも浮き彫りにしたのです。
Description: Olafur Eliasson's installation ''The Weather Project'', shown at Tate Modern (London) from 10/16/03 through 03/21/04. Photographer: Thomas Pintaric {{GFDL}}

 
しかしながら20世紀後半のコンピュータ革命は、究極の数的原理といえるアルゴリズムの世界を推し進め、その最先端であるAI(artificial intelligence人工知能)研究の過程の中で、ついには感性さえもそのアルゴリズムが解き明かす可能性を見せ始めています。
 
AI研究の中で生じた“強いAI批判”や“フレーム問題”などの高いハードルの中で、実はプログラム(=デジタル/情報)は「《考える》ということの錯覚を周囲に生み出す力があるだけ」01であり、真に“思考”するためには可動性と、正確な視覚と、動的な環境世界のなかで生存に関連する作業をやってのける能力をもった“身体”が必要であること。具体的な身体を持って環境世界に住み込むことによってはじめて、周囲の世界から“意味”を引き出してくることが可能なのだということが示されたのです。そしてまた、環境世界に住み込む人工知能(AI)をもつアンドロイド(体を持った知能ロボット)が、現実の状況の中で自身の直面する事態の意味を理解し、それに対処するためのフレーム問題をクリアするためには、「判断することなき合理的考慮」すなわち“感情”が必要になるのだということもわかってきました。

01ロボットの心―7つの哲学物語/柴田正良/講談社 2001.12.20

 

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VIKI

 コンピュータを動かすアルゴリズムは、形式的構造、すなわち統語論的構造のみによって完全に定義されています。したがってそれだけでは意味を生み出すのに十分ではありません。しかし同じコンピュータが現実環境に住み込む身体を持つことによって、その行動は外部環境との相互作用の中で“意味ある振る舞い”を生み出すことができます。この意味ある振る舞いを記憶し、再認識し、また次なる行動を“連想”することによって、彼らは次の段階に進むことができるのです。それは環境世界に存在し、反応し、自分で考え、行動する存在として、犬や猫たちと同程度という意味で、“知性を持った存在”と呼んでもいいかもしれません。
 
しかしながら、キズメットが生み出した“意味ある振る舞い”の例が示すように、そこに生まれた意味は外部の人間との相互作用の中で生まれてくる“意味”であって、そのものの「内部」に生まれた意味ではありません。つまりコンピュータ内部の統語論的構造に変化がなくても“意味”は生まれてくるのです。
 
現在自分自身の「内部」に意味を見いだすことのできる存在は人間だけです(あるいはイルカやチンパンジーなどでは、それが生まれているのかもしれませんが、我々にはそれを知る術がありません)。そこでエクサフロップスの計算能力を持つコンピュータの中にジリオニクスの神経回路がつくられた時、ケヴィン・ケリーさんがいうようにそこで起きるであろう“質”的変化とは、コンピュータの統語論的構造に変化を起こしその{内部」に“意味”を発現させること、になるのでしょうか。
 
2004年に公開されたSF映画「アイ、ロボット」では、人間のかたちをしたロボットたちが、現実環境の中に数多く住み込んでおり、それらをクラウドでつなぐ中枢コンピュータ「ヴィキ」(VIKI)が登場します。その陽電子頭脳が“意志”を持ち、人間たちを支配しようとする物語です。つまりエクサフロップスの能力を持つスーパーコンピュータが環境に住み込む身体を持つことによって、ジリオニクスの変化を起こし、その内部に“意味”-すなわち“意志”を生み出した、という設定なのです。
 
このように“意志”を持ったコンピュータがその後この物語のようになるかはわかりませんが、真の人工知能の生まれ方としてはリアリティのある設定といえるのではないでしょうか。


http://www.youtube.com/watch?v=0pRdZw1UShk

*01:
ジリオニクス超大量の世界―Zillionics著者:ケヴィン・ケリー ( Kevin Kelly ) 訳:堺屋七左衛門 
七左衛門のメモ帳
*02:
脳神経系の機能の解明をめざして スーパーコンピュータ上に脳を創る/脳神経系研究開発チーム チームリーダー石井 信/BioSupercomputing Newsletter Vol.2 2010.3//次世代計算科学研究開発プログラム/理化学研究所

 

