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「もの」になることと西洋型の二元論の克服

 イタリアの美学者で哲学者のマリオ・ペルニオーラさんは、1980年代以降にさまざまな分野で顕著に現われてきたひとつの状況として、人間がモノに近づいていくという状況、つまり、人間とモノとの境界線がますます希薄になっていく状況がある*01と指摘します。彼は、こうした現代の状況を、古代ギリシアよりもさらにそれ以前の文化-すなわち古代エジプト文化に有効な手掛かりを見いだすことで、西洋型の二元論の克服をもくろむ論*02を展開していきます。
 ペルニオーラさんによれば、古代エジプト文化には、彼が「エジプト効果*01と名付けた、実体のわからないものや知りえないものを外在化しようとする傾向、すなわち人間と「もの」との間の相互浸透的なプロセスがあった、といいます。そこでは「もの」は人間的な能力をもっていて、人間たちは、それと意識しないで、恐るべき客体化の衝動に動かされ、すべてに挑戦し、すべてを転倒させる実践的な成果への信仰に支えられていた、というのです。そうしたエジプト美術のもっとも一般的な特徴は、自然の模倣として提示されているのではなく、自然からは独立しているが、自然に並ぶ威厳と自律性を備え、「もの」の間で「もの」として存在する実体をつくりだそうとしていることにあった、と彼はいうのです。
 こうした傾向は、ヘーゲル*03のいうようにエジプト文化が歴史の前段階に留まっていたことにより生じる傾向ではなく、今日の社会の変貌と、その社会を息づかせている深い要求を理解するうえでも、非常に重要な、概念の参照点となる*01とペルニオーラさんは指摘します
 「エジプト効果」はまた、新しいものを古いものの近くに置き、そこから生じる対立の溝を開いたままにしておくことで、ある単一の時間の次元の中に両者を解消させてしまうとペルニオーラさん*01はいいます。それがエジプト文明に共通の傾向であり、現代の状況をラディカルに示す傾向でもあるのです。
 この傾向に最新の情報通信テクノロジーが拍車をかけています。一瞬のうちに世界中のあらゆる場所を現前化する“速度”の超越。そして過去のあらゆる出来事が直ちに現在になりうる“時間”の超越。特に現在を唯一の次元として押し付ける時間の充溢=「エジプト効果」が問題なのは、「生きられた瞬間を生きるという可能性を排除し、さらにひとつのアルケー、ひとつの始源、ひとつの根源へと遡ってゆく可能性をも排除するような、過去と現在との不可解な共存」*01にある、とペルニオーラさんは主張するのです。


「もの」の間で「もの」として存在する実体

*01: エニグマ-エジプト・バロック・千年終末/マリオ・ペルニオーラ/岡田温司・金井直訳 ありな書房 1999.05.01(原著1990)
*02:あとがきにかえて/岡田温司-無機的なもののセックス・アピール/マリオ・ペルニオーラ/岡田温司・鯖江秀樹・蘆田裕史訳 平凡社 2012.08.31
*03:美学講義/ヘーゲル(1770~1831)/長谷川宏訳 作品社 1995.08.05

 

ヘーゲル美学講義
ヘーゲル
作品社
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「もの」の間で「もの」になること

 

  1960年代以降の西洋の思想と文化、社会と宗教、芸術とテクノロジーを幅広く、しかも鋭く診断したイタリアの美学者で哲学者のマリオ・ペルニオーラさん*01は、とりわけ1980年代以降にさまざまな分野で顕著に現われてくるひとつの傾向性を次のように指摘します。人間と「もの」との間に相互浸透的なプロセスが現われていて、このプロセスを通じて、人間は「もの」に似てくるようになり、反対に、「もの」はますます人間的な性格を帯びつつある*02というのです。
 ペルニオーラさんによれば、今日の社会において人々には「無関心への確固たる信仰」と「憑依への確固たる信仰」という二つの、大きな変化の方向性がみられる、といいます。
 「これらのいずれの方向も、「もの」になるという同じ経験を内包し、主観主義との完全な決別、自己自身の消滅、そして自らを仲介として、あるいは外にある何ものかへの通過点として感じることを暗示している」*02とペルニオーラさんは説明します。現代はイメージの社会といわれていますが、実は「もの」の文明と定義できるような深い変化が大衆社会において進行している、というのです。
 「もの」とは、客体を意味するのでも、道具を意味するのでもない*02とペルニオーラさんはいいます。彼は近代の詩人ライナー・マリアー・リルケの言葉を借りてそれを次のように説明します。
 「人間は、その主観的なパトスを捨て去り、あらゆる傲慢やプロメテウス的慢心をかなぐり捨てることを学ばなければならない。そうして、「もの」の主人であるという要求から解放されて、「もの」の間で「もの」として据えられるようにならなければならない。」02
 さらに《「もの」の間で「もの」になること》についてミレーの風景画に描かれた牧人を例に次のように説明します。
 「この牧人は、自己の生をもってはいない。完全に風景の中に、その仕事の中に埋没しているのだ。人間を風景、動物、木、鉱物として見ることは、決して人間を格下げすることではない。人間は世界の中心であることを止めるが、そのことでよりいっそう大きくなるのである。風景のしるしの中に生きること、それは「もの」になること、ただひたすら「もの」になることを意味する。つまりリルケによれば、広がりの中で豊かになり、自分の前にではなく後ろに死を置き、直線的な時間の観念から抜けでて、徐々に空間となるということなのである。」*02


