乳がん多発骨転移・多発肝転移ステージ4です!のぴりぃのボチボチ日記

S43年生。H24年右乳房温存手術、翌年多発骨転移、H28年多発肝転移。治療のことや日常をつづります。前を向いて。

ご報告とお礼

2020-06-23 21:05:03 | 日記
のぴりぃブログをご覧いただいている皆様

のぴりぃ・夫からの投稿です。
本人に代わりお知らせさせていただきます。

のぴりぃは、2020年6月19日(金)、息を引き取りました。
最後は自宅で家族に見守られながら、安らかな表情でした。

これまで治療に尽力くださった病院の先生方、最後の在宅での看取りにご協力いただいた訪問診療、訪問看護、ケアマネジャーの方々、本人の友人、職場、その他関係者の方々、そして、何よりこのブログや患者会で本人とつながってくださった方々に、心より感謝いたします。

同じ病気の方たちとこのような形でつながることで、多くの生きる力をいただいたと思います。

本人の希望により、通夜・告別式は行わず火葬のみとり行い、遺骨は本人が大好きだった沖縄・宮古島の海へ散骨とする予定です。「手を合わせたい、と言ってくれる人がいたら『海に向かって手を合わせて』とお願いしてほしい」と本人は生前話しておりました。

このブログは当面削除の予定はありません。
のぴりぃ本人ががんとともに生き抜いた証の一つとして、今は残しておきたいと思います。

これから、そして今もがんと闘い、ともに生きている方々に少しでも参考になればと思い、以下に、2020年5月10日に本人が投稿した最後の記事以降の経過を記します。
(少し長くなります。)

※内容はあくまでのぴりぃの場合のものであり、他の方にも同様にあてはまるものではありません。また、夫の記録の範囲で書いていますので、一部不正確なところがあるかもしれないことについて、予めご了承ください。

2020年5月11日(月) 最後の出勤
それまでも新型コロナの影響からほとんどを在宅勤務で行っておりましたが、この日の出勤を最後に休職に入りました。

2020年5月12日(火) 外科受診
ゼローダ&エンドキサンの治療に奏功が見られず、積極的治療をこの日で終了しました。あせて主治医が外科から同病院の緩和ケア科に変更となりました。

2020年5月19日(土) 入院
腹水がさらに溜まり苦しさが増したため、緊急で受診しそのまま入院となりました。かかりつけ病院の緩和ケア科には「初診面談」というのがあり、そちらは3月に既に行っていたので本人の情報も伝わっており、スムーズに対応していただけました。
かかりつけ病院の緩和ケア病棟は本来24時間面会自由ですが、新型コロナ対策のため、家族を含め一切面会不可となっていました。

2020年5月22日(木) 退院
2泊3日の入院で腹水を2L抜き、退院しました。それまでずっと毎日夕方以降に38℃前後の熱が出ていましたが、この入院治療移行しばらく見られなくなりました。

2020年5月27日(水) 緩和ケア科受診→再入院
緩和ケア科の予約受診でしたが、引き続き腹水がたまり辛さが増していたため、再び入院となりました。この入院を機に、腹水によるお腹の張りへの対応として処方されていた痛み止めの貼り薬「フェントステープ」を中止し、モルヒネ系の点滴「ナルベイン」(退院後は飲み薬の「ナルサス」と頓服の「ナルラピド」)に変更となりました。

2020年6月1日(月) 退院
5泊6日の入院で、今回は8L(うちCART療法で5L)の腹水を抜き、退院しました。前回入院時より多量の腹水を抜くことができたため、妊婦のように大きくなっていたお腹はほぼ元に戻っていました。

2020年6月4日(木) 緩和ケア科受診
退院後、腹水の辛さはなくなったものの、不眠症状が強くなり、食欲もなく、認知機能の低下(物事を忘れる、薬を間違える、物事の判断ができない、など)も見られるようになりました。言語も不明瞭になり、手の震え、ふらつきもありました。杖歩行も困難で受診時は車いすでした。睡眠導入剤を変更し、この日から、処方薬を飲み間違い防止のため分包にしてもらいました。