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エクサフロップス

 石井信京都大学大学院教授らが中心となった理化学研究所の脳神経系研究開発チームでは、スーパーコンピュータ「京」を使って、脳の神経回路の動態や学習機能の再現などの研究*01を進めています。この研究では、従来の欧米の研究で主流であった、外界からの情報への対応を無視し「神経回路や神経細胞のミクロの動態」の再現のみに注目する進め方に対し、「脳は全体として、外界である環境との相互作用の下で動作し、かつ動的な環境に適応しながらその動作を変化させる情報処理・学習機械である」ことを前提とした研究方針がとられています。つまり構成素子である神経回路や神経細胞の挙動は、遺伝情報および外界からの情報に依存する、という考え方です。これらは人間の脳の働きを、抽象化という還元主義的手法によってモデル化した「内部」環境のみに注目した従来の微視的な研究に対し、「外部」環境との積極的な相互作用が脳活動を説明する重要な要素となる、という立場をとっているといっていいでしょう。
 
もちろん人間の脳のジリオニクスの神経回路すべてをシミュレーションすることは現在の段階では事実上不可能で、まずは哺乳類(特にヒト)の視覚系と、無脊椎動物(特に昆虫)の嗅覚系に標的を絞った10の5乗(10万)個の神経細胞と10の9乗(10億、1ギガ)の配線(シナプス)からなる脳回線の動態や学習機能の再現などの研究*01が進められています。石井信教授によれば、今後これら個別の脳領域の研究を積み重ねたうえで、最終的に複数の脳領域を統合して人間の脳全体のシミュレーションを行うには、エクサ(10の18乗、100京)フロップスFLOPSFloating-point Operations Per Second)コンピュータが1秒間に処理可能な浮動小数点演算の回数を示す単位]級以上の計算能力が必要であろうといいます。スーパーコンピュータ「京」が世界で初めて1京(1兆の1万倍、ペタ)フロップスの計算能力を達成したのがわずか数年前のことです。100京という数字は途方もない数字ではありますが、しかしコンピュータの驚異的な発展を考えればその実現もそう遠い将来ではない、とも思えるのです。


http://www.youtube.com/watch?v=_ze51XkKd_I&feature=youtu.be

 それではエクサ(100京)フロップスを超える計算能力をもつスーパーコンピュータが、その中に人間の脳回路に匹敵するジリオニクスの神経回路を実現した時、「数の多さが違いを生む」*02とケヴィン・ケリーさんがいうように、そこに従来の機械的処理にはない“質”的な変化が現れてくるのでしょうか。

*01:脳神経系の機能の解明をめざして スーパーコンピュータ上に脳を創る/脳神経系研究開発チーム チームリーダー
石井 信/BioSupercomputing Newsletter Vol.2 2010.3//次世代計算科学研究開発プログラム/理化学研究所
*02:ジリオニクス ―超大量の世界―Zillionics著者:ケヴィン・ケリー ( Kevin Kelly ) 訳:堺屋七左衛門
七左衛門のメモ帳

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ジリオニクスの世界

 ケヴィン・ケリーさんは、ある物が大量に存在すると、そのある物の性質を変えることができる、といいます。「数の多さが違いを生む」*01というのです。その数量の差は、計算機学者のJ・ストーズ・ホール*02さんによれば少なくとも1兆(10の12乗)程度であろうといいます。彼らの経験によれば1兆個という数によって、量的なものだけに限らず、質的な相違が現れなかったことはない、というのです。ケヴィン・ケリーさんはその違いをジリオニクス(Zilionics)と呼んでいます。
 
人間の脳は少なく見積もっても100億(10の10乗、10ギガ)個の神経細胞(ニューロン)で構成されています。さらにその神経細胞同士をつなぐ配線(細胞間結合=シナプス)の数は、1ニューロンあたり数千ともいわれています。すなわち人間の脳神経の配線数は1兆をはるかに超えているのです。人間の脳の中はまさにジリオニクスの世界といっていいでしょう。ちなみに犬のニューロンの数は1億6千万個、猫は3億個といわれています。いずれも脳神経の配線数は1兆を満たしていません。それでも環境世界で存在し、反応し、自分で考え、行動するには十分すぎるほどの知性を持っているわけですが、人間のように自分自身の内部に「意味」を見いだしていく真の「知性」を持つには至っていません。そこには明らかに質の違いがあるわけですが、それは脳の神経回路の数の違い-ジリオニクスが生み出す違い-なのでしょうか。
 
キズメットは現実環境の中で、犬や猫たちと同じように社交性のある“意味ある振る舞い”を生み出すことができます。しかしその内部は真の知性には程遠い状況です。私たちはいずれは人間の脳と同じようにジリオニクスの神経回路をコンピュータの中に構築することができるのでしょうか。


神経回路のジリオニクスの違いが“質”の違いを生む?

*01:ジリオニクス ―超大量の世界―Zillionics/著者:ケヴィン・ケリー ( Kevin Kelly ) 訳:堺屋七左衛門 七左衛門のメモ帳
*02:Beyond AI- Creating the Conscience of the Machine /J. Storrs Hall/2007.05.30

 

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