Jean-François_Millet_Pastora

01無機的なもののセックス・アピール/マリオ・ペルニオーラ/岡田温司・鯖江秀樹・蘆田裕史訳 平凡社 2012.08.31(原著1994
02エニグマ-エジプト・バロック・千年終末/マリオ・ペルニオーラ/岡田温司・金井直訳 ありな書房 1999.05.01(原著1990

無機的なもののセックス・アピール (イタリア現代思想2)
マリオ ペルニオーラ
平凡社

 

エニグマ―エジプト・バロック・千年終末
マリオ ペルニオーラ
ありな書房

 

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「もの」と言われた現実の真実なるもの

 いま私たちは山や海などのことを「自然」と呼んでいますが、それはいわゆる〈自然界〉を意味するnatureという英語の訳語として近代以降に用いられるようになったものでした。もちろん自然という字自体は、中国から学んだ言葉として古くからありましたが、それは主に「おのずから」という意味で使われていたもので、いわゆるnatureを表わす言葉ではありませんでした。では、それ以前の日本語にnatureに該当する言葉はなかったのでしょうか。

見当たらない「自然」 
 国語学者の大野晋さんは「もともとの日本語をヤマト言葉と呼べば、ヤマト言葉に「自然」(すなわちnature)を求めても、それは見当らない」*01と述べています。何故、ヤマト言葉に「自然」が発見できないのか。それは、古代の日本人が、「自然」を人間に対立する一つの物として、対象として捉えていなかったからだ、と大野さんはいいます。人々の意識のうえに確立していなかった「自然」が、一つの名前を持たなかったのは当然であった、というのです。日本人は自然を、人間に対立する物、利用すべき対象と見ていない。むしろ、自然は人間がそこに溶け込むところである。自分と自然との間に、はっきりした境が無く、人間はいつの間にか自然の中から出て来て、いつの間にか自然の中へ帰って行く。そういうもの、それが「自然」だと思っているのではなかろうか、と大野さんはいいます。


山や川などの〈自然界〉を意味するヤマト言葉は見当たらない。

母性としての自然に安らう日本人
 一方、国文学者の百川敬仁さんは、もともと「自然」に〈自然界〉の意味合いは潜在していた*02といいます。「自然」という語が潜在的に多義性を孕んでいるからこそ、natureの訳語として採用された、というのです。
 百川さんは、「自然」の語は〈自然性〉という内面的な方面と〈自然界〉という外面的な方面の二つの意味を孕んでいたが、外面的な意味合いの方は実は近代以前には顕在化せず、代わりに「天地山川」などという言葉がその意味を担って使われていた、というのです。そしてその理由は大野さんとほぼ同じで、日本では、近代以前は、人間の内的自然と外界の自然とを統貫して全体的に捉えようとするモチーフが微弱で、人間の次元のいわば〈内的自然〉と自然界という意味でのいわば〈外的自然〉とが裁然と区別されずにいた。従って、区別を止揚する全体性としての自然という観念も生じなかったからだ、と述べています。日本人は「内と外との区別以前の全体性、つまり母性としての自然に安らっていた」というのです。

「もの」という自然
 これに対し古典文学の研究者の中西進さんは、自然に囲まれて暮らしていた古代人が、自然を認識しなかったということはあり得ないし、認識すれば言葉があるはずで、その言葉は「もの」という大和言葉ではなかったか*03と指摘します。
 「もの」は、中国語の「物」と対応します。しかし「物」の訳語だとはまったく思えない、と中西さんはいいます。「もの」という言葉が物質を意味すること、これは今日においてもそのとおりですが、日本語では、それ以外にもう一つ霊魂とか魂とか、そういうものも「もの」としてあらわしている、といいます。たとえば「もののけ」という言葉は、すべてのものが霊ある存在(「もの」)としてあって、そこから発せられるなにがしかの不思議なる働きを「け」というのだそうです。
 「もの」というものは、私たちのまわりの一つ一つの存在そのものを「もの」として捉えるといことで、そこに私たちのまわりの山や川、海や森など、私たちがいま自然として捉える多くのものが含まれている、ということになります。
 そこで霊魂というと、そうした物質的な「もの」がを持つことによって、存在物が有機的な働きを持ってくる、そう考えがちですが、そうではない、と中西さんはいいます。そういった有機的な働きなどというものを一切区別しないで、そこに「存在しているもの」という形で何物かをとらえてみる、そういうものが実は「もの」というあり方なのではないだろうか、というのです。

