「芸術(象徴的な視覚的記号)」を生み出す心の三つの特性は、ネアンデルタール人以前の初期人類の心の中の三つの特化した知能領域の中で、それぞれ単独にすでに存在していました。ミズンさんは、その第2の「意図的な伝達」という特性について、猿とチンパンジーの両方がすでに身振りと単純な音声表現を使って行っていたように、この能力には長い進化の歴史があり、むしろ初期人類の社会的知能の重要な特徴となっていた*01と指摘します。最後の初期人類たち(ネアンデルタール人)の中で、この意図的な伝達能力は、全体的、操作的、多様式的、音楽的、模倣的(Holistic, Manipulative, Multi-Modal, Musical, and Mimetic)なコミュニケーション能力として形成されていた*02というのです。これらの諸特徴が全て融合したHmmmmmが、ホミニドと呼ばれるこうした初期人類のコミュニケーション体系だった、というのです。
Hmmmmmの特徴をスティーヴン・ミズンさんは次のように説明*02します。
一つは、単語やそれを組み合わせる規則である文法を持たない「全体的」という特徴です。ベルベットモンキーは、ヘビを見たときやワシを見たときにそれぞれ特定の警戒音を出しますが、こうした警戒音は「ヘビ」や「ワシ」という単語を意味しているのではなく、そのひとかたまりで「ヘビに注意しろ」とか「ワシが来るから逃げろ」とかいったメッセージを担っているのです。
もう一つは、「操作的」であるということです。「あれはワシだ」などというように指示して、世界の事物について説明しているのではなく、「ワシが来るから逃げろ」というように相手を操作するために使われているのです。
彼らのコミュニケーションは声だけでなく身振りも使うという点で「多様式的」で、リズムやメロディを使うという点で「音楽的」でもありました。
初期人類は、集団で狩りをする際に自然界についてのかなりの情報交換が不可欠で、それは自然環境や活動の側面を取り込んだ豊富なものになっていました。そのために使われたのが「ミメシス(模倣)」ではないか。つまり動物の声や動きのまねや、もっと洗練されたミメシスによって、以前見たものやこれから見るものを表した、というのです。身振りや擬音、そして「音共感」なども含めて、ミメシス的な特徴が、ホミニドのコミュニケーションにはあったのではないか、というのです。
氷河期を、狩猟生活をしながら生き延びたネアンデルタール人は、高度に協力行動を発達させてきたと考えられ、これにHmmmmmが大いに役に立った、とミズンさんは主張します。しかしこのHmmmmmは“全体的”であることによって、ひとつひとつの単語を組み合わせてつくりだす新しい表現にたどり着くことができなかったのではないか。このことが、20万年にわたる「極度に固定した文化」をもたらし、彼らの中でいわゆる“言語”を生み出すことがなかった原因だったのではないか、というのです。
われわれ現生人類(ホモ・サピエンス)は“言語”を使います。言語の誕生は「認知的流動性」に繋がっていった、とミズンさんはいいます。そして言語が生まれたことによって、Hmmmmmは無用のものとなってしまったのではないか、というのです。ところが認知的流動性は一方で、超自然の存在を生みだしました。こうした超自然の存在とのコミュニケーション手段としてHmmmmmは生き残り、“音楽”となったのではないか、とミズンさんは推論するのです。
The Singing Neanderthals: the Origins of Music, Language, Mind and Body
*01:心の先史時代/スティーヴン・ミズン/松浦俊輔+牧野美佐緒 青土社 1998.08.24
*02:歌うネアンデルタール-音楽と言語から見るヒトの進化/スティーヴン・ミズン/熊谷淳子訳 早川書房 2006.06.20