2020年6月9日(火) 再入院
不眠が引き続き強く、足のむくみも強くなり、せん妄も現れ始めていました。本人から入院したいとの希望があり、かかりつけ病院の緩和ケア病棟に入院しました。このとき、夫に主治医から余命について「6月いっぱいもつかどうか」との話がありました。
この日の血液検査は以下のとおりでした。
・アルブミン 2.4
・総ビリルビン 8.9
・ALP 2,492
・γ-GTP 1,579

以降、入院中の本人とは何度か電話やLINEでやり取りを行いましたが会話が難しくなっている様子が伺えました。

2020年6月15日(月) 退院
新型コロナによる面会制限で家族に会えなかったこともあってか、本人より「退院したい」との希望が前日にあり、急遽、この日退院となりました。病院の主治医や看護師、ソーシャルワーカーの方が、在宅生活にあたっての訪問診療、訪問看護を朝から素早く調整してくださり、15時に退院し、16時30分には自宅に訪問診療の医師と訪問看護師が訪れ、在宅生活支援の体制を整えてくれました。
以前から時短勤務だった夫も、翌日から介護休暇により仕事は休みに入りました。

退院時、本人は寝たきりで車いすに座ることもできず、ストレッチャーのまま介護タクシーで自宅まで戻りました。入院中に入った尿カテーテルもつけたままで、会話もほとんどままならず、夫としても事前にある程度の状況は聞いていたものの、数日振りに対面する本人の様子の変化に驚きました。

2020年6月19日(金) 永眠
退院後も日単位で状況が変化していきました。訪問診療医の先生は日々本人の状況変化に応じて処方を変えたり薬の使用について助言をくださり(薬は薬局から届けてもらいました。)、訪問看護師の方も毎日来てくれ、寝たきりの本人の着替え、清拭、おむつ交換のほか、ベッド上でシャンプーもしてくださり、本人が安らかに過ごせるよう環境調整や介護のアドバイスもいただきました。

亡くなる前日には訪問診療医から「今日明日かも」と話があったため、当日は長女も仕事を休み、小学生の長男も学校を休みました(次女はオンライン授業のため在宅)。

最期を迎えるときの予兆として「呼吸の変化がある」ということを予め伺っていたため、本人の呼吸状況を見守っていたところ、その兆候が見られ、家族が集まり、見守っていたところ、呼吸の変化が現れてから僅か20分ほどで呼吸が停止しました。

その後、訪問看護師、訪問診療医の先生に来ていただき、死亡診断をいただきました。

家族全員、もちろん涙しましたが、在宅で本人の日々の変化を見ながら、ある程度の覚悟ができていたことも大きかったと思います。

僅か1週間足らずですが、様々な支援の手を借りながらも在宅生活の介護は決して楽なものではありませんでした。しかし、もし入院したまま最期を迎えていたら、特に病院での面会ができない今の状況では、このような心の準備もできなかったでしょうし、おそらく最期の瞬間にも立ち会いはできなかった(呼吸の変化が現れてから連絡を受け、駆け付けても間に合わなかった)だろうと思います。

本人はもともと「自宅で最期を迎えると、残された家族に辛い思い出の場所として自宅が残ってしまうから、病院で最期を迎えたい」と言っていました。

今回、それとは違った形となりました。新型コロナがなければまた違ったかもしれません。夫である私自身も、これで本当に良かったのか、正直、わからないところもあります。

しかし、最後は本人も退院を望んだことと、あとは残された家族の受け止め方次第だと思っています。「自宅を辛い思い出の場所にしたくない」という本人の思いに対し、家族がそのように考えず過ごすことができれば、本人の思いには応えられるのだろうと思い、これから子どもたちと日々を過ごしていきたいと思います。

長い文章となってしまいましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございますm(_ _)m

のぴりぃ・夫

※この記事はコメント欄を開けていますが、いただいたコメントについては、申し訳ございませんが返信はできませんのでご了承ください。