物的なものと内的なものとの区別のない「もの」という自然の捉え方
注連縄の巻かれた御神木/由岐神社/京都市

 自然は「もの」と言われ、現実の真実なるものとして認識されてきました。そこには物質的なものと霊魂とかの内的なものとの区別のない「存在そのもの」という捉え方がありました。それは百川さんのいう内と外との区別以前の母性としての自然であり、大野さんのいう人間がそこに溶け込むところとしての自然という概念と同じといってもいいでしょう。それが古代日本人の自然の捉え方であり、いまなお私たちの奥底に脈々と流れる自然観なのです。

*01:日本語の年輪/大野晋/新潮社 1966.05.10
*02:国学者の自然観/百川 敬仁/日本人の自然観-縄文から現代科学まで/伊東俊太郎編 河出書房新社 1995.08.15
*03:古典と日本人/中西進/彌生書房 1981.02.25
古代人の自然観-その始原について/中西 進/日本人の自然観-縄文から現代科学まで/伊東俊太郎編
河出書房新社 1995.08.15

 

日本語の年輪 (新潮文庫)
大野 晋
新潮社

 

日本人の自然観―縄文から現代科学まで
梅原 猛,吉田 敦彦,中西 進,安田 喜憲,小山 修三
河出書房新社

 

 

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母性としての「自然」

 環境の中に住み込む人間を含めた様々な生き物たちは、環境の中にある〈意味〉を〈理解〉し、それに〈かたち〉を与えて、彼ら同士のコミュニケーションを図ってきました。そのなかで人間とほかの生き物たちを分けたものは〈理解を操作する〉という行為でした。そしてそこから“考える”「自己」意識が生まれ、「人為」へと繋がっていったのです。
 西洋の概念であるnatureと古来中国や日本で使われてきた「自然」という言葉の違いを整理した柳父章さん*01によれば、natureも「自然」も人間の行為である「人為」に対立する意味をもっているという点では同じだ、といいます。ところがnatureは「人為」と対立する一方で、互いに他方を不可欠の対立者として要請しており、そういう意味で両者は両立している、というのです。それに対し、伝来の日本語の「自然」は、「人為」を全く否定します。そしてそういう意味で「人為」とは両立しない、と柳父さんは強調するのです。とりわけ、主体的、意識的な「作為」とは両立しない、というのです。
 natureと「自然」の、この「人為」や「作為」に対するスタンスの違いはどこから生まれてきたのでしょうか。それはもしかしたら人類が「人為」という行為である〈理解を操作する〉行為に踏み出した時の彼らのおかれていた状況の違いに求めることができるかもしれません。
 人類が環境変化などに集団で対処せざるを得なくなった時、その集団における社会関係は、人類がそれまでに経験したことのないほど複雑化していました。そしてその複雑化した社会関係を乗り切るために、相手の〈理解を操作する〉必要性が生まれたのです。それは“考える”「自己」意識を人類が獲得する契機となった瞬間であり、また人類が他の生物たちから一線を画す契機となった瞬間でもありました。そして種としての人類にとってそれは非常に大きな分岐点となったのです。
 この〈理解を操作する〉という行為が生まれた時の周囲の環境状況には、地域によって大きな違いがありました。寒冷乾燥化が進行し、苛酷な自然環境の中にあった人々は、周囲の環境との相互関係が乏しく、仲間同士の関係性に関心が集中していました。彼らは〈理解を操作〉するという行為―とりわけ、主体的、意識的な「作為」という行為を強く発展させていったのです。そしてそれらの行為が周囲の外部環境とは明確に区別された特別な状況の中で生まれてきたものであることを意識していました。人間の次元のいわば〈内的自然〉と自然界という意味でのいわば〈外的自然〉とが彼らの中で裁然と区別されていったのです。そして「人為」に対立する〈外的自然〉をnatureという言葉で区分していったのです。
 一方、〈理解を操作する〉という行為が生まれた時、豊かな生態系が続いていた環境にいた人々は、周囲の環境へ関心が集中していました。彼らはその周囲の環境との相互関係の中から〈理解を操作する〉という行為-いわゆる「人為」が生まれてきたものであることを感じていましたが、その「人為」という行為は「自然」を母体として生まれてきたものでありながら、いまだ不可分な状況にあるために、彼らは特にその区別を意識してこなかったのです。
 柳父さんは、伝来の「自然」という言葉は「人為」を全く否定する、と述べています。それは「人為」が「自然」の一部であり、その両者に区別がない状況にあったために、伝来の日本人は「自然」の外にある「人為」というものを全く認識していなかった、ということなのです。そしてそういう意味で「自然」という言葉は独立した「人為」という存在を否定している、と柳父さんは語っているのです。とりわけ伝来の日本人たちは主体的、意識的な「作為」という行為についても、自立した存在として強くは意識してこなかったのです。
 そうした状況について国文学者の百川敬仁さんは、日本人は「内と外との区別以前の全体性、つまり母性としての自然に安らっていた」*02と表現しています。


01:翻訳の思想-自然とNATURE/柳父章/平凡社 1977.07.05
02:国学者の自然観/百川敬仁/日本人の自然観-縄文から現代科学まで/伊東俊太郎編 河出書房新社 1995.08.15

 

翻訳の思想―「自然」とnature (1977年) (平凡社選書)
柳父 章
平凡社

 

日本人の自然観―縄文から現代科学まで
梅原 猛,吉田 敦彦,中西 進,安田 喜憲,小山 修三
河出書房新社
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〈理解を操作する〉ことが“考える”「自己」意識を生む

 私たちは“考える”とき、頭の中で日本語の“言葉”を使って考えます。それは日常会話で耳にする日本語の“言葉”、音声で聞く日本語の“言葉”と同じであり、自らの口から発する日本語の“言葉”とも同じです。また書かれた日本語の文字を黙読する時も、声を出して読むのと同じ日本語の“言葉”が頭の中で聞こえてきます。このように頭の中で“考える”ときに使う日本語の“言葉”や黙読する時に聞こえてくる日本語の“言葉”とは何なのでしょうか。

音声として発せられない“言葉”
 多くの動物たちの脳には、脳が発する運動指令の遠心性コピーに基づき運動が「予測」され「内在化」する仕組みがあります。すなわち身体を動かすために脳から身体の末端に向けて発せられた運動指令の遠心性コピーが脳内に残り、過去に記憶されたデータや新たな視覚情報などと照合・比較され、その結果が思わしくないと判断されれば、動きを修正するために新たな運動指令が発せられます。それはあたかも運動の結果があらかじめ「予測」されたのと同じ効果を生みます。そして一連の運動が良い結果をもたらすと、その一連の運動指令群の流れが強く記憶され、ルーティン化(内在化)していくのです。
 このような運動指令の流れと同様のものが、人間の脳の発声聴覚系にも存在します。人間が言葉を発するときには、脳内の目標音声に基づいた運動指令が舌等の発声器官に送られますが、同時にこの運動指令の遠心性コピーが予測器に送られて予測音声に変換されるのです。そしてその内在化した目標音声(舌等への運動指令の遠心性コピー)が、心的イメージとして意識に上がる(=内言)のです。つまり人々が黙読や内言をしているときは目標音声の遠心性コピーを「聴いている」ということになります。したがって意識にのぼってくる思考とは、舌等の発声器官から音声として発せられない“言葉”ということになります。
 日常的に日本語を使う私たちにとって、頭の中で「聞こえる」言葉は、日本語の“言葉”ということになります。そして、この内言が高度に発達していくことによって思考が生まれてくるのです。

〈理解の操作〉のために“考える”
 思考が“意識”にのぼってくるとき、相手の〈理解の操作〉のために自らの脳内で“言葉”の組み合わせを“考え”ます。相手に向かって発っする前に、まず自分自身の中で作り出した“言葉”がどのような〈意味〉をもつ心的イメージを生み出すか、すなわち〈理解〉できるか、ということをシミュレーションし、相手と対峠する状況の中で、もっとも自分にとって望ましい相手の行動・反応を導き出すことのできる“言葉”を選ぶのです。
 そこには、相手も自分と同じようにその言葉によって同一のイメージ=理解をするであろう、という暗黙の前提があります。それは自分自身が相手の行動を模倣することができ、そこから相手の隠された行動を〈理解〉する能力をもっているのと同じように、相手もそうであろうと思うのです。
 ここに自分がつくり出した“言葉”によって自分自身が〈理解〉するという自己再帰的な構造が生まれます。“言葉”の生成と〈理解〉の生成の自己再帰的構造が出来上がった時、はじめて人間は“考える”「自己」意識を持つことができたのです。すなわち〈理解を操作すること〉が“考える”自己意識を生むきっかけとなったのです。


考える「自己」意識の獲得

 

 

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